(3)4年生特集
<林真幸>
「いろんなものを捨てても自分を成長させてくれた」と今までのボート人生を振り返る林。高校時代は全国選抜で4位入賞の経歴を持つ。この時準決勝で会心のレースができて監督からも見ていて面白かったと褒められたことが今でも印象に残っている。「ボートは大学が一流だから」と大学でもボートを続けることには迷いはなかった。
大学2年次には初めてクルーリーダーを務めた。しかし「エイトに出れる実力はあったと思ったので悔しかった」と男子花形種目であり、最も明治が力を入れている種目のクルーに選ばれなかったことが悔しくてたまらなかった。そのため「エイトの成績を上回ってやろう」と必死に取り組んだ。そしてクルーリーダーとして後輩を引っ張り、決勝進出を決めた。「決勝に出れて自信がついたし、エイトのメンバーも見返せた」を満足のいく結果を残せた。
4年生になり、今年は自分たちなりにインカレで総合優勝するためにホワイトボードを使ってどの部員がどのような練習をしているか分かるようにするなど、いろいろと対策を練った。その結果、目に見える成果が大きくなり、選手同士で切磋琢磨(せっさたくま)してさらに練習に臨めるようになったと感じているようだ。今年は最後のインカレ。「総合優勝のためには絶対に負けられない」と気合は十分だ。自分の青春時代を全てボートに捧げてきたという林のインカレ最後のレースに注目だ。
<宮崎佑亮>
ボートとの出会いは高校時代。長身がボート部の監督の目に留まり、練習を見に行くことに。すると気付いたら入部していたという。ボートに乗り始めたばかりのころはバランスがうまく取れず、転覆することもしばしば。それでも日々の練習の甲斐あって、高校3年次には国体で6位入賞と確実に力を付けていった。だが、満足はできなかった。「1年生の時に3年先輩がインターハイ優勝した姿を見て、日本一になりたいと思った」。いつも頭の中にあったのは日本一への憧れだった。インターハイでの準決勝敗退はこの思いをさらに強くする。このままでは終われないと大学でもボートを続けることを決意した。
しかし大学入学後は苦しい時期が続く。肘のケガが宮崎を襲ったのだ。大学最初のレガッタシーズンをリハビリに充てることには抵抗があり、オフシーズンを迎えた冬、ようやく手術に踏み切った。手術後は半年もの間、水上での練習から遠ざかり、練習は専らウエイトトレーニングやランニング。今まで大きなケガをした経験もなくおいていかれるという不安が付きまとった。それでも同期の努力する姿に刺激を受け、モチベーションへと変えていった。そんな宮崎についに日本一の瞬間が訪れる。昨年の全日本軽量級選手権で宮崎の乗った舵手なしクォドルプルが優勝。優勝した実感がなかなか沸いてこなかったというものの「ケガをしていた時期は無駄ではなかった」と成長を実感する結果だった。
「時間がたてばたつほど心残りが増していった」と振り返るのは昨年のインカレだ。狙えるところにいただけに思いは一層深まる。だから今年は「優勝にこだわりたい」と宮崎。今年は舵手付きペアでの出場となる。インカレでは自分たちのクルーが勝つことがチームの勝利へとつながる 。「ボートがここまで導いてくれた」。大学日本一までの残りの道のりは自らの力で突き進めるはずだ。
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