箱根駅伝を振り返る②
大六野は上出来。早大には付けないだろうと思っていたけど、大迫(早大)が飛び出した時に何人か付いて行ったら付いて行くようには言っていた。最初の5kmが14分19秒で速かったから、どこまで耐えられるかが勝負だった。1年生としてはいいタイムで走り切ってくれたと思うし、大迫がいなかったら区間賞もとれたかもしれない。それくらい十分な滑り出しだった。
菊地もピンチヒッターとしては上出来。もうあと30~40秒遅れてたら石間が苦しかったかもしれなかった。高い評価をしてあげられる走りだった。今まで駅伝では失敗続きだったけど、ようやくそれが生かされたレースだったと思う。9分前後を想定していたので上出来。2区は試走もしてないし、12月31日に車で下見をしたくらいで、ぶっつけ本番だった。2区はペースが速いから5kmを14分40秒くらいで行き、権太坂までは余裕を持って走るように指示していた。最後は切られたけどよく第2集団まで追いついたと思う。あと1分遅かったら後ろの方で走るレース展開になったと思う。3区が弱かったのでよく踏ん張ってくれた。石間も流れを途切らすことなくいい役割を果たしてくれた。
八木沢は最初、抑えすぎかなと思って見ていたが、逆にそれが後半の伸びにつながったのかな。(駅伝で初めて起用するのに不安はありましたか?)練習の中で結構いい走りをしていたし、実績を持って入学している選手。経験もあるからそういうのがぶっつけ本番の駅伝でも生きたんじゃないかな。
大江は10kmの通過が去年よりも20秒くらい遅かったんだけど、下りが30秒速かった。早大には競り負けたけど十分な走りをしてくれた。鎧坂を2区で使う予定だった時は5時間29分と踏んでいたけど、使えないから31~31分台くらいかなと思っていたので往路は上出来。去年で言えば2位のタイムだったのかな。
廣瀬は去年同じ6区を走った経験が生かせると思っていた。60分20秒くらいで来ると思っていた。予定通り早大も抜けたので良かった。北は調子は良かった。駒大に40秒くらいの差を3.5kmくらいで詰められたけど、その後よく粘ったと思う。
8区は一番不安だった。有村も練習は出来ているし八木沢同様に実績は十分の選手。今回は襷をもらった位置が良かったというのもあるけど、よく駒大に競り負けてなかったと思う。区間記録も早大には2秒負けただけかな。よく踏ん張ってくれた。(10回ブレーキしても使い続けると彼に言っていたそうですが)それは彼に自信を持たせたかったから。出雲・全日本と失敗して自信を失いつつあったから、そういう言葉を掛けました。
9区は駒大に2分、早大に30~40秒くらいは負けるかなと思っていた。もし早大が駒大とあのまま並走していたらきつかったと思うけど、15km以降差が広がらなかったのがうちとしては幸いだった。1分ちょっとの差なら病み上がりとはいえ鎧坂なら十分射程圏内。絶好調なら駒大まで行っていたと思う。たら、ればを言うのはダメだけど。そういう意味では勇介(細川)も粘ってくれた。
鎧坂は足が心配だったので3分3~5秒くらいで押していくように言った。3分を切ると痛みが出るかも分からないので。最後までなんとかたどり着いてくれと祈っていた。トータルで早大とは20秒空いたけど、あれは鎧坂じゃなかったら離せなかったと思う。鎧坂というのに名前負けしてくれた感がある。1万mのタイムでいえば1分半くらい差があるわけだし、いくら病み上がりとはいえ付いていくのは無理と(早大の選手が)思ってくれたのかもしれない。それがうちとしては功を奏した。ケガをしていてもああやって無難に走れるのは彼の能力の高さ。
――3位になった瞬間はどんな気持ちでしたか?
とにかくほっとしました。今年の出雲・全日本、昨年の3つと1~3位は常に3強だったので、その中に割って入りたいと思っていたので。ただあれだけ東洋に走られると負ける。純粋にすごいと思った。駅伝というのは乗ればあれくらい行くし、いかなきゃダメになるというのがあるからね。
――早大にどうしても勝ちたいと言っていましたが
渡辺康幸と仲がいいからです。酒の量でも負けるし顔でも負けるので箱根駅伝だけは勝ちたかった(笑)。早大と仲が悪いからと勘違いした人もいたけどそうじゃないんです。3強のなかで食うとしたら早大というのもあったけど。力は互角かなと思ってた。早大は三田とか八木がダメだったからうちにもチャンスはあるかなと。東洋は抜群だったね。あきれかえるくらい。駒大は8割くらいしか力を出せてなかったね。トラックはあれだけすごいのに。それでも2位に入れるのは地力の高さかな。今回の箱根駅伝で山がいかに大事かがわかった。19分台で登らないと勝てない。その周りを固める下りや他区間も走らないとダメだけど。東洋は山登りの怪物がいるからみんながつがつ攻めて走れてたから。よく「誰がよかった?」と聞かれるけど、誰か一人じゃないんです。全員が100%を出してくれた。総合タイムも歴代で4か5番目の記録だし。それだけ今の箱根はレベルアップしてるということ。
――鎧坂さんは今回の結果が復活元年と言っていましたが
そういう風にしていかないといけない。強豪校になれるようにしないと。そのためには一回一回のレースの積み重ねが大事になる。すぐに強豪になることはできない。常にいい成績を残していかなければいけない。
――今回の箱根で成長を感じた部分は
経験の部分かな。一人一人出雲・全日本の反省が生かされたと思う。今までのなかで一番いい走りをしてくれた。全員が完璧な走りだった。2位争いにくらいついていく粘りの走りができた。駅伝とは切るか切られるか。あの集団から切られてしまうとシード権争いまで落ちる可能性もあった。一人一人が粘りの走りができるようになった。その要因の一つが今まで鎧坂に頼っていたということだと思う。普通なら往路はもっと落ちていたはずですよ。彼が背中で引っ張ってきてくれたものは大きかった。頼っていた部分を今度は自分たちが引っ張るというのが気持ちに表れていた。駅伝は気持ちで走るもの。普段から鎧坂と寝食を共にして接してきてるわけだし。出雲・全日本と失敗して次こそはという気持ちが彼らにあるのはわかった。普段の練習から一生懸命やってきているわけだからその結果がどうであろうと怒ったりはしませんよ。あとは空回りしないようにこっちが声をかけたりするだけです。
鎧坂は遠征があってチームにいれないことも多かったけど、その間に一人一人が力をつけてくれたのがこういう結果につながった。古豪から強豪へ変わるためのきっかけを彼が作ってくれた。彼自身ケガで走るのに不安はあったかもしれない。
今回は3位だけど順位ではないんです。その結果を次にどうつなげるかが大事。だから今回の結果に対する満足度はもうありません。すでに次を考えています。今回東洋が出した10時間51分というタイムに挑戦していかないといけないと思います。実は12月29日9時までの段階で鎧坂を2区にはめて1、3、6区は空けていた。でももし彼が2区を走れないことになってしまったらもうどこにも走るとこはないということで補欠にまわしたんです。鎧坂を3区にまわすことも考えたけど、遊行寺の坂が負担になるかなと。だから補欠にしておいて復路の10区に考えていました。それでもし鎧坂がダメなようなら高城をアンカーにしようと。だけど、2日の夜、当日の朝に鎧坂との電話で確認していけると判断しました。ヘルニアだったのでしびれがくる。16~20キロあたりはしびれがきてペースが上がらなかったからね。12月はほとんど練習をやってない。他の選手の2割くらいかな。それでもあそこまで持ってくることができるのは能力が高いということ。20km走もしびれがくるので2~3回程度しかしなかった。普通なら30km走だけどそれすらできなかった。完璧な状態なら2区で6分30~40秒くらいで行っていたと思いますよ。ただ今回は彼が出れないというのが違う意味で波及効果につながったのかな。駅伝とはそういう気持ちのつながりだから。重成から始まって幸田・岡本・東野・石川・安田らが築いてくれた礎を今度は鎧坂が作ってくれた。
往路が終わった時点でシード権が危なければ自分がどんなに状態が悪くても、無理してでも出ると本人が言ったんです。彼は絶対必要な人間で責任感の強い子。最後は彼で締めくくるという青写真を自分の中で思い描いた。苦しい中でもなんとかしたいという気持ちが彼の中にはある。それは目立ちたいというのではない。こういう選手は滅多にいないと思いますよ。物静かで寡黙で、でも闘争心がある。2日の電話の時も「11分ではいけます。立ち止まりそうにはならないと思う」と言っていました。
いざ走り出したら不安はなかった。本来の走りからすれば重くてキレがないと思ったけど。早大を抜いてほしいというのもあったけど立ち止まるのもこわい。無難に4位でもいいとも思ってた。最初の6kmではほとんど詰まらず、10kmを30分25秒くらいで行ったら少し詰まって、15km過ぎくらいで抜いた。彼が4年間で残した財産は大きい。無理して走ってくれたんだから強豪になっていかないと。後輩はそれを引き継いでいかないといけないですね。
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