4年生ラストインタビュー(8) 茶木優汰

第8回はFW茶木優汰(政経4=北海道清水)のインタビューをお送りします。

(この取材は1月17日に行われたものです)

――4年生の1年間を振り返っていかがですか。
「春優勝までは明治のいつも通りだと思ったんですけど、秋に選手が抜けてからちょっといろいろチームの形をつくるのが難しかったと思います」

――4年生でミーティングを行う機会はありましたか。
「セットごとでミーティングをしたり、1回みんな集まってミーティングしたりはしました。(どのようなことを話しましたか)その日の試合のことについてや、前日を振り返ったりしていました。インカレ中は特に馬場(DF杏爾・政経4=駒大苫小牧)のセットは試合前1時間ぐらいミーティングをしていました」

――同期との思い出はありますか。
「8人全員個性が強かったと思うんですけど、悪い面もいい面も一緒に行動していたので、結構楽しい4年間でした。行動が3階と2階で分かれていること多くて、2階はよくご飯に行ったり飲みに行ったりしていて、自分は3階だったんですけど、同期みんなで飲みに行ったりする時も結構楽しかったです」

――FW大竹広記主将(文4=白樺学園)を主将としてどのようご覧になっていましたか。
 「最初は少し不安だったんですけど、毎日陸トレの時とかも大竹が結構みんなをまとめたりしていて、最後の方には結構頼りになるなって思っていました。(最初は不安だったという部分は)寮でも私生活でもずっとおちゃらけている人なので、最初に主将になった時はびっくりしました」

――中村直樹監督の指導については印象的なことはありますか。
 「自分が入学する前の年から監督に就任されたんですけど、自分が1年目か2年目、コロナから結構いろいろなことがあったと思います。その中でもセットを決めたり、チームのこと考えたりしてくれて。インカレは優勝できなかったんですけど、いい監督だと思います。(中村監督はシーズン最後の取材で自分を『鬼』だと表現していましたが、茶木選手はいかがですか)鬼ではない感じですが、鬼の部分もあった気がします(笑)」

――4年間で一番思い出に残っている試合はありますか。
 「自分は全然試合に出てなかったんですけど、1年目の試合で大学のレベルの高さを知ったというか。たぶん1年目の春ってことにしてください」

――4年間モチベーションをどのように管理されていましたか。
 「高校までずっと1セット目で出ていて、初めてベンチというか、試合に出てないっていうのを味わいました。最初の方はずっとメンタルにきていたんですけど、同期だったりが、そういうのをあまり気にしていなくて。触れてこないので、そういう部分でちょっと気は楽でした。あまり引きずることはなかったです」

――4年間でご自身が成長できたところは何かございますか。
 「料理とかでもいいんですか。ちょっとホッケー面は特にないので(笑)。自炊する機会が多くなったので、料理はなかなかうまくできるようになりました。シーズン中は夕飯だけ出るんですけど、今とかシーズン外は夕飯が出なくて。食材とかは別にこだわらないですけど、食べたいものがあったら調べて作るみたいな形で少し上手になりました」

――今後はアイスホッケーとどのように関わっていきますか。
 「続ける予定はないんですけど、就職先が新潟なので、新潟の国スポにもし呼ばれたら 出るつもりです」

――これまでの競技生活を振り返っていかがですか。
 「これまで16年本気やっていたんですけど、礼儀だったり、チームスポーツなので協調性だったりと学ぶことが増えて、大学で上下関係なども厳しかったので、そこで社会に出たら使うだろうなという力を身につけることできて、ためになったホッケー生活と4年間でした」

――もしご家族ができたらアイスホッケーをさせますか。
「親を見ていたらわかるんですけど、幼少期は朝も夜も送り迎えだったり、道具も結構高いので、やらせたくないかな。負担に感じちゃうのと、自分が経験した中で結構きつい部分が多かったので」

――来年の後輩たちに期待することを教えてください。
 「最後、今年は優勝できなかったんですけど、来年はメンツもメンツで3冠取れると思うので頑張ってほしいです」

――ありがとうございました。

[杉田凜]