(32th Period)インカレ後インタビュー 本野亮介
~チームについて~
――インカレを振り返っていただいていかがですか
本野:いいメンバーがいましたけど、人がいるだけでチームとしては力が無かったです。1年間通じて悪いと言われてきたことが最後まで修正できなかったと思います。
――悪かった点とは
本野:前線からプレスに行くだとか、足を1試合通じて止めない、立ち上がりをしっかり入っていくといった部分です。春は個の力で勝てましたが、秋、インカレとやっていっても修正できませんでした。
――準決勝で中大に敗れたときの気持ちは
本野:悔しいというより完敗だなという感じでした。この試合で自分のミスで点を取られてしまったので、ホッケーは怖いな、とつくづく感じていました。
――3冠を期待されながらリーグ戦、インカレを逃してしまった原因は
本野:いろいろありますが、一番はやはり意識の問題だと思います。インカレの決勝までいった中央や関大のように、チームとしてシステムの面もしっかりやっていかないと上にはいけないとも感じました。明治は自分も含めてチームとしてバラバラでした。個々の能力が高いので、個人である程度できてしまい、自由にやらせすぎたとも思います。
――春に比べて他大学の力も上がっていたと思いますが、明大のチームとしての完成度はどうでしたか
本野:完成は全くしていません。一人一人におごりがあったと思います。今回のインカレを振り返っても一人じゃできないところもチームでやればできることもあるし、個人で100%だとしたらチームで120、130%といつも以上の力が出せることも痛感しました。
――今後巻き返しを図る上で後輩に伝えたいことはありますか
本野:今、明治は変革期にあると思います。システムやチーム力を上げていかないといけないと思うし、3年生以下はこの敗戦で何か感じることがあると思うので、もっと泥くさくプレーしていってほしいと思います。
――中でも期待している後輩はいますか
本野:部屋っ子の2人(佐藤光・文3=白樺学園、梶原聡人・政経2=北海道清水)はもちろん応援しています。光はチームの核として活躍できると思いますけど、梶原はまだまだなので、もっと成長していってほしいです。また2年生の高橋(佑輔・政経2=武修館)、最上(義崇・文2=八戸商)にも期待しています。技術的には劣っていませんがあと一つ物足りないところがあるので、殻を破ってもらいたいです。
~自身のアイスホッケー人生、今後について~
――アイスホッケーを始めたきっかけは
本野:いとこがやっていたので、その練習に付いて行ったりして小学1年から始めました。
――その後地元・群馬から日光の中学校に進まれました
本野:これからホッケーを続けていく上でステップアップするには地元にいるよりも、日光のコーチから話も来ていたので、そっちに行こうと思いました。当時は全中(全国中学校大会)にも毎年出ていて、中学2年のときは目標にしていた北海道のチームにも勝つことができました。
――小学生で親元を離れることは
本野:やはりその点は考えました。やっていけるか分からない部分もあったのですが、周りからのアシストもあって決めました。
――高校時代はどうでしたか
本野:埼玉や北海道など3校から声を掛けていただきました。その中でもやはりトップでやるなら北海道に行くしかないと思っていたのですぐに清水に決めました。
――高校卒業後、明大に入学を決めた理由は
本野:本当は早稲田に行きたかったんですけど、なかなか入ることが難しかったのと、明治からも声を掛けていただいて、高校の監督から明治に行けと言われたので入ることになりました。
――入部したときの印象は
本野:当時、明治には厳しい上下関係があるだとかいいうわさが無かったので、イメージが良くなかったんですが、自分が1年の時の4年生がすごくいい人ばかりですぐに慣れることができました。尊敬する先輩方ですし、今でも良くしてもらっています。
――明大には高校時代に実績のある選手が入部してきますが
本野:自分もインターハイではベスト4まで行きましたが、それ以上にスターが集まってきていました。でも高いレベルで切磋琢磨(せっさたくま)できると思ったし、1年から試合に出ないと意味が無いと思っていたので、同期がどうというよりも自分がどうやったら試合に出れるかを考えていました。
――4年間で一番の思い出は
本野:2年のときのインカレを優勝したことは強く思い出に残っています。
――ポジションは元々FWだったということですが
本野:高校のとき、チームのDFの数が少なかったのでお前やれということでDFにコンバートすることになりました。FWのときもセンターをやっていたのであまり違和感はありませんでしたが、ディフェンスゾーンでの守備やバックスケーティングなどは少し練習しました。
――コンバートしたことで得られたことはありますか
本野:全ポジションを経験したことでどのポジションの動きも気持ちも分かるようになったので、その点は今のDFのポジションに生かされているとも思います。
――ホッケーに対するこだわりはありますか
本野:プレーしているときは常にDFの立場から攻撃を組み立てていこうと意識しています。攻撃は前から始まっている印象があると思いますが、自分の中ではサッカーでいうボランチの役割、攻守の要になっていこうと思ってやっています。
本野:高校時代からスターで明治でも1年から出ていましたが、最後までこの癖のある4年生をよくまとめてくれたと思います。人としては普段はよくふざけていて面白いです(笑)。でも、ホッケーに対してはまじめでした。
――牛来さんとの思い出はありますか
本野:1対1ではあまりなかったですが、学年で飲みに行くことはありました。リーグ戦で出遅れたときも、これからどう立て直していくかということに対して互いに厳しく言ったこともありました。
――今後はホッケーをやめ、ファッション業界に進まれますがいつ頃から考えていましたか
本野:大学に入る前は考えていなかったんですが、昔からファッションに興味があったので、大学に入学したぐらいから少しずつ考えてはいました。
――進路を具体的に決めた時期は
本野:2年生の終わりの頃にプロから声を掛けていただいて、真剣に考え始めました。3チームから声を掛けていただいたのですが、自分としてはアイスホッケーという狭い世界の中で、プロに行っても昔から知っている人ばかりでは嫌だな、挑戦しがいがないなと思ったのでお断りさせてもらいました。
――周囲からの反対も多かったでは
本野:ほとんどが反対意見でした。ここまでやってきてプロにいかないと後悔するぞ、とも言われましたが、決して自分の決断に後悔はしていません。
――ファッション業界へ行くことは楽しみですか
本野:とても楽しみです。15年やってきたホッケーをやめて、新たなフィールドでやれるので、20年後予想も付かない人と一緒に仕事をしているのではないかと思うと、ベストな決断だと思います。
――将来的にはどういった仕事をされるのですか
本野:最初の2年は販売員をやると思います。その後アシスタントバイヤー、マネージャーなどをやって、6年ぐらいしたらバイヤーになれると思います。
――本野さんはこだわりが強いとお聞きしたのですが
本野:その辺は他の選手に聞けばいろいろ出てくると思います(笑) 特に挙げるなら小学校のときから靴はリーバイスしか履かないとか部屋にベアブリックを300体以上集めているとかですかね。あと幼稚園のときにトミカを集めるのが好きで、畳の上で並べて遊んでいたら親にそれを崩されて、めっちゃ怒っていたそうなので、昔から変わっていないんでしょう(笑)。
――今までに影響を受けた人はいますか
本野:いろんな方にお世話になりましたけど、中学時代のコーチだった山中(信雄)さんにはいろいろ教えてもらいました。日光のチームが北海道のチームを倒すことを目標にしてやっていたので、そこで常に挑戦し続けることの大切さを教わりました。それが今の自分の基盤になっていると思います。
――明治として最後の試合となった早大戦を終えたときの感想は
本野:これで終わりなんだという気持ちもありましたが、それよりもホッケーって楽しいなと思っていました。
――この15年のアイスホッケー人生から学んだことはありますか
本野:学んだことというか自分はアイスホッケーからは得られたことしかないです。特に挙げるなら挑戦することの大切さ、チームとして戦うことの大切さを学んだと思います。
――後輩に向けてメッセージは
本野:自分たちの代は強い、3冠も取れると言われてきたけど惨敗だったので、今年の悪かった点を修正して、4年生がもっと引っ張っていけるようなチームで、秋のリーグ戦、インカレも優勝してほしいです。
――最後にご自身の今後への意気込みをお願いします
本野:また新たなチャレンジをするということで、今よりも厳しくなると思いますが誰にも負けないような人になるために、日々努力していきたいと思います。
――ありがとうございました。
◆本野亮介 もとのりょうすけ 商4 北海道清水高出 177cm・68kg
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