連載企画「合掌」 第4回 中曽のぞ美

1999.01.01
『掛け替えのない仲間とともに』 第4回 中曽のぞ美

 1年次のインカレでいきなり女子段外の部で優勝した中曽(法3)。自身初となる全日本大会で頂点に上り詰めた背景には多くの練習量があった。学校の授業が終わると練習場に駆けつけ、ペアを組む相手、磯﨑(政経3)と演武の練習。上級生から課せられる練習メニューを素直に受け止め、休むことなくガムシャラに鍛錬を積んだ。激しい練習は肉体的にも精神的にも2人を追い込んでいく。だが、立ち止まることもなく、逃げ出すこともなかった。互いを信じ、それぞれが己の道を疑うことなく歩んできた。単に練習といっても、それは一般学生には想像を絶する過酷なものだった。練習するたびに2人は意見をぶつけ合い、衝突した。だが、度重なる口論をしても翌日には顔を合わす。互いに切磋琢磨(せっさたくま)し、互いを信じ、支え合いながら激しい練習を乗り越えてきた。本番で最高のパフォーマンスができた最大の理由は練習量と本音でぶつかり合うことのできるパートナーがいたからこそ。

 中曽は2年次でも磯﨑とペアを組み、5月に関東インカレ、11月にインカレで入賞を果たす。もはや磯﨑の存在は中曽にとって欠くことのできない存在となっていた。数多くのタイトルを獲得し、磯﨑という大切な存在を得た中曽。すべてが順調に見えた。
 だが、2006年の夏合宿で大きな壁にぶち当たった。3年生として後輩を教える立場となり、指導方針に戸惑いを覚えた。大学から少林寺拳法を始めた中曽にとって〝指導する〟ことは非常に難しく、それが大きなプレッシャーとなって彼女にのし掛かったのだ。「自分は経験が浅いのに教えることなんて…。どうしたら良いのか分からなくなって、気力が起きなくなっていった。時には、投げやりになってしまっていたかもしれない」(中曽)。教えることに煩わしささえ感じ始めた夏、これまで続けてきた少林寺拳法を辞めようと考え始めた。この時点での退部は、先輩だけでなく後輩にも多大な迷惑をかけることになる。中曽にだって退部が意味するものなど無論分かっていた。それを承知の上で思い悩んだ。彼女が出した最終的な結論、それは少林寺拳法を続けること。自分なりに考え抜いた末に出した結論は、少林寺拳法を続け、自分自身を向上させて後輩を引っ張ることだった。

 夏を過ぎると、初心に帰り、11月の全日本大会(=インカレ)に向けて動き始め、初めて後輩とペアを組むこととなる。ここでも後輩の指導で行き詰まってしまう。何度も挫折しそうになるが、それでも必死に後輩を引っ張った。一人で悪戦苦闘する中曽に対し、優しい言葉を投げかけた同期がいた。「もっと同期を頼れよ」。少林寺拳法を大学入学前からやっていた小澤(理工3)だ。この言葉が中曽を大きく変えた。「うれしかった。自分のことを気にかけてくれていることが心からうれしかった」。自分のため、そして何よりも磯﨑や小澤をはじめとする同期のために、中曽は大学生最後の年を迎える。

◆中曽のぞ美 なかそのぞみ 法3 十文字高出 162cm

◆主な個人成績
2004年11月 インカレ-女子段外の部 最優秀賞 中曽・磯﨑(政経1)組
2005年5月 関東インカレ-女子段外の部 優良賞 中曽・磯﨑(政経2)組
2005年11月 インカレ-女子初段の部 敢闘賞 中曽・磯﨑(政経2)組
2006年5月 関東インカレ-女子三人掛けの部 敢闘賞 中曽・清水(文4)・磯﨑(政経3)組
2006年11月 インカレ-女子三人掛けの部 敢闘賞 中曽・飯島(農2)・日沢(文1)組
※学年は当時