
試合後インタビュー 井上晴陽主将/第69回全日本学生選手権
昨年12月1日、大学王者を決める全日本学生選手権(府立)が開催。井上晴陽主将(法4=三井)率いる〝井上メイジ〟は大会連覇を果たし、創部70周年の節目の年に6年ぶりとなるグランドスラム(学生団体4大会を全て制覇)を達成した。今回は大会終了後に行われた井上主将のインタビューをお届けする。
1月23日発行の明大スポーツ第544号の終面に掲載された記事と併せてご覧ください。
――優勝を達成した今の気持ちはいかがですか。
「明治だけじゃなくて、全国的に明治がグランドスラムを達成するっていう目標を掲げているのが広がっていて、グランドスラム達成するって僕が勝手に言い出したことで。それを後輩たちがその目標の1つに向かって頑張ってくれたのが徐々に広がって、最後こうやって後輩たち、チームのみんなが、マネージャーさんも含めて、同期も、チームのみんなが頑張ってくれた結果なので素直にうれしいですね」
――昨年度の府立優勝の祝勝会の時から『今年度はグランドスラムを達成します』と話し、有言実行した形となりました。
「さっきみんなの前で言ったんですけど、それこそ僕がこうやってグランドスラムという目標を勝手に立てて、中には『グランドスラム達成しないと』というか、そういうプレッシャーだったりとか、変なプレッシャーをかけちゃったりとか。しんどいなって思わせちゃったこともあるかもしれないですけど、それでも後輩たちは文句とかは言わずに『グランドスラム達成絶対しよう』という目標に向かって頑張ってくれて。(明スポが投稿した府立)試合前インタビューも読ませていただいて、いろんな後輩たちが『4年生に花持たせる』と言ってくれて、 なんかもう、ほんま最後のチームやったなと思います」
――今大会は東日本大学選手権同様、大将をはじめとしたいろんな場面で起用されましたが、監督から話はありましたか。
「いや、特に話されたことはないんですけど。準決勝に先鋒で出て負けて、決勝戦で先鋒と発表があった時は、別に監督と直接は話してないですけど、監督からもう1回チャンスもらえたのかなって、僕は勝手に受け取って。関根監督は僕が1年生の時から監督になって、4年間ずっと見ていただいた監督。なんとしても恩返ししようと思ってましたし、 こうやって監督から直接与えられたチャンスをモノにしようと思っていたので、決勝戦先鋒で出て絶対勝ってチームに勢いづけようと思っていました」
――準決勝はチームとしては勝ちましたが、自身は負けて悔しい表情をしていたように見受けられました。
「一番最初に出て負けて、嫌な流れをつくってしまったかなと思ったんですけど、後ろを6人残ってる奴らが全力で戦ってチームを勝ちにしてくれましたし、試合終わった後に土屋兄弟(賢生・文3=関西福祉科学大、泰生・文1=関西福祉科学大)が『負け引きずらんとってください。切り替えて。絶対大丈夫やから。さっきの負け引きずらんとってください』って声を掛けてくれたりとか、そういう言葉に僕は支えられました」
――決勝は準決勝と同じように蹴りで先に一本を取られましたが、そこから二本を取り返しました。
「準決勝の時に先一本取られて、その次(決勝)もめちゃくちゃ焦ってたんですけど、監督だったりコーチだったり、一本取られた後は『焦らずにもう1回ゆっくり戦えば絶対勝てるから』というのをあの試合は言われていたので、一本取られても焦らずもう1回冷静になって。ここ(練習スペース)からアリーナに行くときに、準決勝で負けた悔しさもあったりとか、最後なんで絶対勝って終わりたいという気持ちとかいろいろあって、自分の中で熱くなっちゃいそうやったんで『心は熱く、頭冷静に』って自分に言い聞かせながら行って。そういう時こそもう1回切り替えて、もう一本取られなければ負けじゃないんで、絶対二本取り返して、自分が勝ってチームに勢い付けようって切り替えができたのがすごいよかったかなと思います」
――決勝は土屋賢選手の勝利で優勝を確定させました。決まった瞬間はどのような気持ちでしたか。
「賢生は1個下でプライベートとかもうずっと一緒いるんで。長い付き合いの後輩だと僕は思っていて。去年の府立の決勝で(土屋賢は今回と)同じ相手に負けて。春の選抜の時の決勝も同じ相手と引き分けやったんで、僕は賢生の試合見ながら『お前で決めてこい』って思ってて。そうやって一番長い付き合いの後輩が決めてくれたのはすごいうれしかったですね」
――4年生は最終的に森川征那(文4=三井)選手と越智通友(営4=明大中野)選手の3人でここまで来ました。2人に対してはどのような気持ちがありますか。
「個性的で。自分も含めてですよ。個性含めてなかなかこう、 4年生が仲良くワイワイっていうのは難しかったかもしれないですけど。こうやって最初は何人かいた一般生もだんだん辞めていく中で、越智も最後まで続けてくれて、ここまで強くなってくれて。一般生なのに他の大学のスポーツ推薦に勝つぐらい成長してくれたのは、僕はびっくりしてますし。森川は小さい時から一緒で、見てて安心感あったんで、本当もうありがとうですね」
――関根晋一監督に対する思いを聞かせてください。
「前日に僕がブログ書かせていただいて、監督と電話してる時に、監督が電話越しに泣いていて。『お前、俺を泣かせにきたな』と。僕は全然泣かせるつもりなかったんですけど、昨日の電話では、本当4年間ありがとうございましたっていう(話をした)。『残り1日ですけど、絶対僕は関根監督胴上げするんで、ラスト1日よろしくお願いします』っていうふうに伝えていて。こうやって僕のことを使ってくれたのは感謝というか、本当うれしいですし、4年間見てくださりました」
「正直、僕も関根監督に対して、僕の中で思いが違ったりする時もあったんですけど、監督は常に選手に寄り添ってくれて、選手ファーストというか、考えてくれて。監督は人としても尊敬してますし、ありがたいなと思いますし、優勝してアリーナの真ん中で監督を胴上げできて本当によかったなと思います。監督とはこの大学4年間だけの関係じゃなくて、僕が社会人に出ても、大学卒業しても、これからも関係を、僕が保つって言ったらなんか僕が上からみたいに聞こえちゃうかもしれないですけど(笑)。僕は監督と関係は切りたくないので。大学の内の関係は一旦これで終わりになっちゃうかもしれないですけど、これからは社会人同士としてまたお付き合いさせていただけたらなと思います」
――優勝後の校歌斉唱では最初は笑顔でしたが、その後涙を流していました。どのような感情の変化がありましたか。
「試合前、僕、円陣組む時に泣きそうやって。それこそ土屋兄弟とかが涙目やったし、『ありがとう』って『絶対勝とう』って言ってくれて。もう泣きかけたんですけど、試合前やったんで『泣いたらあかん』と思ってそこはなんとかこらえて。 僕はチームに『笑って終わろう』って言ってたので、僕が泣いたらあかんなと思ってましたし。試合決まった瞬間に僕泣くかなと思ったんですけど、意外とうれしいが勝って、涙が出なくて。校歌を歌っている途中までみんなにガッツポーズしたりとか、手振ったりしてすごい笑顔だったんですけど。校歌を歌いながら観客席をばーっと見てる時に、お母さんが目に入って」
「なんかこう、今までのこと。本当、産んでくれて育ててくれて。もちろん僕が実家いる時に何回もけんかしましたし、それこそ拳法のことでけんかになったりとか。少年時代、なかなか結果出ない時に怒られて『怒るぐらいったらお前がやってみろよ』と思ったりとか、そういうこともあったし、反抗期もあったんで。そういう時に口きかなかった時期もありましたし、18歳で上京して、高校卒業したらただのクソガキが上京して。 僕、実家で料理したことなかったんで、いろいろお母さんには連絡とって助けてもらうこと多かったんです。今でも米とか仕送りしてもらって、4年間、4年間だけじゃないですけど、今までの人生ずっとそばにいて支えてくれてたりとか、いろんなものがお母さんも(客席に)いた時に込み上げてきて。そこで全然泣く予定とかもなかったんですけど、お母さんが目に入った瞬間にぶわーって泣いてしまって」
「その後監督とありがとうございましたっていう抱擁をしてもらってる時に、その時もすごく泣きましたし。後輩にありがとうって言ってる時もすごく泣いてしまって。そこからもう泣き止んで、結局、直接親にはありがとうって伝えられてないので。泣いた原因というか、泣いたのはお母さんが目に映ったってのがありますし、直接ありがとう伝えられてないので。また落ち着いたら、ありがとうというのを伝えたいと思いますし、僕は一旦これで現役からは退こうと。現役ではなくなるので『約20年間好きに拳法をさせてくれてありがとう』というのは、絶対お母さん、お父さんにも伝えたいなと思います」
――最後に拳法人生の総括をお願いします。
「試合前インタビューをしてもらった時も言いましたけど、なかなか常にいい時期がなかったりとか。少年拳法を見た時は、小さい時はめっちゃ勝っていて『余裕やな』と思っていたんすけど、だんだん学年が上がっていって、中学、高校と勝つのが難しくなってきて。高校の時なんか、僕が高3の時はコロナでなかったんですけど、高2の時に全国で準優勝しただけで、それだけで。大学入っても個人では結局日本一になれなかったので。お母さんに小さい時から『絶対日本一なる、個人で日本一になる』というのは言っていたんですけど、それにはなれなかった悔しさもあります」
「けど、約20年間拳法をやってきて、小学生の頃から憧れてる先輩が明治で、このエディオンアリーナ大阪で府立連覇している姿を見て、僕は小学生の時から『明治に行きたい』って言っていて。実際明治に行くことができて、キャプテンができて、府立優勝できたんで、本当に波乱万丈な拳法人生だったなと思いますし、拳法人生20年間も明治で過ごした4年間もそうですけど、本当に濃かったですし、すごく長いようで短かったですし。すごいやりきったな、今は。後から『またやりたいな』ってなるかもしれないですけど、今はもうやりきったな、よかったなっていうふうに思います」
――ありがとうございました。
[聞き手:北原慶也]
◆井上 晴陽(いのうえ・たいよう)法4、三井高。170センチ、71キロ
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