男子 最後の思い実らず 2年連続ベスト16/全日本大学選手権

2015.08.09
 ベスト8の鬼門は突破できず、チームに笑顔はなかった。迎えた4回戦、秋から1部リーグ戦で戦う国学大に2─3で敗れ、まさかのベスト16止まり。男子は6年ぶりとなるベスト8越えを目標に掲げ臨んでいただけに、大舞台で悔しい結果に終わった。

 見えない敵に敗れた。国学大とのベスト8進出を懸けた試合だったが1番手、3番手が惜しくも敗れ、殲滅(せんめつ)戦※である今大会の命運は大将の寺下洸平主将(農4=小松市立)・伊藤健人(商3=東北)に握られた。「他の1ペアが負けても自分たちが勝てばチームも勝てる。それだけを考えていた」(寺下)。8連続ポイントなど息の合った圧巻のゲーム運びで2ー2に持ち直し、見守る観衆は1ペアで3ペアを殲滅(せんめつ)する「回し」を期待した。しかし山形の過酷な暑さと、極限の集中力による緊張状態が気づかぬうちに寺下の体を追い込んでいた。それまでの完璧ともいえる展開は3試合目の3ゲーム目に崩れ「グリップを握っている感覚があまりなかった」と利き手である右手の指、そして足に痛みが襲った。動くのもやっとである状態を前に、タイムや前衛後衛の入れ替えなど試行錯誤を重ねなんとかコートに立ったが最後は4ー2でゲームセット。勝利をつかみかけたが、団体戦の幕は予想外の形で閉じることとなった。

 特別な思いがあっただけにショックは大きかった。寺下が2年生だった当時、今大会と同じ山形でインカレが行われ、小学校からの関係で憧れでもある堂野(平25営卒)がチームを引っ張っていた。しかしそこでの敗戦で涙を流していた堂野の姿が忘れられず、自分は悔しい思いはしないと心の中で決めていたという。そしてラストとなった今年、運命のように同じ山形でのインカレが巡り合う。初戦の熊本学園大戦から「これが最後になるかもしれない」という思いで臨むとボールは威力を増していった。さらにペアである伊藤も「(大学で)今まで一番良いプレーができた」とボレーやスマッシュの決定力を光らせゲームを盛り上げた。1─2で最大のピンチとなった国大戦も寺下・伊藤が回していくだろう。寺下の体が悲鳴を上げたのはそう思われた矢先の出来事だった。4年生で唯一レギュラーとして出場する寺下は、自分の思いに加え出場できなかった4選手の思いも背負っていた。試合後は「本当に、終わってしまった」。交差する様々な思いを受け止めきれない様子だった。

 ひとりひとりが様々な思いや課題を抱えた大学対抗戦。初めての大舞台に立ったルーキーの立木雅也(農1=中京)と丸岡俊介(政経1=尽誠学園)も経験不足から本来の力を出し切ることはできず、力の無さを痛感する結果となった。「次を目標にまた二人で頑張っていく」(立木)、「この1年で強くなる」(丸岡)。来る次の戦いに向けて成長を続ける。全日本学生の大会はダブルス、シングルスの個人戦が続く。団体戦で生まれた思いを晴らすべく全員がそれぞれ思いの丈をぶつけていく。

※1
3ペアで構成されたチームで勝ち抜き戦を行う方式

[川合茉実]

試合後のコメント
北本コーチ
「1年生は経験がないので、いいところもあればわるいところもあって。お子ちゃまみたいな試合ですね。自分をコントロールしてコンスタントに力を出せるようになればいいかなと思います。修行不足です。チームでは全体的に前衛があまり機能しなくて。もう少し勝負に責任を持って欲しい。前は攻撃なので、その部分は機能しなかった」

寺下
「申し訳なかった。とにかく申し訳ない気持ちでいっぱい。体調管理は自分の責任。競って負けるなら良かった。動くのもやっという感じで終わってしまいチームには申し訳なかった。(チーム)自分がキャプテンになってから1番いいムードでできた。同期の4年生たちがしっかりサポートしてくれて、支えられた。選手が試合しやすいように後輩を指導したり応援したり。自分たちはそれで試合に集中できた。本当に最後だと。いつ、どの試合が最後になるかはわからない、初戦からこれが最後になるかもしれないという気持ちで悔いを残さないように1試合1試合必死でやった。他の1ペアが負けても自分たちが勝てばチームも勝てる。それだけを考えていた。取られても動揺とかはせず、自分が回そうという気持ちでいた。向かって行くだけだったので。悔いの残らないように。最後だからという気持ちで吹っ切れた。自分がしっかり高いところとかを先に攻めれれば最後は伊藤が決めてくれる。ポイントポイントでどうするかというのはわかっていても話しながらやっていった。 調子が良いとかではなく、気持ちで持って行った部分が大きかった。先輩たちの姿を見てきた。悔しがっている姿を見てきた。二年前も山形だった。その時の4年生の人と地元が一緒で、小中と学校が一緒。高校は違ったが、国体とかは一緒で。大学も一緒にテニスをしてきて。その人はポジションも違うけど憧れの先輩だった。その先輩が一昨年負けて、泣いていた姿をみて自分は頑張ろうと思った。お前は最後頑張れよ、と言われた。それが同じ山形であって、自分は最後言われたことも思い出して、悔いのないようにやろうと心の中で決めていた。全力でプレーした。闘志むき出しで。試合に出れるのは4年生は自分だけだったので、4年間というかずっと一緒にやってきた同期の分まで戦おうと思って。直接は何もないが、託されたというのは感じたところはあった。頑張ろうかなと思っていたんですけど。(ケガについて)(国学大の)2試合目くらいであれ、と思った。1試合目最初は足にきていて、つりそうかな大丈夫かなと思っていたら、試合で足を気にしていたんですけど、かばいながらやっていて。でもその前に指がきてしまって。右手の指。1-1の2-3負けくらいの時にサーブを打ったら指がつってしまって。大丈夫かなと思っていた。グリップ握っている感覚があまりなかった。サーブの時持ち方変えても、変えてる感覚がなくて。それでやったら飛ばしてしまってやばいな、と思った。でも体の責任は自分の責任なんで、本当に。暑い中でも試合はあるので、怠った部分もあったんじゃないかなと。想像以上に疲労が体にきていたのかな。本当はつるほどの試合数じゃない。(試合後) 伊藤と話すより、同期と話していた。悪いなと。こんな終わり方してしまってごめんと言った。みんな全然自分のこと責めなかった。頑張ってたし、しょうがないと言われましたけど、ああいう終わり方になってしまって本当に申し訳ない。 終わるのは早い。一、二、三年の時はそういうふうに気がつかないんですよね。四年目になって最後、ってなってから早いなと思う。もうちょっと練習しとけばよかったなとか、終わって見たらああいうことをしておけばよかったとかでてくる。もう遅いですけど。自分は結構自己中でわがままなんですよ。みんなにも迷惑かけたし、ダルかったかもしれないですけど、最後やってこれて、この地で戦えたということは自分にとっても思い出というか、人生で忘れられないと思います。このチームで良かった。もう少し結果をしっかり残せたらベストだった。終わったばかりで特に思い浮かばない。早かった、本当に、終わってしまった。悔いも残りましたし。後輩にはこういう思いせずに、頑張って欲しいなと思います。自分の4年間振り返って、同じ感じで終わって欲しく」

伊藤
「もう少しいけたかなという気持ちが強い。でも自分個人的には悔いは残っていない。良いプレーができたし、寺下さんと最後に話し合ったりしていいテニスができたなと思う。緊張感が良い感じであって、その中でも力を抜くこともできて良い方向に(プレッシャーが)働いたかなと。(試合中)悪いイメージは沸かなかった。最後のインカレだからといって緊張感だけでいったわけではなくてゆとりが持てた。山形での事前練習の時からチーム全体としても和やかなムードで練習していたので、そこが良かったのかなと思う。相手にゲームを取られても気にならなかった。気持ち的には(大学に入学してから)一番良いプレーができたんじゃないかなと。(寺下と組む最後のインカレで出せて)良かった。(代替わり)インカレでも4年生を主体としたメンバーで出たいなという気持ちがある。秋はペアのこともも含めどうなるかわからない。今までずっと寺下さんと組んできたので。インカレではここ2年で二日目にいけていないので、そこはいきたい。自分の3個上の先輩に言われたのが「悔いの残らないように試合しとけよ」という言葉。堂野さんです。堂野さんが大会に負けて泣いていたのを見てなりたくないなと。笑って終わりたいなと思っていた。(来年は)そういう試合にしたいなと思う」

立木
「(初めてのインカレの舞台)1ペア1ペアの勝利がチームの勝利になっていくので、そこで自分たちの勝ちや負けがどれだけ大きかったというのを感じた。特にはリーグ戦だったりの時の雰囲気と違うと思う部分はなかったが、関西だったり色々な地区の人と対戦するので、それぞれ雰囲気とかが違くて新しい感覚というか。そういった部分では違うものを感じた。(周りからの)期待がプレッシャーになるようなことも特にはなかった。自分の意思が弱かったり、自分の考えが甘くなったりというところでボロが出てしまったかなと。ポイントがリードしていたりだとか、大丈夫だろうという気持ちで入ってしまう場面があった。そうすると自分の足が動かなくなったり、雑なプレーが出てしまって、そこでポイントを取られて次のプレーにも影響が出てしまうという悪循環がありました。ファイナルにいったゲームは2つともあまり調子が良くなかった。勝ち切った部分は大きかった。でもファイナルに入ったことによって疲労がたまって、次の試合にも悪い影響がでてしまった。普段の練習と試合の違いを監督に強く言われたので、試合でできなかったことを次の練習でまた意識していきたい。足が動いてなくて定位置で打ってしまうのでボールのところまで足を動かさずに雑にいってしまった部分が課題。(4年生最後のインカレ)寺下さんには今まで頑張ってきてもらっていたので、肩してあげたいと思っていたが、僕が足を引っ張ったせいで寺下さんが怪我をしてしまってチームも負けてしまったので本当に申し訳ない。応援の時は一番4年生が声を上げていた。(丸岡とは)特に話したりはしなかったが、自分たちのせいだなというのは感じていたと思いますし、次を目標にまた二人で頑張っていきたい。(国学大)向こうのチームの雰囲気も良くて、伸び伸びとやっているのでそこに自分たちが固くなってしまってはいけないので自分も秋の団体では伸び伸びとやっていきたい」

丸岡
「(初めてのインカレは)緊張した。インターハイとは違った雰囲気がまたあった。(チームからの期待は)特に感じていなかった。4年生が最後だったので、その夜のミーティングの時に色々気持ちを伝えられて硬くなってしまった部分もあった。(内容は)4年生が出なきゃいけないのを1年生に任せてしまう4年生が悪いけど、俺らのぶんまで頑張ってくれと言われた。国学院で1ー3から2ゲーム取れたのはその言葉の影響があった部分はある。(最後の寺下選手の試合は)寺下さんは自分と立木が負けてしまって、そのせいでああいうことになったので責任は感じた。最後まで頑張ってとか、終わった時にも来年は頑張ってくれって言葉をかけてもらったので来年に向けて頑張りたい。1回インカレをやってみて、全然力も技術も足りないのでこの1年で強くなりたいと思う」