「明治から世界へ」 平井彬嗣インタビュー

2014.03.14
 日本選手権まで4週間。昨年の日本選手権で初優勝すると、世界水泳では1500mで9位と奮闘した平井彬嗣(政経2=市立船橋)が昨シーズンを振り返った。昨年末にはオーストラリアに武者修行を敢行し、より世界への意識を高めた。自身の最大目標であるオリンピックに向けて、平井彬は大学3年目を迎える。

―昨シーズンを振り返るとどんな1年でした?
 躍進、経験の1年でした。世界水泳に出て自分と世界との差がまだまだあることを痛感しました。ヨーロッパグランプリ、ワールドカップと外国人選手と多く戦って、世界の泳ぎに対応していかないと厳しいと感じました。日本選手権で勝つことしか考えてなかったです。もともとオーストラリアで練習したいというのがあって、そのためには世界で戦える力を証明したかった。じゃあ世界で戦うにはどうしたらいいかと考えて、日本選手権で優勝して世界水泳というのがありました。だから、4月の日本選手権で優勝して、世界水泳が決まってからは気持ちが切れてしまった部分はあったと思いますね。モナコやドバイでは15分10秒切りをコンスタントに出すことができましたが、あの頃は4月までの泳ぎ込みの貯金で泳いでいた気がします。

―世界との差はどんなところに感じましたか?
 日本人のレースは終盤にペースが落ちていく展開が多いですが、海外では様々なレースをする選手がいました。後半700の方が速かったり、前半から考えられないスピードで入る選手もいてレースのパターンが読めませんでした。日本では15分切りが注目されていますが、オーストラリアのデニス先生に「僕は15分切れますかね」と聞いた時「15分ぐらいなら」という言い方をしていました。15分に対する考え方の違いは国内とは大きな違いだったと思います。

―初めての世界大会はどんな舞台でしたか?
 東京ドームの真ん中で泳いでいる感じですかね。コース台の前に立った時、周りが開けすぎて会場中のいろんな人が見ていると感じました。この中で世界一を取れる選手は本当に凄いですよね。今まで生きてきた20年間で最高の経験になりました。泳ぎ終わって、報道の前を通った時にみんなペンとノートを持っていたが誰にも声をかけてもらえませんでした。日本の記者もいましたが、誰にも相手にされませんでした。やはり結果を出さないと世間は冷たいなと思いましたね。入江さんや公介(萩野)はもっと違う世界を知っているので、同じ舞台に立っていても僕とは見ているものは違ということも感じました。

―北島選手や入江選手などトップの選手と同じ環境で感じたこと
 どんな時でもぶれないし、与えられた環境の中で100%の力を出せている。日本でも世界でもいつも通りの行動ができているんだと思います。年下ですが萩野君の練習の強さ、ストイックさには驚きました。世界水泳では400メートル個人メドレーで負けた後も、悔しそうにしながらもリレーの応援で声を出していました。彼の人間性というのを感じたし、個人的には大也との戦いというのは今後も気になりますね。

―帰国してからはインカレで2位。夏の疲れがありましたか?
 日本に帰ってきて、4年生のインカレに懸ける思いや、設楽主将の意地を感じました。初日の健太(平井)の優勝を見て、チームのために何とかしたいという気持ちが高まりました。400mを泳いだ時は『あーやっぱりな』って感じでしたね。そのあと筋トレを入れて何とか1500に合わせました。結果的に2位でしたが、チームに貢献できて良かったと思います。今思うとあのレースの最後の500は本当に岩を掻いているかというぐらいで、昨シーズンでは一番きつかったです。

―11月のW杯では萩野君と直接対決しましたね
 あのレースで多くの人が世界選手権は平井じゃなくて、萩野に泳がせた方が良かったと思われてしまったと思います。悔しいですが、今の実力では自分も勝てるとは思えない。リオ五輪までには日本の長距離は平井に任せると言われるようになりたいです。当然下からの突き上げはあります。ただ自分としては強くなるしかないと考えています。シンプルに、自分が強くなればそういう問題はすべて解決しますから。もっともっと「勝ち」に貪欲になって、強い選手になりたいです。速い選手は速いだけ、どんな時も勝てる選手が強い選手です。

―その後のトレーニングは順調ですか?
 昨年末から約3週間でオーストラリアのマイアミスイミングクラブに行ってきました。デニスコーチは孫陽(中国)やグランドハケット(豪州)などを育てた長距離のスター選手を育ててきた先生です。そこで一番感じたのは、水泳が好きじゃないと世界のファイナルには立てないということでした。日本で練習していた僕にとって、練習は苦しいものだと思っていました。でも、海外の選手たちは練習を楽しんでいたし、メニューを全部やる選手がいれば全部やらない選手もいました。それだけ、自分自身をコントロールしているということです。自ら意識を持てば練習の質は何倍も上がってくるはずです。もう一度原点に戻る気持ちで、自分がなんで水泳をやるのかということを考えていきたいです。練習内容での大きな違いは、ウエイトトレーニングをほとんどやらなかったことです。練習は週10回の水中練習だけでしたね。今、日本にいる時は週9回の水中練習2回のウエイトトレーニングをやっています。今回、デニスの練習では陸上より水中重視のトレーニングだったので今後ウエイトトレーニングをどのように取り入れていくかは考えていきたいと思っています。

―先の話になりますが、2020年の東京五輪が決まりました
 自分が生きている間に自国開催、ましてや現役で選手として出場できるチャンスが巡ってくるなんて奇跡みたいなものだと思います。康介さん(北島)でさえも五輪2連覇していますが自国開催ではないですからね。そのチャンスはぜひ掴みたいです。

―その前にはリオ五輪、今後のビジョンは見えていますか?
 メダルを取るのを目標にはしていますが、そこまでは毎年代表に入り続けることを考えています。その目標を達成するためには今年の目標を、今年の目標を達成するにはこのレースでの目標を、という感じで目の前の目標を達成していくことを考えたいです。

―今年の目標はずばり
 とりあえずは4月の日本選手権で結果を出して、パンパックとアジア大会の代表入りをしたいです。毎年代表入りするのは大変だと思いますが、残り1カ月で100%の練習と努力をするだけ。その過程で結果は付いてくると信じてやっていきたいです。15分切りを意識しすぎると、それが達成できたときに安堵感でやられてしまいますからね。

[取材・奥村佑史]