
インカレ事前取材 (3)井原監督取材
フェンシングの大会は平日に行われることが多いが、井原監督は部の全ての試合に赴き、選手たちと行動を共にしてきた。都内はもちろん京都や山口へも帯同した。
就任当時は男女共に2部リーグに所属し、かつその状態が約40年続いている状態だった。部として機能していない面も多く、大会の存在自体を知らない選手もいたという。当然練習量も少なかった。「本当に、どうしちゃったのだろうという気持ちしかなかった」。自身の現役時代、日本一に輝いたころとは、状況が大きく変わっていた。日本一のチームを復権させたい。その思いに突き動かされた.。
まずは選手たちを個人戦の大会に出場させた。選手としても試合があれば練習をせざるを得ない。単純な話だった。手も足も出ずに敗退することも多かったが、思惑通り以前よりも格段に練習するように。なにより「まず目の前に目標を定めさせる。そして強い選手と戦わせて刺激を与えたかった」。
また学生の手の届かない活動に尽力した。OB一人一人に手紙を書き、ホームページでは戦績を報告した。さらにOB会との関係も強化し、金銭サポートを取り付けた。「やっぱり、学生主体には限界がある。金銭面や長期計画というのは学生には無理。例えばフェンシングの用具は高価だし、今の1年生に自分が4年生になったときの指導を考えろというのは無理な話。それが監督の仕事。とにかく学生が伸び伸びできる環境を整えてあげたかった」。
印象的だったのは就任2年目のインカレ。後に主将も務める佐久間忠氏(平21商卒)が2年生ながらベスト4に入賞した。「一人が強ければ、それに引っ張られて部全体も上を目指すようになる」。学生指導の奥深さを知った。佐久間氏が主将を務めた2007年には男子フルーレ部門が36年ぶりに1部リーグに復帰。昨年の40年ぶり学生王座獲得への布石となった。
「積極的に世界大会に行け!」と選手にメッセージを発している。10月初旬に行われたアジアジュニア選手権では木下天(営2=聖徳大附女子)が8位に入賞。また沖本拓郎(政経2=千葉県立柏陵)や、先月の関東学生選手権で個人優勝を飾った山口なども海外派遣常連組だ。彼らがこれからの明大フェンシング部のけん引車となるのは間違いない。「日本人同士だとどこか安心感がある。外国人選手相手だと、戦い方や会場の雰囲気まですべてが違う。それを経験させたい」。目標を見つけさせ、刺激を加えるという井原監督の指導哲学には一貫性がある。
7日から始まるインカレでは特に男子フルーレ個人の山口、男子フルーレ団体に期待が懸かる。そして井原監督は彼らの活躍をじっと見守る。
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