
明大スポーツ号外 水野裕哉コーチインタビュー
戸上がパリ五輪代表に内定した背景には、明大進学後に二人三脚でともに歩んできた水野裕哉コーチの存在が大きい。今回は水野コーチにお話を伺い戸上の〝強さの秘訣〟に迫った。
(この取材は3月7日に行われたものです)
――戸上選手との出会いはいつですか。
「僕が東京アートで現役だった時。隼輔がまだ中学3年生の時くらいに宮川(昌大・情コミ4)と2人で練習に来たことがあって、その時に初めて会った感じですね」
――初めて戸上選手と会った時の印象を教えてください。
「ぶっちゃけあまり覚えていないんですよね(笑)。宮川の方が印象が強くて、戸上はどっちかというと静かな方だったので。宮川の方が覚えていて、戸上の方はあまりイメージないです(笑)」
――出会った当時と現在を比べて性格の面で何か変化はありましたか。
「プロ意識はすごくあるんじゃないですかね。僕が最初に知り合った時はまだ中学生だったので。そこから高校、大学と結果を残していくにつれてプロ意識をどんどん上げていってという感じにはなると思うんですけど、昔から真面目だったのであまり変わっていないのかもしれないですね」
――当時の戸上選手のプレー面で印象に残っていることはありますか。
「あまり覚えていないっすね(笑)。でもあいつが高校生になってる時には全日本だったり活躍しているところを見たりしているので、そういう面ではこういう選手なんだと見てて思った感じで、何か特別変わった感じは全くしないです」
――水野コーチと戸上選手の間ではいつ頃からパリ五輪を目指すようになりましたか。
「明治大学としては髙山(幸信)監督が一番強い選手に対してベンチに入るんですよね。全日本選手権(以下、全日本)チャンピオンで宇田(幸矢・商4)が入ってきて全日本3位で戸上が入ってきて、実績的には宇田の方が全日本チャンピオンとして入ってきているので、自動的に僕が戸上の方になるのかなと思っていたんですけど、宇田が腰のケガで半年くらい離脱していたんですよね。その時に髙山監督が戸上のベンチに入っていたんですよ。その1年間でコロナが始まったのもあって、戸上が全然成績を残さなかったんですよね。全日本大学総合選手権(以下、全日学)があったくらいで、その時も今協和キリンの松山(祐季)に準決勝で0―3くらいで負けててそのイメージがすごくあって、全日本も明治大学のやつからコロナが感染したので出れなかったですし、あの時くらいはまだオリンピックはどうなんだろうねって感じだったんですけど、その次の年くらいにアジア選手権かなんかの選考会で宇田が復活したのでそこから僕が戸上のベンチに入るようになったんですよね。その時に僕も明治大学のコーチとしてやってましたけど、僕は毎回2番手、3番手くらいの子に入っていくので、優勝するという選手よりもベスト4、ベスト8に入る選手のベンチに入ることが多かったんですけども、こいつだったら優勝を狙えるよなというのがあって、全日学で優勝して、全日本で優勝してという頃にはオリンピックに向けて選考会も始まりましたし、そのくらいから全日本で勝つと言うよりも、オリンピックにいく行くというのが2人の中で話しあったりはしましたね」
――2人の中で転機となった大会はアジア選手権ということになりますか。
「アジア選手権と、あとは何月か忘れたんですけど世界選手権の選考会が1回あって、宇田が1位で、戸上はぎりぎり3位で通過したんですよね。その時が本当に苦しい試合だったんですよ。総当たりみたいな感じになっていて3敗くらいしたんですけど『まだチャンスある』ってずっと僕が戸上に言い続けていて、最後の最後に他の選手の力も借りたというか、うまいこと戸上が3位になった時に、帰り際にぶっちゃけ今のままだったら世界で勝つどころか、日本でもなんとも言えない、ぎりぎりで勝つか勝たないかというところだから、オリンピックはまだ早いかもしれないけど狙っていかないと駄目だよねって電車の中で話したのは覚えていますね」
――そこから戸上選手は全日本で連覇を達成します。
「1回目の全日本は対戦相手的にもすごく良くて、戸上の球の速さだったり威力だったりになかなかベテラン勢が付いていけない展開が多くて、僕自身は優勝は確実にできるという気持ちはありました。ただ、全日本は何が起こるかわからないので常にあいつがベストな状態で試合に行けるように、僕がサポートする感じになっていて、1回目は優勝して当たり前な雰囲気で臨んだのは覚えていますね。2回目に関して言うと、危ない試合ももちろんありました。ただ連覇をするという気持ちは誰よりも強かったと思いますし、宇田であったり及川(瑞基・木下グループ)、吉村(真晴・TEAM MAHARU)とか全日本チャンピオンになったやつは1回しか優勝できていないんですよね。連覇をすることはものすごく難しいことなんですけど、まずは張本(智和・智和企画)のところまで行こう。張本と勝負しようみたいに話していて、決勝まで行ったのは覚えていますね」
――戸上選手は特に全日本においてその強さを発揮されていると思いますが、要因はありますか。
「今の時代、やっぱり全日本を軽く見ている選手って多くいると思うんですよね。一つの大会に過ぎないとか、パリの選考会の方が大事だとか。そういう部分でいうと戸上は全日本に懸ける思いは他の選手よりも強かったですし、連覇するという気持ちは誰よりも強かったと思います。今年に関しても僕は3連覇するつもりでいきましたし、戸上自身もオリンピックがほぼ内定していてプレッシャーもない状態でいけたと思うので、3連覇をするつもりで大会には臨んでいました」
――張本選手の存在というのは戸上選手陣営から見てどうでしたか。
「僕自身は日本で一番強いのは誰と聞かれたら、間違いなく張本と答えます。戸上に関しては勝ったり負けたりの試合を繰り返しているんですけど、やっぱり日本の中で一番警戒しているのは張本ですし、世界のトップの選手だということも分かっているので。常にライバルとして越えないといけない存在ですし、戸上の方が上だとも思わないです。世界ランクだったり全日本だったり、張本に常に勝てるようにやっていかないと日本のエースとしては認められないというのはもちろん僕らも分かっているので、張本という存在は僕らにとってはすごく大きな壁でありライバルです」
――張本選手に対して相性のいい理由はありますか。
「相性でいうと、戸上自身が張本を怖がらないという部分が一番ですよね。張本がというよりも、戸上のボールがやっぱり速いので攻撃に転ずることが張本自身も難しいと思うんですよね。張本がブロックだけになる原因でもあるんですよ。張本自身も世界のトップレベルと戦って簡単に負けることはない選手なんですけど、戸上くらいの速い球になったりするとブロックだけじゃどうしようもない状態になることが多かったりするので、張本陣営からするとあの強度をどうにかして止めないとというのは絶対思っていたと思うので、そういう部分が『張本キラー』と呼ばれる原因になっているとは思います」
――『カミソリドライブ』と称される戸上選手の強烈なフォアハンドについてはどう分析をされてますか。
「戸上自体のプレースタイル的に『カミソリドライブ』だからという話ではないと思うんですよね。どっちかというとバックハンドがめちゃくちゃ速いので、バックを意識するがあまり、フォアにボールが送られてきてそれが速くて『カミソリドライブ』という感覚になっていると思うんですけど、戸上のボールってそんなに重くないんですよね。球のスピードが速ければ、回転量は少なかったりするんですよ。どっちかというとスピードがあるボールを常に打っているという感じなので『カミソリドライブ』がいいというよりも今の時代にあった打ち方をしているとは思いますね」
――フットワークについてはいかがですか。
「僕は戸上よりも宇田の方がすごいと思うんですよ。戸上は入りたての頃はフットワークがあまりうまい選手ではなかったんですよね。ただ、自分でトレーニングしたり足の動き方を僕らが教えたりして、動く量が昔の1、5倍くらい多くなったんですよ。フットワークの強化を自らしたし、僕らも一緒になって教えてうまく融合して、みんながすごいと言ってくれるようになったのかなと思いますね」
――3連覇を狙った中での全日本準優勝ということで勝ち切れなかった要因はありますか。
「僕が思うに3−1でリードして5セット目の出だしがあまり良くなかった。競れば競るほど、張本の怖さや強さに焦ってしまいらしくない感じになってしまいました」
――ベンチからはどのようなことを伝えていましたか。
「基本的には戦術が多いです。どういう気持ちになっているのかが重要というか、僕と戸上は基本的にベンチで目を合わせるんですよ。俺がタイム欲しいなって時に、戸上が大丈夫って思うんだったらタイム取らないんですよ。俺が欲しいなって時に上向いたりして、戸上がこっちを見て(タイムアウトを)取るみたいな仕草をして合致した時に取るんですよ。なのでお互いが一緒になって戦って、負けた時もそうですけど自分だけで戦わせないようにするアドバイスはしますね」
――アイコンタクトについては試合を重ねていくにつれて取るようになったのですか。
「戸上はどちらかというとタイムを取らないタイプなので、僕がいつも取っていたんですよ。覚えているのが戸上が初優勝した時の全日本で、松平(健太・ファースト)と試合した時に1セット目取って、2セット目8―4から負けたんですよね、3セット目取って、4セット目、8−4から逆転されそうになった時に、僕がすかさずタイムを取って、戸上はなんで取ったのみたいな感じだったんですよ。『2セット目を同じような負け方したから取ったんだよね』って話をしたんですけど、そしたら『僕全然気付かなかったです』って。多分あいつもそれで勝ったことで信頼とかが多くなってきたと思うので、そこからはいつタイム取るかの練習をするときに、自分が取りたいときもあれば、その場その場でいこうって感じになりましね。アイコンタクトがうまくいったときは大概うまく試合もいっています」
――2年に及ぶパリ五輪の選考レースはいかがでしたか。
「僕個人の意見からすると選手はすごく大変だったと思うし、それでも最後に張本と戸上が勝ち切ったという面でいうと日本の中でその2人が抜けているのなと思います。きつかったですよね、この2年間。戸上だけじゃなくて僕たちも負けたら考えさせられますし、次戦ったときにどうするのかを毎日考えながらこの2年間やってきました。決まった時は本当にうれしかったです。自分がオリンピックに行けるくらいの感覚で喜びました」
――全農CUP大阪大会で印象に残るプレーはありましたか。
「戸上のプレーがどうこうという話ではないんですけど、やっぱりそこで勝ったというイメージが強いです。大阪でほぼ内定させることができれば全日本までに海外の試合にも行けますし、新たなことにいろいろ挑戦できる期間にもなると思うので、その面でいうとあそこで勝てたのはすごくうれしかったです。やっと終わったみたいな感覚になりましたね」
――大阪大会の時はベンチからどのようなアドバイスをしていましたか。
「僕はいつも戸上に対して選手とコーチというよりも友達感覚で話している感じなんですよね。毎回の全日本で決勝まで行ったらやっとここまできたなって僕がいつも戸上に話すんですよ。あと1回頑張ろうって。どちらかというと一つの大会に対してどれだけベストを尽くして試合に挑めるか。負けたときにどれだけ今のプレーだったらこうだったよねっていうのをどれだけ2人でできるかが僕が意識していたことでした。ベンチで何をアドバイスしたのかというよりも常日頃連絡を取り合ったりとか、海外の試合を含めて試合の振り返りをメールでやり取りしたことの方がイメージが強かったです」
――中国選手にも強くなってきた要因はありますか。
「僕がよくいうのは、バック対バックだったら世界でもお前に勝てるやつはほとんどいないよっていう話をするんですよね。ただ、今の時点ではフォア対フォアだったら普通ぐらいにしかならないって。打つだけの選手はいろんな人には勝てないってよく話していたんですよ。要は張本とかってなんでもできるんですよ。ブロックしたりとか、攻撃したりとか。攻守が入れ替わったりするのが本当にうまくて。ただ戸上の場合は打つ専門になっているので、守りの技術だったり入れにいく技術はトップ選手に比べるとレベルが低いと思っていました。だから試合では打ちにいって入るんだったらそれでもいいと。ただ、入んなくなったときにどれだけ我慢して、守備の方に回ってでも点数を取れるかっていうのを考えた方がいいって話は結構していたんですよね。それが最近、入れに行く技術だったりブロックの技術だったり、そういう対応力が付き始めて海外でも負けない、見てて安心するような試合展開ができるようになりました」
――水野コーチの恩師である橋津文彦さんは戸上選手の高校時代の監督でもあります。
「僕は橋津先生の1期生なんですよね。自分が選手時代にベンチに入ってもらってましたし、仙台育英とか野田学園に呼んで練習したりとか、一緒にお酒を飲みに行ったりとか、すごく尊敬している方です、ただ、戸上のことに関しては怒られますよ(笑)。もっとこうしろとかは言われますが、自分としては橋津先生に言われるからやっているのではなく、戸上がどうすれば勝てるかというのをこの2、3年間常に勉強して、動画見てというふうにやってきました」
――戸上選手に直してほしいところはありますか。
「時間にルーズなところですかね(笑)。あとは忘れ物が多いところ。僕が唯一思っていたのが、一応選手とコーチという立場なので、ある程度友達感覚になるときもあれば、アドバイスをちゃんと聞くこともあるんですけど、戸上が試合になって集中すると、ジュース買ってなかったりとかアイパッドを持ってくるの忘れましたみたいなのが結構あったりして、それを僕が取りに行くという謎の現象が起きているんですよね。いや、お前行けよみたいな。僕が大人の対応でジュース買いに行ってあげたりはしますけど、僕がいなくなったりすると自分でやらないといけなくなるのでそこは気を付けた方がいいよとは思います(笑)」
――戸上選手と関わる上で一番大事にしてることを教えてください。
「僕が一番大事にしているのは戸上とコミュニケーションをたくさんとることですね。そこでコミュニケーションを取ることで信頼関係が生まれて、アイコンタクトとかでタイムが取れるという状態まで持っていけたのは良かったなと思います。僕自身は戸上のベンチに入るようになったことで会社を辞めてるんですよね。会社辞めて明治の方にもっと行けるようにフリーのコーチになっているので、そういう面で言うと僕の人生を変えてくれたのは、間違いなく戸上ですし、師弟関係とかコーチと選手という間柄よりも、僕のコーチ人生を変えてくれた存在っていうのはありますね」
――パリ五輪に内定した戸上選手にメッセージをお願いします。
「なるべくしてなったと思うのでおめでとうって感じですよね。ただ、ここが終わりではないのであと半年くらいですかね。本番に向けて体調面の管理だったり実力のアップをどれだけこの半年間でできるかというのが、オリンピックでメダルを取るために必要になってくると思うので、隼輔にはオリンピックでメダルを取れるように頑張ってくださいという感じですよね」
――どんな選手になって欲しいですか。
「オリンピックで優勝して欲しいですよ。それで僕がそいつのベンチに入ってたんだよって子供に自慢できるように頑張って欲しいです(笑)」
――戸上選手にメッセージをお願いします。
「僕が現役を引退してから戸上に会うまで、明治大学のコーチとしても大きい大会で優勝するということはなかなかできなかったんですよね。なので戸上に会って、全日学や全日本、パリの選考会を経験させてもらった。あいつがいたからこのような経験をさせてもらって戸上には感謝しています。違う人がコーチになっても、僕の時より成績が出てくれるように応援していますし、また水野さんがいいと言ってくれたら何年後かにまたコーチをしてあげますよ、してあげるよと言っときたいですね(笑)」
――ありがとうございました。
[冨川航平]
◆水野 裕哉(みずの・ゆうや)1987年生まれ。岩手県出身。平22営卒。明大在学時はエースとして1年次からチームに大きく貢献。2009年には全日本選手権混合ダブルスで準優勝。大学卒業後は東京アートで活躍し、現役引退後は指導者の道に進んだ。戸上の卒業に伴い、明大卓球部コーチを3月末で退任。現在はTリーグ・T.T彩たまの監督を務める。
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