(12)母校対談~畠山・小川~

 記録への挑戦と限界の突破。常に自分との戦いだが、そこには仲間の支えがあり、仲間と共に歩んできた努力の道がある。そんな競技に魂を燃やす選手たち。それが明大ウエイトリフティング部だ。

 11月9日から行われる全日本大学対抗選手権(インカレ)に先立ち、明大ウエイトリフティング部の魅力をお伝えします。選手紹介に始まり、母校対談や写真館、選手の意外な一面もお届けするのでお楽しみに!
 第12回は畠山桂(政経2=能代工)、小川翔大(政経1=能代工)の母校対談です。幼い頃から一緒という2人の仲良しな会話に注目です!

――高校時代はどんな先輩後輩でしたか。
畠山
 やばいなーこれ(笑)。上下関係はありませんでしたね。もともと保育園からの知り合いだったので。何年かな。
小川 14~5?
畠山 いや、もう15~6年の付き合いですね。

――ウエイトリフティングを先に始めたのはどちらですか。
畠山
 自分ですね。もともとは野球やってたんですよ。小川はいつ始めたっけ、中3?
小川 中3ですね。畠山先輩に誘われて。それまでは柔道やってました。

――後輩が高校に来ると分かった時の心境はどのようなものでしたか。
畠山
 小学校でも中学校でもあんまり話さなかったんですよ。
小川 部活も違ったんで。
畠山 高校の部活にこいつ(小川)が入ってくるって分かった時は正直うれしかったですね。ついに来たかと(笑)。

――練習以外での交流はありましたか。
畠山
 家が近くて親同士も知り合いなんで、よく家に来てましたね。部活終わったらうちの車に乗って来て、こいつ(小川)の親の仕事が終わるまで家にいる、みたいな。
小川 毎日行ってましたね。
畠山 遊ぶっていったら、ボーリング、家、イオンのどれか(笑)。ずっと一緒だったから、タメ語でも別に……(笑)。
小川 自分、たまにタメ語出てますよ。(笑)
畠山 えっ、気付かなかったわ(笑)。

――高校時代に影響を受けた人はいますか。
畠山
 藤原さんですかね。
小川 ですね。
畠山 日大の主将さんです。
小川 強くて、頼もしくて……。よく比べられましたね(笑)。
畠山 (笑)。優しい人ですね。高校1年のころの3年生はみんなインターハイに出てて、すごい強くて。試合を見てすごいなって尊敬しました。いろんな伝説があるんですよ(笑)。
(思い出話に花を咲かせる2人)

――高校時代、思い出に残っている試合はありますか。
小川
 1、2本目の試技を失敗して3本目の試技の前に、セコンドに付いていた畠山先輩にビンタされました(笑)。
畠山 3年の東北大会でジャークの3本目を残り5秒でいったり、インターハイの3本目もコールに気付かずに5秒で挙げて失敗したり(笑)。コーチ(畠山の父親)に押し出されました。
小川 「まず、行け」と。
畠山 言われましたね(笑)。

――大学進学を決めた一番の理由は何ですか。
畠山
 警視庁に行こうと思ってたんですよ。でも知らない間に親父が明大の監督と連絡を取ってたみたいです。インターハイで明大に勧誘されました。3日くらい悩んで決めましたね。
小川 自分もともと専門学校に行く予定だったんですよ。料理とかパティシエとかの。
畠山 自分が無理に誘いました(笑)。
小川 夏に先輩が帰ってきた時に誘われました。
畠山 自衛隊体育学校にも落ちて、もう行くとこないだろって(笑)。
小川 先輩からも、コーチからも来いって言われるし、気付いたらうちの親にまで連絡してて。親にも行けよ、って言われました(笑)。すごい勧誘されたので。

――同じ高校の後輩が入ってくると知った時の心境を教えてください。
畠山
 来ることになったか、と。うれしかったですね。明治にも秋田勢を作ろうかと(笑)。
小川 心配もあったんですけど、先輩がいろいろとメールで紹介してくれました。

――先輩のいる明大に決まった時の心境を教えてください。
小川
 明治に来てよかったのかな、一般生の頭についていけるかなって思ってましたね。
畠山 大丈夫だから。
小川 高校から引き続きよろしくお願いしますって気持ちでした。

――明大に対して持っていた印象を教えてください。
畠山
 自分が明治に行くとは思ってなかったんで、初めてホームページとかの部員の写真を見たときは、怖いなって思いました(笑)。顔、怖いなって(笑)。
小川 自分、何も知らないで来ましたよ(笑)。

――高校で競技以外で力を入れていたことは何ですか。
畠山
 ボーリングですね。よく行ってました。一度、明治の部員全員でボーリングに行ったことがあるんですよ。吾郷先輩はハイスコア200くらいでうまかったですね。もう、ピンが壊れそうなんですよ(笑)。片山も確かハイスコア240くらいだったかな。すごいうまいんですよ。
小川 ボーリングやっておけよ、って言われてました(笑)。大学でやるからって。
畠山 高校の時にやっておいてよかったですね。
小川 2日連続で5、6ゲームくらいしてましたよね(笑)。

――高校と大学でお互いの印象が変わったり、見方が変わったりした部分はありますか。
畠山
 あんまり変わらないですね。
小川 自分的には、ノリが変わったような気がしますね。
畠山 は?(笑)
小川 全然違いますよ。いい意味で。
畠山 は?(笑)
小川 高校のときは、部活でも私生活でも同じノリで接してくれていたんで、あんまり分からなかったんですけど、寮生活するようになってやっぱり(練習の時と私生活ではノリが)違うなって。
畠山 小川は改めてばかですね(笑)。天然通り越してばかなんですよ。天然とばかがごっちゃになって、ばかなんですよ(笑)。
小川 そうですね(笑)。先輩は優しかったんじゃないですかね。練習だけじゃなくいつもお世話になってたんで、いい先輩だなって思います。
畠山 これだけ見たら、おれすごい嫌な先輩みたい。後輩のことばかばかって(笑)。

――高校・大学を通してお互い部内ではどんな存在でしたか。
小川
 畠山先輩はフレンドリーで、ムードメーカー的な存在だったんじゃないですかね。
畠山 それはお前だろ(笑)。
小川 大学に入ってからもそれは変わらないですね。でも大学に入った以上、上下関係はしっかりつけてます。
畠山 (小川は)面白いやつですね。いつもばかなことしてます。練習後上半身裸で雪合戦したりしてました(笑)。でも大学入ったらおとなしくなったんじゃない?
小川 おとなしくなりましたね。でも地元帰ったらうるさいですよ(笑)。解放感からじゃないですかね。

――高校時代のことが今に生きていると感じることはありますか。
畠山
 忍耐力じゃないですか。監督に何を言われても耐えたという。
小川 忍耐力ですね。
畠山 2年生のころからキャプテンやってたので、それも生きてるかな。

――同じ高校ということで安心感を感じることはありますか。
畠山
 1年の頃は、同じ高校の選手もいなくて不安もあったので、入って来てくれて安心感はありますね。
小川 今まで関わりの無い人と練習するよりは、先輩がいてくれると安心ですね。頼れます。
(畠山をお父さんが取材受けてる! と他の部員が茶化す)
畠山 全日本新人だったっけな。お父さんキャラってなってるんですよ(笑)。確か敦見先輩が命名したような……。
小川 すぐ相談できるし、頼れます。

――大学で自分の力が通用する部分はどんな部分ですか。
畠山
 スクワットですね。
小川 自分は柔軟性です。でもかなり柔らかいので、もうちょっと固かったらどうなっただろうと考えることもあります。どっちがいいんでしょうね。

――まだまだ足りないと思う部分はありますか。
畠山
 調子に乗ってくるとケガをしやすいんですよ。今もやっと足が治りかけてきたところですね。足ケガしたら、次は背筋痛めて、肉離れしたりとか。
小川 でもアップダウンは付き物じゃないですか。自分は手首と足がまだ弱いなって思いますね。
畠山 こいつ足が弱いんですよ。能代工はみんな足強いのに……。
小川 避けてきましたね。
畠山 だからだよ。強化しないとな。

――お互いを一言で表してください。
畠山
 悪い奴。髪型からしてアウトでしょ(笑)。前髪切って、眉毛も細くて、悪い風な写真を撮ってました(笑)。小川 眼鏡かな。畠山先輩と言えば眼鏡(笑)。
畠山 ドライアイになって止めたんですよ、コンタクト。
小川 コンタクトしてたんですか(笑)?
畠山 してたよ(笑)。高2から眼鏡かけてますね。練習中は外してます。

――ありがとうございました。

◆畠山桂 はたやまけい 政経2 能代工高出 177cm・98kg
◆小川翔大 おがわしょうた 政経1 能代工高出 165cm・65kg

次回は母校対談です。アップは11月5日(月)の予定です。お楽しみに!

◆第58回 全日本大学対抗選手権◆
日程:11月9~11日
会場:羽曳野コロセアム(大阪府羽曳野市)
◆会場へのアクセス◆
近鉄南大阪線「恵我ノ荘」駅から徒歩10分