(18)現役記者から考えさせられたこと
今年前期、わたしは「東アジア近現代史A」という授業を履修した。担当するのは加藤千洋特別招聘教授。60歳を越えてなお現役の記者だ。加藤氏の取材経験に基づく講義には毎回新鮮な驚きを隠し得なかった。
講義の内容は、今年6月で発生から20年を迎えた天安門事件や、急成長する中国経済、その裏にある環境問題、民族問題など扱う分野は記者らしく多岐にわたった。そんな講義の中で考えさせられたのが「黄河の源流をたどったことで見えてきた環境問題」というものだった。これは、加藤教授が講義の合間を縫って中国へ飛び、黄河源流域および中流域で取材を行ったことの報告であった。
加藤教授が行った取材内容の濃さ、そして忙しい合間を縫って取材を試みるフットワークの軽さにわたしは「脱帽」という言葉しか見つからなかった。現地の住民に堪能な中国語を駆使して取材をするところなど、そうそう真似することはできない。新聞部員として2年半近く活動してきたが、そんな自分の存在が本当に小さいものと思い圧倒されてしまった。
小さな存在でしかない自分が、この先何ができるのか。考えれば考えるほど、明確な答えを出すことは難しい。しかし、先日母校を訪れた際、野球部が掲げる心得に答えがあった。「明日は残りの人生の初日である」。一日一日を悔いなく生きる。これだけで十分ではないか。
大学生は自由というイメージがつきもの。そんな大学生活終了のカウントダウンも確実に近づいてきている。この先わたしは自分自身を磨くことを惜しまない。加藤教授のように、わたしは一人の明大スポーツ新聞部の記者として、何事も積極的かつフットワークを軽くして行動したい。できなかったときの悔いある生きかたは自分の価値を下げるからだ。みなも常に上昇志向をもって、残された日々を過ごそうではないか。残りの人生の初日の夜が明けたとき、悔いなき生きることの始まりを告げるのだ。
第19回は原昂之が担当します。
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