
(5)バドミントン人生の集大成!最後の戦いへ 橋本翔太郎主将
橋本とバドミントンとの出会いは、彼が小学生の時だった。ぜんそく持ちで体の弱い少年だったことに加え、友人からの誘いもあったことから、バドミントンの少年団に加入した。中学時代は「全く(自分は)有名選手じゃなかった」が、バドミントンにもっと打ち込みたいという思いから地元である三重を離れ、名門・青森山田高に入学。日中はバドミントン部と卓球部のみで構成されたクラスで過ごし、授業が終われば夜までシャトル打ち、さらに寮生活と、バトミントン漬けの毎日だった。もちろんそんな青森山田高の強さはトップクラス。県大会での1、2位争いは決まって今も同じチームの後輩である櫻庭弘貴(政経3=青森山田)や同期の仲間たちとだった。
高校時代からレベルの高い環境でバドミントンをしてきた橋本が、次なるステージに選んだのは明大だった。上下間の仲が良く「やわらかい感じ」が橋本の温厚な性格に合っていた。入学して間もなくその実力を買われ、同期の末松純(政経4=福岡大大濠)と共に主にシングルスとして、活躍してきた。
順調に進みかけた大学バドミントン生活に暗雲が立ち込めたのは2年の秋だった。8月末から9月初旬にかけて行われた当時の東日本選手権では結果が出ていたが、秋季リーグ戦に入ると思うようなプレーができなくなった。「気持ち入れてやっているのにかみ合わなくなった」。入替戦でもチームは劇的な勝利を収め1部昇格を果たしたが、橋本自身は1敗を喫し、その直後の全日本選手権でも敗退。個人戦でも奮わなかった。「理由が分からなくてつらかった」と原因不明のスランプに、初めはどう向き合うべきか全く見えなかったという。
しかしこの負けの連続が、自分を見つめ直すきっかけとなる。「プレースタイルを変えないといけないかもしれない」。それまでのラリーを続けてポイントを奪うスタイルを見直し、自分から攻め常に先手を取るプレーに転向。さらにパワー不足やスピード不足を補うために筋力トレーニングに力を入れた。すると徐々にではあったが、競り試合でも粘れるようになり、動きもより機敏なものに。勝てていたころの感覚を取り戻した。「あんな成績だったけどイライラしないでポジティブにいられたのが良かった」と当時を振り返って笑った。
明も暗も見てきた橋本は今年からキャプテンに就任。「あまり精神に波がなくて安定しているから(キャプテンに)なったのかも」と話すが、主将らしく誰よりも自分を追い込める強さがある。「どうせやるなら厳しくしたい」と日々の練習メニューや合宿の内容を例年よりきついものに改革。今夏の間に右足の捻挫、さらに左足の内出血と自らが手負いの状態になるまでシャトルを追った。「メニューを厳しくしたからみんなきつがっているだろうし、自分は嫌われていると思います」と苦笑したが、そんなキャプテンの苦労を最も分かっているのは他でもないバトミントン部の仲間たちだった。「チームで一番の努力家は」との質問には、誰もが「橋本キャプテン」と答えている。
ずっとバトミントンと付き合ってきたからこそ「英語の勉強をしたい」「もっと大学生らしいことをしたい」と時には気持ちがぶれてしまうこともあった。それでも決してコートから離れず、チームの勝利のためにできることを考え続けた。橋本がキャプテンとして戦う試合は、秋季リーグの残り2試合と10月に行われるインカレのみ。卒業後はバドミントンを続けないつもりだ。「一試合一試合を大事にして、1部残留して終わりたい」。残されたゲームに全てをぶつけ、十数年以上に渡るバトミントン人生の集大成を飾る。
◆橋本翔太郎 はしもとしょうたろう 政経4 青森山田高出 174㎝・63㎏
●関東大学バドミントン秋季リーグ戦●
日程:9月15日(土)~23日(日)
会場:日本体育大学健志台キャンパス米本記念体育館(神奈川県横浜市)
アクセス:東急田園都市線「青葉台」駅降車
東急バス4番のりば日体大行き、終点下車
飛翔~2012秋季リーグ戦~は今回で最終回となります。ここまでご愛読下さり、ありがとうございました。
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