(2)マネジャーコックス
<安池彩乃>
安池はもともと中高とボートをやっていたが、大学では勉学を優先するために競技は続けないつもりだった。しかし角久仁夫監督から「うちでやってみないか」と直々の誘いもあって、高校の先輩などもいる明大にとりあえずマネジャーとして入部することを決意した。
1年の当初はマネジャーとして料理を作る時の鍋の大きさなど今まで体験しなかったことも多くあった。それでも「大好きなボートに携わりながら学生生活が送れていることが楽しかった」と日々の生活に苦は感じなかった。それでも「キャンパスが生田なので、通うのも大変で単位を取るのに1年生の時は苦労しました」と苦笑いを見せながら当時を振り返った。
1年間を経て2年から本格的にコックスとして競技に打ち込むようになる。「競技経験者なので、こいでいる選手たちがすごい人たちと分かっていた。そんな人たちと同じボートに乗れることはすごく楽しみだった」と再びボートに乗れる喜びは相当なものであった。
しかし舵手付きクォドルプルで出場した2年の時のインカレでは早大に惜敗し、優勝を逃してしまう。「勝てないレースではなかったし、4年生の最後のインカレを優勝させてあげられなかった。反省としては自分の意見が伝えられず受け身になってしまったことですね」と選手たちに対してどこか遠慮してしまっていた部分が課題となって浮き彫りになった。安池はこのレースを教訓に「もっと主体性を持ってやらないといけない」と強く思うようになった。
そして迎えた昨年のインカレ。女子の花形種目である舵手付きクォドルプルのコックスとして出場し、見事早大の10連覇を阻止し優勝を果たす。「最初はうまくいかないことも多かったクルーだけど本当に優勝できて良かった。その前の年の経験を生かして自分の意見が伝えられた」と自分自身の成長も感じられた。
最上級生として迎える今年のインカレ。「部として総合優勝を目指しているので、私たちのクルーが負けるわけにはいかない」と舵手付きクォドルプルでの連覇を目指す。クルー内でも「早大は強いけど、クルーの力はあるし私がみんなの力を引き出すことができれば連覇できると思うし、それに向けてみんなで努力していく」と気合十分だ。
安池は引退後に審判の資格を取得するという。「ボートをやっていたからこそ多くの人に出会えた。そんな大好きなボートに引退後も携わっていきたいなと思って」と笑顔で話す。
「インカレは学生生活の集大成だし、悔いの残らないものにしたい」そう話す彼女の眼差しは強いものだった。
<佐藤結>
佐藤はボート未経験者。しかも中高は帰宅部で全く運動はしていなかったという。「もともと大学では部活をやろうと決めていた。中高時代にみんながやっていのがうらやましくて」と体育会には興味があった。そんな中で端艇部に入ったのはたまたまクラスで仲良くなった赤津杏奈(政経3=小松川)に誘われたからだ。初めは「体育会独特の雰囲気に戸惑った」と慣れない環境に驚きながらも、マネジャー業をこなしながら一からボートについて学んでいった。
そんな佐藤がコックスをやることになったのは1年の冬。4年生が引退し、マネジャーの同学年から1人コックスを出すことになった。最初は「マネジャーからコックスを出すことは知っていたので興味はあった。それでも全くボートを知らない私がやっていけるのかすごく不安だった」。しかし安池から「分からないことがあったらサポートとするから」と励ましの言葉をもらった。「安池さんはマネジャーをやりながら競技もやっていてずっと憧れていた。そんな安池さんから直接言葉を掛けてもらったし、自分が成長できるチャンスだと思った」と挑戦することを決意した。
実際に練習が始まってみると、マネジャーをやっているだけでは見ることのない選手の練習している姿を見て自分も頑張らなくてはと闘志に火が付いた。2年生の春に初めて出たお花見レガッタもオープン参加ながら1位を獲得。学業とマネジャー業を両立しながらの練習は大変だったというが、「すごく楽しかった」とボートに乗れる喜びを感じた。しかしそんな中で佐藤には「自分の意見が伝えられていない」と未経験者のため遠慮しながらボートに乗っていたことでモヤモヤが残っていた。しかし10月の新人戦でクルーが悩んでいる時に今井智子(商3=美方)に「コックスにしか分からない波の動きとかもあるし、遠慮しないでどんどん意見を言って」と言われてモヤモヤが吹っ切れた。
迎えた今年の軽量級選手権。舵手付きクォドルプルのコックスで出場した佐藤は同期の赤津らと共に見事優勝を果たす。レース直後には「マネジャー出身の私が全日本級の大会で優勝できてすごくうれしい。これも周りのサポートがあったから」と支えてくれた人と共に優勝を喜んだ。
そんな佐藤だが、インカレにはチームの方針で安池が出場することになったのでコックスとしてはもう出場しない。「インカレに出られないのは悔しいけど、チームで話し合って決めたメンバーだし安池さんとも話せて納得できた。これからは選手の側も知る私は部員とマネジャーの橋渡し的な存在としてチームに貢献していきたい」と笑顔で話した。
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