
(3)自分の手で王座奪還を ~佐藤貴憲~
一世一代の一目惚れ
それは、佐藤にとって、一世一代の「一目惚れ」だった。
「ガラ悪くて、やんちゃで、恐そうで……。でもそれでいて強くて、かっこよかった明治のジャンプ隊が今でも忘れられない」。
4年前、ジャンプ王国として大学界に君臨していた明治は、当時高校生の佐藤にとって絶対的な英雄だった。米沢工高在学中に数々の大会で表彰台に上ってきた佐藤は当然、各大学から誘いを受けたが、彼の気持ちはもう決まっていた。
「一番強い明治で、今度は自分が看板を背負うんだ!」。
大久保前監督が佐藤の美しいジャンプに一目惚れしたことも縁となり、相思相愛で明治の門を叩いた。
辞めたい日々の連続
だが入学後、待ち受けていたのは想像を絶するほどの、つらい合宿所生活だった。
伝統ある明大スキー部において、食事作りや電話番などは1年生の仕事。多くの雑務に追われ、また厳しい規律の数々に悩まさた。
「ジャンプの練習以外のことばかりに時間をとられて……。自分はジャンプがしたくて明治に来たのに、一体、何をしてるんだろうって……」。
ストレスから練習さえできなくなり、辞めたいと思う日々が続いた。
明治、王座陥落の日
そして迎えた1年次のインカレ。団体メンバーに選出された佐藤に、最大の試練が襲い掛かる。
試合の勝敗を分ける、運命の2本目。「しまった――」。それは76.0㍍に沈む、失敗ジャンプ。
遠藤ら残りの二人の失速もあり、明治は日大に敗北。王座陥落の歴史的な日となった。
屈辱のメンバー漏れ
そして、惜念の情にかられる佐藤をさらに追い詰めたのが2年、3年次の「メンバー漏れ」だった。雪辱を果たすどころか、団体のメンバーにすら入れない。そんな自分に、憤りを覚えた。
「特につらかったのが、3年の時のメンバー落ち。3年になってチームの仕事も減って、競技に一番集中できた年だったから……。メンバー落ちしたときは、
本当に死にたいと思った」。
だが佐藤は、目を赤く腫(は)らしながらも、ジャンプ台の下から団体メンバーに決死に声援を送った。それは勇敢であり、痛々しくもある姿ーー。だがチームのために身をていして奮起する佐藤には、心動かされるジャンパーとしての誇りがあった。
この手で、王座復活を
そして月日は流れ、佐藤はそのまま最後の年を迎えようとしている。だが、「このままでは終われない」。
ジャンパーとして最終節を迎える今年、あの日の重責を果たすことなく佐藤の競技人生に幕を下ろすことはできないのだ。
「王座奪還」。
一度消えた伝統を、自分のこの手で――。
佐藤はこの冬、人生最大の山場を越す。
◆佐藤貴憲 さとうたかのり 営4 米沢工高出174cm・58kg
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