ユニバーシアードで金メダル獲得 平井彬嗣インタビュー

2015.07.19
 ついに15分の壁を越えた。韓国で行われたユニバーシアードで、1500m自由形に出場した平井彬嗣(政経4=市立船橋)が金メダルを獲得。14分56秒10という日本歴代2位の好タイムだった。

――大会を振り返って
 今回はいろんな壁を突破できた大会だった。それが純粋な感想です。15分を割れたことや、国際大会で自己ベストを出せたこともこれまでなかったですし、メダルも取ったことがなかった。これまでいろんな遠征に行ってきましたけど、正直自分は戦えないんじゃないかというコンプレックスを全部突破できた大会でした。

――14分56秒のタイムを見たときのお気持ちを聞かせてください
 純粋にほっとした。去年移籍して結果を求められるようになって、出さなきゃ出さなきゃというのがどこかしらにあった。でもいろんな人にお世話になっていたので、ほっとした。待ち望んでいた自分が2年間、3年間いたので、ほえてしまいました(笑)。やはり気持ちがいいなと思いました。15という数字を見るのと14という数字を見るのは、こんなにも違うんだと。たった一桁だけなんですけど、大きな違いを得ることができた。いろんな大会が布石になりましたけど、国際大会で大きくベストを更新できた、そのベストが15分割れたというのはなおさら自信になります。ここからがスタートラインで、やっとスタートラインに立てたかなと思います。

――14分台を出してからがスタートラインなんですね
 そうですね。国内では15分を割ることは名誉なこととされてますけど、海外に行くとみんな割っています。オリンピックでメダルということを考えると、割ってからさらにどれだけ上げられるかが勝負になってくると思います。15分台の自分が世界と戦うと言っても、やはりどこか根拠がなかったり説得力が欠けていました。今回出したことで、みんなにも納得してもらえると思いますし、自分自身が一番自信になりました。そういった意味で自己ベストを4秒縮めただけなんですけど、とてもとても大きな4秒だと思います。

――自己ベストを出せた要因は
 難しいところで僕自身もよく分からないんですけど、まずは充実した練習がしっかり積めていたことです。これまでの遠征は世界選手権にしろパンパシにしろ、どこかしら自分に自信がない状態で海外に飛んでいたので、向こうで環境が変わって変化ができればと淡い期待を抱いて臨んでいて、今回のように日本でしっかりとした強化ができていなかった。今回は強化が成功していて、4月の日本選手権から2カ月で練習も変えて、自分自身に変化を感じていたので薄々いけるんじゃないかと思っていた。800の予選でどうかなという迷いに変わったんですけど、しっかりやっていればしっかり結果は出る。あとは大舞台でもやることはいつも通りで、いつも練習に行くようなスタンスは変えずに、特別なウォーミングアップも特別なご飯もないので、普段通りのことをしてやってきたことを信じてレースに臨んだらタイムが出たという感じです。

――具体的に4月からどういう練習を積んできたのですか
 僕が長年課題にしていたのが、スピード不足と乳酸に耐えうる力が極端に弱いという部分がありました。それはずっと目を離していたところだったんですけど、日本選手権で前半から攻めていって乳酸が溜まっていく、溜まった状態でなんとか15分間耐えてやっと15分割りが見えてくる、というのが自分のトレーナーと話して分かったことでした。水中で乳酸を溜めるのが苦手だからできなかったことだったので、なんとかそれを陸上で代用しようということになりました。陸上で短時間で乳酸を出して、それを継続して行うというのを2カ月やりました。たった2カ月ですけど、2カ月でこれだけ成果が出たということは伸びしろだと思います。サーキット系の練習で20秒思いっきり動いて10秒休むというのを8セットやっていました。長距離はどれだけ乳酸を出さないで泳ぐかというのが肝になってくるので、乳酸が出るとパフォーマンスは低下していって、1分1秒、2秒とラップでかかってしまいます。でも世界と戦うにはある程度の乳酸は背負わないといけないわけで、それならばベースを上げていけばいいんじゃないかと思いました。

――これまではそういうトレーニングは取り入れてなかったのですか
 そうですね。やっぱり嫌いな部分ではあって、人は自分の好きなこと好きなこととなってしまうが、世界と戦うには両方やらないといけない。嫌いでもやっていかないといけないわけで、やっと取り組み始めた。乳酸を溜めることが可能になったことで、短時間思い切り継続して泳ぐことができるようになったので、スピードの向上にもつながる。スピードが上がれば1分00秒で刻むのが楽になる。自分がこれまで全力で57秒でしか泳げなかったら、1分00秒はものすごく幅が狭い。これが53秒、52秒と幅が広がれば、100%の自分に対して40%の自分で1500を泳げるようになっていくと思う。

――6月のジャパンオープンでは400mで自己ベストを更新しました
 面白いもので、400mで1秒ベスト出して、800mで2秒ベスト出して、1500mで4秒ベストを出しているんですよ。本当に倍数倍数でベストが出ていて、このまま単純計算をするとあと400で4秒上げることができればオリンピックで金メダルを獲ることができる。そんな簡単にはいかないと思いますが、僕の得意分野は距離が伸びれば伸びるほど、みんなとの差が広がっていくことです。普通の人が400mで1秒縮めたら1500mで4秒縮めるというのはあまりないと思うんですけど、僕の生まれ持った特性なのか練習で培ったものなのか、そういうポテンシャルがあるらしいので、今後はスピードを強化していけば世界で戦っていけるようになる思う。400mのベストはそういうものを気付かせてくれた、自信になったレースでした。

――他に要因はありますか
 いろんなレース展開に対応できるようになったのかなと思います。外人が先行しても前半からスピードを出して、乳酸が溜まっても耐えることができるから、僕の持ち味は後半なので、後半は僕の方が有利になってくる。乳酸を溜められないとやっぱり前半で飛ばされたら僕も飛ばさないといけないのですぐに乳酸が溜まってKOされてしまう。レース展開が広がれば心に余裕ができますし、長距離選手はいかに自分に負けないかがカギになるので、自分の可能性や幅を広げていくことが有利になってくると思う。

――どういうレース展開だったんですか
 前半の100からほぼ独泳のような感じでした。僕が5コースで、6コースが山本耕平さんだったんですけど、2人がまず抜けて、400過ぎから耕平さんが落ち始めた。僕がそのまま泳いで、3コースにいたウクライナの選手が後半追い上げて1100過ぎまで2秒ぐらいまで追い上げられたんですけど、その後疲れたみたいで最後は6秒差でゴールしました。終始独泳でした。独泳になった時点で14分台は出ないなと思っていました。いろんなレースパターンを想定していて、一番来て欲しくないものが来てしまった。日本選手権が結局独泳で前半からいって、自分のペースが分からずにバテてしまった。最初の400で独泳になったときにその記憶がフラッシュバックしてきて、大抵そういうときはベスト出ないんですけど、その中で15分割れたということは、裏を返せば日本で一人で泳いだときに割るということだと思います。インカレでも割ることができれば来年のオリンピック選考会にもより優位につながると思います。今思えば、一回駄目じゃないかとあきらめてしまったんですけど、その中で割れたということは収穫だと思います。

――4月の日本選手権で400mまで59秒台で刻んだ経験は今回に活きましたか
 あそこで59秒台で刻めたということ、後半は浮いちゃいましたけど、レースの中で59秒という風景を体験できたことは簡単に忘れることはできないです。今回は高ぶりすぎて風景は覚えてないんですけど、結局あの経験がなければ59秒台の風景は分かりませんでした。その風景を持続させるためにどういう練習を積まなきゃいけないかというのが分かりました。結果論ですけど、4月は自分に必要だった、なければならなかったと思います。

――兄・康翔さん(平25政経卒)もツイッターで祝福されていました。どんなやりとりをしましたか
 直接電話もしてなければラインもメールもしてないです。それがあいつのいやらしいところで公にしか書かないんですよ(笑)。1500のあと選手村で過ごしていて、平井彬嗣という選手より平井兄弟という知名度、ブランドがディスタンス界に広まってきたのを感じていて、アメリカの選手やコーチにもお前ら兄弟のこと知ってるよと言われました。僕単体や兄単体では世界の知名度は低いかもしれないですけど、来年は二人で五輪を狙える立場にいるので、お互い切磋琢磨(せっさたくま)してこのブランド名を広めたいです。そして親がそれを見て喜んでくれるのが一番です。

――最後のインカレが9月に迫っています
 インカレは個人戦というよりチーム戦という感じなので、もちろんタイムも狙いたいですけど、4年生なので背中で引っ張っていけるように。そして今年は86年ぶりの総合優勝も懸かっています。間違いなくチャンスが来ているときに、勝ち取れる選手が世界と戦えたりエースと呼ばれる選手だと思います。自分に与えられている責務があるから、4年生としてしっかり結果を出したいです。あとは明治は寮生、寮外と分かれていて、なかなかチームの柱となって集めたり士気を高めたりすることを言う人が欠如していたので、そういう柱になれるように。僕は寮外でもありますし、今は寮生とも行動しているので、だからこそ見える風景もあります。4年だから下の子に言いやすかったり、結果が出ているから教えられることも少しはあると思います。もちろん日本新を出せば最終日に盛り上がると思うので、日本新記録を目指していきたいと思います。

――来年の選考会、リオ五輪に向けては
 今回のユニバーシアードを経験してやっとスタートラインに立てた。自分の人生でスタートラインに立てるというのは半々でしかなかった。もしかしたら駄目かもしれない、身長も低いしベストも出せたことがなかった。それでも立てた幸せに感謝しつつ、結果を出すまでのプロセスが分かったので、インカレまでもこつこつ、選考会までもこつこつやる。そこでいい結果が出ればリオが決まると思うので、それしかないかな。それに尽きる。地道にやっていくだけですね。

◆平井彬嗣(ひらい・あやつぐ) 政経4 市立船橋高出 172cm・68kg
 大きな体格が優位とされる自由形で、175cm以下の選手で初めて1500mで15分を切るという快挙を成し遂げた。今大会800m自由形でも銅メダルを獲得している。これまでの自己ベストは15分00秒66。13年世界選手権バルセロナ出場。14年パンパシフィック選手権出場。

[聞き手・坂本寛人]