
古巣へ、明大から2人がプロ入り/2選手合同記者会見
昨年から開始された明大でのプロ内定合同記者会見。今年は両者とも下部組織から所属していた古巣への出戻りとなった。ジュビロ内定の小川は「神川明彦監督をはじめとした、大学サッカー部のスタッフ、チームメイト、家族、サポーターの皆さんの声援や支えのおかげだと思っています」と感謝の言葉を口にした。
[西田理人]
神川監督
「小川は主将として今年1年奮闘してくれました。ただ残念なことに先月第五中足骨を骨折し、先日磐田の病院で手術をし、来季に向けて準備をしています。ジュビロは今いろいろ話題になっていますが、7番の小林裕紀(平成22年度卒=ジュビロ磐田、10番の山田大紀(平成22年度政経卒=ジュビロ磐田)と2人の明大出身者がプレーしています。実は山田も大学4年の10月ごろに小川と同じ第五中足骨を骨折しリーグ戦やインカレに出場できなかったのです。ただ、ケガを治しジュビロで第2節から試合に出場し、いまや日本代表候補にまで名を連ねるところまで成長してくれました。小川もジュビロに入ってさらに成長してくれればいいです。2人ともユース時代から将来を嘱望されていて、双方の強化担当の方から「ぜひ明治大学に送りますので、卒業後は我々のクラブに戻してほしい」という力強い言葉をいただいていました。我々スタッフ一同彼らの成長を見守り続け、順調に成長し無事内定をいただくことができて安心しています。
(大学4年間、どういった部分で成長したか)
小川は入学してから一度もIリーグに出場させず、いきなりトップチーム昇格させました。当時からフィジカルが強く、両足が使え、アップダウンもできました。1年生にありがちなフィジカルコンタクトへの弱さがなかったため、トップチームに合流させました。一番弱かったのはスタミナ。彼自身忌まわしい記憶としてあると思うが2年次の準決勝で大体大と対戦した時、前半であまりに動きがおかしかったのです。理由を聞いたところ、どうも呼吸がうまくできないという状態だったのです。オーバートレーニングに近い症状でした。それが原因で失点し小川自身とても傷ついていました。この4年間の中でスタミナや夏場の厳しい時期を乗り切ることを主眼にやってきて、3年4年とやっていく中で克服されてきて、先日の総理大臣杯では全試合で出場することができました。彼自身はまだ不安に思うところはあるかもしれませんが、1年間を通じてやっていくスタミナというものはついたのかなと思います。人間性の部分では見た目通り優しい男だが、キャプテンを努めることで自分のキャラクターではない部分、リーダーシップや表立って戦う姿勢を見せたり、同期含め叱咤(しった)激励したりということを見えるところでできるようになったということが人間的な成長かなと思います。J1で戦っているジュビロを見て練習に参加し、ジュビロにいきたいという気持ちを強めたと思うが残念ながらスタートはJ2になってしまいました。ただJ2で年間40試合以上タフに戦ってくということを考えたら小川はもっと身に付けなければいけないことはあると思います。J2だからといって楽にいくということはないです。J2は戦術的に長けた監督が多く、戦術同士の戦いと言われています。そういった頭を使ったり、より激しく行ったり、逆に潰しにこられるということはJ1よりたくさんありますし、狙い撃ちされるということはあると思います。そこでのタフさ、激しさ、40試合以上戦っていくタフさは身に付けなければいけないと思います。ポテンシャル自体は高いと思うが、もっと身に付けていかなければいけないことはたくさんあると思います。開幕に出るのは相当厳しいと思いますが、春先のキャンプから新人だからこそガンガン行ってほしいです。長友佑都(平成19年度政経卒=インテル)は初日から先頭を走ったらしいが、当然2人それくらいやってほしいし、そうではなければ監督の目には留まらないレベルだと思います」
小川
「自分は今までジュビロに入団することを1つの目標としてサッカーをしてきました。今回、その目標を達成することができてうれしく思っています。それを達成できたのは、自分ひとりの力ではなく、神川監督をはじめとした、大学サッカー部のスタッフ、チームメイト、家族、サポーターの皆さんの声援や支えのおかげだと思っています。この4年間、部活動や学業を通じて学んだことは「考える」ということです。自ら考え、今の自分には何が足りないのか、うまくなるには、強くなるには何が足りないのか、チームが勝つには何をすべきなのか常に考え行動してきました。それがこの入団という結果の最大の要因だと思います。来年からも自ら考え行動し、1年目から試合に出ることではなく、1年間を通じて試合に出て活躍することを目標にしてやっていきたいです。自分自身、今ケガをしてしまっていて試合に出ることはできないですが、いろいろな角度からチームを支え引っ張り、残りのリーグ戦やインカレで優勝することができるよう頑張っていきたいです。
明治に来て、自分で考えるということが何よりも成長した部分だと思います。ユースからそのまま上がっていたらもしかしたらサッカーについて本気で考えることはなかったもしれないですが、大学はコンディションやオフザピッチのこと、金銭面、学業そういったことについてもすべて自分でやらなくてはいけないから成長できたと思います。大学サッカーはアグレッシブな学生らしいサッカーをお見せできることが魅力だと思います。まだ広く知ってもらえてはいませんが、プロにはないそういった魅力をもっといろいろな人に知ってもらいたいです。
(目標とする選手)
駒野友一(現ジュビロ磐田)選手です。プレーが似ていますので。両足を使ってプレーやクロスを挙げたり攻撃に参加していく部分などは似ていると思います。ただまだ駒野選手のようなクロスの精度はないので、ジュビロで同じサイドバックとして見習っていきたいと思っています。
(どんなプレーを見せたいか)
点を取れるサイドバックを目指しています。ゴールだけでなくアシストも。攻撃に積極的に絡んでいくプレーを見てほしいです。守備は1対1に自信があるのでそこを見てもらえれば嬉しいです。
(プロを意識したタイミング)
大1の冬に、サッカー以外の誘惑に負けかけた時、金銭的に不自由が生じ姉に相談した時、「何のために大学に行っているのか。そううった気持ちなら今すぐサッカーをやめて帰ってきなさい」と叱られ、その数か月を無駄にしたと思うと同時に、もっとプロになりたいという気持ちが強くなった。
ジュビロ磐田は自分が中学生の時は黄金時代と言われていてすごくたくさんの偉大な選手を輩出している伝統あるチームだと思います。その伝統を引き継ぎながら自分も新しいジュビロを作っていければと思います」
◆小川大貴(おがわ・だいき)1991年10月16日静岡県生まれ。ジュビロ磐田ユース出身。171cm・75kg
矢田
「僕自信ジュニアユース、ユースと名古屋グランパスにお世話になったのですが、当時は昇格することができなくて悔しい思いをしました。その悔しさを胸に明治大学の門を叩き4年後には名古屋グランパスに必ず戻ることを強く思い、明治に加入してきました。3年生の時に両肩の脱臼がクセになってしまい、両肩を手術しましたがその1年が僕にとっては非常に大事な時期になったのかなと思います。今まで、小学校1年でサッカーを始めて大学3年まで大きなケガをしたことはなく、サッカーを1ヶ月も離れたことがないというくらいケガをしたことはありませんでした。サッカーをすることが当たり前の環境になっていた。3年生の時にケガで約9ヶ月リハビリをすることになりサッカーから離れたことで前より僕にとってサッカーというものは切り離せないもの、かけがえのないもの、サッカーなしでは生きていけないと強く思いました。同時にプロという舞台でやりたいという気持ちが一層強くなって頑張ることができました。こうして名古屋グランパスに加入できたのは自分の力だけではなくて今までお世話になった監督やスタッフの方々はじめ、家族のみんな、友達、支えてくれた全ての方々に感謝したいと思っています。まだ、インカレは決まったわけではないですが、リーグ戦は残り2戦あってそこで必ず勝利してインカレの舞台には自分も早くケガを治して、ぜひとも日本一を目指して戦いたいと思います。来年からはグランパスですがしっかりと活躍できるようにプロになってからが本当のスタートだと思うのでそこを強く意識して頑張っていきたいと思います。
(サッカー部に入ってよかったと思うことは)
初めて明治に入って練習した時に想像しないほどに一人一人のレベルが高かったです。僕自身大学サッカーが高校サッカーの延長線上かなと思っていましたが高校サッカーと一枚も二枚もレベルが違いました。
(大学サッカーの魅力は)
学生らしく、見ていて気持ちいいというかグランドに足を運んで来てくれた方が来てよかったなとか気持ちがスカッとするような試合というのが大学サッカーの醍醐味なのでそこはプロにもないところなのでいいと思います。
(目標とする選手は、またどういう選手になりたいか)
名古屋グランパスの玉田圭司選手で、同じ左利きで体格も似ていて、プレースタイルもボールを触ってリズムを掴むところも似ているからです。身体の大きさには似合わない素晴らしいキープ力であったり、最後のスルーパス出したりゴールに絡んで行くプレーがすごいと思います。僕がジュニアユース時代から憧れていた選手なのでそういうところを身近で感じながら少しでも盗んでいけたらと思います。
(どういうプレーを見せたいか)僕は自分のプレーの中でファーストタッチというところが自信を持っています。ファーストタッチを意識して相手に取られないようにすると全てがうまくいくのでファーストタッチを心掛けることとスルーパスの部分で得点に絡んでいけたらと思います。
(4年間でプロを意識したタイミング)
僕は3年生のケガをした9ヶ月です。それまでもプロになりたいという意識は持っていましたがより強くなりました。なおかつ残りの期間が1年間になって危機感が強くなってやるしかないという気持ちになりました。
(名古屋グランパスについて)名古屋はそうそうたるメンバーがいてビッククラブという名にふさわしいチームです。チームのスタイルとしてはしっかりボールをつないでいくサッカーなので自分には適していると思います。そこでやれることに幸せを感じています」
◆矢田旭(やだ・あさひ)1991年4月2日三重県生まれ。名古屋グランパスユース出身。169cm・64kg
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