
4年生特集(4)堅実さ光る3Pシューター 吉本健人
――インカレまで1週間を切りましたがチームの雰囲気はいかがですか
「チーム状況は悪くないです。まだ上がり切っていないところがあるので、もっと練習の質を上げていい形でインカレに入っていきたいです。今日の練習でも細かいミスが多くて、東海とやった時とかは小さいミスが重なって追い付かれたので、そういうところが大事になると感じたので、残りわずかですけどみんなで気を付けていい練習をしたいです」
――組み合わせも決まりましたが、まずは日体大という感じでしょうか
「そうですね。リーグ戦最後で4位か5位か6位というところで、一番マシな山に入ったので、このチャンスを生かしてまずはベスト4に入りたいです。でも日体もでかいし、自分たちとリバウンドの相性が悪いので、みんなでしっかり意識するのとあとはディフェンスをきっちりやることですね」
――準々決勝で対戦が濃厚の青学大は相性の良さを感じますか
「リーグ戦では2つ勝てているので、やりやすさはあります。ただ向こうも最後だし相当気持ちも入っていると思うので簡単には勝てないと思います。ただやることをしっかりやれば勝てる相手なので、弱気にはなっていないです」
――インカレを勝ち上がるためのポイントになるところは
「いつも通りですけど、やっぱりディフェンスです。インカレはどこもチームが仕上がってくると思うので、ディフェンスが鍵になると思います」
――話は変わりますが、バスケを始めたきっかけは
「小学校2年生の時にお兄ちゃんがやっていて始めました。自分は巨人がめっちゃ好きで野球がやりたかったんですけどそれは叶わず、その時柔道もやっていてバスケと掛け持ちをすることになりました。最初はただクラブに入っているだけで楽しくなかったんですけど小3の時にチームの人が少なくなってきて出れるようになって段々バスケが楽しくなりました。でもミニバスの上の人たちもみんな野球が好きで、みんなで遊ぶ時は野球をしていました」
――柔道はいつからやっていたんですか
「小学校1年から始めて、小2の夏でやめました。昇級審査で同じ時期に入った人の中で自分ともう1人の2人だけ上がれなくて、挫折しました(笑)。おじいちゃんがけっこうすごい柔道家で、最初は柔道で強くなりたくて「オリンピック出たい」とか言っていたんですけどね。ダメでした、甘くなかったです(笑)」
――ミニバスのチームは強かったんですか
「あんまり強くはなくて、ただ単にやっていたという感じでした。全国に出ようぜということでやってはいましたけど、なかなか勝てなかったです」
――中学では中東さん(平27文卒 現三菱電気名古屋)との対戦もあったようですが
「普通に地元の中学に行って、お兄ちゃんもいて1個上の代がメンバーが集まっていて奈良で上の方に行けました。ずっとベスト8止まりだったんですけど、最後ベスト4までいけて決勝リーグで、そこで泰斗さん(中東)のとこに勝って近畿大会に出れました。泰斗さんのとこは新人戦で優勝して春も確か2位とかで強くて勝てる気がしなかったんですけど、最後謎に勝っちゃいました」
――中学の時はがっつりバスケという感じだったんですか
「練習はきつかったですね。若い学生コーチでその人がめっちゃ走らせる人で、自分らの中学が城跡だったんで75段の階段と坂があって、そこをずっと走っていました。しんどかったです」
「そうですね、そこで藤枝明誠の監督が見ていて声をかけてもらって進路が決まりました。僕らの代はけっこう上までいって最後は東京Bと当たって3クオーター目まで勝っていて、これいけるんじゃねってなったんですけど、田渡稜(現Dominican University of California)と池田慶次郎(現早大)に爆発されて負けました。東京はAとBがあってどっちかは毎年強いんですけど、やっぱり強かったですね」
――当時のポジションは
「今と似たような感じですね。2番でボール運びもやっていました。その時は3Pは全然入らなかったです。ミドルシュートは得意だったんですけどね」
――高校は親元を離れての進学でしたが、やはり強いところでやりたいという気持ちが強かったですか
「そうですね、小中とめっちゃ強くしたいというコーチの元でやっていたわけではなかったので、熱心な先生のところでやってみたいというのがあって決めました」
――藤枝明誠はディフェンス練習をしないということでしたが
「本当にほぼやらないです。ウォーミングアップの時にちょっと構えをやるくらいで、あとは1対1とか実戦ばっかりです」
――3Pはいつから打つようになったんですか
「高校で、朝6時から7時半までひたすらシューティングするんですけど、その時にうまくなりましたね。本当に嫌ほど打つんで(笑)。毎朝5時起きなんで朝練は死にそうでした。3年間学校はある時は毎日で、土曜日も学校がたまにあってやりました。でも頑張らないと試合に出れなかったので、1年の時は必死でしたね」
――高校時代で印象に残っている試合などはありますか
「2年生の時に僕らインターハイでシードだったんですよ。月バスとかに載って浮かれてたら、初戦で尽誠と当たって4クオーター目残り5分くらいで20点負けてて。うわ、負けたわと思ってたら成田(現拓大)がスリーを5本くらい決めて、延長になって逆転しました(笑)。いい思い出ですね」
――3年生の時は沼津中央に苦しんでましたね
「そうですね(笑)。ソウ(現近大)に全部持っていかれました。あれはズルいっすね。しかも沼中は1年の時から同じチームでつくってきていて、めっちゃ完成されてました。自分らがもう2年の時に負けちゃったんで、やっぱ相手が強かったですね」
――藤枝明誠といえばスポーツが盛んなイメージがありますが、学校内のヒエラルキーはどんな感じだったんですか
「理事長がサッカー部が好きで、サッカー部はめっちゃ待遇がいいんですよ。バスケ部は監督が柄が悪いというか、ルール守らなかったり先生同士でけんかしたりしていたので、嫌われてましたね(笑)。でも結果は残すんで何も言われなかったですけどね」
――明治に進学したきっかけは
「最初は高校でバスケを辞めようと思ってたんですけど、高3の時にどっかでプロになりたいなと思って、とりあえず大学はもうちょい頑張ってみようかなということで。古さん(古本樹・平26政経卒)がいて、1部の強いとこでやりたいということは先生に言ってて、最初は明治はきついからと古さんに言われていて候補にはなかったんですけど。わがまま言っていられなくて、監督が話をつけてくれて取ってくれることになった明治に決まりました」
――藤枝明誠というと拓大のイメージが強いですが
「何だろう、多分自分はそこまでだったんじゃないですかね。あと一応自分成績良くて、とは言ってもスポーツクラスなんで簡単なんですけど、監督からお前は勉強できるとこ行けって言われてて、それで明治を推してくれたみたいです。最初の頃は毎年拓殖に行っていて自分らの代だけ行かなかったんで、色々聞かれたりして嫌でしたね(笑)今は明治に来て良かったと思ってます」
――小中高大とバスケをやってきて、今までの自分のピークはどこでしたか
「2個とかありですか?ありだったら1つは中2ですね。近畿大会に出たところからジュニアオールスターくらいまでですね。で、もう一つは去年ですね。高校はそんなです。高校は自分らの代が弱くて一番成績悪かったんで、大したことなかったです」
――先輩とかはすごかったですか
「本当に1個上がすごすぎて、やっぱりその反動ってくるじゃないですか(笑)。上の人ばっかり出るから、僕らの代は経験を積めなくてみたいな。あと僕らの時は祐眞さん(藤井・現東芝ブレイブサンダース)みたいな、ああいう選手がいなかったので、それも大きかったですね」
――大学に進んで、塚本さんのディフェンスを軸としたバスケは藤枝明誠とはいわば対極のものだったと思うんですがいかがでしたか
「中高と指導者はしっかりした人でしたけど、塚本さんみたいに基礎を徹底的にやる人は初めてだったで、正直嫌でしたけど今となってはすごい良かったなという感じはあります。きっちりうまくなれたというか、しっかりバスケットを教えてもらえましたね」
――大学に入って最初に衝撃を受けたことはどんなことですか
「とりあえず練習量ですね(笑)。ついていけなかったです。平日とかは普通ですけど、夏とかは練習も多いし、何よりここ(心臓)にかかる負担が大きかったので(笑)。こんな緊張感の中でやんのかみたいな。しかも僕らが入ってすぐに4年生がやめちゃって、いきなり8人くらいで練習したんですよ。3月くらいに来てチームが1回崩壊して、明日はこのメンバーでやれって8人くらいでやらされて。もうびびり倒して、シュート打ったら全部エアボールで、そういうところから始まりました大学は」
――入学前はどんなイメージをしていましたか
「解説とかやっているのを見てたんで、めっちゃバスケ知ってる陽気なおじさんで、絶妙なアドバイスをくれてうまくしてくれるのかなと思っていたんですけどそれとは違くて、でも言ってくれることは高度なことだったのですごい良かったです」
「伊澤と海斗(黒崎・営4=新潟商)くらいしか知らなくて、あと杉本はミニバスでやっていたので知ってましたけど、啓(税所主将・情コミ4=興南)も秋葉(真司・政経4=能代工)も知らなくて、正直うまいやつが伊澤くらいしかいなくて、みんな俺らの代になったらやばいぞみたいな危機感を持ってやってこられたので、今となってはそれが良かったかなというのはあります。伊澤以外はみんなベースに落とされたりしていて、やばいやばい言いながらやってきましたね(笑)」
――1番苦労したのはどんなことですか
「練習の中で良くはめられていたので、いかに練習を止められないようにするか、内容をりかいしてきっちりこなすかというのが大変でした」
――はめられるというのは
「例えばディフェンスメニューで抜かれたらピッって止められて、まず怒られて、それからリピートさせられて塚さんにOK出してもらえるまでやるんです。変に言いがかりつけてきたり、普段そこまで言わないじゃんみたいな時があって、そういう時は意図的にはめにきてるんですよ。今となってはあれが大きかったんですけどね、怖かったです。自分は頭悪いってずっと怒られていたので、そういうことで気を付けることがいっぱいありましたね。ちゃんと人の話をしっかり聞くとか(笑)。僕は自分でも今ぼーっとしてたと思うくらい、ぼーっとしちゃうことがあるので、意識を張りめぐらせてやってました。」
――塚本さんは話が長かったそうですが
「そうです。だからそれを自分でうまく必要なところだけ取って、今のはこういうことを言いたかったんだなというのを理解しないと。自分最初は全部聞こうとして、結局何が言いたかったんだってなって大事なことを忘れたりしましたね。話がどんどん違う方にいったり、何週もしたりするんで、理論の話をしているはずが結局メンタルに行きついたりするんで(笑)。慣れてくるとうまく聞けるようになるんですけどね。とりあえずディフェンスの話はよくされました」
――背番号55はどういう経緯で決めたんですか
「本当は14が良かったんですけど、金丸さん(平23政経卒・現アイシン三河)の番号だったのでさすがに付けれないってなって、高校の時に部屋が一緒だった人が大学で55を付けていたのでそれにしました。愛着はあんまりないっす。付けれるなら今も14がいいですね。小学校の頃から縁のある番号なんで」
――昨年のリーグ戦までなかなか出場機会もなかったと思いますが難しい時期というかそういうのはなかったですか
「3年の初めとかは本当にもうバスケを辞めようかなという感じでした。本当に嫌になって投げ出したくなりました。2年までは出れないのも割り切れていたんですけど、3年でやっと出られると思っていたら、まあ考えも甘かったんですけどなかなか出られなくて。塚さんの感じだと3年で出れないと4年もほぼ出られないんですよ。田中成也さん(平26文卒・現広島ドラゴンフライズ)とかは別ですけど、大体は出れてもつなぎみたいな。それで終わったなと思いました」
――昨年の春のトーナメントは2、3年生の起用があまりなかったですね
「春もまた1回チームが崩壊して、それが影響したんだと思います。自分とかがベースに落とされて、ちょうどベースが朝体育館で練習をやっていて、となりでトップが試合をやる日があって、その時にベースがだらだらしていて。最初シューティングしなくちゃいけないんですけどやっていなくて、お前ら明日から来るなみたいに言われて、そこから崩壊しました」
――下積みが長くて、試合に出られるようになった時というのは変化はありましたか
「何より入れて良かったなというのがありました。練習の意図や言っていることが分かってきたというか、考えてくれているんだなということを感じられるようになったりしました。それで練習でも色々やってみようとか取り組み方も変わってきましたし、いい方向に向かいましたね」
――そして何より大変だったと思うのですが、この1年間はいかがでしたか
「リーグ戦は毎日おびえてやっていたんですけど、最後はチームもまとまってきたし、今年はみんなで乗り越えてこれた感じがあったので良かったです。リーグ戦の最初はいい感じで勝てて、でも疲れが溜まったりして勝てなくなって不満も出て、悪いピークが拓大戦(2回戦)だったじゃないですか。そこでみんな自分たちがやばい状況にいるということを感じて立ち直れました。そういう意味では、むしろきっかけとしてあの敗戦は良かったんじゃないかと思います。あそこまで悪かったことはなくて、春も何だかんだ勝てちゃっていたので」
――あの拓大戦は何が悪かったんですか
「何だったんですかね(笑)。みんなが本当に気持ちもバラバラになっちゃったし、気持ちも切れちゃいました。今はあの時のことを思うようにして、例えばぐだったらまたああいう二の舞になるぞみたいな。教訓ではないですけど」
――2度のスタッフ交代があって、改めて4年生の難しさという面ではいかがでしたか
「とりあえず自分たちの思う通りにはいかないなというのはすごい感じました。何でも、こうなってくれないかなと思うものは、全然うまくいかないし。協力することでしたね。変に自分たちがぐいぐいやったり頑張りすぎるより、みんなで協力してやろうというのが大事でした」
――4年生になって意識の変化はありましたか
「コーチもこういう状況だし、選手として出ている以上責任は感じました。でも特にめっちゃ意識変わったみたいなことはなかったです。けっこう自分はストイックなんで、もとから(笑)」
――4年間を通じてどんなことを学べましたか
「とりあえずやっぱり練習が大事だっていうことが一番ですね」
――さきほどもおっしゃっていた明治に来て良かったと感じることは
「バスケで活躍できたこともそうですけど、これまでバスケしかしてこなかったので、そのバスケで考え方を学んだというか、バスケ以外にも生かせることを学べたように思います。うまく言えないですけど」
「一番は合宿を帰ったことです(笑)。4年になるまで合宿をちゃんとやり切ったことがないんですよ。合宿で毎年やらかしてたんで。1年の時は塚さんに怒られている時に反抗してしまって、お前頭冷やしてこいと言われて奈良に帰りました。怒られまくって病んでて『お前やる気あるのか』って言われた時に『ハイ』って言っちゃったんですよ(笑)。それで強制帰宅ですね。2年の時はケガしててベースの方でリハビリしてたんですけど、朝早くて眠くて無意識にあくびしてたら知花さん(元アシスタントコーチ)に怒られて練習組の方が走らされるっていう。帰らされてはいないんですけど、迷惑かけました。3年の時は頑張ってたんですけど、最後に体調崩して寝込みました。今年は楽勝でした。やり切れてあたり前でしたね」
――インカレは学生バスケの集大成となりますが思うことはありますか
「まあバスケしかやってこなかったですけど、もうバスケが好きっていうのはあんまりないです。好きかどうか分からないです、とりあえずやるみたいな(笑)。最後ですけど、自分は気負ったらダメになるタイプなので、いつも通りやりたいと思います」
――改めて最後に意気込みをお願いします
「今年は色々あったけどみんなで積み上げてきたものは多いので、それをもう1回しっかりみんなで見せて戦って、まずはベスト4に入れるようにしたいです。そしてそこから先はチャレンジャーとして頑張ります」
――ありがとうございました
◆吉本健人 よしもとけんと 法4 藤枝明誠高出 185cm・79kg 登録ポジションはSG(シューティングガード)
[尾藤泰平]
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