(4)4年生引退インタビュー 伊藤優汰

2023.12.26

 6人と少数精鋭ながらもチームを引っ張り続け、今年度のチームスローガン『一丸』の体現に大きく貢献してきた4年生。引退から1カ月がたち、ヨット部での活動を振り返り、改めて何を思うのか。本インタビューでは、今年度のヨット部4年生部員全員の声をお届けする。 

 

第4回は伊藤優汰(政経4=緑岡)のインタビューをお届けします。

 

(この取材は12月12日に行われたものです)

 

――ヨット部のこれまでを振り返っていかがですか。

 「自分は2年生の時に入部したんですけども、最初はもう何も分からない状態でヨットという競技自体も分からない状態で入って、そこから4年生になって最後後輩も含めて全日本学生選手権(以下、全日本)総合入賞という目標に向かって取り組めるレベルにまで行けたのはすごく良かったのかなと思っています。あとは先輩とか同期とか後輩とかいろんな人と関われたのが、一番ヨット部に入って良かったなと思います」
 

――ヨット部を選んだ理由は何ですか。

 「元々大学で何か打ち込めるようなものがないかなってすごく探していて、ヨットという競技は経験者もいるんですけど、初心者からでも大学で始めて戦うことができるスポーツだというふうにまず新歓の時に先輩に誘われて、あとは体験に行った時に先輩とかがすごいヨットをやってるのがかっこよかったり、ヨットが面白いなって思いました。海に出るというのは今までやってきたスポーツと全く違かったのでそれに魅力を感じてヨットを選びました」
 

――ヨットの競技自体は全く知らなかったのですか。

 「ヨットって何?という感じから入ったんですけど、逆に何も知らないというのもすごくひかれたポイントではあります。自分が知っている競技じゃなくて、一から始められるというのはなかなかないじゃないですか。スポーツとかだとやっぱりちょっとは知っていたり、遊びでやったことあるなとかはあっても(ヨットは)なかなかないので。大学生でしか逆にできないスポーツかなというのもあってヨットを選んだ感じですね」

 

――ヨット部に途中から入る形になりましたが、同期の方たちとはうまくやれましたか。

 「受け入れてくれる同期が最初から多くて、 元々学年は一緒だけど入った時期が違うというところでまずは1年生の新入生と同じ仕事をしたり(1年生と自分が)同じレベルじゃないですか。でも元からいた同期とかが自分たちと同じ同期として活動したいというふうに言ってくれて、先輩にも言ってくれて受け入れてくれたので途中からですけど、すごく入りやすかったです」

 

――毎週末の合宿所生活も仲良くなる一つの要因でしたか。

「合宿を毎週するというので朝昼晩ずっと一緒にいるじゃないですか。同じ生活をしていくという意味では、他のいろんな部活とかサークルとかよりかは一緒にいる時間は長かったり、長期合宿の時なんか本当に5日間とか連続でずっと一緒にいました。やっぱりそういった意味ではすごく仲良かったですし、休みの日とかもたまに同期で遊びに行ったりとか仲いい人と遊びに行ったりしているぐらいだったので、そういう感じで仲良くなったなという感じですね」
 

――新歓時の体験と実際に入ってみての練習にギャップを感じましたか。

 「新歓の時は本当に大学から日本一を目指せる競技だよみたいな感じで先輩に誘われました。実際入ってみると、ヨットという競技自体がまず本当に頭を使うというのと、技術的にも難しいところもあったりとか、細かい調整が必要になってくる部分が本当に難しかったです。最初の時よりかは難しかったなというのはあったんですけど、逆に簡単に行かなかったところもやりがいというか、本当にいろいろ苦労したんですけど、それは部員のみんなで一緒にどうやったらうまくいくかというのを考えながらやっていくのも、すごく楽しかったなというふうに思っています」
 

――470級で始めた理由は何ですか。

 「単純に470級のクルーのトラピーズに出る(乗員が艇外に出て船の横の傾きを抑える吊り索にぶら下がること)時の写真とか見たら、ああいう姿とかクルーがかっこいいなという部分ですね。あとは先輩に『お前は絶対470だよ』みたいな感じで誘われたのもあって、最初(470級もスナイプ級も)どっちもよく分かんなかったんで、自分がそっちの方がちょっと面白そうだなと思ったところで470を選んだって感じです」
 

――2人組で乗るヨットで必要なコミュニケーションはいかがでしたか。

 「最初はいろんな先輩に乗せてもらったりとかしてやっていたんですけど、先輩だと新入生に対しては優しく、でも熱心に教えてくれるというところとか、海で出ている間じゃなくて陸に帰ってからもいろいろ勉強させてもらったりとかして、 そうやってヨットの知識つけていたという感じで本当に先輩とはかなりコミュニケーションは取りやすい環境だったかなというふうには思っています」
 

――最初に出られた大会、レースは覚えていますか。

 「自分がほんとに一番最初に出たレース、同期とかの中ではデビュー時期、公式戦に出るのはかなり遅かった方ではあるんですけど、今まで出たレースの中で覚えているのは同期の人と自分がスナイプに移るかみたいな話になっていたところに、最後に出たという感じの個人戦でした。それはちょっと難しかったなというのは思ったのと、公式戦というのがちょっとあんまり覚えてなくて、新入生の頃は後輩とも最初ペア組ませてもらっていて、そこでもやっぱり自分が伸び悩んでいたりとかもして、結構苦戦したなという思い出の方が多いです。きつかったというか苦労したというのは、すごく思い出に残っている方かなという感じですね」
 

――スナイプ級に変更した時期や理由は何ですか。

 「自分が転向した時期は2年から3年に上がるタイミングというか、代が変わるタイミングで、その時に考えていたのが470で苦戦してたというのがまず1個。自分が3年、4年になった時に一番活躍できる場所はどこかなというふうに考えたのと、あとは自分の同期が元々少なく、スナイプ級には自分と同じ時期に入った1人しかいなかったというのもあって、それで自分たちの代になった時に自分が470にいるよりもスナイプに移って活動した方が、チームの力になれるかなというのが自分の中では考えました。最初は470しか知らなかったんですけど、スナイプもヨット1年やってきたら面白いなと思って移りました」
 

――転向してからのレースはいかがでしたか。

 「自分が3年生でスナイプに移ったタイミングの時は自分の3年の時の4年生の人とペアを組ませていただいたんですけど、最初はかなり苦戦したっていうところが大きくて、動き方が違かったりとかやることが違かったりというのもありました。そういうのを覚えるのも含めすごい苦戦したなっていうのはあったんですけど、最初はそんな感じで結構先輩に指導してもらいながら乗っていたというのが大きかったかなと思います」
 

――スナイプ級のチームを振り返ってみていかがでしたか。

 「最後の4年生のスナイプのチームでも、自分ともう1人が2年生から入ったというところもあって1年少ない分というデメリットもあると思います。その逆のメリットとしては、本当に後輩との距離はだいぶ近くてチームとしてはすごい仲いいチームというか、本当にコミュニケーション取りやすいチームだったのかなというのはすごく感じました」
 

――主務を引き受けた理由は何ですか。

 「自分の代でどこが一番自分に適しているかなというふうに考えた時に、主将をやりたい人がいたりとかチームリーダーとして引っ張っていく人がいたりとか、役職決める時は話がありました。その中で自分の中では主務という、チームのどちらかと言うと裏方じゃないですけど運営面というか、そういう支えられるような部分が自分の性格にも合っていたのかなというのもあって選びました」
 

――選手との両立はどうでしたか。

 「主務の仕事っていうのは定期的にあり仕事も結構あったんですけど、自分たちの代は同期の中でも協力し合ってやったりもできたので、いろいろ喋りながら仕事をやるところをやったりとか監督からも助言してくださって手伝ってもらいながらうまく両立できたかなというふうに思っています」

 

――全日本の福岡に行った時にしたことはありますか。

 「全日本にスナイプが行けなかったのが後輩には本当に申し訳ないなっていうのはあって。スローガンの『一丸』というのもさっきも言ったんですけど、やっぱりチームとして最後自分が引退するまでは本当に明大ヨット部の470を支えるじゃないですけど、そこに対してはやっぱりサポートしていきたいなというところでレースのサポートをするという感じですね」
 

――470級のレースをどういう気持ちで見ていましたか。

 「自分たちは本当に470 に入賞してほしいという意味でいい順位取ってほしいなという思いを込めながらレース見ていて、一緒に行ったスナイプのメンバーもそうだと思うんですけど、自分たちは引退が決まっていたので、いろんな技術を盗むとかというよりかは本当にもう純粋に応援するというところが本当に大きかったかなと思います。やっぱ 470チームに勝ってほしいなというのが強かったです」
 

――関東学生選手権が終わった後はどういう心境でしたか。

 「本当に悔しかったというのが一番です。個人的には全日本に行けるチームだったかなというふうには思っていたので、レース自体風吹かなかったというのも自分としてはすごく悔い残るところは大きいんですけど、一緒に乗っていた人もチームの後輩も悔し涙を流していたので、それを見て本当に申し訳ないなという思いも責任も感じながらというところで、最後はそういう感じの気持ちで終わったかなというのはあります」

 

――4年生全体として活動が終わった後はどうでしたか。

 「自分たちのスナイプがレース最後終わったところから470の全日本が終わるまで、かなり期間はあったので悔しさはちょっとあったんですけど、後輩のサポートとか470のサポートという意味も強く活動してこられたので、自分たちの代をやり切ることができたなという気持ちで、最後終われたのかなというふうに思っています」
 

――同期の存在はどうでしたか。

 「ヨットは大学で初めてやった競技であったのでそういった意味では本当に同期の存在というのが心の支えになりました。ヨットで苦労していた時もやっぱり同期がいるから合宿所に向かうことができたりというか、同期と一緒に合宿所で過ごすという生活自体もすごく楽しかったので、そういったところで本当に同期には恵まれたなというのが、存在として大きかったなというのは思っています」

 

――後輩たちに何か残せたことはありましたか。 

 「最後の最後までかなり自分のことで精一杯になるというか、個人的にもチームのためにも結果を残さないとというところも大きかったので、あまり何残せたかなと思うと本当に分からないんですけど、チームとしてやっぱり後輩には残せたというよりかは支えてもらったなという方が思いとしては強いです。スナイプチームが、2年生から入った未経験者の2人が4年生になって、中心になってつくったチームだったので、本当に後輩に残せたというよりかは支えられたというところが大きいので手伝ってもらったところも大きかったんですけど、 それが逆に後輩にはいい経験になってくれてたら今後に生かしてくれてたらうれしいなというのは感じています」
 

――3年間の中で一番変わった点はありますか。

 「合宿生活とかはなかなか経験する機会ないと思うんですよ。3年間とか長い期間での合宿生活は、どこか寮で入っている部活とかそういうところ以外はなかなかないと思います。なのでいろんな人と共同生活するというところは、競技も含めて生活していくというのが、できるように楽しめるようになったというか成長したのかなというふうには思っています」
 

――今後ヨットとはどう関わりたいですか。

 「競技としては終わりなんですけど、明大ヨット部のことに関しては今後も気にかけながら応援していきたいなという思いで、そういったところで後輩の力になれたらなというところですね」
 

――ヨット人生を一言で表すとどんな言葉になりますか。

 「充実かなというのは思います。ヨット部に出会って、ヨット部に入ったからこそ大学生活、最初1年コロナ禍で何もできなかったというところから充実した大学生活を送れたのもありますし、目標に向かって取り組める日々というのもなかなか他の人には経験できないようなことも大きかったので、そういった意味では充実したヨット人生だったかなという風には思っています」

――ありがとうございました。

 

[北原慶也]

 

伊藤 優汰(いとう・ゆうた)政経4、緑岡。177センチ・70キロ。