
4年生ラストインタビュー⑦/尾谷浩希主将
今年度、関東学生春季1部リーグ戦(春リーグ)から苦戦が続き、入替戦も経験した明大ハンドボール部。それでも土壇場で踏ん張りを見せ1部残留を果たし、関東学生秋季1部リーグ戦(秋リーグ)では王者・中大を倒すなど、チーム力を示した。本企画では、ラストイヤーを終えた4年生たちの思いをお届けする。
最終回は尾谷浩希主将(法4=愛知)のインタビューをお送りします。
(この取材は12月4日に行われたものです)
――改めて、全日本学生選手権(インカレ)を振り返ってみていかがですか。
「うまくいかなかったことの方が多かったなと思います。ですが、後輩に助けてもらった部分が大きくて、後輩がこの悔しさを胸に引き継いでいってくれればと感じました。僕自身としてはふがいない部分も多かった1年で、インカレでそれを払拭しようと考えていたのですが、うまくいかなかったです。それでも付いてきてくれたことへの感謝が一番強いです」
――主将になった経緯を教えてください。
「最終的には立候補だったのですが、その前から学年の代表というかまとめ役みたいなのはやっていました。それで去年のインカレ終わった時に『キャプテン誰やる?』って(加藤良典)監督に言われて、『僕やります』みたいな感じで(伝えて決まりました)」
――その時と今では、想像していたものとギャップはありましたか。
「きついだろうなとは感じていたのですが、それ以上にうまくいかないことが多かったです。チームが良くなるための正解が明確に分からない中で試行錯誤してやっていて、想像以上にきつかった部分はありました」
――主将として過ごす上で参考にしていた方はいらっしゃいますか。
「参考にしていたのは昨年度の副キャプテンの根本光太郎さん(令6理工卒)です。チームをまとめるに当たって、自分を犠牲にして本当に厳しいことを言う部分を尊敬していました。自分がキャプテンをしていて困ったときにはその方に相談していました」
――入学された時のことは覚えていますか。
「入学したての明治は本当にすごい選手ばっかりで、全国で活躍した選手ばかりいたので、そういう中で一緒にプレーできる期待感が大きかったです」
――高校の時と見比べてみると、チームとしての姿は思っていたものでしたか。
「正直言うと結構緩めだなと(笑)。元々うまい人たちが集まったので、練習はちょっと緩かったかなと感じました。想定していたのは、めっちゃ厳しくやる感じだったので。そこが明治の良さでもあったりするんですけどね(笑)。ですが、キャプテンになってそういう緩い部分を変えたいという気持ちでやっていた部分はあります」
――実際そこの部分は変えられましたか。
「練習に対する向き合い方は、本当に年々良くなってきているなと感じるので、そういう部分ではいいものを残せたのかなとは思います」
――具体的にどのようなこと後輩やチームに言うのですか。
「〝提案〟ですね。『そこで手抜くのは違うだろ』みたいな。走る練習はあまりやっていませんでした。選手の不満が顕著に表れるんですよ(笑)。それでもしっかり走る練習は結構増やしてやっていました」
――入学時は新型コロナウイルス感染症(コロナ)流行の期間と重なっていたと思いますが、その期間を振り返っていかがですか。
「練習できない期間も続いていましたが、1年生の時は寮生活だったので1年生同士の仲はすごく深まったかなと感じます」
――高校3年時も被っていましたね。
「そうですね。感染者が出たらきっぱり練習は中止でした。そんなストレスの中ずっとやっていた感じでした」
――練習も大会も自由にできないことが多かったと思いますが、コロナ禍が明けてハンドボールをプレーすることに対する喜びは感じましたか。
「そうですね。僕らの代は高校3年時にインターハイとか(大会が)全部なかった代なので、ハンドボールをやれているのは、すごくありがたいことだなと感じました」
――ハンドボールを始めたきっかけや時期を教えてください。
「中学校の部活で始めました。それまで野球をやっていたので野球部に入ろうとしていたのですが、一緒に野球やっていた子がハンドボールを始めたのと、全国大会に出場して勝利することを目標にやっていた学校なので、とても活動が盛んでした。そういうところに魅力を感じて入部しました」
――野球をやっていた時の経験が生きていると思う部分はありますか。
「一緒に小学校で野球をやっていてハンドボールに誘ってくれた子は、小学校からハンドボールをやりたかったけど、肩を強くするために野球をやっていました。自分は(経験が)生きていたかは分かりません(笑)」
――野球ではどこのポジションを守っていましたか。
「いろいろしていました。ショートとかピッチャー、キャッチャーもやりました」
――成績はいかがでしたか。
「地区で優勝ぐらいです(笑)」
――野球は今でもご覧になりますか。
「めちゃめちゃ見ますよ。めちゃめちゃ中日ファンです(笑)。神宮球場にもよく行っていました」
――どれぐらいの頻度で野球観戦には行かれていたのですか。
「部活も多かったので頻繁ではないですけど、4カ月に1回ぐらいです。この間のプレミア12も行きました」
――推しの選手はいらっしゃいますか。
「村松開斗選手(令5情コミ卒・現中日ドラゴンズ)です。明治卒というのもあって応援しています」
――明大に進まれた経緯を教えてください。
「元々関東1部リーグは強豪校の猛者たちが集まっていたので、関東に行きたいという思いがすごく強かったです。その中でも明治大学は今も実業団で活躍されている憧れの選手が多い中で、この人たちの中に混ざってやってみたいという強い思いがあったので、明治にしました」
――明大で憧れの選手はいましたか。
「可児大輝選手(令5政経卒・現大同特殊鋼)は同じ愛知県出身で、明治ですごく活躍していたので、高校の時から見ていて憧れの選手でした」
――ハンドボールの魅力を教えてください。
「全身を使って、接触もあるけど取って投げてっていう瞬発力も必要で、そういう人間の能力を全部使ってやらなきゃいけないのは、一つ魅力じゃないかなと思います。あとはスピーディーな展開も魅力だと思います」
――大学の4年間で印象に残っている試合や大会はありますか。
「直近になりますが、(秋リーグで)中大に勝ったのは、すごく大きかったなと。あれだけ強い選手がいる相手に勝てたのは、すごい自信にもなりましたし、キャプテンとしてやってきて良かったなと感じた試合でしたね」
――当時、勝てた要因は何ですか。
「全部がうまくはまって、ディフェンスもオフェンスも良くて。みんなの気持ちも一段と一つにまとまっていたなと感じます」
――キャプテンとして意識していた部分もありましたか。
「立場的にも追い込まれていた部分もあったので、『もう楽しんでやるしかないでしょ』みたいな感じで、円陣の時に話しました」
――ラストイヤーかつ主将ということで、後がない場面での勝利は印象深かったのですね。
「そうですね。中央もインカレ優勝してくれたのでなおさら(笑)」
――その時はやはりチームメートと勝利を分かち合ったり、話したりされましたか。
「今までにないぐらい盛り上がったし、ちょっと羽目外して飲みにも行きました(笑)」
――盛り上がると、飲みに行くことが多いのですか。
「そうですね。多いですけど、負けても副キャプテンの隼斗(太田隼斗・営4=藤代紫水)とはよく飲み行って、『もっとこうするべきだ』みたいな話をしますね」
――結構お酒はお好きですか。
「別に強くないですが、そういう場や本音で語り合える雰囲気が好きです」
――ハンドボール部のチームメートと遊びに行かれたりはしましたか。
「バーベキューとかも行きましたけど、よくみんなで行くのはジムです。練習終わりに行ったり、授業前に行っていることもあります。すごく仲が良いなと感じます」
――大学4年間過ごしてきて、学んだことや成長したなと感じることはありますか。
「選手一人一人によってアプローチの仕方を変えたり、モチベーションを上げる方法をすごく学んだなと感じます」
――プレーや技術面で成長したと思うことはありますか。
「僕自身、元々センターしかやってこなかった人間なのですが、4年生になってエースポジションを、他のポジションもやらせてもらいました。バックプレイヤーとしての幅はすごく広がったし、みんながいろんな考えがあってやっているのを理解できたし、成長できたなと感じます」
――自分でやりたいと希望を出したのですか。
「いや、違います。(加藤監督から)『ここやってみて』みたいな感じで(言われました)」
――言われた時は『何でやらなければいけないんだろう』とか、嫌な気持ちはなかったですか。
「慣れないポジションだったので、うまくいかないことは当然出てきて、そこに対しての 不満や悩みはすごくありました」
――それでもいろんなポジションを経験したことが生きているのですね。
「そうですね。いろいろな視点でそのポジションの選手に対してアプローチもできるので。その選手の立場になって考えることもできたので、そういう面では良かったかなと思います」
――4年間の試合の中で、自分のベストなプレーや最高のパフォーマンスが出せたなと思う試合はありますか。
「うわ、難しい(笑)。春リーグ初戦の国士大戦は9得点ぐらい取って、新チームの大事な公式戦の初戦をうまく背中で引っ張れたかなと思います」
――今年は7メートルスローを任されることが多かったですね。
「2、3年生の時も時々任されていたのですが、結構外してしまうことが多かったです。今年になってからの7メートル(スロー)の確率はすごく良くて、やはりキャプテンとしてチームを引っ張っていかなきゃという精神的な思いがすごく強かったのかなと感じます」
――大学4年間でやり残したことはありますか。
「とても大きな後悔ではないのですが、後輩と話しやすい環境をつくるためにプライベートでも仲良くなり過ぎました。キャプテンとして厳しい言葉や練習でのメリハリっていう部分で、もうちょっと厳しい声かけも大事だったのかなと感じました」
――小さい時から積極的に自分からコミュニケーションを取るタイプだったのですか。
「小さい時はそんなことなかったです。すごく泣き虫な性格だったので、知らない環境とかにあまり行きたくないタイプでした。本当に部活での成長が大きいと思います」
――4年生の皆さんはどんな同期ですか。
「けんかとかもないし、本当に仲良くみんなでまとまっていた代かなと思います」
――みんな仲良く、けんかがあまり起きなかった理由は何だと思いますか。
「多分すごく優しい性格の子が多いのかなって。性格が丸い感じの子が多いと思います」
――後輩への思いを教えてください。
「いろんな個性があって、キャプテンをやっていてすごく面白かったです。その個性をハンドボールに生かしてくれれば、勝てる能力は間違いなくあると思うので、すごく期待しています」
――マネジャーさんへの思いを教えてください。
「感謝しかないです。選手がやりたがらない事務作業も毎日練習に来てやってくれたし、モチベーションビデオも作ってくれました。言い方が変かもしれませんが、自分が試合に出ていないのに、自分の親しい子が試合に出ているわけでもないのに、選手のサポートに精一杯力を注いでくれました。選手が協力的じゃないとか不満もあったと思うのに、いろいろやってくれてすごく感謝しています」
――ご家族をはじめ、応援してくださる人に対してどんな思いがありますか。
「感謝しかないですし、親は静かに見守ってくれているけど、すごく心配してくれていたのもすごく伝わってくるので本当は結果で恩返ししたかったです。そこが唯一心残りですが、大学の4年間だけでなくずっと支えてくれてすごく感謝しています。OBの方など多くの人も応援に来てくださったり、気にかけてくださる部分はキャプテンをやっていてすごく感じたので、 感謝の気持ちしかないです」
――改めて明大ハンドボール部はどんなチームですか。
「間違いなく全国優勝できる能力や素質はすごくあるチームだと思います。爆発力に期待したいです」
――進路としては、競技を続けられるのですか。
「続けません。東京で就職します」
――競技を続けないという決断に至った理由を教えてください。
「競技レベルが大学で手一杯だったのかなと感じるのもそうですけど、社会に出て活躍できる人間になりたい、影響力がある人間になりたいという思いがすごく大きかったので、就職の道を選びました」
――最後になりますが、改めてこの4年間を振り返ってみてどんな4年間でしたか。
「試合でも勝つことより負けることの方が多くて、挫折も感じる4年間だったのですが、今振り返るとそれが自分をすごく強くしてくれて、成長させてくれた4年間だったなと感じます」
――チームメート、マネジャーさん、先輩、応援してくださるご家族や皆さんにメッセージをお願いします。
「自分自身、ちゃらんぽらんでどうしようもないような人間だったと思いますが、気にかけてくださったり支えてくださったことが助けになってハンドボールを続けられたのかなと思うので、感謝しかないです。ありがとうございました」
――ありがとうございました。
[末吉祐貴]
◆尾谷 浩希(おたに・こうき)法4、愛知高。180センチ、76キロ。
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