(6)芥川にはかなわなくても
7月24日を涙ぐんで迎えた人は、一体どれほどいるだろうか。その日わたしは部活動の用事を済ませたあと、神保町駅から都営三田線に乗り巣鴨に向かった。1カ月前にあった桜桃忌のお祭り騒ぎとは正反対に、巣鴨は何事もないかのように静かだった。染井霊園を抜け慈眼寺に行く途中で、通りがかった老人に初めて声を掛けられた。「龍之介か?」その老人の言う龍之介とは、もちろん小説家・芥川龍之介のことだ。7月24日は彼が35年の生涯を閉じた命日、河童忌である。
生前愛用していた座布団と同じ大きさというお墓には、葉が覆い茂っていた。せめて死んだ後くらいはゆっくりしてほしいと思うだけに、木陰にたたずむ様子には安心感を覚えた。早速花を供える。朝降っていた雨も止み昼からのうだるような暑さのせいで、手を合わせ目を閉じると、こめかみをつたう自分の汗と蝉の鳴き声で頭がいっぱいになる。それでも根気良く目を閉じ目の前にいる芥川に話かけると、汗も鳴き声も一瞬ふっと消えた。錯覚かもしれない。けれどわたしにとってあの瞬間彼と確かに言葉を交わした。うれしくて少し泣きたくなった。
わたしには、彼の名文を引用して人生論を説く度胸はない。ましてや社会を批判したい訳でもない。けれど誰ともなしに「聞いてほしいこと」がある。
その日お墓の前で偶然出会った人たちで芥川の魅力を言い合った。書き手がいなくなり80年以上たっても人の心をつかむのは彼がつむいだ言葉の力だ。考えてみてほしい。元は形のなかった誰かの思想が、言葉に姿を変えることで何十年も後に生きるわたしたちを動かすのだ。そこにはとてつもないパワーがあるように思う。また享年35歳という年齢を見て、果たしてそれまでに芥川ほど考えられる人間になるのだろうかと自分を振り返った。21歳のわたしが彼の年齢に追い付くまであと14年。毎日をなんとなく過ごしていては、到底及ばないだろう。けれどたとえ無理でも、せめて一つ一つの出来事を素通りしない人になろうと思った。高校生のころ国語便覧で河童忌という名前を見たとき、こんな感動はなかった。それらはすべて、その日お墓の前で不思議な一瞬があったからこそ感じたことではないか思う。
肌で触れる、というのは人に大きな感動を与える。普段体育会の取材をしていても感じることで、いくら劇的な展開でもスコアしか知らない試合は思い出すのに時間がかかる。けれど自分の足で会場に行った試合は、スコア云々よりもカメラのレンズ越しに見た選手の姿が次々に思い出されるのだ。思い出す一つ一つの映像は取材したその日だけでなく、何度でもわたしを感動させる。そして肌で触れた感動があるからこそ「誰かに言いたい。伝えたい」という思いも沸いてくるのではないか。そして本当に「伝えたい」と思いこそ誰かの心に届く記事になると思う。肌で感じた感動が言葉にさらなる力をつける。
芥川のように長い年月を超越するパワーと美しさを持った文章は書けない。辞書のように分かりやすく事実を説明することもできないだろう。実際に目にした感動には及ばないかもしれない。けれどもわたしは記事や言葉を信じたい。自分が肌で触れた感動は「学生新聞の記者」という小さなプライドを持って、がむしゃらに誰かに届けたいと思う。
第7回は鈴木美穂が担当します。
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