(25)「感謝」のプレーヤー・畑中理/日本学生選手権

 小柄な体格を生かした素早い動きで強豪・明治を支えてきた畑中理。彼のアイスホッケー人生を一言で表せば、支えてくれる家族への「感謝」に尽きる。

 北海道苫小牧に生まれた畑中のアイスホッケーとの付き合いは、小学2年生の意外なきっかけから始まった。当時スポーツ万能少年だった畑中が、特に気に入っていたのはサッカー。しかしクラスで配られたサッカー部への入部届をもらい逃し、“代わりに”兄・姉がプレーしていたアイスホッケー部へ入ることになった。

 本命ではなかったアイスホッケー。スポーツ万能とはいえ当然周囲より技術は劣ったが、始めてみてこのスポーツのおもしろさを感じた畑中はうまくなるため練習に励み、徐々に腕を上げていった。

 順調にアイスホッケー人生を歩む畑中。しかし高校の時、コーチと折り合いが合わず約1年間に渡って試合に出られなくなった。「もう辞めようか」と何度も考えたが、アイスホッケー強豪校・北海高へ進むため、札幌で一人暮らしまでさせてくれた両親に申し訳なく思い、踏みとどまった。そうしてアイスホッケーを続けた末に、見事大学アイスホッケー界の頂点・明大への推薦を獲得。しかし「(長らく試合に出られなかった時期があった自分に)あの明治で活躍できる実力があるのか」という不安、さらには両親の経済負担を思い、最初はためらったという。だが「やってみたらどうだ」という父の励ましの一言が畑中の背中を押した。

 結局本人の力不足への心配は杞憂に過ぎず、父に励まされ飛び込んだ明治で下級生のうちからFWの要として活躍。兄・姉も自立した中で「家族の支援に頼ってアイスホッケーをさせてもらっている」。そんな畑中は、遠く北海道から度々上京し応援してくれる家族に「勝つことが恩返し」と奮闘してきた。さらには「毎日のように練習に来て『憎まれ役』をしてくれている。自分にはとてもできない」(畑中)とチームスタッフ(特に藤井監督)に対しても感謝の気持ちを忘れない。

 来年1月のインカレで、畑中の4年間は幕を閉じる。明治にとって王座奪還が懸かる今年のインカレの舞台は、彼の地元・北海道苫小牧だ。故郷で、家族の前で日本一をつかむという最高の形での恩返しを目指し、正月返上で練習に励む。

◆畑中理 はたなかおさむ 政経4 北海高出 165㎝・65㎏

<明大アイスホッケー>

 今年も2008年1月6~9日にかけて北海道苫小牧で日本学生氷上競技選手権大会(インカレ)が開催される。本学は前大会で決勝戦まで駒を進めたものの、東洋大に完敗して6連覇の夢を絶たれ、また秋も3位と振るわずに幕を閉じた。昨年の秋を最後に、タイトルをつかめずにいる明治。最後の大会であるインカレで彼らの逆襲劇を見ることが果たして出来るのであろうか。

(1)歴史~インカレ篇~

 現在では四強の一角として名をはしている明大スケート部アイスホッケー部門。しかし彼らがインカレで初めて栄冠を手にしたのは、昭和16年の第17回青森大会だった。当時の決勝戦の相手は立大。その頃の立大はいわゆる強豪校で、インカレも3連覇を目指し、まさにノリに乗ったチームだった。対する本学も第16回大会の決勝戦で立大に惜しくも敗北し、リベンジに燃えていた。

 開始から明治の猛攻で3点を奪取し、立大は1点を返すのでやっとだった。しかし第2ピリオドになり、立大も2点追加し巻き返しをはかる。それでも明治は焦ることなく、さらに2点を返して2点差で第3ピリオドを迎えた。初優勝を目指す明治は気持ちを切らすこともなくさらに2点取り、ゲームセット。明大の記念すべき初優勝の瞬間だった。その後の18回大会でも明大は法大を6-1で下し優勝。明大の強さと「勝ちにこだわる姿勢」を証明したのだ。

 同じくリベンジに燃える今年、「伝統」という重圧がかかる環境は違えど、記念すべき80回大会で明大は王座奪還を果たせるのだろうか。

<インカレ特集前後のページ>

1.畑中理/歴史~インカレ篇~
2.寺島悠介/黄金世代の最終戦
3.梁取慎也/秋季個人成績
4.江端勇人/才能溢れる男達が演出した2冠物語は終わりなく続く

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