箱根駅伝を振り返る①

2012.02.02
箱根駅伝を振り返る①
廣瀬
①どうして6区という特殊区間を走りたいと思ったんですか。
――下りが得意なのでずっと走りたいと思ってました。

②レース後足の皮がむけていたと思うんですが、むけたことは走っている時実感としてありましたか。またどのあたりから気付いていましたか。
――皮がむけている実感はありました。大平台のあたりからむけていたと思います。

③皮がむけた痛みというのは走っている時どれくらいつらさとしてありましたか。
――下りで左にカーブするときには痛みはありましたが他は特に気にならなかったです。

④どれくらいの大きさで皮がむけていましたか。
――左の足の外側が小指の付け根から下に5センチくらいむけてました。

⑤東洋大の選手は足に洗剤を入れていると聞きましたが、皮がむけない工夫など何かされていましたか。
――もう皮はむけるものだと思ってたので特に何もしていなかったです。

⑥走っている時何が一番つらかったですか。
――ラストの平坦からの3キロが一番つらかったです。

⑦体力的につらくなったのはどの辺の地点ですか。
――下りの終盤から少しずつキツくなってきました。

⑧昨年走っていて、どの辺がポイントだと思っていましたか。
――最初の登りとラストの平坦からだと思ってました。

⑨年末に発熱をされたそうですが、患っていた日にちや症状(体温など)を分かる範囲でいいので教えてください。
――12月28日に38度8分の熱が1日出ていました。

⑩箱根駅伝3位になり、周囲の反応など変化はありましたか。
――とても喜んでもらえました。

⑪数日経った今ご自身の走りを振り返ってみてどうですか。
――最初の登りが少し焦って入ってしまったのとラストの3キロが粘れなかったと思います。

⑫来年も6区を走りたいと思いますか。
――走りたいと思います。

⑬個人の今後の目標などがあればお願いします。
――さらに上にいけるように努力していきたいと思います。

菊地
①2区を走ることが決まった時の率直な感想を聞かせてください。
――最初は驚きがありましたが、鎧坂さんの状態も万全でなかったので、自分がやるしかないと思いました。

②走るにあたり鎧坂さんや西駅伝監督に言われたことはありますか。
――鎧坂さんにはお前に任せる、よろしく頼むと、西さんからは自分に自信を持ってきちんと走れば結果は出ると言っていただきました。

③菊地さんにとって2区はどんな存在ですか。走ることに不安などはありましたか。
――やはり力のある選手が集まる場所で、2区を走ってやっとエースと呼べるものだと思っています。不安はそれほどありませんでしたが、やはり緊張はしているなととても感じました。ただ、ここで各校のエースを倒したいとも思いました。

④残り3kmの上り坂は走っていてどのような印象を持ちましたか。
――まさに壁だと感じました。前のチームを追いかけてきたので、だいぶ足も使ってしまっていましたし、軽くけいれんもしていましたが、チームの事を思ったのと沿道の方々の応援のおかげで走りきることができました。

⑤その2区を走ったことに関して今、どう思いますか。
――最低限今回の仕事が出来たのは良かったとは思います。ただ、まだまだ上もいますし村沢(東海大)や出岐(青学大)のように本当の意味で強くならなきゃいけないと思っています。

⑥数日たった今ご自身の走りを振り返ってみてどうですか
――喜ぶところは十分喜びました。ただ、出岐や設楽に大きく離されたというのも事実ですし、チームとしても東洋大と10分以上の差で負けたんだということを自覚してやっていかなければ来年優勝することは難しいのだと感じています。

⑦走っていてどの地点でつらくなったなど、具体的にあればお願いします
――権太坂では一度きつくなりましたが、やはりラスト3kmの上り坂が一番苦しかったです。脚も腕も止まってしまいました。

⑧西駅伝監督が菊地さんのことを「エースになる存在」と言っていましたが、それに対しなにか思うことはありますか。
――1年時から少しずつ記録も伸びてきて、大事な大会でも使っていただけるようになりました。鎧坂さんがいなくなる中、自分がそういった存在にならなければいけないんだと感じています。まだまだ期待に応えられていないことばかりなので、これから安心して任せてもらえるようにならなければいけません。

⑨菊地さんは主将になるわけですが、前主将であった鎧坂さんは菊地さんにとってどんな存在でしたか。
――結果・実績で引っ張る主将でした。プライベートでもとてもお世話になりましたが、ここ一番での切り替え、勝負強さというのをずっと間近で見てきて自分にないものを示してくれていました。

⑩主将としてどういう風にチームを引っ張っていきたいですか。
――鎧坂さんのように数字としての実績はありません。ですから、日常生活や競技に対する意識といったところで手本となり、チームの全員が高い意識を持ってやっていけるようなチームづくりをしたいと考えています。

⑪今後の個人的な目標、またチームでの来年の箱根駅伝での目標を教えて下さい。
――個人としては関東インカレ、日本インカレでの優勝、チームとして箱根駅伝は優勝を目標に取り組んでいきたいと思います。

鎧坂主将
①総合3位という結果、また最後の箱根を走った率直な感想を聞かせてください。
――感動しました。

②2区を走らないと決まった経緯を教えてください。
――2区を走ると立ち止まっしまう可能性があると思い、走らないと決まりました。

③2区を走れないかもしれないというのはいつ頃から感じていましたか。 また2区を走らないと決まった時の気持ちを教えてください。
――ギリギリまでは走るつもりでいました。 悔しかったです。

④復路で出場するかどうかというのはいつ決意しましたか。また、その理由や決意した思いなどがあれば教えてください。
――西さんと話をしながら決めました。

⑤走る前の腰に対する不安などはどれくらい抱いていましたか。途中で止まってしまうかもしれないなどの不安はありましたか。
――不安は少しありました。立ち止まる事はないと思ってました。

⑥往路3位という結果や後輩が頑張っている姿を見てどう思いましたか
――みんながそれぞれの力を発揮出来ていて良かったと思います。

⑦箱根前とレース後にチームメイトに掛けた言葉や、逆に言われて印象に残っている言葉があれば教えてください。
――ありがとう。と言われて嬉しかったです。

⑧最後は4年生での襷リレーでしたが、それについてどう思いましたか。
――何かの縁かなぁと…

⑨襷を受けた時、どのように走ろうと思いましたか。また、早稲田との差が1分ちょっとありましたが、それについてはどのように感じていましたか。
――腰の不安もありましたし、無理をしない程度に追いかけようと思いました。

⑩走っているときの腰の状態はどうでしたか。
――ずっと気になっていました。

⑪走っているときに、沿道で掛けられた印象に残っている言葉があれば教えてください。また、その時ご自身はどのような状況でしたか。
―― 一つ一つの言葉に助けられました。

⑫最後のゴールまでの直線を走っている時はどのような気持ちでしたか。また時折涙をぬぐっているように見えましたが、どんな涙だったか教えてください。
――これで明治のユニフォームを着ることがなくなると思うと、さみしくなって…

⑬最後に箱根3位という結果を残すことができたわけですが、改めて明大競走部にいたことをどう思いますか。また主将として1年間部を引っ張ってきたと思いますが、チームに対していま思うことはなにかありますか。
――明治大学競走部に入って本当に良かったと思っています。 この結果に慢心する事なくさらに上を目指していって欲しいと思います。

⑭後輩へ期待することや、何かメッセージがあればお願いします。
――これまでの西さんの指導や先輩方が積み上げてきて下さったものを考え、それを大切にしていきながら過ごしていってもらいたい。

⑮今後のご自身の目標を教えてください。
――世界大会で勝負する事が目標なので、それに向っていきたいと思います。