4年生特集(6)チーム支える大黒柱 伊澤実孝

 1年間の集大成を見せる。リーグ戦を昨季と同じ5位で終え、11月23日からは全日本学生選手権が幕を開ける。今季は2度のヘッドコーチ交代など激動の1年となったが、新チーム発足時からインカレ優勝を目標に戦ってきた。今回は大学最後の大舞台に挑む4年生1人1人に話を聞いた。

 最後に紹介するのはチームの絶対的大黒柱、伊澤実孝(政経4=愛知産大工)。現役選手では唯一、おととしのインカレファイナルの舞台を経験している。その経験から2年間、一回りも二回りも成長した伊澤が、最後のインカレで再び輝きを放つ。(この取材は11月20日に行ったものです)

――インカレまであとわずかです。今の状態はいかがですか
「個人の状態というか調子は悪くないです。リーグ戦の疲れも抜けているので、あげれているかなと思います。今年は例年に比べて練習量が足りなくて、その中でリーグは戦っていけたんですけど、インカレの一発勝負っていう短期間の試合で、いかに最後まで集中しきれるかっていうところが未知数な部分ではあるので、一試合一試合を大事にしていきたいです」

――毎年インカレ前に髪を切られていますが何か理由があったりはしますか
「今年は区切り的に切ろうかなと思って。リーグ前にも切ったので一区切りついたので切ろうかなと。特にこだわりとかはないです(笑)」

――今年は昨年に比べてチーム力が落ちると言われる中で、春の関東トーナメントで昨年を超える4位、秋のリーグ戦も順位は同じですが勝ち星を伸ばしました
「環境がガラッと変わった中で、チームとしても不安がある中でやってきました。最低限の結果は出せたと思いますが、そこにいくまでの過程の部分がまだ突き詰められてないですね。内容をしっかりしていくことで結果の方ももっと付いてくると思います」

――今年はインサイド陣が少ない中でやってきました。苦労や疲労などもこれまで以上にあったと思います
「(後輩に)問題児がいっぱいいるんで、その問題児が暴走しないことを願っていました。ただ後輩もかなり経験は積んできてくれてるので、インカレはもう少し伸び伸びとやってくれるかなと期待してたりもします。疲労っていう意味では1年のころからずっとなので、特に疲労とかは気にしないでやってこれてます」

――4年目の今年、得点ランク3位、リバウンドランク5位と過去最高の成績をリーグ戦で残しました
「自分がしっかり点を取ってリバウンドも抑えないといけないポジションではあるので、そこがしっかりとできて仕事は果たせたかなと思います。ただもう少し、シュートだったら確率だとかリバウンドだったら数を抑えたりしていかないとっていうのが上位陣とやっていく上ではありますね。数字にそのまま表れない部分をもっと突き詰めていかないといけないです。特に数字にはこだわらずにやっていきたいと思います」

――今年印象的な試合はありますか
「特にどれっていうのは個人的にはないですね。例年に比べると試合の内容だったりも悪いことが多かったりするので。東海とかといい試合をしても最後に勝ち切れないっていうのがあって、最後まで勝ち切る力がないっていうのがリーグの中で出てきた課題です。インカレだったらいい試合をしても次は本当にないので、そういう試合を勝っていけるようにしないといけないです。内容に毎回差があるので、そこをもっとよくしていきたい」

――結果で決まってしまうインカレですが、やはり内容を大事にしたいということですね
「内容を重視していかないと、結果にも結び付かないし、後輩たちの来年にもつながらないので。悪い内容で勝っても、今後につながっていかないし成長っていう部分でも何もないと思うので、一試合一試合全員が力を出し切っていければいいかなと思います」

――過去3年、インカレを経験して雰囲気などはつかめていると思いますがいかがですか
「インカレは集大成でもあるし、4年生の意地が本当にぶつかり合う大会なので、どれだけ4年生が気持ちを持っていけるか。自分とか吉本(健人・法4=藤枝明誠)がプレーで引っ張って、ベンチワークでも4年生が全員ベンチにいるので、引っ張っていければと思います。インカレは本当に4年生の気持ち次第です」

――今年1年、体制の変化に伴う苦労があったと思いますがどのような1年だととらえていますか
「こういう機会っていうのは本当に少ないと思うので、得るものは多かったです。一人一人役割が違って、それぞれにとってこれからのためのいい経験になったと思います。こういう機会をポジティブに捉えるしかないっていうのは、春先からずっと思ってることだし変に重く考えたりすることはなかったです」

――春先はチームづくりの難しさを話していました
「つくりあげるのは本当に難しいので、つくりあげるより成長という方を意識していました。形にとらわれず自分たちがやりたいようにやって、それがどう影響を与えるかっていうのはやらせないと分からないことなので、伸び伸びとやってそれがどう自分たちの成長につながるかっていう成果をインカレで発揮できればいいですね」

――4年生はどういう学年ですか
「最初は全員が自分がやらないといけないと思い込んでしまっていて、自分の意見を押し付けることもありました。徐々に自分たちが何をすればいいかを分かってきた感じです。自分がプレーで引っ張るなら、周りが雰囲気だったり普段の行動で引っ張る。練習では自分と吉本が中心になって、途中でしっかり役割分担が分かったので、そこからチームがまとまりました」

――練習を引っ張る上では昨年までの経験は大きいですか
「厳しい雰囲気の中でやってきていたっていうのが自分の中にあるし、周りも自分がやって来たってことは分かっていて、自分の言うことも信頼して聞いてくれるので、そこには本当に感謝しています。宮本(滉希・政経2=明成)は何も聞かないです」

――明治のバスケ部の政治経済学部には負の伝統がありますね
「そうですね…。(留年者が)もう3年連続で(笑)。下は田中井(紘章・政経3=山形南)は大丈夫だと思いますが…、三井君(啓史・政経3=札幌日大)がどう頑張るかと、その下の宮本も危ないので(笑)」

――この先もバスケは続けますか
「そうですね。バスケがないとやっていけないので(笑)。進学も全てバスケできてるし、バスケをやらないと次にいけないと思っています」

――ちなみに明治に入るきっかけは
「高校の監督と塚さん(塚本清彦前HC)が昔からの知り合いで、自分のことを塚さんにいってくれたからですかね。震災があったときに自分が高3だったんですけど、そのときに明治の体育館が使えなくて、明治が愛産(愛知産大工高)の体育館に来て一緒に練習をしたりしてたのもあって、顔も知ってもらえたので」

――その時の印象は
「すごい基礎を重視してやってて、高校と全然違いましたね。その時は付いていくのに必死でした。その後入学当初は少し、そういう練習は今までやってきてなかったので少し嫌でした。ディフェンスのことを重視して言ってるしディフェンスのことしか言わないくらいの感じだったので。試合を見たり少し出してもらったりしたときに分かって、最初はディフェンスをやらなきゃ試合に出れないんでやってましたね」

――入学して4年生が辞めてしまいました、その時の感じは
「本当すぐでしたね。すごいシビアだなと。ただ辞めちゃった理由も就活に専念したいっていう先輩たちの気持ちもあって、両方やって両方適当になるよりはっていう感じだったので、そういうこともあるのかなと思いました」

――4年生がいなくなってすぐ伊澤さん、黒崎さん(海斗・営4=新潟商)、吉本さんがトップに挙げられたと聞きました
「そうですね。吉本がなんかやられてましたね(笑)。その時は驚きはしましたけど、高校のときも監督の気持ちが出てしまうこととかはあったので特に何も思わなかったですね。見てて自分は笑っちゃいましたけど(笑)。ドンマイって感じで」

――1年生のころから試合に出ていますが入学してすぐ試合に出られるのはどうでしたか
「最初の方はうれしかったですけど、少しずつプレータイムが伸びるにつれて自分の責任というのも出てきましたね。ただ試合に出れたことで練習の意図とかも分かったので、早くから試合に出れて良かったなと思います。出る試合は長いと20分とか出してもらえたり、短いときは本当に1回も出なかったりですね。」

――1年生のインカレで3位になったときは試合に出てなかったと聞きました
「あの時のインカレは準決勝から風邪ひいてたので…。準々決勝までやって、次の日の朝に風邪ひいて、すいませんって感じでした。ああ…って感じでした。やっちゃたなと。専修に勝って上機嫌で帰ったら次の日の朝おかしいぞと、熱が9度あるぞと。準決勝3決と休んで、次の日実家に帰りました(笑)」

――1年目のインカレはどんな印象でしたか
「1試合目2試合目はあまりプレータイムはなくて、その辺はインカレは4年生の大会なのであまり出れないことに関しては何とも思ってなくて、でたときに自分の仕事をしようって感じでした。自分の仕事はしっかりできたっていういい印象もあります。1年の時は周りの先輩たちに助けられて自分の力が出せました。その時は2年生3年生が中心のチームで、自分は経験っていう意味で出してもらえていただけなので、周りからのプレッシャーもきつくなくやれました」

――そのメンバーが変わらないまま2年生になり、2年目のチームとしてその次の年に挑みました
「インサイド陣の先輩が全員ケガしたので、それで一気に自分の責任が大きくなりました。そうするとやらせてもらうだけじゃなく、自分の力でなんとかしないといけない時間も増えてくるので、いい経験になりました」

――皆川さん(徹・平27営卒)がケガをしたのが1周目の青学戦、連敗中でチームの雰囲気も悪くなり、それでも伊澤さんがやらないといけない立場になってどんな心境でしたか
「あのケガを見たときはやばいぞと。試合が終わった瞬間は自分がやるしかないって感じでした。インサイドが1人しかいなくなったので。やるしかないって気持ちが大きく出たのと、ケガはできないなって思いました」

――伊澤さんはあまりケガで長期離脱するイメージはないですね
「ひどいケガっていうのはあんまりないですね。ケガをするようなプレーをあんまりしないので。ずっとケガをしちゃいけないポジションにいたので。大学入ってからもそうですけど小中高とずっとそんな感じでした。バスケ始めてからずっとです。小中高と自分のポジションが手薄なチームにしかいなかったので」

――昨年までの3年間、1番苦労したのはいつですか
「個人的に苦労したのは1年のときですね。練習についていくのに必死だったので。基本的にトップチームでやってたのもあって」

――入学してから基本的にトップなんですね
「そうですね。何も起きない限りは(笑)」

――2年生のときの春、関東トーナメントに伊澤さんの姿がなかったのを覚えています
「自分の気持ちが折れてました。バスケやりたくなくて…。練習試合にいかなくて、夕方体育館に来て、「バスケやれません」って」

――その後の新人戦には戻ってきました
「新人戦くらいが頃合いかなと。自分がやらなきゃいけないというのもあるし、リーグに出るならそのくらいには戻ってないといけないなと思っていました」

――新人戦はいかがでしたか
「みんな試合に出てない面子だったので、試合に出れる喜びが強かったのかなと。あの時は今の3年生が存分に力を発揮してくれましたね。チームとしてみんなで力を出せた大会だと思います」

――新人戦では得点ランクで2位に入りました
「個人的にはやれると思ってたので。自信を持って、俺に任せろくらいの感じでした。得点もリバウンドも取らないといけないっていうのはバスケをしてきてずっとですね」

――身長が193cm、周りのセンターと比べると少しサイズ的には劣る中で互角以上にやり合ってる秘訣は
「高校のときに、同じ県に中国人とかセネガル人もいたので、そいつらとずっとやってきたのがありますね。相手が大きかったり留学生だったりしても意識することはないですね。やりがいもありますけど、変に意識しすぎることはないです」

――母校の愛知産大工はどんなチームですか
「今は全国にいったりするチームじゃないですね。今は桜丘だったり中部第一とかの方が強いですね。高3のときはインターハイが1回戦負けで、ウィンターカップはベスト16とかでした。何とか全国に出れるって感じでした。昔は優勝したりしてた学校ではあるんですけど。スタイルとしては自分たちの頃は1対1メインでした。チームオフェンスというよりは全部1対1でした」

――そこから明治にくるとスタイルが真逆ですね
「本当真逆でした。1年の時本当に苦労しました。覚えることが多くて…」

――イメージとして、戦術理解度とかが高い方だと思いますが、最初の頃は苦労されたんですね
「バスケIQは高い方だっていうのは高校のときから言われてますね。基本的にコーチに言われたことはすぐ理解できます。覚えることが多くて、自分の知らないバスケは楽しかったです。考えてやることも多くて、練習中からずっと考えてその中でいい選択をしないと試合には出れないので、そういうこともあって自分のバスケ観は大学に来て変わったと思います」

――大学でバスケをすることはいつごろから考えていたんですか
「親がずっと大学にはいけと言っていたので、どうせバスケで進学だろうなと思ってました(笑)」

――高校進学のきっかけは
「愛産が結構中学生も練習に参加させてもらえる高校だったんですけど、それもあって最初に愛産(愛知産大工高)に練習に呼んでもらいました。中2の時に初めていって、その時に監督に声を掛けられました。最初は高校とか決めてるのかって聞かれました。3年と勘違いされたんですね。「まだ2年なんです」って言ったら、来年のこの時期になったら声を掛けるから良かったら考えといてと言われました。そこからは機会があれば練習に呼んでもらって、雰囲気も分かってたし先輩の顔も分かってたのでいいかなと。中3の時の担任の先生もバスケの人だったので、愛産にいくので他のところは全部断ってくださいと言いました」

――1番経験がありますが主将をやってないことについては
「塚さんにはガラじゃないだろって言われてました。キャプテンとか押し付けずに、どうせ試合になったらお前がリーダーなんだからチームとしてお前に押し付けたりはしないと言われました。去年も主将は小山さん(耀平・平27文卒)で泰斗さん(中東・平27文卒=現三菱ダイヤモンドドルフィンズ)が引っ張ってたので、特に抵抗とかはなかったです。主将の経験も中学校の時だけなので」

――主将経験はあまりないのですね
「そうですね。高校のときもガラじゃないからやんなくていいだろって言われて。中学校のときは周りが周りだったので、消去法で自分がやるしかないって感じでした。楽しくはなかったですね。レベルの違いもあったりして。中学は県大会に出れるくらいですね。出ても1回戦2回戦で負けるくらいの」

――そこから愛知産大工に誘われたんですね
「拓大にいる成田と中学で同じチームだったんですけど、成田のお兄ちゃんが愛産でキャプテンをやってたので、それもあって呼ばれたりしたと思います。そこはよく分かんないですけど」

――伊澤さんと成田さんがいたらかなり強そうですが
「2人しかいなかったので。チームとしてってなるとなかなか勝っていけなかったですね。成田はずっと自分が黙らせてたので(笑)。今は会場とかであったらちょっと話すくらいです。あいつは僕にタメ口を使う唯一の後輩です(笑)。他の奴には使わせませんけど、小学校から一緒でバスケのレベルも高いし、付き合いも長いのでいいかなと。最初にバスケ教わったのもあいつの父ちゃんなんで」

――そうなんですか
「あいつの父さんが小学校でミニバスをやってて、そこに自分が顔を出しに行ってバスケを始めました。小学3年のころです。親になんか運動したらって言われて野球とバスケが小学校でやってて、先に野球を見に行ったんですけど、すごい走らされるし外だしでやめときました(笑)。それでバスケにしようと思っていったら楽しかったんで始めました。ミニバスは強くはなかったですバスケを楽しくやろうって感じでした。自分は小学校のときはよくいるデカいやつって感じでしたね。外をやりだしたのも中学からですね。細かいことはミニバスでやらされてたのでできましたね。ハンドリングも悪い方ではなかったです。良くもないんですけどでかいやつにしてはって感じでした」

――高校に入ってバスケのレベルが高いところでやるようになったんですね
「そうですね。高校のときも1年のときから普通に使ってもらえたので良かったです。最初靭帯を切って手術した流れで入って、半年間バスケをやってなかったので。ウィンターカップの予選から出ました。夏ごろから練習はしてて、出てからはずっとスタートで使ってもらいました。高校で初めて全国に出れて、うれしさはあったんですけど2回戦で延岡学園とやって大敗して、全国のレベルの高さを知りましたね」

――1年生から出れることが多かったんですね
「中学も高校も入ったら自分が1番大きかったのでポジションっていう面でも良かったのかなと。ずっとインサイドでしたけど、シュートも打っていいし好きにやってました。シュート打つのが好きで、ゴール下だけ打つのもつまらないので結構打ってました。シュート打たないと何も始まらないので。今も自分がもったら全部決めるつもりでいるんで、打てると思ったら体勢とか気にしないで打ちます。試合に出れる期間が長いのは恵まれてると思います」

――フォームが独特だとよく言われますが
「自分としては普通に打ってるつもりです。自分のリズムが合うときに打ってるだけですね。下がって打つのが普通になってたりします。かわしたりするのは高校のときに自分に留学生がついてくるので、うまく打たなきゃいけなくて、最初の頃は考えて打ってたんですけど、慣れてくるとそれが普通になりましたね。ドリブルとかも同じです」

――伊澤さんは4年間寮ですよね
「去年も小山さんとか泰斗さんはそうでしたね。親に寮にいていいか聞いたらいいよと言われたので。寮でずっとゲームしてました。RPG好きなんで、ドラクエとかポケモンとかやってます」

――お父さんは毎週試合を見にきていらっしゃいますね
「単身赴任で今東京に住んでるからですね。土日は基本的に暇なので毎週きてますね。たまに母とかも来る感じで。父が野球とテニスをやってて、母さんが剣道なのでバスケをやってたとかではないです」

――最後にインカレの抱負をお願いします
「目標はチームとして優勝することです。自分としても負けたくはないです。内容を突き詰めていくバスケを大学では学んだので、そこは最後までしっかりやりたいです」

――ありがとうございました。

◆伊澤実孝 いざわみつたか 政経4 愛知産大工高出 193cm・90kg 登録ポジションはPF(パワーフォワード)