
佐藤恵允が独1部に加入! 大学サッカーに新たな可能性と希望を
今月より独1部・ヴェルダー・ブレーメンへ入団した佐藤恵允(文4=実践学園)。今でこそ大学サッカー界を代表する存在だが、入部時は全国的には無名の存在だった。ここでは明大での3年半の軌跡を辿る。
「どん底からの、一番下からのスタートだった」。入部当初は各世代トップレベルの選手たちに揉まれ、いわば下積みの期間が続いた。「誰でも聞いたことあるような選手が同期にいて、無意識にビビっているところがあったと思う。ただそこでもやり続けるしかなかったから、ひたすら練習でスタッフが求めていることを追求した」。セカンドチームで腐心する中、授業との兼ね合いでトップチームへの練習に参加する機会が増える。「マッチアップする相手が、佐藤瑶太さん(令3情コミ卒・現ガンバ大阪)や常本佳吾さん(令3政経卒・現セルヴェットFC)とか。失うものはないと思っていたから、貪欲にぶつかっていこうとした」。現在はプロで活躍する選手を相手取り、徐々にプレーに対する自信を増していった。そして関東大学1部リーグ戦(以下、リーグ戦)では、1年次から出場機会を獲得。計7試合に出場し、得点こそなかったがピッチ上で頭角を現した。
「コンスタントに出続けるようになったのは2年生の頃」。2年次はトップチームに定着し、早くもチームの主軸へ。リーグ戦では開幕節で自身の公式戦初得点を挙げるなど、計20試合に出場し5得点4アシストを記録した。その活躍は高く評価され、20年5月にはU20日本代表候補に選出。それまで各年代を通じて選出経験はなく、これが初めての代表選出だった。さらに、同年10月にはU―23アジアカップ予選を戦うU―21日本代表に召集される。大会では全2試合に出場し、予選突破に貢献。明大入学から着実に飛躍を遂げ、一気に世代トップレベルにまで登り詰めた。
3年次になると、異例の背番号10に抜擢される。リーグ戦では全試合に出場し5得点4アシストを収め、2年ぶりのリーグ制覇を達成。大会優秀選手賞も受賞し、名実ともに明大の象徴的存在となった。また、代表活動も継続的に選出を果たし、昨年6月にはU―23アジアカップに出場。大学生からは唯一の選出であり、周りは全員プロ選手だった。ただ、その環境下でも「高卒でプロに行った人には負けたくなかった。代表に行ったらみんな同じ状況だし、不安要素も一切なかった」。逆境を跳ね除ける2ゴールの活躍を見せ、チームの3位入賞に大きく貢献。そのスケールは徐々に世界から耳目を集めることになる。
4年次には副将に就任し、チームの大黒柱に。絶対的な存在として悲願の全国制覇が期待された。リーグ戦ではキャプテンマークを巻く機会も生まれ、チームにもたらす影響は絶大だった。ただ先月18日、独1部の古豪へ入団が発表されると同時に、7月末での退部が明らかとなる。年度中での退部については「明治の4年生としても副キャプテンとしても、その立場で退部していいのかとか、同期と4年間やり抜きたいなとか、すごい葛藤があった。でも、最終的には自分の夢を叶えるために、夏から移籍してチャンスをつかむっていうのが決断になった」。同期にその決断を話した際には互いに涙を流したという。そして迎えた先月29日のリーグ戦第12節対拓大戦は、佐藤恵にとって明大での最終戦。「特に今日は明治のためにプレーすることを意識した」と、明大の選手としての〝紫明〟を最後まで全うした。自身の1得点1アシストを含む6―0の完勝を収め、自身の紫紺での3年半を締めくくった。
そして先月末で紫紺のユニホームを脱ぎ、今月から新たにヴェルダー・ブレーメンの一員となる。独1部・古豪への加入は自身が目標とするパリ五輪出場やW杯出場への最大の近道だという。栗田大輔監督は「監督就任時から〝明治発、世界へ!〟を、グラウンドにもバナーを掲げて追求している。明治大学から、大学サッカーからこのような選手が出てきたことは、すごく大きな意義がある」。無名の状態から駆け上がったこの軌跡が、育成年代に与える可能性は計り知れない。「ヴェルダー・ブレーメンへの加入は自分一人の力ではない。いろいろな方の支えがあってのこと。その感謝を忘れずに恩を仇で返すことなく、精いっぱいドイツで挑戦していきたい」。強い決意とともに、前例なき挑戦に立ち向かう。
[長﨑昇太]
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