ラストインタビュー(8) 佐久間雄大

FW佐久間雄大(政経4=白樺学園)

(※この取材は1月20日に行われました)

 

――最後の大会は準優勝で終わりました。今の心境を聞かせてください。

 「やはり最後は勝ちたかったし、いまだに優勝できなかったことが悔しいです。もっと活躍できたし、何も結果として残せなかったことが一番の心残りです。そういう部分では、自分自身がアイスホッケーから引退することに対して、本当の気持ちでスッキリしたとは思えないし、心残りがないとは言えないです。悔しい大会で最後は終わってしまいました」

 

――2年ぶり、そして最後のインカレはどんな大会になりましたか。

 「やはりインカレは特別だなと思いました。今までの大会よりも気持ち的に熱くなるし、真剣に取り組んだ大会でした。2年ぶりが最後の年で、重い責任を感じるのかなと思って挑みましたが、意外とそんな気持ちもなく、やり切るしかないと割り切ってプレーできたので、メンタル面に関しては安心してプレーできました。最後に後輩たちに、4年生の姿を残したいと思って挑んだ大会で、チームの雰囲気づくりや取り組みというのを残せた大会だったのかなと思います」

 

――高校時代に優勝を経験したリンクでした。

 「決勝では、高校時代に優勝した同じベンチで、もう試合前に優勝を確信したような気持ちでいました。いいイメージができて、試合内容も優勝した時と同じで、点差がついていても、負ける気は全くしなかったです。でも、同じようにはいかないような結果で、優勝した時とはまた違う涙を同じベンチで流したことは、とても悔しかったです」

 

――リーグ戦は2年連続ポイント王、最後のインカレはアシスト王でした。

 「おそらく、2年連続でポイント王を取った人はいないと思います。そういう面では、自分で自分を褒めたいと思えます。ポイント王を取るにあたって、尊敬している、いとこの高橋瞬(平31政経卒)に教えてもらったことがあります。『ポイント王は意識して取れるものじゃない。一生懸命チームのためにプレーした結果で付いてくるものだ』。自分自身、この言葉を大切にしていて、その通りの結果になったので、自分からしたら、誰よりもチームのためにやってきたという自信があるので、当たり前の結果だと思っています。誰もが簡単に取れるものではないし、最もふさわしい人がこの賞に値すると思っているので、本当に素晴らしい賞だと感じています。インカレのアシスト王に関しては、4年目はゴールよりアシストが多く、チャンスメークを上手くできていた結果、決めてもらうことが多かったので、決めてくれた人のおかげだと思っています。これもまた、一生懸命チームのためにプレーした結果なので、アシスト王を取ったという実感はあまりないです。でも、最後に取れたのは、素直にうれしかったです」

 

――最後の1年を振り返っていかがですか。

 「最後の1年間は、本当に濃い1年間でした。一番意識したことは、オンとオフの切り替え、そして、明大のアイスホッケー部を後輩に教えることでした。練習は誰よりも真剣に。オフの時間も誰よりも真剣に楽しむ。言葉は変かもしれないけれど、後輩たちは分かると思います。その分、大変な思いをしたと思います。でも、この1年間で教えたいことは教えてきたつもりだし、またそれを後輩が伝えてくれることに期待してます。アイスホッケー面では、春から本当に自分がどんな選手なのか分からないほど、期待とプレッシャーに押し潰されそうになりました。あまりこういう話を周りにしたことがないし、決まった選手にしか話さなかったのですが、本当につらい1年間でした。自分が活躍しないと、自分がなんとかしないと、自分がチームのつらいときを救うような結果を出さないといけないと、考えることが昨年よりも倍以上に増えて、自分の背中にたくさんのチームメイトを背負っているというような気持ちでプレーしていました。でも、それが幸せであり、頑張れる要因でもありました。それが4年生であると思います。なので、この1年間、つらく苦しく、とても幸せで楽しかったです」

 

――明大での4年間を振り返ってください。

 「いとこである、高橋佑輔(平27政経卒)、高橋瞬はどちらも憧れであり、自分のアイスホッケーの師匠でした。どちらも明大に進学していて、小さい頃から自分も明大に入りたいと思っていました。また、チームカラーもオンとオフの切り替えという面に引かれて、進学しました。明大に進学して後悔はないです。逆に進学して良かったなと思います。他大学に進学していることをイメージすると、本当に行かなくてよかったと思います。こんなにもさまざまな経験ができる大学で、勉強面もアイスホッケー面も社会人になるという上下関係面でも、全てを学べました」

――1年生の頃から、将来の優勝を望まれていた世代でした。

 「入学した時から、自分たち同期は強いし、負けなしの4年間にしようぜと話していて、何も知らないガキでした。当たり前のように優勝できていた、1年目を経験し、さらにその気持ちは膨らみました。2年目になり、優勝することの難しさに直面し、試合に勝つことの難しさも知りました。3年目には、チームのことを考えてプレーし、試合に勝つという難しさを経験しました。最強世代と言われていても、勝てないのが大学で、それが難しいのが大学です」

 

――3年次からエース番号の10を付けましたが。

 「明大の背番号10はとても大きく、重かったです。歴代の10番の先輩方を見て、自分にはふさわしかったのかは分かりません。でも、自分は自分なりに結果を残そうと努力してきました。誰でも付けられるような背番号ではないと思いますが、10番を付けてアイスホッケーをプレーできたことはとても幸せでした。ですが、10番を付けて、一度も優勝に導くことはできませんでした。結果を残すだけが10番ではなく、チームの結果を残さなければ何も意味がないと思います。ポイント王やアシスト王、そんなことよりもチームとして優勝に導くのが10番であると思いました。自分的にはエースとして、何かできたのかと言われると何もできなかった10番でした。でも、本当に10番を付けることができて幸せでした」

 

――ここまでのアイスホッケー人生を振り返っていかがですか。

 「これまで本当に幸せなアイスホッケー人生を送ることができました。小中高大と全てのカテゴリーで日本一を経験し、日本代表にも4度選出され、本当にいい思い出がたくさんつくれました。でも、華やかな経歴の裏に、血のにじむような努力をしてきました。小学生から中学生まで、ランニングと技術練習を毎日、地味な反復練習をし、誰にも真似できない努力を行ってきたと自負しています。高校では、毎朝誰よりも早く学校に行き、練習し、誰よりも夜遅くまで練習してました。大学では、誰よりもチームのことを考えてきたと思っています。どのようにしたら、チームが勝てるのか、どうしたら優勝できるのか、チーム内でどういう存在でいなければならないのか、大学はそういう面で多く悩み、考えました。その結果として、華やかな経歴をつくり、大学ではポイント王を取ることもできました。誰にも真似できない、アイスホッケー人生を送ってきたと思っています。つらく苦しく、幸せなアイスホッケー人生でした」

 

――これからどうアイスホッケーと関わっていきますか。

 「おそらく、もう注目されるようなところではプレーしないと思います。最後の年に考えていたことは、アイスホッケー界に名前を残せるくらい活躍して、すっと消えたいと夢見ていました(笑)。辞めるのであれば、かっこよく辞めたいと思っていたので(笑)。でも、引退して思うのは、小さい子とかにアイスホッケーを教えてみたいなと思います。思っているだけですが。自分の経験を伝えることも面白そうだし、すごい選手を育てていくことも楽しそうだなと思っています。もし、そういう機会があれば、教えてみたいなと思います。そこでまた、同期とスタッフで対決するというのも面白そうなので(笑)」



――同期との思い出を聞かせてください。

 「同期との思い出は、たくさんありすぎますね。そして汚い話ばかりです(笑)。実を言うと明大に入る時、こんなにすごい選手ばかりの同期とアイスホッケーができることに対して本当に楽しみにしていて、本当にうれしい気持ちがいっぱいでした。この同期でよかったなと思うことは、なんでも一緒に楽しむときは楽しむし、悲しむときはみんなで悲しむし、悔しいときはみんな悔しいと思うし、みんなで同じ気持ちになる時です。同期は、クセの強い集まりですが、なんだかんだ、みんな優しくて、みんな友達想いです。そんな同期と4年間一緒にいれたことが、本当に自分は人生の宝物だと思っています。この時間は何にも変えられない大切な時間だと思っています。馬鹿なことして、たくさん怒られたし、問題しか起こさないような同期だったけれど、本当に幸せな時間でした」

 

――同期の皆さんへ伝えたいことはありますか。

 「DF青山大基(法4=釧路江南)、最高のキャプテンで最高のチームを作ってくれて本当にありがとう。キャプテンになったときは俺もキャプテンやりたくて、喧嘩して、好きなだけ俺が文句言って、大基は話を聞いてくれて、納得いく答えを言って、喧嘩は収まったよね。俺は大基がキャプテンだからこそ、ここまでチームは強くなり、秋リーグの負けからインカレ決勝の試合までチームが急成長できたと思う。大基がキャプテンで明大アイスホッケー部の主将で、本当に良かったと思うし、本当に感謝しかない。最高の4年間という時間を、最高の4年目を作ってくれて本当にありがとう。DF三浦大輝(法4=駒大苫小牧)、いつも怒られるようなことをしているのは俺とミーが一緒にいたときだよね(笑)。でも、楽しい時間をたくさんつくったね。そして思い出もたくさんつくったね。同期で飲み会があると、毎回記憶をなくすのはこの2人だったね(笑)。面白い話は、一番多くつくったんじゃないかな? いつも俺の誘いを、断ることを知らないっていうくらい誘いに乗ってくれてありがとう。ミーとたくさん思い出つくって、俺はこのミーとの時間がとても幸せだったよ。GK畑中(秀斗・政経4=苫小牧工)とミーとの時間が離れてから、一番悲しく寂しくなるんだろうと思いながら、離れます。天才くん、これからも活躍期待しているよ。またいつか、記憶なくす寸前まで飲み語ろう。FW田名部共弘(文4=八戸工大一)、1年目から俺はライバルとして、ずっと意識してホッケーしてたよ。悩んで、苦労していたように俺は見えてた。ともくんにどう声かければいいか迷ってた時期もあった。ともくんは、オンとオフが本当にハッキリしていて、たくさんアホなことしたし、本当に笑わせてくれてた。特に、アブリカブリという名言はこれから先も覚えておくし、笑わせてもらうね(笑)。熱い話をしてる記憶が一番多い、ともくん。誰よりも熱く、クールなように見える高身長イケメン。そのルックス活かしすぎて、社会人ではモテまくらないようにね。また、会える時を楽しみに、お互い切磋琢磨(せっさたくま)してこれからも頑張ろうね。DF廣田恵吾(営4=北海道清水)、本当に同期で一番、ダル絡みが多く、ラーメン大将でした。以上です。というのは冗談で、またダル絡みされるからちゃんと。アイスホッケーでは、本当に頼れるDFで、4年目で一番負担をかけて、自分を潰してチームを優先してくれたんじゃないかな。本来は3セット目のDFとしてはもったいないけれど、チームのことを考えてプレーして、3セット目を引っ張ってくれてありがとう。そのおかげで、インカレ準優勝の結果を出せたと思う。本当に感謝してるし、恵吾じゃなきゃできない仕事だったよ。社会人になったら、ラーメンの食べ過ぎ、ビールの飲み過ぎで、痛風にならないようにね。気をつけてね。FW下山学路(商4=北海道清水)、たくさんアホなことして、たまにケンカして、そんなことを繰り返して、なんでも言い合える仲になったね。学路は、何も考えてないように見えて、しっかりと考えてるし、やるときはしっかりやる人で、オンとオフがはっきりしてるよね。俺はそういう部分、リスペクトしてたよ。ゲームに関しては右に出るものはいないほど強いし、大体、ゲームのことは聞いてたね(笑)。ゲームしすぎて、昼夜逆転しないように(笑)。FW吉岡莉央(文4=武相)、クールな印象とは逆に、ハチャメチャなやつだったよ(笑)。いろんな話をしたし、いつも俺のことを面倒見てくれているような気がする(笑)。本当にいろんな話をしたな。就活のときもしたし、卒論のときもしたし、アイスホッケーについても話したし。アイスホッケーの時は俺を頼ってくれて、一番ベンチでも支えてくれて、声かけてくれてたよね。本当にいろんな面でお世話になった。あの声かけがなかったら、俺は冷静でいられなかったと思う。本当にありがとう。助かったよ。顔はクールなのに、気持ちは熱い男で、俺はそんな熱い莉央が好きだったよ。社会人になっても、お互い大変なことがあっても、また支え合って、頑張ろう。畑中、学部が一緒で、常に一緒にいて、一番一緒にいた同期だよね。1年目は学校終わりにラーメン食べて帰るのが日課で、かなり太って2人とも焦ったけど、秀斗だけがいまだに戻らず太ってるね。早く痩せて、あの若い頃に戻れるように頑張って(笑)。たくさん思い出あるし、たくさん話したし、本当に一番思い出深いやつだよ。1年間終わって、2人で居酒屋行ってお疲れ会したり、本当に楽しかった。また、2人でサシ飲みを楽しみに先に社会人で頑張ってるから、秀斗も頑張れよ。ミーと俺とまた、3人でいつものように飲み語ろう」

 


――最後の大会は無観客でした。家族へ伝えたいことはありますか。

 「昔から俺のアイスホッケーで連れ回され、やりたいことも我慢させられ、俺優先だった妹たちには一番我慢させてしまったんじゃないかな。本当にありがとう。そのおかげで、俺はアイスホッケーを楽しんで幸せにできた。本当に感謝してるよ。俺が悩んでいるときも、妹たちの笑顔を見たらそんなのも忘れるくらい、支えてくれてたよね。引退して思う、俺なら妹たちみたいに我慢できなかったと思う。本当にすごいと思うし、素直に尊敬する。感謝しか言葉が見つからない。ありがとう。お父さん、お母さん、小さい頃から、好きなようにやらせてくれて、お父さんは小学校の頃、毎朝自主トレーニングに付き合ってくれて、本当に感謝してます。怒るときは怒ってくれ、褒めてくれるときは褒めてくれ、本当に良いお父さんでした。そして、お金のかかる、アイスホッケーをたくさんやらせてくれて、大学まで行かせてくれて、本当にありがとうございます。お父さんの『大学行っていいんだぞ』という言葉で大学行くことを決めたし、小さい頃から行きたいところに行かせてくれて、アイスホッケーをしたいところに行かせてくれて、腰を怪我したときは、毎週札幌の病院まで連れて行ってくれて、本当に大変なことを当たり前のようにしてくれて、感謝してます。本当にありがとうございます。これからは、社会人としてお父さんの弟子として、しっかりとしていきます。お母さん、最後俺の頑張っている姿は見てくれていましたか。最後に見せられたのは、大学3年目の秋リーグ。最後にポイント王という初めて大きな賞を取れて、泣いて喜んでくれてましたね。素直に俺もすごくうれしかったし、最後に見せられて良かったなって思う。お母さんの力は偉大で、お母さんの支えがなかったら、どこかで道を間違え、アイスホッケーなんてしてなかったと思う。いつも全体練習が終わってから夜遅くまで自主練習をしても、温かいご飯を準備してくれて、高校時代に悩んで、アイスホッケーを辞めたいというときには、体調が悪いのに、毎週のように車を走らせ、無理して暖かいお弁当を届けてくれて、釧路に連れて帰ってくれて、辛い時にいつもそばにいて支えてくれて本当にありがとうございました。感謝してもしきれないです。お母さん、本当に感謝してます。ありがとう」

 

――最後に後輩たちへエールをお願いします。

 「最初に伝えたいことは、優勝を経験させてあげられなくてごめん。本当に優勝を経験させたかった。でも、俺らが残したことは、優勝以外にもある。それは各自が感じているだろうし、見てきていると思う。帯広のリンクでのインカレ決勝を、負けた悔しさを忘れずに、来年度戦ってほしいです。いつもどんな時でも、あの時悔しかった、倍にして返してやると常に意識して毎回の練習に取り組んでほしい。その結果として、必ず優勝できる。お前たちなら必ず優勝できるし、3冠を目指してやってほしいです。今の明大アイスホッケー部は、ポテンシャルがあるやつもたくさんいるし、技術面では本当に他のチームに負けてない。これは常に俺が言ってきたけど、これは間違いない。何が足りないのか、俺は総合力、チーム力だと思います。個人で強くてもチームで強くならなきゃ。それに気づかないと一生勝てないよ。今気づいたんだから、それを来年、廉(FW中條・政経3=白樺学園)を中心に4年生が引っ張って、後輩たちに次へと伝えていってほしいです。それをまずは、結果に残して、頑張ってほしい。明大アイスホッケー部は強い。自信と誇りを持って、来年いい報告待ってます。最高にいい思い出をつくってくれてありがとう。本当に感謝しています。大好きな後輩たちを応援してるよ。頑張れ」

 

――ありがとうございました。

 

[藤山由理]