
4年生ラストインタビュー(2) 成瀬翼
第2回は成瀬翼(商4=埼玉栄)のインタビューをお送りします。
(この取材は1月11日にオンラインにて行われたものです)
——日本学生氷上競技選手権(インカレ)を終えて2週間ほど経過しましたが、率直な気持ちはいかがですか。
「最後優勝したかったですが、でもやり切ったなという感じです。僕の同期も今年のチーム自体もすごく仲が良かったので、メンバーが全員揃わなかったのは残念ですが、最後みんな全員力を合わせて頑張れました。悔いなしで終われたというのが率直な感想です」
——インカレでベストディフェンスを受賞されたことについてはいかがですか。
「シンプルに負けたというのは本当に悔しいことだったのですが、最後ああいう全国大会で周りが中大の中で明治が1人だけ賞をいただけたというのは、すごく光栄なことですし、本当に今まで頑張ってきて良かったなと思います。秋リーグ(エイワ杯関東大学リーグ戦)は苦しくてプレーなどで色々悩む部分はあったのですが、最後ベストディフェンスという賞を獲得できて本当に良かったです」
——4年生としての1年間を振り返っていかがですか。
「僕たちの代は特別スター選手というか、高校の時にとんでもない活躍をした選手はあまりいないので、最上級生でやるとなった時に自分の中でも今年大会で優勝できるのかなと不安でした。その中で春最初取ることができて、最上級生で優勝するのが初めての経験だったので、すごくいい流れで始まったなと思いきや、誰かがケガしているとか、誰かが体調不良とかで、今年度通してフルメンバーでやった試合は一回もありませんでした。すごく上がり下がりがあったので精神的にきつかったです。秋リーグも結局2次リーグですごく負けてしまったり、インカレの前は調子が良かったのですが、(大会中に)体調不良が出てしまったりとか。最後の最後までついてないなという感じでしたけど、1年間通して誰かが欠けているからこそ全員でやらないといけないという意識になった年でした。やっていて大変でストレスも感じましたが、自分としてもチームとしても成長できたなと思います。あとは、後輩たちにもどのようにやったらいいのかというのを残せたのかなと思っています。非常に成長を感じる1年間でした」
——大竹広記主将(営4=白樺学園)のキャプテンとしての姿についてはどのようにご覧になっていましたか。
「広記がキャプテンだったのですが、それこそみんな一線というか。別にキャプテンだからとかいうのはなかったです。しかも広記は高校でキャプテンをやっておらず、3年生の時(セットは)3つ目とかで。白樺で名前が有名といったら、中大の夏野(晃輔)や法大の齊藤輝などでした。東京出身でめちゃくちゃ有名かと言われたらそんな感じではなかったのですが、キャプテンとしてプレーでも魅せてくれたし、大事な試合で点を取ってきてくれたりしました。ディフェンスとしてはありがたい選手で、背中で見せてくれるキャプテンだったのですごく感謝しています。でも、私生活はちょっとふざけ過ぎていたので(笑)。ふざけるなと言ったこともありますけど、すごく楽しくて面白いキャプテンだったなと思います。僕とか馬場(杏爾・政経4=駒大苫小牧)が高校でキャプテンだったので、どういう感じでやったらチームがうまくいくかとかが大体わかっているのもあったので、すごく支えがいのあるキャプテンでした」
——同期の方への思いはありますか。
「僕が一番感謝しているのは同期で。僕が入学した当時、同期は何人か知っている選手がいましたが、埼玉栄の高校の先輩がおらず大変でした。その時に声をかけてくれたり助けてくれたりしたのは同期だったので、すごくそこには感謝しています。すごくいい同期でした」
——4年間で一番思い出に残っている試合を教えてください。
「2年目の春優勝した時です。東洋大に勝って優勝した時なのですが、初めて東洋を倒した試合でした。1年目は全部負けたり、2年目も東洋大が勢揃いみたいな中で、個がチームになって初めて優勝を経験できました。別に得点をしたとかアシストしたとか個人的なものはありませんが、1対3で負けていたところからどんどん逆転してみたいな感じの試合で、一番思い出に残っています」
——4年間で一番辛かったことはなんですか。
「1年目とかはすごく上下関係が辛かったのですが、でも今年のチーム状況がすごく辛かったです。僕がディフェンスの最上級生でしっかり背中で見せていかなくちゃいけない中でチームが勝てず、秋リーグでドン底まで落ちたっていうのがあり、すごくメンタル的にきつかったです。僕自身、そういうのを表に見せるのも嫌だったので溜め込んでストレスを感じていました。精神的にも肉体的にもきつい1年間だったと思います。4年間で一番辛いって言ったら、今年度の秋リーグ以降です」
——4年間で成長できたところはなんですか。
「プレーの技術はもちろんですが、大学スポーツの中での人間性のあり方というのはすごく成長できたなと思っていて。高校まではみんなが規則というかルールがある中でやっているので、チームとかまとめるのは楽といえば楽なんですよ。でも、大学に入ると授業もそれぞれに時間があったりとか、個人個人の環境であったりとか生活のスタイルがある中で、どのようにチームをまとめたらいいのかとか、どのようにみんなと接したらいいのかとかというところが難しかったです。ルールはあると言えばありますが、しっかりとした中学高校の部活動のようなものがあるわけではない中で、どのような人間として存在するべきなのかというところで、人間性の成長になったのかなと思っています」
——ここまでのホッケー人生を振りかえるのと、今後のホッケーとの関わり方について教えてください。
「これまでのホッケー人生を通して、本当にいろいろな人に支えてもらいました。また、ホッケーを通して学んだことも多く、人間性としても、いちホッケー選手としてもすごく成長できた部分はあるので、アイスホッケーという競技にも今まで支えてくれた人たちも本当に感謝しています。僕は6歳からアイスホッケーやっていますが、最初は明治に入れる選手ではなかったし、小学校、中学校、高校とキャプテンはやりましたが特別めちゃくちゃ目立つような選手ではありませんでした。でも、プレーの面で周りに恵まれたホッケー人生で本当に良かったなと思います。今後としては、別にプロに行くわけではなく就職しますが、企業の中にアイスホッケー部があるので、そこで今までやっていた競技というわけではなく、仲良く楽しく運動みたいな。健康的に生活するために運動みたいな感じで、純粋に楽しむものとして趣味の延長みたいな感じでやっていけたらなと思っています」
——同じ部屋の後輩にメッセージはありますか。
「1年生は城野(友咲・政経1=駒大苫小牧)がいるのですが、普通は1年生と4年生で喋ることはあまりなくて。やはり高校でも被ってないのですごく大変なのですが、でもそこで大心(朝比奈・営2=埼玉栄)の存在が大きかったなと思います。埼玉栄でも部屋一緒だったので、すごく仲良かったのですが、3年生がいない中でも、大心が2年生で部屋の雰囲気明るくしてくれたり、部屋の中を取り持ってくれたりとかしたので、本当に感謝しています。アラーム鳴らしっぱなしの時があったりするので、めちゃくちゃムカつくこともありますけど(笑)。3年生がいないので、来年から部屋長になるんですよ。なれるのか?(笑)という感じではあるのですが、本当に頑張っていただいきたいです。そして、城野は本当にだらしない一択です(笑)。というか僕の部屋2人ともだらしなかったので、『遊びに行く前片付けてから行け』とか色々書いたルールの紙を作りました(笑)。部屋の掃除はしないし、食器洗っても全部ベタベタだしみたいな感じだったのですが、最後インカレの決勝で決めてくれたり、大事な試合で決めてくれたりとか、すごく頼もしい選手になってくれたなと思います。すごくユーモアがあって面白いやつで、あいつの面白さでこの部屋の明るさも保てていました。本当に仲のいい部屋で、4年生でしたが部屋に帰ってきても楽しい1年間を過ごせました。特に取り持ってくれた朝比奈選手にはすごく感謝しています」
——チームとして来年後輩に期待することを教えてください。
「ホッケーの面はすごく頼れる後輩たちですが、何せ私生活が本当にひどいので(笑)。私生活からしっかり見直して、個性を生かしつつチームとして戦って自分たちができなかった3冠をしっかり達成してもらえればなと思います。かわいい後輩たちなので、本当に期待しています」
——ありがとうございました。
[安田賢司]
関連記事
RELATED ENTRIES