曽我がケイリン制覇! 悲願の個人初タイトル獲得/全日本学生選手権トラック競技大会

2015.07.06
 インカレ前最後となる大規模なトラック大会で確かな手応えをつかんだ。ケイリンでは曽我圭佑(法3=九州学院)が優勝し個人初タイトルを獲得。板倉玄京(営2=千葉経大附)も曽我に続く2位で見事表彰台に上がった。連覇が懸かったスプリントの橋本瑠偉(政経3=佐賀龍谷)は惜しくも2位に終わったが、タンデム・スプリントやマディソンなど計6種目で入賞者を出し上々の仕上がりを確認。インカレに向けて収穫の多い大会となった。
 持ち前のパワーでライバルを寄せ付けなかった。決勝のラスト1周に差し掛かるところで、曽我は勝負を掛けた。前を走る奥村(鹿屋体大)を捲(まく)るとそのまま爆発的に加速。誰よりも速くゴールラインを駆け抜け、高々と拳を突き上げた。「個人種目で優勝したのは高校、大学を通じて初めて」という曽我だったが、表彰台の真ん中では俺がチャンピオンだといわんばかりの仁王立ち。照れ笑いを浮かべながらも、優勝した実感をかみ締めた。
 「やっぱり親の存在」。パワーの源を問うと曽我は開口一番にそう答えた。冬場に意識的に取り組んだ筋力トレーニングに加え、新調したフレームも曽我のパワーを助長した。乗り始めて1週間足らず。予選ではその剛性に体が慣れず、敗者復活戦に回った。「一番グレードの高い自転車を買ってもらった」からこそ曽我の一番の親孝行は結果を出すことだった。見事に敗者復活戦、準決勝を勝ち上がると、応援に駆けつけた両親の目の前で初の個人タイトルを手に入れた。すぐに帰らなければならなかった両親からはレース後LINEで一言「おめでとう」とメッセージが届いていた。

 狙い通りの展開だった。板倉はスタートからペーサーの後ろをキープし、空けていた前方のスペースに曽我が入る。「二人で固まろうと話をしていた」という作戦通りにレースは進み、ペーサーが抜けたあとは曽我に引っ張られるように板倉も加速。「速い人たちと戦ってそれに合わせたり、踏み直したりっていうことが得意」。板倉の長所も存分に発揮されたが、曽我のパワーに付いていくことができる自力も本物だ。全日本での表彰台入りを大きな自信に「ゆくゆくはインカレや全日本で優勝したい」と、板倉は次なる目標達成へ闘志を燃やす。

 インカレまでついに2か月を切った。先日ツール・ド・北海道出場を決めたロード班に負けんとばかりに、今大会ではトラック班が好成績を残した。「インカレでは優勝するために、まだまだ練習していくしかない」と橋本。現状に満足する選手は一人もいない。課題の克服に努め、最高の状態で真夏の大一番に挑んでいく。

[鈴木拓也]

試合後のコメント
小林和希(政経3=祐誠)

「スクラッチの決勝は最後だけもがくっていうレースの方が勝てると思うが、そういうレースはあまりしたくなかったので中盤アタックしてラップして優勝を決めたかった。中盤一回逃げたが一緒に逃げた2人があまり引けなくて吸収された。明治としては誰かがアタック掛けたら集団抑えて吸収したらまた次の人が行ってみたいに話していてそれはうまくいったが決定的な逃げが決まらなかった。スプリントは脚がきつくて残り5周くらいからスピードが速くて場所取りも悪かったので最後もがいたが届かなかった。(マディソンは)去年ポイントレースで全然走れてなかったので心配だったが、2人ペアで休みながら走れるという面でいけるかなと思っていた。作戦としては自分がスプリント取りにいって眞砂(英作・政経2=高松工芸)にその他を頑張ってもらうという感じだった。1位の鹿屋は点数が高かったがその下4校くらいは点数が固まっていてスプリント勝負だなというところで、最後日大、京産大、明治と並んで前の2人捲ったら2位にはなった。基本交代される方の外側を走らないと駄目なんですけど、スプリント前なのでみんな気合入っていていつも通りの交代のはずができてなくて、その人がいきなり上がってきて前輪にぶつかってハンドル取られて転んでしまった。それまで休めていたので最後いけるかなという感じだったので悔しい。(マディソン交代するときは)お互いが押しあった方が伸びるので、交代終わるまでは気抜かず意識していた。(課題は)先週の全日本ロードも落車しているのでまずは自分の走り方を勉強して転ばないようにしたい」

曽我
「(ケイリン優勝の率直な気持ちは)素直にうれしいという言葉しか出てこない。(決勝は)板倉が決勝に残ってくれたのが大きかった。ペーサーの後ろに入ってくれて、そこに僕が入ってあとは流れに任せるというプラン通りにやることができたことが優勝の要因となったと思う。あいつのおかげで後ろの選手が来なかったというのもあるので。(全日本レベルでの優勝は)1年の時にタンデムで優勝したけど、タンデムは個人種目だと思っていない。こういう完全に個人種目で優勝したのは、高校、大学を通じて初めて。一番は親の前で優勝を見せられたことがうれしい。すぐに帰ってしまったので話はできていないが、LINEでおめでとうという風に言ってもらえた。最近自転車のフレームを変えて、一番グレードの高い自転車を買ってもらったから。それは結果を残すしかないと思った。でも乗り始めて1週間しか経っていないから、その剛性に体が慣れていなかった。剛性が強い分、自転車は進むが自分の体が付いていかない。まだまだそれに合っていないので、もっと自転車に合った体づくりをしていかないといけない。(優勝の要因となったのは)冬に筋力トレーニングをして、昨年は失格を食らっていたのでその悔しさもぶつけようと思っていた。やっぱり一番大きいのは意識が変わったことだと思う。(パワーの源は)やっぱり親の存在。大学に来て自転車ができているのは親のおかげ。だからこそ自分にできる恩返しは結果を出すこと。(ロードにも積極的に出場していたが)どこで休むか。どこで力を使うかをあらためて分かった。ケイリンでも後ろにいるときに風の抵抗を無くして楽に走るみたいに、レースに出ることでレース感が磨かれたと思う。周りがよく見えるようになったから、今回も慌てずに自分の展開に持ち込めたと思う」

橋本
「(今大会は)調整もできていたし、悪くはなかった。予選は1位で上がったので、本戦は楽に戦えるだろうと思っていた。決勝には一応乗ることができたが、2連覇を少し意識してしまって消極的なレースになってしまった。(決勝のレース展開は)臨機応変に対応しようと思っていたが、1本目は前に出られてしまった。2本目は勝っても負けてもいいから、とにかく先行しようと思っていた。先行はできたが負けてしまったのは、これが今の実力だと思う。(インカレまで2か月弱となったが強化すべき部分は)もっと重いギアを踏めるように。インカレでは優勝するために、まだまだ練習していくしかない」

森本尊也(営3=岡豊)
「もったいない試合だった。ケイリンの準決勝もゴール前とかラスト1周も全然脚があり余っていて余裕だろうと思ったら1着だったが、善意が働いて板倉も上げてやろうと思って走ったら押し上げになって結局自分が決勝に上がれなかった。板倉が捲っていくと思ったが限界だったっぽくて行ってくれなかったので自分が押し上げみたいな形になって降格になった。そういうのはなしで個人戦なので個人でやらないといけないなということを今回学んだ。警告じゃなくて一発で失格だったので自分の力不足だったなと思うのでまた一から練習する。(曽我の優勝は)冬国体で自分と(橋本)瑠偉が優勝して悔しい思いをしたんだろうなと思って、すごく練習していた。一人で夜ずっと練習していて部室に行くと曽我がいるっていうくらい練習していたので結果につながって良かった。筋トレとかスクワットもしていたし御茶ノ水でも授業の間にパワーマックスをやっていた。曽我は初めて個人で優勝したので良かったなと思う。これで国体と逆の立場。同期同士で優勝したり駄目だったり繰り返すので強くなれる。(タンデムは)朝日は後半の脚があるので持久戦になったときに自分と曽我は短距離なので脚がもたないので粘り負けすることが多かった。(3、4位決定戦は)速いタイムが出たので今回でタンデム最後なので表彰台に乗れて良かった」

板倉
「(ケイリン2位について)ケイリンはとにかく表彰台入りを目標にしていた。予選は負けてしまったが、敗者復活戦でギリギリ勝てたのであとは上を目指そうと思った。決勝に入ったら3位以内が見えてくるので、とりあえず曽我さんと作戦を立ててそれ通りにレースを運ぶことができた。(具体的な作戦とは)自分が誘導員の後ろを取って、そこに曽我さんを入れてあとは曽我さんが2周フルで行くか、誰かが来たらそれに合わせるという感じだった。とにかく僕たち二人で固まろうという話をしていた。(自身の成長している部分は)結構速い人たちと戦ってそれに合わせたり、踏み直したりっていうことが得意なので、それはいい感じにできていたと思う。そのあとの伸びがまだまだ足りないが、少しは良くなったと思う。(課題は)このレベルになると最終コーナーで捲(まく)っていくスピードが速いので、そこのスピードを上げられるようにしたい。ゆくゆくはインカレや全日本で優勝したい」