差波が来季J1・ベガルタ仙台へ入団内定!

2015.07.05
差波が来季J1・ベガルタ仙台へ入団内定!
 7月3日、差波優人(商4=青森山田)のJ1・ベガルタ仙台への来季新加入内定が発表された。差波は長短織り交ぜた正確なパスを武器に、ボランチの一角として中盤から攻撃を指揮する“明治の心臓”。セットプレーではキッカーを務め、その右足で得点シーンを何度も演出している。昨季はリーグ戦全22試合で先発出場。4ゴール、7アシストでアシストランキング2位、初のベストイレブンにも選出され、着実に実力を伸ばしていった。それでも試合後には「まだまだやらなくてはいけない」と笑顔の中にも謙虚さと向上心を併せ持つ人間性も見逃せない。これで明大からのプロ入りは3人目、J1チームへの加入は1人目となった。

[谷澤優佳]

差波のコメント
――入団が決まった率直な気持ちを聞かせてください。

 小さいころからの夢だったし、プロになりたかったのですごくうれしく思いますけど、それと同時に責任感とかサッカーでご飯を食べていくという自覚というのを同時に強く思いました。

――内定に至るまでの経緯を教えてください。
 5月に1回練習参加をしてそこから試合も何度か見に来てくれていた中でオファーをもらいました。それが決め手になったわけではないけれど東北出身というのもあるので、決まってから思うことは東北のために頑張ることも僕の役目の一つなのかなと思います。

――ベガルタ仙台の印象はどうですか。
 練習の雰囲気もすごく良くて、2日間しか練習参加しなかったんですけどスタッフ含めて僕をあたたかく迎えてくれていろんな選手にも声をかけてもらったので、その雰囲気の良さというのはすごい感じました。一昨年に中大にいたシュミット・ダニエルくん(現ロアッソ熊本・6月1日より期限付き移籍中)とかも話しかけてくれましたし、同い年だと藤村慶太(ベガルタ仙台)とは顔なじみだったので結構話しました。あとは練習の中でもいろんな選手にも声をかけてもらったりとか、とにかく良い人ばかりで悪い人がいないというのが練習参加に行った時の率直な感想です。

――東北のチームであることは意識されましたか。
 それを決め手としてベガルタを選んだわけではないですけど、結果的にベガルタに入団することが決まって、監督からも東北の人間としてベガルタ仙台のために頑張ってくれとは言われました。そういうプロとしてやっていく上で、東北のためというのは意識してやらなければいけない立場になったなとは思います。

――青森山田の先輩から影響を受けることや大学時代もアドバイスがあったりはしましたか。
 一つ上には岳さん(柴崎・鹿島アントラーズ)がいて、中学からずっと一緒で毎日同じ練習をしてすごく刺激を受けました。椎名さん(伸志・カターレ富山)に関しても僕が1年生の時に3年生のキャプテンで、自分で得意とするプレーもあったんですけど、それプラス僕に対するアドバイスをくれて、そのプレーを3年間高校で磨き上げることができてそれがまた僕の一つの強みとなったというところはあるのでものすごく感謝しています。もともとキックとかは得意だったのでそれが一番の僕の強みで中学もやってきたんですけど、高校入ってそれだけでは無理となった中で身長や体格もほとんど同じくらいだった椎名さんにこうした方がいいんじゃないかと言われました。中学でも同じ寮だったので身近な存在にいてずっとあの人のプレーを見て育っていましたし、そういう中で運動量や相手との駆け引きの仕方とか、ボランチとしてやっていく上でキック、パス、ロングキックは一番大事なんですけど、それプラス攻撃のスイッチとなるドリブルとかも覚えなければいけないというのは言われました。あの人との思い出なのであまり言いたくはないんですけど、今僕のプレーができているのもその椎名さんだったり岳さんだったりのおかげかなと本当に強く思っています。あの人たちに出会っていなかったら今の僕はないと思いますし、それだけ僕の中で影響力がものすごく大きかったので本当に感謝していますね。山田や明治もそうですけど他の高校・大学でも影響された人たちはかなりいるのでいろんな人に感謝しなくてはいけないと思います。

――評価されたポイントは自分でどう考えていますか。
 攻撃のスイッチの部分でパス、ロングキックは得意なプレーなので得点に直結するようなプレーというのは評価されている部分なのかなとは思います。まだまだ守備力は付けないといけないと思いますし、どこを評価してくれているとかは正直あまり言ってくれないんですけど、僕の強みを評価してくれているのは間違いないと思いますしそこの部分には自信を持っていきたいと思います。

――明大のチームメイトからは何か言葉をかけられましたか。
 いろんな人からおめでとうというのは言われましたし、同期で佳希(藤本・文4=済美)や山越(康平・法4=矢板中央)がプロ決まって僕も近くでみんなから祝福されているのを見ていて、俺の時はどうなるのかなと思いながら発表の日を待っていました(笑)。でもみんなものすごく喜ぶじゃないですけどおめでとうとは言ってくれましたし、その時は普通にうれしかったです。4年生だったら他の人たちはみんな就活とかして毎日毎日忙しいというか、いろんなところに行って夜遅くに帰ってきてという生活をしている中で、僕がこうやってプロ決まって少しでもその人たちの励みになれたら。同期に誇ってもらえるような、俺の同期には差波優人ってやつがいるんだぞ、って社会に出たときにその人の一つの自慢としてなれるような存在になりたいとすごく思いました。同期に限らず後輩だったりそういう人たちから誇りに思ってもらえるような存在にならなければいけないなと祝福してもらったと同時に強く思いました。

――明大へはどのような思いで進学されてきましたか。
 井澤さん(千秋ゼネラルマネジャー)には高校2年生の時から話をもらっていて、あの時の僕の実力だったら多分高卒でのプロは無理だったので大学というのを考えた時に、明治からずっと話をもらっていたというのがありました。最初は椎名さんが流経大に行ったので後を追いかけて流経に行こうかなというのは思っていたんですけど、明治からずっと話をもらって試合とかにも井澤さんが来てくださっていたので、明治に山田の先輩も何人かいましたし明治を選びました。選んだ理由としては青森山田がパスサッカーというかポゼッションサッカーをずっとしている中で明治も似たようなパスサッカーをしていたので魅力だなというのを感じましたし、あとちょうど僕が高校3年生の時のインカレで明治が優勝していて強いチームなんだなというのをその時に改めて思いました。どうせやるなら強いチームに入っていい経験を積もうと思いました。1年生の時からトップチームに入れさせてもらったんですけど力を出し切れずにセカンドに落ちてしまったり、またトップに上がったりというトップとセカンドの行き来を何回もしていました。1年生の頃は今思えばプロになりたいという目標はありましたけど、それ以前にまずチームに溶け込まなくてはいけないというプレッシャーの中で全部が全部うまくいかないことの方が多くて、でも今こうやって4年生になって過去を振り返ってみると、あの時セカンドチームでの悔しい気持ちというのがあったからこそ今こうやってずっとトップチームでやらせてもらっているのだと思います。2年生から試合に出るようになってその経験というか1年生の頃に安定しなかった自分というのがものすごく悔しくて、その悔しい経験があったからこそ2年生からコンスタントに試合に絡めるようにはなったので、結果論ではありますけど1年生の時にいろんな経験ができたから今2、3、4年生と試合に絡めるようになったと思います。

――明大だからこそ身に付いたことはありますか。
 一番僕が変わったと思うのは守備の意識。明治が目標としているサッカーには1人1人の守備力というのがものすごく必要で、そこで最初こっちに来て守備がうまくできなくて行き詰まったというのもあるんですけど、高校の時と比べると守備というところがこっち来てすごく必要だなというのは思いました。高校の時は攻撃でチームを勝たせることに集中していて守備はどちらかと言えばあまりしていない方だったんですけど、明治に来てまず大前提に守備ができないと試合に出られないということ、そこの部分を変えていかないと試合に出られないということはすぐに分かったので、そこからいろいろと苦労はしましたけど守備意識というのはこっちに来てものすごく叩きこまれました。ここで出るために何が必要かと考えた時にやはり守備だったのでそこはこっちに来て強く思った部分です。学校とサッカーの両立という部分に関しては神川さんも強くおっしゃっていて、社会に出る上での準備期間の4年間の中で、社会の厳しい中でやっていく上で明治での経験というのは忍耐力とか仲間を思う気持ちとか、社会に出て必要な部分というのはこの大学で培ったと思います。社会に出たら理不尽なことがいろいろとある中で特に忍耐力というのはここの大学に来て自分自身付いたと思うし、そこは社会に出ても負けないところかなと思います。

――明大で一番つらかったことはありますか。
 中学高校と試合にずっと出続けていた中で試合に出られないことがほぼなかったので、初めてこっちに来て試合に出られない感覚を味わってすごく悔しかったという思いが1年生の頃はありました。厳しい環境に自分が身を置いているということは分かっているんですけど、サッカーをやっている以上試合に出てなんぼだと思うので、試合に出られなかった日々というのはすごく僕の中でつらかったというか考えさせられる期間ではありました。自分で考えて、あまりそういう弱みというのは周りに知られたくないというか、自分でも守備力がないというのはすぐ分かりましたし、原因が何かというのは自分で考えれば分かることだったので、考えながら毎日生活していました。

――明大でやり残したことは何でしょうか。
 ほとんど試合に出させてもらっているにもかかわらず明治大学として優勝ができていないので、まだ残りありますけど絶対に達成しなきゃいけないことだと思います。僕もそうですけど、他にプロ入りが決まっている中で周囲からの期待というのも間違いなくあると思いますし、そういう期待に応えることがこれから残り半年の僕の使命。絶対にそこはプロに行くと決まっている人たちがチームを勝たせるために率先してやらなければいけないと思います。期待に応えてなおかつ優勝するというのが今の明治でやり残すというか、明治大学に恩返しする意味でも必要だと思います。

――夢であったプロ選手になることについてはどう感じていますか。
 うれしいと言ったら漠然としてしまうんですけど、プロ決まって一番思うことはここまで続けてこられて良かったなということ。小さいころからなりたいと思っていたプロサッカー選手になれたのはずっと諦めないでやってきた結果だと思います。そこまで支えてくれた親だったり、特に親には小学校で家出て青森山田中学校に入ってそこから今までずっと寮生活だったのでサッカーをする環境を与えてもらいましたし親の理解という部分にも本当に感謝していますし、感謝する人が考えてみるといすぎて感謝し切れない部分もあります。きついこともいろいろありましたけど結果的に続けてきて良かったなというのは本当に思いますし、うれしい気持ちもありますけどここまで続けてきて良かったなという気持ちが一番強いですね。

――プロで通用すると思うプレーは何ですか。
 キック、パスという部分はプロで通用するためにずっと続けてきた部分で僕の一番の強みなので、そこはプロでも通用するように日頃から取り組んでいきたいです。強みを出さないと絶対自分の評価というのは得られないと思うので、強みを前面に出せるようにやっていけたらいいかなと思います。

――プロ入りに当たっての課題は何でしょうか。
 守備の部分もそうですけど攻守に関わる回数や運動量というのはもっと求められると思いますし、大学生活も残り半年くらいですけどプロを意識した毎日を送っていけたらいいと思います。

――最後に一言お願いします。
 小さいころからの夢であったプロサッカー選手になれたというのは夢がかなったのですごくうれしいです。でもそこで満足するわけではなくもっと危機感を持って、プロ決まりましたけどそんなにやることは変わらなくて、いろいろな人への感謝を常に持ちながら残り少ない大学生活を充実したものにしていければいいかなと思います。

――ありがとうございました。

◆差波優人 さしなみ・ゆうと 商4 青森山田高出 168cm・62kg
ポジションはMF。