(3)デジタルかアナログか!?つながりをもつタイミングなら今だ!

1999.01.01
(3)デジタルかアナログか!?つながりをもつタイミングなら今だ!
 第3回の担当は中田浩貴です。

 テレビの地デジ完全移行まで残り2年を切った。テレビやカメラをはじめ、さまざまなものがデジタル化され、記号化が進む現代社会。その代名詞的存在ともいえるインターネットはわたしたちの生活に便利さ、快適さをもたらしたことはいうまでもない。しかし常に情報のシャワーを浴びせ続けられ、ついに無限に降ってくる情報を処理しきれなくなったわたしたち自身が、それに適応する形でデジタル化してしまった。

 それは人間関係におけるデジタル化ともいえる。コミュニケーションツールの進化に伴いわたしたちは、直接言わなくてもわかるようなことがわからなくなり、逆に言わなきゃわからないことに以心伝心を求めるようなことが増えた。そうしたコミュニケーションの齟齬(そご)が積み重なったとき、何が起こるのか。たびたび報じられる自殺サイト、出会い系サイトをめぐるトラブルや、身勝手な理由で人を殺す者が現れるというのは極端な例だとしても、モンスター化した保護者、患者、消費者などは私たちに身近で、それが明日のわが身でないことを誰もが保障しえない。

 地デジ化に伴う対応テレビの買い替え普及が進む一方で、地上に生きるわたしたちは心の入れ替え、再アナログ化を目指さなければならないだろう。確かにオンラインでのやりとりやメールは時間や距離、直接的な相手の反応を気にせずに済み、便利だ。しかしその状態に慣れ、相手を思いやることができなくなったのならそれは「親しき仲にも礼儀あり」とは程遠い、都合のいい友達ごっこでしかない。わたしたちが本能的に欲しているものは、そうした不確かでもろい慣れ合い、付き合いではなく、人間味のある確かで温かいつながり、心のやりとりであるはずだ。そのつながりは多少のいさかいで切れることはないし、あるいは距離や時間によって絶たれるようなものでもない。

 出会い頭にコミュニケーションは始まっている。つながりをもつということは、常にある種の緊張感を伴う。ゆえに出会いを堅固なつながりに変えていくには、ほんの少しの知恵と勇気が要る。つながることを後押しするイベントがめじろ押しな時節柄、あの人にお近づきになりたいと思うなら、まさにそのタイミングなら今だ!

 頭ではわかっていても、現実に人とつながりをもつ過程を恐れるわたし。誰だってきっと、人間そんなものだと分かったような言い訳をするわたし。そして携帯を家に忘れでもしたら、すぐに不安になる浅はかなわたし自身への戒めとして――。この画面上に並べられた、0と1の組み合わせで映し出された記号の、意味ありげながら本質は無機的であることに後ろめたさを感じながら。

[中田浩貴]

第4回は奥野恭輔が担当します。