
山越がJ2・大宮アルディージャへ来季加入内定!
[髙山舞]
山越のコメント
――内定が決まった今の率直な気持ちを教えて下さい
まず一つ自分の目標であったサッカー選手になれて大変嬉しい気持ちと、いろんな方々に支えられてここまでこられたと思っているので、感謝の思いが強いです。
――内定が決まった経緯を教えてください
4月くらいから声を掛けていただいてて、他のチームと迷ったんですが、スカウトの方の熱意で加入を決めました。
――5月17日に行われたJ2第14節のジュビロ磐田と大宮アルディージャの試合が決め手だったと伺いましたが
その試合を見て加入を決めたっていっても過言じゃないくらいです。ジュビロさんからも話はいただいていたのですが、ちょうどいい試合を見させていただいて、やっぱり大宮の方がサポーターの雰囲気だったりやっているサッカーが自分のプレーにあっているんじゃないかって、その試合を見て感覚的に肌で感じたので、大宮に行こうって決めました。
――他のクラブからもオファーがあったと伺いましたが
一番は自分のプレースタイルが大宮に合うかなと思ったのと、同じポジションに自分とプレースタイルが似ている選手がいたので、勉強になると思いました。河本(裕之)選手とか横山(知伸)選手なんですけど、プレースタイルが似ているというか、自分が目指してるプレーをしていたので。ヘディングの仕方だったりビルドアップだったり守り方というのは勉強になると思います。
――J1からもオファーがある中、現在J2のチームを選んだ理由を教えてください
(大宮が来年)J1に上がるっていう保証はないんですけれども、とりあえずどこでなら自分が成長できるか、やりたいサッカーができるかって考えた時に大宮でした。J2だからとかは考えてなかったです。
――実際の練習参加をせずに加入を決めることに対し抵抗などはありませんでしたか
大宮の試合を見たときに練習とかしなくても「ここでやりたい」って感覚的に一番自分が感じていて、自分の直感を信じようと思いました。チームの戦い方、サポーターの方の雰囲気、NACK5のスタジアムの雰囲気というのが決め手でした。
――自分のプレーのどこが評価されたと思いますか
ヘディングだったりビルドアップだったり、大宮の方にも言われたんですけれども、大宮でならプレースタイルを生かせるから自分を獲得したいってお話を伺ったので、そういうところ含めて自分を生かせるなと思いました。
――明大のチームメイトからは何か言葉を掛けられましたか
おめでとうとか試合見に行くとか言われました。(先週ファジアーノ岡山への加入内定が発表された)藤本(佳希・文4=済美)には今度は敵同士お互いピッチに立てるようがんばろう、その前にまず明治を優勝させようって話はしました。
――大学進学するにあたって当初はどのような目標を立てていましたか
正直、入っても最初の頃は自信というかが全然なくて、4年で出られればいいやみたいな思いで来たんですけれども、神川(明彦総監督)さんに1年生のころに怒られて。「お前は何しにここに来たんだ。お前を送り出した人の気持ちをもう一度考え直せ」って言われて、自分もそこから考え直して、練習に取り組むようになって、そこから試合に出られるようになったり選抜に入れるようになったり順調に来られましたそこが一つの転換点というか、神川さんだったり三浦(祐介ヘッドコーチ)さん、栗田さんだったりに「自信を持て」って言われて。「お前は能力があるんだから自信を持ったほうがいい」っていうのは言われていて、自分は自信なさげにやっていたけれども、コーチや監督からの言葉で気がついて。明治大学に来て一番身についたのは自信だと思います。(怒られたのは)1年生の最初の頃です。4月、5月くらいに。それまでは自分もサッカーに集中していないというか、どこか取り組めてない部分もあったんですけれども、本当に叱っていただいて変われたというか、そこから自分も順調に登ってこられたというか。あれがあってからかなって思います。
――トップチームで出場しだしたのはいつ頃ですか
1年生の前期から出させてもらって、後期からスタメンで出られるようになりました。
前期で出場するというのは入学した時には全然考えていなくて、4年生になって出られればいいなって思っていて。同期のみんなも(和泉)竜司(政経4=市立船橋)だったりみんなクラブチームの有名な選手ばっかりだったので、自分なんかが本当にやっていけるのかなってというのが正直な気持ちでした。
――明治だから身についたことは何がありますか
人間性だったり、プレーの面では自信だと思います。入学したころとは全然違うので、やっぱりそこが一番大きいかなって思います。今はもう誰に対してもサッカーでは負けないっていうか、最初のころは自分を信じきれないところがあったんですけれども、いまは自分を信じられるっていうか、自信は持ってます。
――サッカー選手という夢を意識しだしたのはいつですか
正直、高校生の頃まではずっと夢には抱いていたんですけれども、自信がなかったというか、なれるとは思ってなくて。覚悟をしたのが2年生の時にU20の代表に選ばれて、東アジアの時に同期のプロの選手たちと一緒のチームで試合した時です。今までの自分のサッカー人生の中で一番辛くて苦しかった試合なんですけれども、楽しいなって。上でやればやるほどこんな楽しい経験ができるんだなって思って。やっぱり、もっと上にいきたい、うまくなりたいってその時に本気で思って、そこがきっかけで自分はプロに行くんだというのを意識し始めて練習にも取り組みました。同年代のプロでやっている選手とやって、自分とは違って経験もあるしたくましいなっていうのは思って、自分もまだまだ甘いなというのを感じました。同じポジションだと植田(直通選手・鹿島アントラーズ)とかがいて、最初一緒に組んで試合に出たんですけれども、メンタルから違うなっていうのを感じました。サッカーの技術どうこうとかじゃなくて、昔から世界と戦ってきているので、そういった部分でメンタルが違くて、すごいなって感じました。ただ自分も上を目指すならこういった選手を抜かなきゃいけないんだっていうのも同時に思いました。
――CBでプレーしだしたのはいつからですか
高校1年まではFWをやっていて、大宮にいる富山(貴光)選手が学年は被ってないんですけれども高校の先輩で、それに憧れてFWで入学したんですけれども、秋くらいにCBにコンバートされました。CBにならなかったら今ここまで来て無いと思います。
――今ではCB以外のポジションをやりたいとは思いますか
全く思わないです。CBにはCBの面白さっていうか、相手を止めることだったりヘディングで勝ったときの楽しさだったりがあるので、他のポジションをやってみたいとかは思わないです。
――目標は夢を与える選手とありますが
昨年卒業した(石谷)彰吾くん(平27政経卒)が被災地に行って、そのあとのミーティングで話をしてくれて、プロサッカー選手は夢や希望を与えられる職業だから、そういった人たちこそがみんなに希望とかを与える責任があるんじゃないかって話があって、自分もこうしてそういう立場の一員になって、より一層そういったことへの責任感を感じますし、元気を与えられるような選手になりたいです。
――プロ入りするにあたっての課題はなんでしょうか
体つきっていうのは大学では通用するんですが、たとえばJ1の外国人選手には通用しないなっていうのは思っています。1対1の場面だったりでボールウォッチャーというか裏を取られる場面が、大学生相手ではないんですけれども、プロは抜け出しがうまいので。そういったところは課題だと思います。
――現在のケガの様子を教えてください
一回保存療法で治してユニバに間に合わせようってことになっていたんですけれども、思うように治ってなくて。将来のことを考えても、このままズルズルいったら後期のリーグ戦にも出られないってことで、ここでしっかり治そうということで手術することになりました
――手術を決めたのはいつですか
5月の26、27日くらいです。最初はユニバ狙っていて、代表チームのことは本当に好きで、みんな仲良いですし、一緒に金メダル目指してやってきてこの決断するのは辛かったんですけれども、神川監督や竜司や(髙橋)諒(文4=国見)に「お前の分までやってやる」って言われたので。頼もしい仲間に託して自分はやるべきことをやろうって。手術は6月17日にやりました。順調に治っても総理大臣杯は厳しくて、復帰は本当に9月の後期リーグくらいです
――明治でやり残したことはなんですか
自分をここまで成長させてくれた明治大学にまだ関東リーグとかインカレの大きなタイトルを取れてないので、最後はタイトル取って恩返ししたいです
――最後に一言お願いします
まずしっかりケガを治して、早くピッチに立って明治大学を優勝させるために一日でも早く復帰してチームの力になりたいです。
――ありがとうございました
◆山越康平(やまこし・こうへい) 法4 矢板中央高校出 183cm・78kg
ポジションはCB
関連記事
RELATED ENTRIES