(3) 津軽真裕
ウエイトリフティングを始めたきっかけは何でしたか?
「どうしても、インターハイとか出てみたくて。ほら、スラムダンクとかスポーツ漫画ってインターハイに出て感動の結末って展開あるでしょ?それを自分もやってみたかったんだよね(笑)。それでおれの高校は、ボクシングと馬術とウエイトがすごく強くて、その中のどれかに入ろうと思って」。
なぜその3種目の中、ウエイトを選んだのですか?
「最初はボクシングをやりたかったんだ。でも、1年のうちは走らされるだけだって聞いてしかも先輩にボコボコに殴られる。それはさすがにね(笑)。実は友達の親の同級生の弟がウエイトをやっていて、中学の時から強く勧められたんだ。周りにウエイト関連の人が多かったな。今思うと、いろんなところでつながっていて、結局おれはウエイトをやる運命だったんだなって思うよ」。
ウエイトにやりがいを見いだせるようになったのは?
「入部して最初の大会で県3位になったんだ。その1ヵ月後の試合では2位、そのまた1ヵ月後には優勝していた。本当に楽しかったよ、この県には自分より重い重量を挙げられる人はいないんだって思うとね。周りより挙げられることが快感だった」。
無敵の高校時代を過ごし大学に進学されたわけですが、数ある強豪校から明治を選んだ理由はありますか?
「合宿に行ったり、父親の母校だったりするから、最初は日大に入る予定だったけど、明治からも誘いが来て、農学部を勧められたら入りたくなって。私立の農学部で一番偏差値高いし」。
ウエイトといえば、寮生活なしでは語れません。特に1年生は当番があり、規則もかなり厳しいですが、寮生活を振り返ってみていかがですか?
「高校のときはあまり先輩がいなくて、目上の人に対する接し方とかわからなくて。ここは上下関係が厳しいから、1年のときは先輩からかなり嫌われていたよ(笑)。でも和解したら本当によくしてもらったよ。練習でもしごいてもらって。衝突してわかり合えたことがよかったなって思った。今となってはみんな良い思い出だよ」。
やはり規則から学ぶ点は多かったですか?
「もちろん。いつかは上下関係とか、学ぶ姿勢を学習しなくてはならないんだ。ここにはそれを学べる環境がある。前の代が楽にしようとしたけど、おれたちの代で元に戻した。後輩にはたくさん学んでほしいから、そう思うとやっぱり厳しくしないといけないんだよね」。
大学でやっていて一番うれしかったことは?
「兵庫国体の時に、高校時代の顧問が、修学旅行の引率の帰りにわざわざ大阪から駆けつけてくれたんだ。その顧問はおれが1年のときに新任の先生で、高校3年間は顧問と2人3脚でずっとやってたんだ。顧問はおれのことを一度も怒ったことがなくて、たくさん励ましてくれた。おれがウエイトでここまでになれたのは、もともと素質があるとかじゃなくて、顧問がいたからなのだなと思う。そしたらどうしても顧問に恩返しがしたくなってね。国体後にすぐ新しい靴を買ったんだ。あと大学で残る大会はインカレだけなのに(笑)。卒業後も続ける、とりあえず再来年までは頑張るよ」。
高校の顧問の話が出たところで、大学のコーチの話もお願いします。井上コーチの存在は?
「すごく大きいね。週2で練習をしていて国体に出場もしているから、それも現役続投に大きく影響した。コーチとはこれからもちょくちょく合宿所に来てOBとして補助コーチになって後輩を指導していきたいんだ。それでたまに練習させてもらってね」。
さて、たくさんのことを振り返っていただきましたが、ついにインカレが目前に迫ってきましたね。今の心境はいかがですか?
「やーもうすぐだね、ちょっと寂しいな。でも、試合のことを考えると、はっきりいってラッキーというくらいライバルがバラけてくれて本当に助かったよ。たくさん作戦は考えているけどね・・・。そう、最近寝る前に、頭で試合のデモンストレーションをして、表彰台の一番上で泣いているっていう想像を毎晩しているよ(笑)」。
では最後にインカレに向けて意気込みをよろしくお願いします!!
「今は不安でマジでびびってるけど、高校からの7年間でチャンスを得られたことに感謝してます。狙うは優勝!絶対に優勝するぞ!!」
名前 津軽 真裕 つがるまさひろ
166cm・93kg
出身校 宮城農高出
出身地 宮城県
生年月日 1984.8.2
血液型 A型
自己ベスト スナッチ 137kg ジャーク 170kg トータル307kg
趣味 マージャン
得意科目 化学
好きな芸能人・タレント ダウンタウン
尊敬する先輩 朝田先輩(平17商卒・警視庁) 杉内先輩(平18政経卒・(株)ニッポー)
ライバル 湊(商4)
オフのときにやること マージャン
ニックネーム まー 朝青龍 がる デブ
井上コーチに一言 今まで教えてもらったことを出し切ります!
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