
4年生特集(2)安定感もたらす4年生ガード 黒崎海斗
――インカレまで1週間を切りました。チーム状況はいかがですか
「リーグ戦を5位という形で終われたのは良かったです。選手で団結してやれたのが、結果につながったと思いますが、リーグ戦終わって、オフ期間に入ってからの切り替えがあんまり良くないです。今日の練習を見てもミスが多かったりしてるので、インカレは流れを向こうに乗られたら立て直すのは難しいっていうのは4年間で分かってるので、初戦の入り、3年間ずっと悪いですけど、自分たちの持ち味のディフェンスをやるのが、勝ちにつながると思います。4年生が中心になって、後輩がどれだけモチベーションを挙げていけるかだと思います」
――今年は昨年よりチーム力が落ちる言われる中で、春の関東トーナメントではベスト4、秋のリーグ戦は昨年より勝ち星を伸ばしての5位でした
「春は塚さん(塚本清彦前ヘッドコーチ)のときは、春は成長する大会っていうのがあって、今年はそういう感じじゃなくて、春から狙っていくという感じだったのでベスト4になれました。自分があんまりコートに立ってなかったのであれですけど、リーグ戦は思った以上に相手が伸びてなかったです。外から見てて思いましたし、東海とやったときも、そんなにどうしようもないほど差があるとは思いませんでした。リーグ戦前は結構やられるかなと思ってたんですけど、あんまりそういう感じもなかったので、(インカレも)チャンスといえばチャンスだと思います」
――トーナメントとリーグで印象深い試合はありましたか
「拓大の試合も1点差で勝てたなんですけど、その前の専修ですね。競った試合に勝っていくことが大切なので。この前の東海とのホームゲームも、競ってたけど負けちゃって、慶應との試合も。今年は交代も少なくて、オーバータイムとかも厳しくなる。そういう競った試合で勝つことが大事で、リーグではそういう試合が何試合もあって勝てた試合もあった。そういった部分で、手応えじゃないですけど、経験ができて良かったと思います」
――今年はスタッフ陣が2度変わりました。今までの3年間とは全く違う1年になったと思いますがいかがでしたか
「苦しかったですね。特に春は大変でした。今までが厳しかったり頭を使うバスケだったりを教わってきてて、それは自分たちには染みついてるんですけど、1、2年生にはそれだけのモチベーションとかを持つのが難しいんですよね。そこを4年生で何回もミーティングして、どうやったらいい方向にもっていけるかを考えてました。ちょっと怒鳴りつけることもありましたし、今まで監督が言ってくれてたのを自分たちがどうまとめていくか、というのを初めて考えました。それが今いいチームになりつつある要因の一つかもしれないですし、終わってみれば良かったと思えるかもしれないんですけど、あの時は本当に大変でした」
――昨年までは絶対的な指導者についていく中でも、自分たちで考えながらやるという形でやっていたと思いますが、今年は0から自分たちで組み立てながら後輩を引っ張っていくというのはいかがでしたか
「選手同士で言うのは、学年とか関係ないけど、言ってるやつができてなかったら言われてるやつもどうなんだと思いますし、それは言ってるやつも気にしながら言っていたと思います。そこは難しかったところですけど、4年生は3年間の経験値ある中で、今までと変わってもディフェンスは変わらないということは言ってて、そこは妥協しちゃいけないとやってきました。そこにうまく下の意見も入れて。経験で何とかしたという感じでした」
「まず自分があまり試合に出れないので、悔しいっていうのはあって、でも今年のチームの状況を考えた時に、自分の役割は、塚さんのときの3年間、外から見て学んでる部分が多かったので、會田(圭佑・法3=市立柏)だったり治耀(吉川・情コミ2=京北)だったり拓実(齋藤・営2=桐光学園)だったりに、今こういう状況だからこうした方がいい、というのをちゃんと言うことだなと。あとは試合出るときは、今のスタートの中にはしっかりと声を出すやつがいなくて、乗ってるときはいいけど、乗らなくなったときにしんみりやっちゃうので、そういった部分でディフェンスで声出してディフェンスをやろうと思ってます」
――春はなかなか雰囲気が締まらなくて、それを分かってるのが黒崎さん、吉本さん、田中井さん、だと伊澤さんから聞きました
「焦りが変な方向にいってたと思います。伊澤(実孝・政経4=愛知産大工)と吉本(健人・法4=藤枝明誠)はかなり考えてくれてたと思うし、自分も考えてましたけど、あいつら2人が本当に軸なので、2人なくしてここまでこれてないので、そういった意味では、よく頼らせてもらいました。あんまり試合に出てない自分が何か言っても中でやってるやつらはイラッとくると思うので。言い方には気を付けてましたし、2人の言う強さをうまく使ったり、啓をうまく使ったりして、サポートしたりして、後ろから支えるじゃないですけど客観的に見てやる感じでやってきました」
――3年生のリーグからトップに定着して、4年間の中で一つの区切りになったと思いますが、4年間を通してみるといかがでしたか
「4年間トータルで見れないですね。3年と1年になっちゃいますね。最後の1年はバスケットした感じがないんですよ。プレーじゃない部分で考えすぎて疲れました。出れなかったからそう思うのかもしれないですけど。3年間だったら肉体的につらい。早く引退したい(笑)。でもその区切りっていう意味では去年筑波でやった白鴎戦。そのときにスタートで使ってもらったのが、自分の中でやる気になったきっかけ。もっと頑張らなくちゃいけないと思った試合の一つ。それまでも頑張ってはいたんですけど、空回りしていた感じがありました。その少し前に八ヶ岳に合宿にいって、ガード陣がめちゃくちゃ声を出すという練習をやって、そこでの頑張りが認められて使ってもらえたので、そこでもっと試合に絡んでいきたいと思ったし、バスケが楽しくなりましたね。厳しいんですけど、うまくはまってった感じがありました。それと2つ上の森さんたちの代がインカレ準優勝したときの準決勝の青学戦、自分がベンチに入れなくて後ろで見てたっていうのも、自分の中では4年間やってきた中で大きい試合です。その2つが自分を変えてくれた。もっと頑張ろうと思えた試合で、自分のモチベーションビデオじゃないですけど、今でも青学戦は何回も見ます。ああいうバスケをしたい思いましたね」
――ちなみに明治にきた理由は何だったんですか
「1部でやりたいっていうのがあったのと、1番最初に高校の監督から言われたのが明治だったので。バスケ好きだったしいい大学行きたかったので。だから全然知らないで来ました。決めてから、面接のためにこっち来る機会があって、ちょうどリーグ戦だったのでその時見たんですけど、全然楽しくないんですよバスケが。やべえぞこれはって思いました。塚さんだから点数入んないですよ。その試合も大東とかに2点差とかで負け
――ポジションはずっとPGだったのですか
「そうですね。苦労した思い出とかもなかったんですが…。大学来たら粉砕されましたね」
――高校の話に戻りますが高校のころはどんな成績でしたか
「インターハイでベスト8で、ウィンターカップは愛産(愛知産大工)に負けたんですよ、伊澤に負けたんです。2回戦か3回戦くらいであいつに40点くらい取られて、まさか一緒の大学にくるとは(笑)。プレーはあのまんまです、全然変わんないです。本当にうまいです。大学でも1年からあんな感じですから。新潟商はディフェンスのチームで、守って走るチームでしたね。大学きたら全然違くて、守ってしっかり組み立てるみたいな、誓哉(安藤・平27情コミ卒)さんとか組み立てすごいうまいじゃないですか」
「自分もそれを考えていました。塚さんにも言われてましたし。安藤誓哉は自分で得点を取りにいくガードで、清水さんがいい例というか、ディフェンスしっかり頑張って流れつくってっていう地味ですけど大切な部分をしっかりやってチームを支える人だったので、めちゃくちゃいいお手本になって自分の中でありがたかったです。試合でも安藤誓哉より、清水さんが出た時によく見てました。でも自分は頭がないので…何やっても違うと言われてなかなかうまくいかなかったです」
――話は変わりますが、バスケを始めたきっかけは何でしょうか
「5つ上の兄ちゃんがバスケやってたからです。兄が小4くらいで始めて、それの送迎についていってたらそこの監督が小さいボールを買ってくれて、それで遊んでたらいつの間にか入ってました(笑)。小学校1年生のときにはもう試合に出てました。何もしてないですけど。兄の代は人もそろってたんですけどその下はそろってなくて、2年生のときにエース番号を付けてました(笑)。エース番号が18なんで、明治きたとき18つけようと思ったら、こやさん(小山耀平前主将・平27文卒)が18つけてて…。変えてくださいって言いました(笑)。でも88も兄が大学の時に付けてた番号なのでそれでいいかなと思ってました。小学校2年からエース番号を付けるとは(笑)」
――ミニバスの成績は
「県行けなかったですね。地区で1つしか行けなくて、2位だったのでいけませんでした。中学は普通の公立中で3年のときに県大会のベスト8までいきました」
――その頃のスタイルは
「点数バリバリ取ってました。エースみたいな感じでした。身長も小学校で155cmだったんですけど、中学で175まで伸びました」
――中学で175だとセンターをやったりすることもありそうですが
「あんまり大きくなかった1年生のころからガードやってたので、監督も分かってくれてたのかなと思います」
――ガードは好きですか
「ここに来て嫌いになりました(笑)。それまでは好きでした」
――高校はどのように進学しましたか
「なぜか新潟商から声がかかって。自分たちの代のうまいやつとかエンデバーとかえらばれてるやつが集まってる中に自分がいるっていう(笑)。岩淵さん(俊紀・平27国際卒)とかも中学でめちゃくちゃうまい人で。そこに自分がいくっていう謎の(笑)」
――最初は周りに圧倒された感じもあったんですね
「入ったときはやばいと思いました。呼ばれて一回いった体験入部で、試合にいれてもらったらバスケのレベルが高すぎて。今まで自分が1番上で点も取ってたのが、パス出せば全部決めてくれるんですよ。それがもう楽しくて、ここにしようと思いました。あんなにバスケ楽しかったのは初めてです。その時は先輩すごい優しかったんですけど、入ったら最初に締めですよ。いきなり正座しろって言われて。一個上の人が締めるんですけど岩淵さんとかもいましたね(笑)。大学入ったときは丸くなっててびっくりしました。3年生が朝7時15分くらいからシューティング始めるんですけど、その前の6時15分くらいから2年生がシューティングして、その前に自分たちはいないといけなくて、先輩のボールはきれいな奴じゃないといけないんですよ。そのために5時半くらいに学校ついて、ボールだけ取って抱えながら寝とく、みたいな(笑)。アラームかけて先輩来る前にシューティングしてたふりをしとくって感じでした。1年生のときは地獄です。自分たちの代でかなり緩くしたんで今はだいぶ緩くなったと思います」
――新潟商は割といい選手が集まってたんですか
「そんなにですね。新潟からはまあまあ集まってましたけど、本丸の富樫とかの全中優勝してる代もみんな他いっちゃってたので」
――それでもインターハイでベスト8までいけたんですね
「組み合わせも良かったです(笑)。福岡第一に負けました、鵤、田中光、山本純平とかですね。みんなでかかったですね。鵤についたんですけどやばかったですね。自分が体格ないからかわかんないですけどインサイドでめっちゃ攻められて、ガツガツきたんですけどシュート入んなかったんで良かったです。田中光がやけに入って、それで点数離れて駄目でした」
「全然いないですね。1部でやってるのは自分くらいですね」
――インカレでもしかしたら対戦する新潟経営大には
「いますね。2人いるんですよ。だからできれば上がってきてほしいんですけど厳しいですかね…医療福祉にもいてそっちには友達もめっちゃいますけどブロック違うのであれですけど。新潟大好きなので頑張ってほしいです。新潟はいいですよ」
――高校のころはどんな主将でしたか
「自分でも尊敬するくらいくそ真面目でした。本当に真面目で高校の後輩誰に聞いても真面目だったって言うと思います。今のおちゃらけた感じとは全然違います(笑)。根は真面目なんですけど盛り上がるのは好きっていう感じなんですかね。祭りが大好きで、片貝祭りっていう地元の祭りに毎年行ってます。今年は開幕してすぐあって、状況も状況なので帰れないと思ってたんですけど、気が付いたら足が向かってました。4年間いってます(笑)。去年はリーグ戦の日とかぶってて、でも絶対行きたいと思って、マネージャーとこやさんに頭下げて(笑)。次の日も10時とかから練習だったんで間に合うように行きましたね。新潟愛がすごいあるので卒業後も地元帰ります。仲間集めてバスケも楽しくやろうと思ってます」
――最後にインカレへの抱負をお願いします
「自分たちの代はもう最初からインカレ優勝するぞってなってたんですけど、ごたごたがあって、それどころじゃない部分もあって。後輩にはここまででだいぶ残せるものは残せたので、最後一花咲かせたいです。目標は優勝で、そこは絶対変えたくないです。最後、勝ってあの舞台に立ちたいです。個人としては集大成なんで、悔いが残らないように、自分の仕事をしっかりやること、今まで支えてくれた人、塚さんだったりきりさんだったり親とか友達とかそういった人に感謝の気持ちを持って最後の舞台に立てればなと思います」
――ありがとうございました。
◆黒崎海斗 くろさきかいと 営4 新潟商高出 178cm・71kg 登録ポジションはPG(ポイントガード)。
[松井嚴一郎]
関連記事
RELATED ENTRIES