(5)4年生特集

2012.08.15
 今回は4年生の猪川拳斗主将(政経4=今治西)、高島朋江(農4=坂出)の2人を取り上げます。今までのボート人生、最後のインカレに懸ける彼らの思いに迫ります。

<猪川拳斗主将>
「全国を目指したい」という気持ちから始めたボート。始めは女子に負けるなど、悔しい思いをした。それでもやればやるほど力が付いていくこと感じてボートの魅力にはまっていった。高校時代はダブルスカルでインターハイ3位という成績を残したが、「もう少しで1位になれる手応えがあった」。表彰台の頂点を目指して明大へ進学した。

 大学では「(ボートが)生活に密着してて、生活の一部に組み込まれている感じ」と食事も睡眠も練習に組み込まれていることに驚いた。しかし、地方で1、2位だった選手がいる寮生活は張り合いのあるものだった。最上級生となった時、猪川は主将になった。始めは方針を決めても一人一人が考えるプロセスは異なるためにまとめるのが大変だった。総合優勝という一つの目標のために少しずつまとまりが生まれた。角久仁夫監督はよく「自分で考え、自分で動け」と言う。どうゆう練習なら決勝に残るか考えてきた。その中でエルゴの測定で設定ラインを決め、その結果でインカレのクルーを決める方針は成果が表れた。平均で1.5秒速くなり、30秒近く上げた部員もいた。このような環境で部員たちは切磋琢磨(せっさたくま)し、一つでも多くのクルーが優勝して点数を取らないと駄目という意識を強くさせた。

大学に入ってからもいまだに1位になれていない猪川。「優勝した経験がないと終われない」。今年が最後のチャンス。有終の美を飾れるのか、戦いの日は刻一刻と迫っている。

<高島朋江>
 昨年の全日本選手権では女子エイトで出場、宿敵早大の同種目10連覇を阻止して見事初優勝を飾った。「全員の力で勝てた試合。高校時代のみんなで進めるボートという感じだった」と笑顔を見せた。

 小学校から中学校までは剣道をしていた。しかし高校入学後は、インターハイに出られるような部活に入りたいと思うようになった。そこで高1の時同じクラスだった高木智代(法4=坂出)と一緒にボート部に入部した。

 高校時代の生活について「毎日がむしゃらにこいでいた」と振り返る。授業が終わると、部員と汗だくになりながら40分かけて自転車で練習場所に向かった。練習が終わると街灯もない、既に真っ暗な中をみんなで自転車に乗って帰った。「毎日、みんなでやっていたからこそボートを好きになった」と、朗らかに語る。高校3年間、インターハイに出場し続けた高島だが、大学でボートを続ける気はなかったという。しかし3年のインターハイで負け、帰りに富士山に登った時、高木と話し合い「優勝できずに辞めてしまうのは悔しい、大学でも続けよう」という気持ちが芽生える。その後の国体で明大の角久仁夫監督に誘われ、入学を決意した。

 明大端艇部入部後は、毎年インカレに出場し、明大の主力選手であり続けている。他大や周囲から刺激を受けることも多く、高校時代から知っている選手がいることから、慶大や早大、そして高木には負けたくないと意気込む。

 高木については「7年間ずっと一緒にいて、家族よりも一緒にいた。今まで出会った中で一番信頼できる。友達であり、仲間であり、それ以上の言葉が見つからないくらいかけがえのない存在」と絶対の信頼を置く。高島の出場する女子舵手なしペアは、相方と息を合わせることが勝利のカギを握る。「1人の相方ときつい夏を越えることの意味は大きい。1度相方になると信頼関係で結ばれる」という。今回は高校時代からの相棒である高木との出場。まさに鬼に金棒のコンビである。2人は高3の国体でもダブルスカルで出場、惜しくも5位という成績に終わっている。今回のインカレは4年前の雪辱を果たす最高の舞台だ。「4年生同士で乗ることはあまりないし、確実に優勝を取らなくてはと感じている。練習でも後輩に見せられる部分はあると思う。練習の量と質を意識して、自信を付けていく。高校の時みたいにがむしゃらにこぎたい」と真摯(しんし)に語った。悲願の日本一へ、全ての思いを懸けて挑む。

 高島にとっては今年が最後のインカレとなる。「もう来年からはボートをこげない。今のメンバーで総合優勝したいし、絶対に結果を残したい」。表彰台の頂上に立つ彼女の飛び切りの笑顔をもって、有終の美としたい。