
夢へと続く第一歩 パリの舞台で花開け/パリ五輪代表内定インタビュー
明大から、パリへ。3月17日から8日間にかけて行われた国際大会代表選手選考会(以下、選考会)で松山陸(令6商卒)がリレー代表として選出された。挫折を味わいながらも、佐野秀匡監督と二人三脚で競技に向き合い、夢見た五輪への切符を勝ち取った松山。その舞台裏について伺った。
(この取材は3月30日に行われました)
――五輪代表内定が決まったときのお気持ちはいかがでしたか。
「水泳を始めた時からの夢の舞台だったので、夢に向かってまた1歩近づけたのだと思ってすごくうれしかったです」
――決まった時、佐野監督はどのような反応をされていましたか。
「やはり佐野監督の下で二人三脚でやっていて、オリンピックに行きたいというすごく強い気持ちもありましたし、もちろん派遣(標準記録)に届かなかったのでまだまだ足りなかった部分は多いのですが、一生懸命考えて工夫してきたので 『陸、やったな』みたいなふうにすごく喜んでもらえました。僕も監督のことが大好きなので、監督がすごく喜んでいるのを見て、また一段と五輪に選ばれてうれしい気持ちになりました」
――レース前の雰囲気はどのような感じでしたか。
「予選は100パーセントの力じゃなくて、すごく楽な気持ちで臨めました。けれど、準決勝になって少しずつ決勝の雰囲気に近づいてった時に少し緊張してしまいました。監督には言ってないんですけど、少し監督がいつもよりそわそわしてる感じで、緊張しているのかなと思うと、なんか僕も少し不安になってしまいました。監督のことを信頼するあまり、感情までミラーリングするような感じになってしまって。それで準決勝では思うようなレースができなかったんですけど、決勝の朝プールに行った時に、監督もすごく覚悟が決まってるような感じで話しかけてもらって『昨日とは違うな』と感じました。監督が重視している、“楽しむ水泳”をレースで体験できたのかなと思います」
――100メートル背泳ぎ優勝した時のお気持ちはいかがでしたか。
「前半の50メートルはすごく完璧にレースが運べました。準決勝の失敗も生かして自分が思い描いてるようにレースを運べたんですけど、入江陵介さん(イトマン東進)たちと五輪の代表権を争うとなると後半にちょっと力みが生じてしまいました。若干空回りしてしまったので、やはりまだそこが心が幼い部分が出てしまったのかなっていうふうに思っています。タッチしてタイムを見ても、派遣標準タイムから0.5秒と大きく遅れてしまったので、優勝できてうれしいけれど、目標のタイムに届かなかったのですごく悔しい気持ちが大きかったです」
――憧れの選手を越えて夢の舞台へ行かれますが、そのことについてはどう感じていますか。
「入江さんは今ライバルでありながらも、小学校の頃に入江さんの本で読書感想文書いたりするぐらいすごく大ファンで、本当に大好きな選手です。五輪の代表権を競っている中で、入江さんと同じ代表に入れたことはないので、一番の目標は一緒に代表に入っていろいろなことを教えてもらうということをパリ五輪で経験したいと強く思っていました。自分は大学2年、3年生と足踏みをしてしまって、水泳から逃げてしまっていたので、それがなかったら同じ代表に入れていたのかもしれないと思います。少し過去の自分に後悔する部分が強いのかなと思いました」
――大学4年間を振り返ってみていかがでしたか。
「大学1年生で日本学生選手権(インカレ)2冠させていただいて、スーパールーキー、入江さんの後継者じゃないかと一目置いてもらえていたんですけど、なかなか大学2年、3年生と苦しい時期が続いてしまいました。本来楽しいはずの水泳から逃げてしまうようになり、練習しなければ記録も伸びるわけがないので、記録が伸びず苦しんで、苦しい時期に監督からお声を掛けていただいて、拠点を変更して大学3年生の10月頃から佐野監督の下でお世話になるようになりました。卒業後も水泳を続けるのかというふうに考えないといけない時に、(今後を決める)めどとなる大会がありました。やはり人生をかけたレースとなると、水泳が楽しめないレースになってしまって、思うような結果が出ず、水泳を一度辞めると監督にも伝えました。そこでも監督がうまいこと僕をのせて説得していただいて、こうやって水泳を続けてきて。そこから少しずつ少しずつ大学1年生の僕のタイムに戻ってきて、(4年次の)4月に久々に大学1年生のベストタイムを更新して、そこから徐々にまたベスト、ベストというふうに記録が上がってきました。やはり記録が出るのが一番楽しいことなので。頑張っていると周りの人が協力してくれるので、他大学に武者修行に行かせていただいたり、トップ選手を育成しているコーチの下で指導を仰いだりしました。監督以外の指導者の下でも練習をやらせていただいて、入江さんともその時に一緒に練習をさせていただきました。その中で自分の泳ぎの改善だったり、何が足りないのか、練習に対しての姿勢や、取り組み方も学ぶと同時に、指導者によって指導は異なるので、泳ぎはここをこうした方が進むのかもしれないと、水泳に対してすごく貪欲になれました。周りの人が協力してくれてどんどんうまいようにいって、10月からの新シーズンは、全大会自己ベストを更新できているんですよ。選考会ももちろん自己ベストが出ましたし、どんな小さい大会でも全大会自己ベストが出ています。絶好調なのは、いろんな人の協力があって、支えがあってこそですし、五輪も決めれたんだなとすごく思います」
――パリで楽しみにしてるこはありますか。
「パリっておしゃれなイメージもありますし、高級そうなブランドが発祥だったりするじゃないですか。五輪を決めて、いろんな人からお祝いしてもらえるので、自分にもちょっといいご褒美買えたらいいなと思っています」
――ロス五輪でのメダル獲得を目標にされてますが、少なくとも次の4年後までは佐野監督と二人三脚でやっていかれますか。
「今、監督とも話しながら考えてるのは、元々監督も現役の時にアメリカに拠点を置いてる時期があったので、僕もアメリカに拠点を置きたいと思っています。パリ五輪終わってからもう1回監督とよく話さないといけないですが、2年間ぐらいアメリカに拠点を置いて、戻ってきて、ロス五輪メダル獲得を目標にして、また監督の指導を仰ぎたいなと考えています」
――オリンピックに向けての意気込みを教えてください。
「個人種目でも出場させていただけるかもしれないので、毎大会ベストが出ているほど調子が良い状態で、派遣標準タイムまで持っていけることができたらと思っています。五輪で決勝に残ることもできるかもしれないですし、五輪で決勝に進めるように、毎日練習頑張っていきたいです。これからベスト、ベスト、ベストと連続で出して、今世界のトップとどのくらい差があるのかは決勝で泳がないと分からないですし、世界で一番速い人と本気でやり合えることが決勝の舞台でないとできないので、その世界一速い選手と本気でやり合えるように頑張りたいなと思っています」
――ありがとうございました。
[中川美怜]
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