(13)母校対談~奥山・中田・足立~
11月9日から行われる全日本大学対抗選手権(インカレ)に先立ち、明大ウエイトリフティング部の魅力をお伝えします。選手紹介に始まり、母校対談や写真館、選手の意外な一面もお届けするのでお楽しみに!
第13回は奥山俊平(法3=常翔学園)、中田健太郎(政経3=常翔学園)、足立賢祐(営2=常翔学園)の母校対談です。真剣に語ってくれたそれぞれの高校時代に注目です!
――高校時代はどんな先輩後輩でしたか。
足立 両方ともすごいいかついなーと。
中田 ありもないこと言うからな。
奥山 あ、足立は勉強できそうやなーと思った。
中田 俺はちゃうわ。ガリっていうイメージやった。
足立 そうですね、自分47㎏だったんで。
中田 おまえ47㎏だったよな。
奥山 競技できるんかなーとは思ってた。
足立 自分に厳しい先輩方だと思いましたよ。しっかりやってはったんで自分もついていこうと思いました。
中田 よう言うわ(笑)。
奥山 足立はほっといても自分で勝手に追い込んだり、時には無理してみたり、めちゃくちゃな後輩やなーと。
足立 笑えますねちょっと(笑)。
奥山 めっちゃ嫌やねんけど(笑)。
中田 足立はたぶん一番努力家。何人かおったけど、こいつが一番練習しとって、膝をケガして人より1年間くらい遅れてるからっていうのもあると思うけど、たまに自分を見失うことが多々あった(笑)。うまくいかない時とか誰でもあるけど、そういう時に無理して練習練習って一点集中みたいに陥ってしまうことが多々あって、いいことやと思うけど。まあそれだけ志が高い後輩やなと思う反面、自分を見失ってたまに崩れるときもあった足立賢祐でしたね。
――練習は一緒にしていましたか。
中田 狭かったし、高校の時はみんな一緒に練習やってましたよ。
足立 バラバラってあんまりなかったっすよね。みんな固まってやってました。
――練習以外で交流はありましたか。
中田 だいたい高校の時は練習終わってからコンビニとか、飯行くとかはほぼ毎日あったから常に一緒やったっていう。
奥山 だいたい一緒やったな。
中田 あとは銭湯とか。
足立 恒例行事でしたね。
奥山 恒例行事な(笑)。
――高校時代に影響を受けた人はいますか。
足立 OBで水田先輩ていう偉大な先輩が…。
奥山 高校、大学とOBで…。
足立 引っ張ってきてもらったんで。
奥山 満場一致で(笑)。
――どんなところに影響されましたか。
中田 どんな部分というか、ウエイトを始めた時から、その人が面倒見たるわって言って教えてくれました。うちの部活はだいぶ衰退していて、その人が来て競技レベルも上がっていって大学に行けるレベルになれたのもその人が仕事しながら練習見てくれてたからですね。
奥山 その人なしやったらここまで来れてないと思うし、やっぱり厳しい面とか優しい面とかいろいろあったけど最後までお世話になり続けた先輩。
足立 そうですね。最終的に良く見ていただいて、自分の場合は手術とかもあったので病院とかも紹介してくれて、本当に助かりました。
――高校時代に印象に残ってる試合を教えてください。
奥山 高2の冬の近畿選抜かな。ジャークで第1~3肋骨(ろっこつ)を折ってしまって、3本とも失敗して初めて記録なしっていう結果に終わったんで、いろいろな気持ちが混ざって一番悔しい試合だったし、絶対に忘れない試合になったなーって。
足立 自分は高3のインターハイが一番ですね。理由としては3年間努力してやってきたんですけど、その試合で3本失敗しちゃって悔しい思いがあって…。でもその試合があったから大学でも頑張っていこうと思えたんで、一番印象に残ってますね。
中田 分からへんわー。インターハイも悔しかったなって思うし、だいたい毎回の試合があんまりいい結果じゃなかったから常にまだまだあかんなーっていう悔いが1~3年生までありましたね。高校3年間あんまりいい試合をしてないから、こんだけやってもこんだけしかできんのかって毎回思ってたんで、この試合が悔しいっていうのはないし、記録なしっていうのもあんまりなかったけど、常にあんまりいい結果じゃなかったから高校の試合全部がけっこう悔しくて覚えてるって感じかな。
――奥山選手の近畿選抜で2人から声をかけたりしましたか。
中田 俊平はね、泣いてたんですよ。自分は同期やから励ましたりしとったていうだけやけど。
足立 はたから見てましたね。
中田 くそみたいなやつやな、おまえ(笑)。
奥山 ずっと泣いてました。
中田 たぶんけっこうプラスな方に言ったと思うんやけど。時期が高2だったし。
奥山 高2の終わりやって、ケガした時に自分の中でいろいろ考えてこの先不安なこととかあったけど、まだ焦らんでも時間はあるから大丈夫的なことを言われて、とりあえずそこからプラスに考えて、できることだけをしっかりやっていこうと思いました。高1から高2の終わりっていう短い間というか2年近くやけど、やっぱりいい同期とか後輩とか持ってきて良かったなって思った。ここでマイナスなことばっかり考えて落ちていくのは違うなって思った。
足立 自分は深く覚えてないので、たぶん声掛けてないんですよね(笑)。その、掛けていいのかどうか…。
中田 絶対掛けてへんわ(笑)。
奥山 (笑)。
――大学進学を決めた一番の理由を教えてください。
奥山 やっぱりめっちゃレベルが高い大学だって聞いて、高校のコーチも明治のOBやったんでやっぱり同じとこに行って、そのレベルの高い大学の中で自分がどこまで上がっていけるかを試したかったし、他の大学とかは始めたころからあんまり考えてなかって、明治に絶対行きたいと思ってました。心のどっかでは中田が行くっていうのも理由の1つにありました。
足立 自分は明治大学から推薦の話が来た時に、中田先輩に電話させていただいたんですけど、その時に来てほしいって言われたので、それがうれしくてまた頑張ろうと思った一番の理由ですね。
奥山 うそや。
中田 電話したっけ(笑)。
足立 電話しました(笑)。その日に決めなきゃいけなかったんで、いろいろ教えてほしいみたいな電話をかけました。
中田 ごめん、思い出した(笑)。
――同じ高校の後輩が入ってくると知った時の心境はいかがでしたか。
中田 高校の後輩を1人でも明治に入れたいっていう志があったから率直に良かったなと。おまえもいろいろあったもんな。こいつ(足立)も進学のことでいろいろあったんで、一番本人が行きたい明治に来れるっていうのが本人の人生においても一番良かったし、自分らからしても良かったんで、ほとんどプラスのイメージばっかりですね。
奥山 高校の時に一番いろいろあった後輩なんで、それを大学でも続けて見れるっていうのはうれしかったし、同じ高校の人数が増えたんでまたそれはそれで楽しい生活を送っていけるかなと思ってました。
――先輩がいる明大に来ることで安心感はありましたか。
足立 周りと違って来やすかったっていうのはあったと思います。いろいろ決まり事とかも頭には入っていたので、覚悟とかも人よりはつきやすかったんじゃないかなと思います。
――明大に対して持っていた印象を教えてください。
中田 高校の目線から大学の練習とかを見たら格段に高いレベルなのは分かるじゃないですか。まあ最初からコーチが明治出身やったからいろいろ厳しいっていうのは聞かされてとって、寮でも当番とかマナーとかが事細かくあって、厳しい上下関係とかにも耐えていかないときついぞっていうイメージでずっとおったかな。
足立 コーチが化けもんじみた強さで、明治ってやっぱりこういう人が生まれる大学なんだなーと。
奥山 高校のコーチがものすごいレベル高かったんで、それが頭に入ったうえで明治の練習見学をさせてもらった時にその時の4年生がものすごい選手で、レベルの違いっていうか格の違いを見せつけられて、いい刺激を受けたなって思いました。
――高校と大学でお互いに変わったところはありますか。
中田 大阪帰っても毎日練習場一緒で毎日集まって、こっちでも毎日一緒におるし、高校時代からだいたい全てを見れてた状況にあったと思うから変わったっていうイメージはあんまりない。足立が挙動不審(笑)。
奥山 それはある(笑)。
中田 大学入ってから気付いたかな。
足立 もともと言われてましたよ。言われてたんですけど誰も口に出さなかったんですよ。
奥山 高校の時はそんなイメージなかったよな。高校の時は普通だったけど、大学入ってきてすぐぐらいに「え、こいつこんな挙動不審やったっけ」って(笑)。そこが一番強かったですね。中田とは高校3年間の生活たぶん誰よりも一番長く一緒にいたんで、学校内でもプライベートでも見るとこまで見てたんで、大学入ってからそのままで今も来てる感じですかね。
足立 根本的なベースは小さいころから変わってないんですけどね。
奥山 うそやん。
足立 言われるようになったんで、多分みんなが敏感になったんです。もともとこうなんで変わってないです。
――反対に2人が変わったところはありますか。
足立 いやー全然変わってないですね。自分に対するルールとか教えてもらうことは厳しくなってるんですけど、それはそれで助かってるんでそれくらいですね変わったところは。
――お互いに尊敬し合ってる部分を教えてください。
足立 自分に厳しいところはすごいと思います。2人共通して思います。別々の部分だと、アメとムチみたいな感じですね。中田先輩は自分に対して、社会のルールとか厳しく怒ってくれてそれはうれしいことなんですけど、そういうのを慰めてくれるのが奥山先輩なんですよ。
中田 うまいこと言ったなー。
奥山 うまいこと言ったわー。
中田 もうおっしゃる通りです(笑)。
――2人から見て足立選手はいかがですか。
奥山 いろいろありますけど、一言でいうと誰よりも努力家やと思います。
中田 努力家と、後輩の面倒を良く見てるっていう。1年生をよく飯に連れていったりコミュニケーションをとってるってよく耳にするんで、そういう面では大阪人らしい人情があるかなと。
――お互い部内ではどのような存在ですか。
足立 自分は挙動不審じゃないですか(笑)。
奥山 何やろ(笑)。
中田 自分はスピーカー。うるさい(笑)。高原もうるさいけど。
奥山 中田は3年の中ではやっぱり抜けたらまずいところがあるし、全体として言えるのは影響力があるんでそこでも抜けたらまずいかなと。やっぱり同期で話し合う時とか発言もあるし、聞いてそれをまとめられる部分もあるんで、そう思いますね。足立は…なんやろ(笑)。上と下のパイプ役みたいな感じかな。やっぱ頼りがいもあるし、下のこと任せんねんやったら足立かなって感じですかね。
足立 中田先輩は発言権が強いというか…。
中田 うるさいだけ(笑)。
足立 曲げられない意見みたいなの持ってるんで、だいたい通りますね。奥山先輩は一番チャラいんじゃないですか(笑)。
奥山 そんなことないやんな。
足立 そんなことないっすかね(笑)。
奥山 ここまで来たら言わなあかんていうことあるやろ。
足立 感じがチャラさを…深く追及したことないんですけど、その勇気がなくて(笑)。
中田 俊平は結構あるけど、まとめて言ったら同じ大阪で一緒に強くなること目指した人間だったんで根本的に考えの芯にあるウエイトリフティングに対しての熱い思いがどんな時でも揺るがない。それは足立も同じ。あと、よく聞くのは後輩に対して優しいっていうこと。自分はけっこう厳しいから息詰まると思うけど、そういう面でいろいろ話聞いてくれたり。俊平の後輩との接し方を見てたら分かるっていうか、3年の中では一番話しやすい何でも聞いてくれる3年生のような気はしますね。
足立 両方とも話しやすいですよ。
中田 今のうそ(笑)。
足立 いやいや(笑)。
奥山 こいつ友達と思っとるから。
中田 足立は着実って感じ。大事な要件とかはこいつに任せようと思うようなやつなんで、後輩が12人おる中でもしっかりしてる1人2人に入るんで、そういう面では指示出す時もこいつなんで1、2年生の中ではリーダー的な存在にあるかなと。
――競技面で高校時代のことが今に生きていると感じる時はありますか。
足立 精神面が高校の時に比べて確実に強くなってますね。とりあえず諦めずやります。ウエイトをやっていてそれが一番大きいかなと思います。やらな腹立つんですよ。
奥山 高校時代はずっとケガが多かったんで、やっぱりケガしてる時はいろいろ厳しく言われたり、きついメニューを言われたりして、言われた時はできひんかなーと思いつつ、やっぱり言われた限りはやってみせようと思ってやり遂げてみたりして、そのことを通じて練習面でもそれ以外のことでも精神力が強くなったかな。いざという時に自分の中での芯の部分が折れなくなったかなと思います。
中田 高校時代の数々の失敗が今に生きてると思います。試合とか失敗して悔しい思いもあったり、ケガもするじゃないですか。その時にネガティブに考えてた時もあったんですけど、ネガティブに考えても何も変わらないと。大ケガしようが大事な試合で失敗しようが、その時点で取り戻せないと思って、ポジティブに考えるしかないと。たぶん今そう思えるのは高校時代にいろいろ失敗したからで、メンタル的にちょっとは成長できたかなと思います。練習よりメンタルの方が弱かったからネガティブに考える癖がどうしてもあったんで、そう思いますね。
――競技以外で高校で力を入れていたことはありますか。
中田 銭湯に行く。スーパー銭湯に行く。それしかないな(笑)。
足立 あそこにはしっかり寄付してきたんで。スーパー銭湯に力入れてたんじゃないですかね。
奥山 第2の練習場みたいな感じやな(笑)。
足立 高校は競技中心でしたよね。
中田 趣味とか楽しんでる時間あったら練習場におるわって感じだったから。
足立 それが楽しいんでほかに興味湧くことがなかったですね。
中田 他に何もやってない(笑)。
――大学で自分の力が通用したと感じたことはありますか。
足立 いや、ないです。まだ全然ないです。あったらたぶん努力する部分が減っていきますね。
奥山 ない。
中田 2番とか3番でも通用するとかしないで言ったら、通用する方だと思うんですけど、自分は1番がほしくて、高校は1番取れなかったんで、今年も2番ばっかりで1番がほしかったからそれが取れないってことは自分自身では駄目っていう前提。2番と1番じゃ0と100みたいな感覚でおるから、そういう考えだと通用すると思ったことはないかな。
――まだ足りないと感じる部分はどんなところですか。
足立 競技全体に記録が足りないっていうのがあるんですけど、やっぱり他大の話を聞いてると自分に甘いんじゃないかなと思います。言うより実現が難しいってやつですね。
奥山 同期の試合とか練習見てたらそう思います。それが一番分かりやすいです。
中田 試合で他の選手を見ると思うことが多いかな。同じ階級でももっと強い人間がいっぱいおる中で、それが常に頭の中にあるんで例え自分が調子良くても、その人らの記録を考えるとぜんぜん届いてないやんって日々思うようにしてるんで、そういうところで常にまだまだだと思うかな。
――高校時代の一番の思い出話を教えてください。
中田 多分練習をやめて遊んだこと。
足立 2年間同じような生活を繰り返してたんで、全体的に大きく見ると思い出みたいな感じですね。
奥山 チャリジャパンとかは。
足立 あ、チャリジャパン!
中田 いつも練習が16時からだいたい20時くらいまでだったんですけど、たまにやる気のない時は部員全員で河川敷で4時間自転車耐久レースみたいなのをやってました。あとは缶蹴りとかを4時間やって遊ぶとか(笑)。そういう訳分からんことしてたのが結構盛り上がってたなと(笑)。
足立 あとはラグビーとかアメフト。
奥山 やったわ(笑)。
中田 違う競技のスポーツを全員でやったりとか、小学生がやるような遊びを平気で何時間もやったりしてたよな(笑)。
奥山 まあ、良かったね(笑)。
――最後にお互いを一言で表してください。
足立 じゃあ自分漢字一文字で行きます。
奥山 ちょっと待て(笑)。
中田 かぶったら嫌やな。
足立 アメとムチで。
奥山 おまえそれはせこいわ(笑)。却下。もう一回考え直せ。
足立 完璧じゃないですか(笑)。
―数分後―
奥山 中田が初志貫徹。足立が堅忍不抜。
足立 中田先輩が男で、奥山先輩が女で。
奥山 うそやん(笑)。
中田 ふざけてるやろ(笑)。足立はね、攻撃の攻。俊平はⅤ8、2400㏄て感じ。やっぱり俊平はⅤ8、2400㏄のエンジンを積んでる人間だと思うんですよ。分かります?
奥山 絶対分かってへんやん(笑)。俺も分からへんけど、そうらしい(笑)。
中田 すごく頭が切れて、効率的で……なおかつ小さいパワーで大きいパワーを生み出すっていう。分かる? 感覚の問題。とりあえず、頭が切れる、効率的、予想以上に競技面でパワーが発生する。そういうイメージがあるんですよ。足立は常に前に進もうとしかしない人間です。ぐいぐいって感じです。
――ありがとうございました。
◆奥山俊平 おくやましゅんぺい 法3 常翔学園高出 165cm・64kg
◆中田健太郎 なかたけんたろう政経3 常翔学園高出 159cm・63kg
◆足立賢祐 あだちけんすけ 営2 常翔学園高出 170cm・62kg
Lifter’s High 2012は次回で最終回になります。最終回はインカレメンバー紹介です。アップは11月7日(水)の予定です。お楽しみに!
◆第58回 全日本大学対抗選手権◆
日程:11月9~11日
会場:羽曳野コロセアム(大阪府羽曳野市)
◆会場へのアクセス◆
近鉄南大阪線「恵我ノ荘」駅から徒歩10分
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