
(18)惠中崇敬 世界王者に死角なし
栄光の裏に
不断の努力が実を結んだ。和歌山県代表として出場した高校2年次春の全国大会。体調は万全の状態から程遠かった。本番10日前にインフルエンザを発症。不測の事態に見舞われるも「神様は見放さなかった」(惠中)と、冬場の徹底した走り込みが功を奏した。体力低下の心配もなく1分半の演武を力強くやり切り、結果は優勝。日頃の積み重ねが惠中に高校初の栄冠をもたらした。
最初から熱心だったわけではない。小学1年生で始めた少林寺拳法だったが、中学では距離を置くように。高校で先輩から勧誘され再開するも、姿勢は幼い頃のままだった。ただ練習をこなす日々が続く中、1年の秋に右足の親指を骨折。療養に専念している時、同期から掛けられた言葉が負けず嫌いの惠中に火をつけた。「少林寺拳法では負けへんで」。ケガが治ると部活の練習に加え、以前通っていた道場で日が暮れるまで汗を流した。夢中で練習に明け暮れ、努力が結果で表れた頃には、すっかり少林寺拳法が好きになっていた。
目標の先へ
目指したい、と思える演武を目の当たりにした。2年次のインターハイで、一つ上の宮迫汰一(商2=大阪産大付)も惠中と同じく単独演武の部に出場。「一人だけずばぬけていた」。力みのない構えから、大きく速い技を繰り出す演武は、惠中の理想とするものであった。「この人と組んだらうまくなれる」。宮迫の背中を追って明大進学を決意した。
5月の初めに開かれた関東学生大会。当初は宮迫と組演武に出場する予定だったが、宮迫はケガの影響で出場を断念。急きょ単独演武での出場となり、結果は2位。憧れの先輩と組むことも、優勝することもかなわなかった。思うような結果は残せなかったが「ポテンシャルは高い。練習もしっかりやる努力家」(宮迫)と評価されている。目標とする人から一目を置かれるも、惠中は決して慢心しない。「目標の人を超えるのが目標」。明大を代表する拳士へ。今日も鍛錬を怠らない。
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