
水谷隼さんインタビュー拡大版
4月1日発行の明大スポーツ第518号の1面で、明大での思い出や新入生へのメッセージを送ってくださった水谷隼さん(平25政経卒)。新聞内ではやむを得ず割愛したインタビュー部分を掲載いたします。
(この取材は3月3日に行われたものです)
――今回の取材を受けてくださった理由を教えてください。
「明大スポーツには何度もお世話になっています。確か僕が入学するときもかなり大きく載せていただいた記憶があるんですよね。それからのお付き合いで卒業してからも定期的に明スポのほうではお世話になっていました。少しでも自分が学生の皆さんの力になれればなと思っています」
――水谷さんは明大に入る前から海外生活をしていました。そこに恐怖はなかったですか。
「怖くはなかったですね。自分が成長するために必要だと思っていたので、海外に行くこともそうですし、大学に行くこともそうです。自分が求めていた環境に行けたということが、怖いというよりはうれしいとかワクワクとか、そういう気持ちが強かったです」
――今の時代では海外へ行った方がいいと思いますか。
「僕は賛成しますね。日本では見えない景色がたくさんありますし、世界観が広がる気がします。日本では一生感じられないような新しい発見とか、色んな文化に触れたりだとか、食べ物もそうですし、言葉もそうですね。僕はさまざまな世界を回ってきて、世界の人と触れ合ってきて、そこで得たものはとても大きいなと感じています。やはりさまざまな文化に触れたりだとか、さまざまな国の人と出会ってコミュニケーションをとる方が良いですね。それが必ず人としての成長につながると思っています」
――高校時代にドイツリーグ、大学時代には中国リーグにいた時に一番印象に残っている出来事はありますか。
「高校時代は学校にも行かずにずっと卓球に打ち込んでいました。逆に言えば、卓球のことしか記憶にないというか、あまりそれ以外のことに記憶がないですし、大学時代もそうですね。やはり自分の中心は卓球選手としてというのがあったので、卓球部でさまざまな先輩や後輩に囲まれながら、本当にいい環境で卓球をやらせてもらったなと思います」
――大学時代に中国リーグいると、明大にはどのくらいの期間いたのですか。
「中国リーグはあくまで個人的な参戦で、かつ期間がすごく短くて5月から7月までのような短いスパンでした。その間ずっと住んでいたわけではないですし、3ヶ月間の中でも何往復もしていました。それ以外は合宿が非常に多くて、結局半年くらい海外遠征でしたね。日本代表としての海外の試合が多かったので明大には年間3か月くらいしかいませんでした」
――中国リーグでプレーしていたことでつらかったことはありましたか。
「生活の面など、特に田舎とか行った時にはすごい部屋が汚かったですね。清潔感がないというか、日本はやはりきれいなんだと思いました。中国の田舎とかだと道路も学校も昭和日本の古い建物がたくさんあってそこで馴染めなかったというか嫌だなという気持ちは終始感じてしまいました。一方で、ドイツでは食生活が乱れましたが、食生活はそこまで苦労しなかったですね。中華料理はおいしかったですし」
――チームメイトとの交流はありましたか。
「僕がいた頃は海外リーグに行っている選手が多くてそんなに交流は多くなかったと思います。今の選手は日本にプロリーグができて日本で活動していて、また部活もまとまってやっていると思うので交流も昔と今では違うと思いますね。特に戸上(隼輔・政経3=野田学園)とか宇田(幸矢・商3=大原学園)とかはナショナルチームでずっと一緒だったので、後輩ということもあって一層世界で活躍してほしいなと思っています」
――大学1年次に北京五輪に出場したことについて当時どのように感じていましたか。
「あの時は初めての五輪出場ということもあってすごく舞い上がっていたのを覚えていますね。大学に入学する時も五輪に出場する選手が入学してくるというということで、注目があったのを覚えています。その中での出場だったので何とかメダルを取りたいなと思っていたのですが、実力足らずで残念ながら取れませんでした。ただ、五輪に出場するというのが夢だったのでうれしかったです」
――ロンドン五輪後にロシアリーグでも活躍していたが挑戦した経緯は何でしょうか。
「北京の時は五輪に出ることが夢だったのですがロンドンではもうメダルを取ることが一つの自分の夢になっていました。ですがロンドン五輪出場した時にメダルを獲得できず、その夢を達成できなくて。またその後に行われた大きな大会でも結果を残すことができなくてすごくスランプだった時期なんですね。自分の卓球人生でも一番スランプに陥っていた時期でそこからなんとか抜け出したい、打破したい、自分の力をもっと世間に広めたいということもあって、そういう覚悟もあってロシアに挑戦しました」
――水谷さんが世界で長い間戦ってきて培ってきた精神力についてお聞かせください。
「一人でずっと長い間戦ってきたので他の人には得られないような経験をしてきましたしなかなか日本では考えられないようなことが世界では当たり前に行われていましたし、そういう自分が見てきたことだったりとか本当に口で言いにくいこともたくさんあるのですがそういうのも含めて海外に行ってほしいと思いますね。自分が言うよりも直に海外に行って海外でのいいところも悪いところも体験してほしいなと思いますね」
――卓球のイメージは昔と比べて変わってると思いますが、水谷さんはどう思っていましたか。
「イメージが変わってきていることは、自分自身が一番感じていると思っています。卓球に対する目だったりとか、メディアに取り上げられる男女差だったりとか。自分はそういう環境で14年くらいやってきたので、人一倍それに関しては悔しかったし見返してやりたいという気持ちはずっと持っていましたね。そこからリオ五輪でメダルを取って男子の方も光が当たるようになってきて、昨年の東京五輪ではさらに卓球界全体が盛り上がったと思います。今では野球とかサッカーのようなメジャーなスポーツに近づいてきたと思います。競技人口で言えば野球やサッカーは減少していますが、卓球は上昇しているので本当に将来追い付き追い越す可能性があると思っています。そこまで卓球の地位を高くすることができたというのはすごくうれしかったです。ですがそれは偶然ではなく自分がそうしたいと思ってずっと活動してきたからというのもあると感じていますね。あとは今来ている卓球のブームを継続してやっていけたらいいなとは思っています」
――ありがとうございました。
[菊地秋斗・小井土大祐]
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