(3)最強ルーキー、最初の夏 白井拓巳
小学校2年生から約10年以上、ラケットを振り続けてきた。「ソフトテニスが好きだから」(白井)。やめたいと思ったことなど、一度もなかった。高校2年次にはインターハイの団体戦を制覇。順当に己のソフトテニスの道を歩んでいた。しかし、高校3年次に初めて壁にぶち当たった。「何をしても勝てなくて。インターハイ直前になっても勝てていなかったから、つらかった」(白井)。原因不明のスランプに陥った白井にできることは、ひたすらボールを打ち込むこと。不調から脱するべくそれまで以上に練習したという白井だが、そのときいつも頭にはコーチの存在があった。「自分が調子悪くても、ずっと大将として使ってくれていた」(白井)。いつも練習につき、白井に全てをたたき込んだ。それだけ白井へ寄せる期待は大きかったのだろう。コーチの気持ちに応えたい。自分に信頼を置いてくれているコーチに報いようとする一心がより白井を本気にさせた。それでも、すぐには白星を手にすることはできず、出口のないトンネルの中にいるようだった。
必死にもがく彼にたまらず声をかけたのは副コーチだった。「テニスノートをつけてみたらどうか、と言われましたね」(白井)。寮監もやっており、もともと白井の身近にいたという副コーチからのアドバイス。半年間、短期集中で、その日のゲームの反省や次の試合で意識すること、ときには「スランプの脱し方が書いてある本を買って、写しまくった」(白井)。とにかく全てをテニスノートに書き込み、うまくいかなかったときはいつでも読み返した。
迎えたインターハイ個人戦。「しっかりやっていれば結果はついてくる」(白井)とこれまでやってきたことを信じ決勝まで8試合を戦い抜いた。そしてつかんだ優勝の栄冠。並外れた努力を重ねたからこその結果だった。しかし「コーチと副コーチがいてくれたから」(白井)。いつでも練習についてくれたコーチと白井を励まし続けた副コーチの存在あってこその“王者・白井”であっただろう。
苦悩した日々を乗り越え、大学ソフトテニス界へ飛び込んだ白井。明治に入学を決めたのも、副コーチからの勧めだった。高校とは全く違う環境に最初は戸惑ったというが、そのときもテニスノートに書いたことを反すうした。今でも白井を成長させる大切なものとなっているようだ。「実績は自信になります」(白井)。つらいこともあったが高校時代の経験は、間違いなく白井の糧となったはずだ。今度は大学でも頂点に輝くために。インターハイ王者としてのプライドと誇りを胸に、白井の最初の夏が幕を開ける。

白井 拓巳 しらいたくみ 営1 尽誠学園高出 180cm・68㎏
◆全日本大学対抗◆
日程:8月6日~7日
会場:青木町公園総合運動場(埼玉県川口市)
ぜひ会場に足をお運びください。
次回のAce Of Softtennisは8月2日(火)アップ予定です。お楽しみに。
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