NO.9 長友佑都
今年の後期リーグ戦からスタメン入りを果たした長友。「身体能力だけは絶対負けたくない」。長身の選手にも競り負けないジャンプ力、スピード、一対一での対応…。自身の言葉通り、どれをとっても長友はその能力の高さをまざまざと見せ付けている。またサイドから仕掛けるオーバーラップなど、攻撃のバリエーション増加にも一役買っている。「長友の出場によってチームの状況が変わった」(芝田トレーナー)と、明治に多くのプラス要素を生んだ。そしてその評価は内だけに留まらず、ついに全日本大学選抜のユニホームをつかみ取るまでに上り詰めた。そんな順風満帆な長友だが、数々のことが彼をここまでの選手に成長させていた。
長友のサッカー人生の転機は高校進学時。地元・愛媛県の高校に入学する予定だったが、「母さんに『あんたそんなんでいいの!?もっと勝負しなさい』って言われたんだ」。母の力強い言葉を背に長友は単身、強豪校の東福岡高に進学することを決意した。東福岡高は当時、約150人もの部員が所属する大所帯。この過酷なライバル争いを制するために、自主的に朝練をするなど、長友は毎日努力を怠らなかった。それは実を結び、3年次の選手権ではチームの生命線として中盤を支えた。しかし、その頃から長友の体を病魔がむしばんでいく。ヘルニアだ。
長友のサッカー人生の転機は高校進学時。地元・愛媛県の高校に入学する予定だったが、「母さんに『あんたそんなんでいいの!?もっと勝負しなさい』って言われたんだ」。母の力強い言葉を背に長友は単身、強豪校の東福岡高に進学することを決意した。東福岡高は当時、約150人もの部員が所属する大所帯。この過酷なライバル争いを制するために、自主的に朝練をするなど、長友は毎日努力を怠らなかった。それは実を結び、3年次の選手権ではチームの生命線として中盤を支えた。しかし、その頃から長友の体を病魔がむしばんでいく。ヘルニアだ。
明治に入学したものの、長友はリハビリ生活を余儀なくされた。「サッカーができないのはつらかった。だけど、だからこそパワーアップに励んだ」。ボールは蹴れなくても、腐ることなく体づくりのため、筋トレに励む日々。また試合に出る日のことを考え、長友はいつでもひたむきに頑張り続けた。そして今夏、復帰戦となる練習試合に出場。チャンスをしっかりとものにした長友は、現在の地位まで駆け上がっていった。
「今は最高に幸せ」と、笑顔で語る長友。厳しさと明るさを兼ね備えた明治は、部員全員がサッカーに対して真剣に取り組んでいる。それは長友にとっても良い刺激となり、励みになっている。「これ以上のチームはないよ」。最高のチームメートと共に、長友はさらにその能力を開花させていく。
◎こぼれ話~部内一のムードメーカー~◎
持ち前の明るさで、場を盛り上げるのが得意なムードメーカーの長友。学校では良く騒ぎ、高校時には立候補で学級委員も務めていた。また大学でリハビリをしていた時期は、応援の太鼓係りとして明治を盛り立てていた。チームの雰囲気が悪い時も声を出して、周囲を和ませることに務めている。ゲーム以外でも、チームの核となる存在だ。
◆長友佑都 ながともゆうと 政経2 東福岡高出 173cm・63kg ★DF 背番号・12
☆次回予告☆
※第10回はMF小川佳純(商4)選手。「良くけずってくる(笑)!ここって時に点を取ってくれる」(長友)エースだ。来季からの名古屋グランパスエイト入りを決め、明治でも4年間、部を支えてきた小川の素顔に迫る。
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