
大会後インタビュー② 坂本莉来主務/全日本学生大会
第62代主務として部を支えてきた坂本莉来主務(法4=金光学園)。経験者でありながら、一般入部として大学での歩みを始めた。その4年間と、中でも充足感を覚えたという主務としての1年についてうかがった。
(このインタビューは11月6日に電話で行われたものです)
――明大少林寺拳法部へ入部を決めた理由を教えてください。
「自分は中学1年生から少林寺拳法を続けていました。高校2年生の時に県大会と中国地方大会で優勝して、初めて選抜された全国大会に出場できるはずだったのですが、コロナで中止になって。夢見た舞台で挑戦することすらできずに、不完全燃焼で終わったこともあって、今度は大学の強い環境で少林寺拳法をしたいと思いました。自分が高校2、3年生の頃、大学で特に強い強豪校といえば明治大学が自分の中では一番輝いていました。ライバルがいる環境で一緒に練習したり、歴代のすごい方たちと練習したいという考えで明治を選びました」
――コロナ禍での入部となりましたが、それによる苦労などはありましたか。
「特に1、2年生の時は緊急事態宣言などもあって、ある日の練習が急に中止になったり、前日に大会が中止になったりしました。例年に比べたら練習時間を確保できず、OB・OGの方も入校制限があって、教えに来ていただけませんでした。そのような規制の多い環境でやるという部分は大変だったなと思います。ただその短い練習時間、なおかつ教えてくれる人が少ない環境で、いかに効率よく上達していくかを考えることを大切にしていました。小さな目標を立てて、毎日それをコツコツ達成していって、その後大きな目標を達成するというやり方を学べたと思います。主務としての仕事のやり方や就職活動でも生きたような物事の達成の仕方は、その期間に学べて良かったなと思っています」
――少林寺拳法をやめたくなった経験はありますか。
「あります。1年生の時は、初めての全国大会へ向けたセレクションを部内でも通過して、 個人準優勝を達成できました。ですが2年生はケガの影響があったり、他学年のさらにすごいスポーツ推薦の拳士が来たりで、全日本学生大会(全日本)に出られませんでした。関東学生大会も2年生の時は予選敗退で、成績も振るわなくて。それでも一応頑張ってはいましたが、3年生の時、 立合評価法で脳振とうを何度か起こしてしまいました。ケガのしすぎで、自分自身ももう続けられないかなと思っていました。それでも当時の主将だった神嵜先輩(真季・令6政経卒=川越東)がすごく引き止めてくれて。『まだまだ頑張れる』ということをいろいろお話ししてもらった結果残れました。監督や先輩方の声掛けで自分は残れたなと思っています」
――坂本さんご自身が一般入部であったことで苦労したことなどはありますか。
「大学始めでも白帯緑帯とか茶帯の部とか、初段、2段、3段とかの部門が分かれているのですが、自分はスポーツ推薦の子たちと同じ3段を取って入学しました。なので大会に出る時、枠の関係で悔しい経験もしました。例えば『坂本は3段だから3段以上か、男女2段以上しか出られない。でもスポーツ推薦の子が出るから出させられない』とか。あとセレクションでスポーツ推薦の人と当たって出られないとか。長年(少林寺拳法を)経験して入ったからこそ、大会でも部内でもスポーツ推薦の人と戦うことは結構あって結果的に出られないとか、負けることが多かったので、そこは結構大変でしたね」
――この明治大学での4年間で、自分自身の演武の面で成長したと思うところはありますか。
「高校生の時はどちらかというと見栄え重視でした。〝えんぶ〟には演武と演舞で2つあると思いますが、当時は舞う方の視点に近く、見た目がどれだけきれいかを重視して技とかは考えずにやっていました。大学に入ってから監督を始めとする方々に実際の技をかけたらこうなるとか、相手を突いたり蹴ったりすることを想定したら、突きはこの位置に当たるとか。とにかく、実際にその技をかけたらどうなるかというリアルをとことん追求して4年間指導を受けて〝武〟の方を意識して自分自身も挑戦してきました。 結果としては1年生の時に2位で、今回は6位と落ちているように見えると思います。ですが1年時と比較しても、高校時と比較しても迫力や相手を想定している面、正確性、武道をしている感じは、この最後の演武にかけて一番変わったなと思います」
――そういった成長できたという面も踏まえて「明治大学でやってきて良かった」という思いはありますか。
「最後の演武が終わった瞬間に一番実感しました。うちの部は練習が厳しいので、退部者も正直なところ多いです。自分たちの代も7人入って、結果的に2人になりました。そういった環境の中でやり切って、まず『本当によくやったな』と(演武が)終わった後、少し自分を褒めて(笑)。あとは監督やコーチ、OB・OGの方とか、一緒に戦ってくれた現役生のみんなにも感謝しました。個人の結果自体は6位で、明大の中では高くはない順位なのですが、それはあの場にいた審判がその場で決めただけだ、と自分では思っています。自分の中では一番いい演武ができたので、もう何も悔いはないです」
――主務は仕事が多い役職だと思いますが、 1年間を振り返って大変だったことはありますか。
「自分は1年生の頃から先輩方がしている主務や会計の仕事を見てきて、自分だったらここをもっとこうしたいなと思っていました。例えばうちの部は年間行事予定がありませんでした。『今週合同練習します、日曜は空けておいてください』とか、結構行き当たりばったりの行動が多かったです。監督は『予定に追われるんじゃなくて、予定は追うもの』ということをよく話されているのでそれにならって、自分でもホームページを調べたり連盟に問い合わせたりして部の年間スケジュールを1年分作り上げました。3、4年生とその行事予定を逆算していって、いつからどの練習をすればいいとか、今年はどの部門があるかを聞いて『じゃあこの部門を出すために誰々は昇段させて、誰々はこの段のままでいこう』とか、予定を早めに立てて追うことによって、部の全体としての流れは本当に変わったなと思いますし、後輩たちからもよく言われます」
――その中でやりがいを感じられた部分や印象に残っている場面はありますか。
「業務面はマニュアルを変えたり、年間行事作成であったり、精算報告書も常日頃から作成するようにしていて、OB・OGの先輩方や現役生、監督やコーチ、事務室の方からもすごく感謝されるようになりました。事務室の方には『今年の体育会の主務の中で一番働いている』と言ってもらえました。そのような業務面を完璧にして、少林寺拳法部はそういった部活動以外でもしっかりやっている部活だと言ってもらえたことは、本当に一番やりがいがあったなと感じました。部活動としては、逆にこの1カ月で、全日本に向けての後輩指導が一番やりがいを感じました。今回は例年に比べて新人大会が少し遅かったので、全日本へ向けては1カ月しか練習期間がありませんでした。その上、後輩指導はあまり得意ではありません。他のスポーツ推薦の部員もいるので、いつもは出し惜しみしたりとか、 当たり障りのないことばかり言っていました。でも、最後は後輩たちに何か残したいなと思うようになって。自分の4年間を振り返った時に、選手として部内に名前残すことも大事ですが、指導して『誰々のおかげでこの選手が1位取れました』といった方でも名前を残したいと思うようになりました。 今回同じ単独演武に出場した阿蘓品(泰輝・商1=坂出第一)に対しても普段の自分だったら、後輩といえどもライバルになるので、聞かれても当たり障りないこととか、うまく教え切れないことも多かったです。ただ、彼はこれから3年間大学で続けていって、今後の明治を背負う人間だと思っています。ライバルとして見るのではなく本当に1人の後輩として、自分の後を継いでくれる後輩としても、伝えられることは、自分が勝てるか負けるか関係なしに教えられることは全部教えようと思えるようになりました。練習中に冗談で『これで3点高くなっちゃったな』とか『2点上がっちゃったよ』と言っていたら本当に本番もどんどん点数が高くなって、自分を上回る成績を残してくれました (笑)。そんな冗談めかした感じでは言いつつも、後輩たちが活躍できるようになって、1年生が多く入賞してくれた、直接教えた後輩が結果を残してくれたことは自分の中でも大きいと思います」
――明治大学少林寺拳法部の魅力はどのような部分にあると思いますか。
「明大少林寺には『負けない、逃げない、諦めない。自ら挑戦の精神を持って、前へ』という部訓があります。これは監督もよく言っているので、明治としては大事にしている部分と思います。あとは自分が大切にしていることでもあるのですが『勝っておごらず、負けて腐らず』という考え方ですね。一度の大会で一喜一憂して終わる、その時の結果で満足して流しちゃうことはよくあると思います。ですが明治の部員は一人一人が1回の大会に満足する、がくぜんとして終わることはあまりないと思います。絶対に次の大会へ目を向けています。さらに『自分たちが幹部になったら』ということも全学年がもう常に考えていて、よくその話を部員たちがしているのを実はぽろっと聞くこともありました。負けそうになっても、逃げそうになっても、諦めそうになっても、絶対にそういったところで諦めずに頑張って、常に前に進もうとしているという泥くささが、他大学にも負けない一番の魅力だと思います」
――今後、少林寺拳法はどのように続けていきますか。
「全日本が終わった後、大会当日に考えました。本当はもうここでやめようかなと思っていて、個人6位だったことは悔しいというよりも、満足のできる演武はできたので、完全燃焼はしていました。ですが『もっとおかわりしたいな』みたいな、まだまだもっと楽しみたいなという思いがありました。こんな楽しいことを終えるなんて、10年も続けてきてもったいないなと思って。組演武や三人掛け、団体も自分は出られなかったので、大学を卒業してからも自分が知らない楽しい部分をやりたいなと思いました。そして、自分も四段を取って、自分の中で軸を持った採点をして、学生を正当に評価できる審判になりたいなと考えています。今は少林寺に選手としても、指導者や審判としても関わっていきたいなと思っています」
――後輩の皆さんに伝えたいことはありますか。
「先ほどもお話しした自分の座右の銘でもあるのですが、後輩たちが今回の結果を踏まえた上で『勝っておごらず、 負けて腐らず』ということを本当に大事にしてほしいです。目先の結果にとらわれずに、今回良かった部員は満足してもらっても、ここは悔しいなと思ってくれてもいいのですが、今回で終わりではないので。まだまだあと1年、2年、3年続く部員もいるので、今回だけで自分の価値を決めるのではなく、自分自身の今後を考えて前に進んでいってもらいたいなと思っています」
――ありがとうございました。
[春田麻衣]
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