番外編 女子バスケットボール部の原点

番外編 女子バスケットボール部の原点
 新たな舞台に挑む。昨年、2年越しの悲願となる創部初の2部昇格を果たした女子バスケットボール部。しかしチームの目標はあくまで「2部にいくことではなく、2部でどう戦うか」。昨年から抜けた戦力はわずかに1人。有望なルーキーも4人加わり、個の能力、チーム力をさらに高めたチームは後半戦へと挑む。

 リーグ戦も残るは2戦となった。2次リーグ第1週では連勝し、入替戦回避が決定。今年度最後の公式試合に向けチームもこれまでになく成熟してきた。初の2部リーグは目標の上位リーグへの進出は叶わなかったが、順調に勝ち星を伸ばしている。今回はそんなチームを作り上げ、2010年まで30年近くにわたり率いた阿部敏一郎元監督(昭24商卒)のお話しから、女子バスケットボール部の歴史と今を見ていく。

 明大体育会には選手は男子のみの部、男子女子両方が所属する部があるが、バスケットボール部には唯一、男子部と女子部が別々に存在する。その女子部の創設者は、当時男子部の監督を務めていた阿部氏。「東京六大学の中で女子のバスケットはあまりにも弱すぎるからなんとかしようじゃないか」という考えから、1982年に動き出した。大学やOBは消極的であったため、阿部氏と当時男子部3年生でマネジャーをしていた息子が自らの足を使って明大に女子のバスケットボールを根付かせた。

 阿部元監督「せがれが学校の各クラスの授業始まる前にみんなが集まってるところに行って誰かやらないかと選手を引っ張りに行った。それで3人集まったて、その中にバスケットをやってたやつは一人だけ。桐生から来た女の子だけで、後はバスケットはやったことないけどやってみてもいいと。3人じゃ試合にならないけども、例えば六大学の試合をやるときに慶應とやるとなれば慶應の使わない選手を借りてきて明治のユニフォームを着せて5人でやった」

 人数が集まらず練習どころか試合もまともにできない状態の部に、経験者はなかなか入部してこなかった。そんな中でも「練習だけはやろう」と努力の日々。1995年には4部リーグから3部リーグへと昇格を果たした。しかし翌年には人数不足のため自然と再び4部へ降格。同じようなことを繰り返しながら地道な努力を重ねてきた。

チーム一丸となって戦う <
チーム一丸となって戦う

 長年の努力が実を結び、女子部もスポーツ推薦の枠を獲得。上位進出への足がかりをつかんだ。「なんでだろうね、新人戦でベスト8に入ったんだよね、それを見て学校がびっくりしちゃって入れるようにしてくれたんだよ」。今では、毎年2、3人は推薦枠で入部するようになり、メンバーは14人と少ないながらも2部リーグでも対等に渡り合う実力を持てるようになった。「それがだんだん実ってきたというのが一つの結果になってきたんじゃないかな」。阿部元監督は2部で奮闘する選手たちを前にそう語った。

 今年度女子部キャプテンを務める川副主将は「どれだけ後輩たちに明治のバスケを教えてあげられるか、かつ自分たちが楽しめるか」と残り少なくなった大学の公式戦を前に抱負を語った。明大が伝統とするは守って走るバスケ。速攻が決まれば明大がゲームの主導権を握る。だがもう一つ、明大ならではの武器を手にし始めている。それは人数が少ないからこそのチーム力だ。コート上の選手も、ベンチの選手も全員で戦う。どんなに当たられてもひるむことなくゴールに向かう選手と最大限のサポートと絶えない声掛けで集中力を押し上げる選手が一緒になり、一本を守り一本を取りに行く。「チームの結束力はどこよりも強いと思う」と伴。リーグ戦最終週に向け、チームの仕上がりは上々。2部上位に入ることは叶わなかったが、昇格初年度で明治の爪痕を残してみせる。