
(1)「できないことなんてない」――原亨
親を越えたい
卓球を始めたきっかけは両親の影響だった。遊びのつもりが試合で勝つようになり、地元のクラブに加入。そのまま自然と高校まで卓球を続けた。
しかし高校3年生の時、一つの選択を迫られた。卓球で大学に行くか、それとも就職か。「自分は高校まで卓球をやったら、そのあとは就職するんだろうな」。そう思っていた。それこそが自分の両親が歩んできた道だったからだ。だが、原が選んだのは「明治大学進学」だった。「親と同じ道を行きたくない。親を越えたかった」。両親は東京選手権年代別の部で優勝するなど輝かしい成績を持つ卓球選手。その両親を超えたいという思いが、彼に大学進学を決意させた。
「どうせやるなら、しっかりやりたい」と思い決めた大学が明治だった。しかしそこは強豪。同期には水野(営4)、小野(商4)、石崎(政経4)と、1年次から既にリーグ戦に出場し活躍する選手がいた。その中でレギュラーを取るのは至難の業。だが団体戦でなく個人戦なら、予選さえ勝ち抜けば出場できる。「他で勝てないかなあ」という気持ちが無意識でもどこかにあった。
3年次の転機
そんな中、大学3年次に出場した関東選手権大会が、彼にとって大きな転機となる。初戦、2戦目とフルセットの末勝利し、勝ち取ったランキング決定戦への切符。しかし、次の相手は全日本学生選手権2年連続覇者であり、もちろん今大会の優勝候補でもある下山(平20早大卒・現協和発酵)だった。「無理だろうな」。そう思いつつも、勝ちたい気持ちは確実に胸の中にあった。
「いつも通りにやろう」。そして始まった6回戦。会場中が驚きに包まれた。フルセットの末7回戦へと駒を進めたのは、リーグ戦の出場経験すらない原だったからだ。誰もが疑わなかったであろう下山の勝利。明治の監督さえそう思っていた。しかしその中で原だけは決して諦めていなかった。その気持ちが会場にいる全員の予想を覆す、まさかの全日本学生王者打倒へとつながったのだ。「できないことなんてない。この試合に勝ってから、それが分かった」。
最高の1年に
あの大会から学年も一つ上がり、今年が原にとって大学卓球最後の年。「両親を超えるのはなかなか難しい」と笑いながら語るが、目標は変わっていない。最高学年となった今年、「あとになって4年生のあの1年間が一番良かったって思えるように」。諦めなければ、できないことはない。それを自身の卓球で証明した男が挑む最後の1年、あのとき以上のサプライズを私たちに見せてくれるに違いない。
◆原亨 はらとおる 文4 小高工高出 164cm・60kg
<戦型>右・ペン・フォア裏、バック裏・ドライブ型
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