(1)山中唯

1999.01.01
 明大少林寺拳法部は一般部員のみで構成されています。しかし、他大の推薦者をもさしおいて、関東インカレ3部門最優秀賞(=優勝)、インカレ2部門優秀賞(=準優勝)と輝かしい戦跡を持っている部です。
 その中でも今年度、関東インカレで男女段外の部最優秀賞、インカレで男女初段の部優秀賞を獲得した山中(商2)にスポットを当てます。大学から初めて体育会へと進み、着実に成長を続ける彼女の道のりとは――

「何気ない動機から少林寺拳法部へ」

 今でこそ体育会の顔付きとなっている山中だが、高校時代の部活は簿記部と華道部。下校途中に体育会系の部員たちがランニングしている姿を見ても「自分には一生かかわりのない世界」と感じていた。しかし大学で運動をしたいと思っていた山中は、小学生の時に習っていた少林寺拳法に再び励むことにする。「結構ノリで入部しようとした。あの時は体育会とか全然気にしていなかったなぁ」。

 入部当初は練習量の多さについていけず、自分との戦いが続いた。部活動の合間をぬって、バイトに、教職の授業、資格の勉強と、さまざまなことに挑戦しようと考えていた山中だったが、両立することの厳しさにぶつかる。

 そんな日々の中で、限界が来る日もそう遅くはなかった。6月の強化練習で、皇居の周りをランニングしていた時だった。だんだんと体が動かなくなる。足が止まり、そのまま倒れこんだ山中は救急車で運ばれてしまった。重度の脱水症と熱中症。当時のことについて山中は「どこか甘い点があった」と振り返る。さまざまなことに挑戦したところで、一つ一つにかける力は分散してしまう。無理をしすぎたがための結果であった。

 これをきっかけに山中は少林寺拳法に集中しようと決意する。だが体調が回復してからは、自分の限界に近づくことが怖くなった。がむしゃらに練習に打ち込もうとしても、つい「無理だ」という気持ちが頭をよぎる。限界というラインを作ってはいけないと思いつつも、どこか前へ進めなくなってきたという。練習中、力が出し切れなくなり悔しい気持ちになる日もあった。

 その中で支えとなったのは先輩の存在だった。体調を崩している時でも、先輩たちは時間を作っては練習に励んでいた。厳しい稽古の合間に、苦しい顔一つ見せることも無く後輩たちへ笑顔を見せるその姿に、山中は感化された。「自分自身何で少林寺拳法をやっているのかなとよく思っていた。何度も辞めたいと思った。でも、いろいろな人に支えられたし中途半端にあきらめたくなかった」。

 少林寺拳法を通じ得た実績は、関東インカレで最優秀賞、インカレ優秀賞である。この二つの賞は、「自分の力だけでなく、周りに支えられたからこそ得られた結果であった」という。先輩、同期、OB・OGなど多くの人の力が、山中を後押ししたのだ。

 今の目標は「日本一になること」。本年度、実績を残した彼女は、まだ日本一の金メダルの輝きを知らない。しかし培ってきた今の姿勢さえあれば、その輝きを知ることはそう遠くないであろう。

「先輩から送られた宝物」

 山中が大会のたびに決まって着ている一枚のTシャツがある。それは、3つ上の先輩である清水(平18政経卒)からもらった大事なものだ。関東インカレで最優秀賞を獲得した山中。演武前の緊張していた彼女に勇気を与えたのが、このTシャツだった。「これがあると安心する」。

 また、山中には大切にしている帯がある。1年次に先輩から送られたものだ。「1年間頑張ったことが認められたみたいで、すごくうれしかった」。辞めそうになった時も、これを見ては「続けよう」と思えた。先輩の支えを強く感じられる大切な宝物だ。

◆山中唯 やまなかゆい 商2 江東商高出 156cm