【競走部】紫魂不撓
昨年度の関東学生対校選手権で見事1部残留を成し遂げた競走部。今年度は主将・木村稜(政経4=乙訓)を中心にさらなる高みを目指す。特に長距離ブロックは、あと一歩手が届かなかった箱根駅伝シード権に向け、エース・児玉真輝(文4=鎌倉学園)を中心にチーム一丸で取り組む。旅路は険しいかもしれない。だが、紫魂を胸に、不撓不屈の精神で走り続けた先にはきっと輝かしい栄光が待っている。特集ページ〝紫魂不撓〟ではそんな明大競走部の1年間を追い続ける。
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(161)【特別企画】鳥栖工高・古川昌道監督インタビュー
競走 2023.12.21昨年度の箱根駅伝(以下、箱根)で7区区間賞から瞬く間にトップ選手への仲間入りを果たした杉彩文海(文4=鳥栖工)。今回はそんな杉の高校時代の恩師である鳥栖工業高校・古川昌道監督に、知られざる杉の高校時代について赤裸々に語ってもらった。(この取材は11月22日にオンラインで行われたものです) ――杉選手の第一印象を教えてください。 「まあまあ勉強できると聞いていたので、普通に勉強で高校に行くんだろうと思っていました。ですが、陸上したいという話をよそから聞いてそれならぜひうちで一緒にやりましょうということで来てくれました。なので、最初は真面目な子という印象しかなかったです」 ――3年間を通して杉選手の走りはいかがでしたか。 「彼はケガをしない代わりに筋疲労がたまりやすいタイプで、練習を時々崩すことがありました。ですが、試合での表現力はある方だったので、しっかりいい走りをしてくれましたね」 ――杉選手はチームのムードメーカーとしての面もありますが、高校時代もそのような印象はありましたか。 「試合になると私が言ったわけではないのに必ず五厘にしてきました。気合入っているなと思って。私の前ではどちらかというと寡黙でおちゃらけた様子はほとんど見せなかったですね。仲間内では相当ひょうきんなことをやっていたうわさは聞いていました。私の前とは全然違うので、周りが二重人格だと思うくらい面白い子だったみたいです」 ――練習中の姿はどうでしたか。 「練習で手を抜くとかは全然なかったですね。さっきも言ったようにたまに練習で崩れる時はあったんですけど、基本的にはケガもないししっかり走っていたと思います」 ――古川監督は指導する際にどんなことを心掛けていますか。 「一番はやっぱり練習以前の生活をしっかりやるということですね。それと物事に取り組む姿勢が練習メニュー以上に大事だよと日頃から伝えています」 ――今でも連絡を取ったりすることはありますか。 「意外にこまめに連絡してくれます。教え子たちはいい結果が出た時しか連絡してこないんですけど、杉はめちゃくちゃひどい結果の時も連絡してくるので、そういうところはいいところだなと思います」 ――現在の杉選手の走りを見て、何かアドバイスはありますか。 「ちょっと筋肉質なので、長い距離に対応するのに時間がかかると思っていました。なので、大学2年生くらいまでは疲労がうまく抜けなかったみたいで結果を聞いても大丈夫かなと心配するくらいでした。だんだん疲労の抜き方が分かってきて試合でもかみ合うようになってきたので、今の感覚を大事にしてさらに距離を伸ばして走れるようになったらいいと思います」 ――前回の箱根では7区で区間賞でしたが、その時の気持ちを教えてください。 「最初から積極的に入ったんですけど、後半の伸びがとにかく良くてこれはひょっとしたら区間賞に届くんじゃないかとテレビで見ていて分かるくらいいい走りでした」 ――杉選手は上級生になるにつれて頭角を現してきましたが、どのような要因があると思いますか。 「大学はそれなりの選手が集まってきますので、簡単にはいかないだろうと思っていましたが、ケガも少ないタイプなのでそういったところでじっくりと力を付けたおかげで3年生から結果を出せるようになったと思います」 ――箱根ではどんな走りを期待しますか。 「まずは自分の走りをきっちりやってほしいですね。チームに貢献する走りをしてくれたらと思っています」 ――最後に杉選手にエールをお願いします。 「息の長い選手になって、たくさん活躍してくれることを期待しています」 ――ありがとうございました。 [石井遥] 第100回箱根駅伝まであと12日。鳥栖工高・古川昌道監督インタビューの記事は12月21日発行の明大スポーツ第534号(箱根駅伝特集号)にも掲載します。ご購入フォームはこちらから!READ MORE -
(160)【特別企画】鎌倉学園高・保田進元監督インタビュー
競走 2023.12.21紫紺のエースとしてチームをけん引してきた児玉真輝(文4=鎌倉学園)。今回はそんな児玉の高校時代の恩師である鎌倉学園高校・保田進元監督に、知られざる児玉の高校時代について赤裸々に語ってもらった。(この取材は12月4日に行われたものです) ――児玉選手と出会ったのはいつですか。 「児玉と同じ中学にもう1人速い子がいて、その子がうちの練習に来るときに一緒についてきたのが初めてでした。なので、元々は全然知らなかったです」 ――児玉選手はどんな選手でしたか。 「真面目で責任感の強い子でした。自分が先頭に立ってチームを引っ張っていて、練習後は毎日みんなを集めてその日のチームの反省をしていました。逆に言うと責任感が強すぎる面もあって、仲間にもずばりと苦言を呈しちゃって優しい子を泣かせちゃうなんてこともありましたが、その子はそこから立ち直ってチームの主力として活躍してくれたので、そういった面も含めて素晴らしい選手でした」 ――競技面以外で印象に残っていることはありますか。 「競技面以外でも24時間365日陸上のことを考えて行動できる子でした。うちは夏になると冷房を強めにかけるんだけど、児玉はいつもジャージーを着て体を冷やさないようにしていました。また、睡眠や食事の面でも気を使っていて、細かいところまで気にすることができていました。あとは、陸上だけじゃなくて勉強も頑張りたいということで、明治に進学した理由もそこにあると思います」 ――鎌倉学園陸上部の特徴はどんなところですか。 「僕は高校で終わらせたくないっていうのが第一でした。大学でも陸上をして1人でも多く箱根を走ってほしいっていう思いがあります。勉強もそうだけど、やっぱり嫌いになっちゃったらおしまいだから長い目で見て指導していました」 ――児玉選手にアドバイスをするとしたらどんな言葉を送りますか。 「やっぱり適度な休養が必要だと思います。真面目過ぎるから練習もずっとしちゃうので、少し気を抜いて心に余裕を持てると変わってくるのかなと。あとは、調整がうまくいくかですね。児玉は寒さに弱いので、そこが他の大会に比べて結果が見劣りしている原因の一つだと思います。今冬は暖冬みたいなので、調整がうまくはまって、本来の力を発揮してほしいです」 ――これからどんな選手になってほしいですか。 「実業団に就職する以上ニューイヤー駅伝が一番の目標になってくると思うけど、やっぱり世界を目指してほしいね。走り方とかを見ても適性があると思うので個人的にはマラソンで日の丸を背負ってほしいと思っています」 ――最後に児玉選手にメッセージをお願いします。 「力まずに任された区間を楽しんで走ってください」 ――ありがとうございました。 【島田五貴】 第100回箱根駅伝まで12日。鎌倉学園高・保田進元監督インタビューの記事は12月21日発行の明大スポーツ第534号(箱根駅伝特集号)にも掲載します。ご購入フォームはこちらから!READ MORE -
(159)【特別企画】箱根駅伝100回記念大会 明大OBインタビュー 中国電力編/岡本直己
競走 2023.12.21今回で100回を数える箱根駅伝(以下、箱根)。第1回から出場している明大は数多くのトップランナーを輩出してきた。今企画では箱根路で活躍した明大OBらをお招きし、当時の心境や箱根、明大に対する思いを伺った。 現在中国電力に所属する、岡本直己選手(平19政経卒)のインタビューです。(この取材は11月22日にオンラインで行われたものです) ――大学時代を振り返っていかがですか。 「楽しかったですが、イメージ通りにはいかなかったですね。自分は1年生で箱根に出て、2~3年生でシード権を獲得して、4年生で優勝するという高校生が考えるような青写真を描いていたので、そこまでうまくはいかなかったです。なので、今の子たちが(自分の思いを)引き継いでくれればなと思います」 ――明大競走部に対してどんなイメージを抱いていましたか。 「私の頃はこれから強くなる大学というイメージでした。西さん(弘美スカウティングマネジャー)がちょうど来られたタイミングで、明治にいた高校の先輩から少し情報を得て進学を選んだ経緯があります」 ――西元監督はどんな方でしたか。 「明大のイメージに近いかもしれませんが、個を強くするというか選手を尊重したやり方でとてもやりやすかったです。私としてはやらされているというより自分から進んで練習をしていました」 ――大学時代から今につながっていることはありますか。 「自分で考えて練習することを教えてもらって、そこは今にもつながっていると思います」 ――自分で考えて練習するというのは具体的にどのようなところですか。 「体あっての競技なので、体と相談しながら練習を組み立てていくことを学びました」 ――岡本選手が2年生の時に明大は箱根本戦に復帰しましたが、その時の心境を教えてください。 「素直にうれしかったですね。1年生の時に出場できなくて、2年生の時は戦力がそろっていたので出場できるとは思っていましたが、箱根駅伝予選会(以下、予選会)の独特な雰囲気の中ですごく緊張しました。全員がゴールした時点でおそらく通過したとは思っていましたが、呼ばれた時の感動は忘れられないものがありますね」 ――予選会の独特の雰囲気とは具体的にどのようなものですか。 「1年生の時に出場できなかったということで、もう1年待たなきゃいけない緊張というかプレッシャーを感じました」 ――箱根本戦に復帰できた要因はどんなところだと思いますか。 「元々選手がそろっているというのはありました。それでも1年生の時は出場できなかったので、やっぱりあの苦い経験をもう二度と味わいたくない思いで練習に取り組んだことが一番大きかったと思います」 ――箱根の魅力はどのようなところにあると思いますか。 「関東規模の大会ですが、正月に何時間も全国生中継していることでの影響力はすごいと思います」 ――箱根は今年度で100回を迎えますがその歴史について感じるものはありますか。 「私自身このブランドや歴史に憧れて関東の大学で走ることを選んだのだろうなと思います」 ――岡本選手が大学生だった時と今の箱根の違いはどんなところだと思いますか。 「やっぱり世間の注目度じゃないですかね。私がいた時もすごいなと思っていましたが、今の盛り上がりは違うものだと思います。少し嫌な言い方になってしまいますが、選手がスターになっていると感じます」 ――岡本選手は三度出走されましたが、一番印象に残っているレースはどれになりますか。 「3年生の時の1区です。結局は区間6位に終わってしまいましたが、勝負どころである18キロ付近の六郷橋で短い間でしたが全体のトップで走ったのは気持ちよかったです」 ――4年生の時には2区を走られましたがいかがでしたか。 「エース区間と言われているので独特の緊張感がありました。また、最後の3キロがとてつもなくきついのでそこを走り抜く覚悟とかも含めて不安はありました。その中でもあの難しいコースを走ることができたのはうれしかったです」 ――明大OBで多くの方が実業団で活躍されていますが、親交のある方々はいらっしゃいますか。 「やっぱりうちのチームで一緒にやっている中島大就(令2商卒・現中国電力)。あと鎧坂哲哉(平24営卒・現旭化成)はずっと付き合いがありますね。MGCを一緒に走った木村慎(平28商卒・Honda)とかも。あとは牟田祐樹(平28農卒・現ロジスティード)、横手健(平28政経卒・現富士通)。そのあたりとはまだ親交があって、会ったら喋ったりはします」 ――他にも明大OBが実業団で多く活躍されていますが、活躍できる理由はどんなところにあると思いますか。 「大学時代に基礎ができているからその基礎をもとに活躍できていると思います。あとは、自分で考えて練習する方法が身に付くのでその辺も実業団にも向いていますし、自分自身の力の出し方が分かっているんだと思います」 ――岡本選手は安定して成績を残されているイメージですが、大学時代レースを外さないために取り組んでいたことはありましたか。 「いや、大学の時は結構外していたと思いますよ。1年生の時は(大会に)出場することを優先してしまって結果が振るわなかったです。なので、2年生からはレギュラーは取って当たり前、その上で結果を残せるような攻めた調整をするようになりました」 ――岡本選手は長いキャリアを送られていますが、現役を長く続けられる理由はどこにあると思いますか。「良くも悪くも仕事だと捉えているところだと思います。走ることが仕事でそれによってお金を頂いていることが一番大きくて、陸上競技は好きですが好きだけでやっていない分浮き沈みが少ないから安定して成績を残せているのかなと思います」 ――中国電力の魅力はどんなところですか。 「明治と似ているところがあって、自主性が強いので自分次第でどこまでも強くなれるチームだと思います」 ――中国電力を選ばれたきっかけを教えてください。 「最後は地元に帰りたいという思いです。あとはマラソンで結果を出したくて、当時強い方がいたのでその人たちと一緒に練習すれば私も化けるんじゃないかと思って選びました」 ――大学時代はどんな競技人生を思い描いていましたか。「今の年齢より10年前くらいにオリンピックに出てメダルを取って、もう既に引退しているというのを考えていました。しかし、キャリアが長くなるとは考えていなかったので、加入した当時の強い中国電力なら正直3年くらいで首を切られるかなと思っていました」 ――大学と実業団で変わった点はありましたか。 「責任感だと思います。大学はどちらかというとお金を払って走っていて、逆に実業団は走ってお金をいただいています。サポートしていただいている分結果を残さないとという責任感が大きいと思います」 ――全盛期といわれる年齢を過ぎた現在でもPBを更新されていますが、その要因はどんなところにありますか。 「一番は靴の進化が大きいと思います」 ――具体的にどのような点で変化がありましたか。 「疲労がたまりにくくなるって感じですね。エネルギーリターンがすごく良くて、脚に余裕ができます」 ――引退後のプランは何か考えていらっしゃいますか。「特にあまり考えていないです。せっかくここまでやってきたので、経験を生かしてサポートするみたいなことはしたいなと思っていますが、自分が主として指導することは考えていません」 ――ゼミには所属されていましたか。「ゼミは大六野耕作ゼミだったので、すごく印象に残っています」 ――特に印象に残っているエピソードはありますか。「卒業式の時に最後みんなで一緒に飲んで、何人かは朝までカラオケに行ってということがありました。最近はあまり会えていませんが、大六野ゼミの友達は結構連絡を取ったりしていますね」 ――最後に明大の選手たちに向けてメッセージをお願いします。 「私たちが達成できなかったので偉そうなことは言いたくないですが、優勝する姿は見たいと思いますね。明大のOBとして私たちが達成できなかった目標を達成してほしいです」 ――ありがとうございました。 [菊地隼人] 第100回箱根駅伝まであと12日。中国電力インタビューの記事は12月21日発行の明大スポーツ第534号(箱根駅伝特集号)にも掲載します。ご購入フォームはこちらから!READ MORE -
(158)【特別企画】箱根駅伝100回記念大会 明大OBインタビュー Honda後編/木村慎、小袖英人
競走 2023.12.21今回で100回を数える箱根駅伝(以下、箱根)。第1回から出場している明大は数多くのトップランナーを輩出してきた。今企画では箱根路で活躍した明大OBらをお招きし、当時の心境や箱根、明大に対する思いを伺った。 現在Honda陸上競技部に所属する、木村慎(平28商卒)選手、小袖英人(令3政経卒)選手のインタビューです。(この取材11月21日に行われたものです) ――明大時代を振り返っていかがですか。木村「本当に楽しい4年間でした。自分は全然強くないところから西さん(弘美スカウティングマネジャー)、豪さん(山本駅伝監督)の指導のおかげで実業団に行けるぐらいまで強くしてもらいましたね。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。当時は必死で練習していましたが、今思うと箱根に向けての選手選考だったり強い先輩たちと一緒に競り合って走っていたことが一番充実していたと思いますね。自分の1個上の先輩などめちゃくちゃ強い人たちがいて、その人たちに勝つんだ、練習でも負けないんだという気持ちを持ってやっていたのが、今につながっているんだと思います」 小袖「大学4年の時の全日本大学駅伝で3位入賞したことが一番思い出に残っています。その時はチームにエースがいない状態だったので、チーム全員でこの3位を勝ち取ったというのが一番印象に残っています」 ――明大時代のことで実業団での競技生活に生きたことはありますか。木村「結構自由な大学で、練習も生活も選手に任せられる部分が多く、高校と他の大学ともちょっと違った部分があって、どっちかというと実業団寄りの感じがありました。Hondaに入っても自分で考えて練習しないと本当に強くなれないような環境でやっているので、そういうところが今生かされている感じですね。相談すれば練習も自分で組めますし」 小袖「僕も慎さんが言ったように、大学時代から自分で考えてやらないと強くならない環境だったので、その中で自分に合った調整方法だったり、この練習をしたら調子が上がるなっていうのが明確になって、それは本当に今でも生かされていますね」 ――競技面以外での大学生活はいかがでしたか。木村「今はもう寮が変わっちゃっているんですよね。あの八幡山の第一合宿所。今の選手は恵まれていると思いますし、指導者の豪さん、佑樹さん(山本支援スタッフ)、西さん含め強くなる環境はそろっていると思うので、ぜひあとは大会で自分の力を発揮するだけだと思います」 小袖「よく『砧公園6周』っていう練習があったんですけど、それがめちゃくちゃ苦手で(笑)。4年間苦しめられたのを覚えていますね」 ――授業やゼミ活動などは覚えていらっしゃいますか。木村「めちゃくちゃ覚えていますよ。商学部で高橋ゼミを紹介してもらってそこに入ったんですよ。すごくしっかりしたゼミで、ゼミはスーツで来いっていう感じで。月曜の1限の商品論っていうゼミの先生の授業とセットで、3限のゼミを取らないといけなくて、だから月曜の1限からスーツで行って、結構難しいマーケティング論の勉強をしました。広告マーケティングのゼミだったんですけど、一人一人パワーポイントで毎週発表する感じのゼミだったのですごく大変でした。大変だったからこそゼミの人とはめちゃくちゃ仲良くなって、今でもご飯によく行っていますし、大会の応援にも来てくれるんですよね。共同論文も書きましたしすごく思い出に残っています」 ――小袖選手はゼミの内容は覚えていらっしゃいますか。小袖「僕も大六野秀畝さん(平27政経卒・現旭化成)と同じゼミに入りたかったんですけど、ゼミ試で落ちてしまって」 木村「シビアだな(笑)」 小袖「永井ゼミを紹介してもらって、そこでもう1回ゼミ試をして。イギリスの歴史とかを学ぶんですけど」 木村「むずっ(笑)」 ――お2人とも文武両道の学生生活を送られたんですね。小袖「卒論が大変でした。箱根が終わって5日後ぐらいが締め切りで、全然完成していなくて。ファミレスとかにこもって、ずっとやっていました(笑)」 木村「一夜漬けとかね。すごいな」 ――当時の明治らしさ、チームのカラーはどんな感じですか。木村「変な上下関係がないところが良いのかなって。小袖を見ている感じちょっと舐めてる(笑)。というのがあるから、今もそういう感じなんだろうなと思いますし、いい伝統だと思っています。尊敬の念はもちろんありますけど、緊張などがなく和気あいあいと4年間、同じ釜の飯を食べて。箱根を目標にしてみんなでやっていく中で、本当にいいチーム力というか明治の良さはそこにあるんじゃないかなと思います。指導者の豪さん含めチーム全員でお互いの意見を言い合える、そういう関係性なんだと思っています」 小袖「やっぱり大学スポーツって言ったら上下関係が厳しいイメージがあると思うんですが、自分がいた時も本当に1年生から4年生まで仲が良くて、何でも言い合える仲と言いますか、学年関係なく仲良くしていました。そういった部分がチームの明るさだったり個性につながっていましたね。あとは指導者との距離が近くて、気軽に相談できるというのもすごく自分にとってやりやすかったですね」 ――小袖選手が4年生の時の1年生が現在の4年生ですが、思い出に残っている選手やエピソードはありますか。小袖「斎藤(拓海・政経4=市立船橋)が、僕が寮を出る前日ぐらいに、ホットケーキを作ってくれて。そのホットケーキがめちゃくちゃ美味しくて、いいやつだなって思ったのを覚えています(笑)。斎藤には最後の箱根を走ってもらいたいなとずっと思っていて、斎藤が走るなら応援に行きたいなと思います(笑)」 ――西スカウティングマネジャーにお世話になったこと、エピソードなどはありますか。木村「指導者という感じじゃなくて、陸上好きの親戚のおじさんみたいなすごくアットホームな感じなんですよ。西さんともよくご飯に行きました。あと、西さんの家が浜松にあって自分も浜松出身で、よく帰省の時に西さんの車で連れていってもらったりもして親戚のおじさんぐらい温かい人柄で接してくれる方という感じですね。今でもニューイヤーで優勝した時や大会で結果を残した時に連絡をいただくので、本当にありがたいですね」 小袖「僕が1年生の時まで監督をやられていて、2年目から山本佑樹監督に変わったのですが、監督が変わってからもたくさん面倒を見てくれました。試合や練習で失敗した時に叱るんじゃなくて、よくポジティブな言葉をかけてくれたのがすごく印象的でした。そういう言葉もあって次頑張ろうとか、ポジティブな気持ちに自分もなったので、本当に西さんの存在には助けられました」 ――木村選手は山本佑樹支援スタッフが明大に来る前に卒業されましたが、関わりはありますか。木村「自分が学生の頃は明治のスタッフには入っていませんでしたが、旭化成が練習を明治のグラウンドでやっていたので、当時から補強や筋トレの仕方を教えてもらったり、色々アドバイスをもらっていました。同じ静岡県出身で同郷ということで結構気にして見てくれた時もあって、よくグラウンドで話していましたね。当時佑樹さんがナイキをずっと履いていて、選手時代からナイキを履いていたみたいなのでナイキのシューズについて教えてもらいました。当時は厚底とかがなくて『ナイキ履いているの?』みたいな感じだったんですけど、佑樹さんのアドバイスで自分はナイキのシューズを履くようになりました」 ――小袖選手は関わりが深いと思いますが、山本佑樹さんの印象はいかがですか。小袖「佑樹さんと僕は一緒の時期に入部して、佑樹さんは最初コーチをやられていました。僕は1年目全然走れていなくて、その中で佑樹さんは走れていない選手をよく見てくれていました。その時から結構アドバイスをしてもらって、学年を重ねるごとに自分もどんどん走れていったんですけど、それは本当に佑樹さんのおかげだなと思います。見た目は結構怖いですけど(笑)」 木村「だよね(笑)。いかついよね」 小袖「でも優しい人で、Hondaに入寮する時も車で送ってくれたり、実業団に入ってからも気にかけて連絡してくれたり。本当に佑樹さんがいなかったら、今の自分はないなという存在です」 ――山本豪駅伝監督はコーチ時代にお2人との関わりがありますが、いかがでしたか。木村「やっぱりアドバイスが的確というか、当時からコーチとして在籍していましたので、明治に関わる期間というのが相当長いじゃないですか。そして、監督という立場ではなかったので1歩引いて見ていた部分もあって、本当に視野広くチームを見ていらっしゃったんですよね。当時からご飯に行った時に『もっとこうした方がいいよ』とか、競技だけではなく生活面でもアドバイスしていただきました。自分の人としての成長の中に豪さんの存在があったなと思いますし、本当にお世話になった方です。そして今もお世話になっている方なのでとても応援しています」 小袖「僕がいた時は、豪さんは中距離をメインに見ていたんですけど、中距離の選手は日本学生対校選手権などで表彰台に立っていて、指導力がすごくあるんだなと思っていました。先ほど慎さんが言っていたようにアドバイスをしてくれるんですけど、それはしっかり的確なことをおっしゃっていて、多くは語らないんですけどこの人の指導だったら強くなるだろうなと思っています」 ――お2人の箱根の思い出を教えてください。木村「3回とも自分の成長の中で欠かせない大会ではあるんですけど、やっぱり3年で9区を走った時はチームで優勝を目指していたので思い出深いです。1個上の先輩たちには本当にお世話になっていたので、優勝してほしいという気持ちで走って『自分の区間で何とか変えなきゃな』という気持ちで走っていました。4年の時の2区も甲乙つけがたいんですけど、やっぱり3年の時が一番心に残っています」 小袖「箱根に関してはあまりいい思い出はないんですけど、3年生の時に1区を走ってシード権を獲得できたというのは印象的でした。4年目はたぶんかなり悪い順位で襷をもらって3区を走ったのですが、流れを変えられずにチームのシード権を逃してしまったというのは今でも心残りがあって、本当に申し訳なかったなと思いますね」 ――お2人だからこそ分かる箱根の難しさや感じたことなどはありますか。木村「沿道の応援がすごいんですよ。ずっと3列ぐらいの人が連なっていて、走り終わった後は左側の耳がキーンとなっているぐらいすごかったです。その中でも、ゼミが一緒だった同級生など知り合いも来てくれて本当にうれしかったですね。箱根は2日かけてやるので、1日目の往路が終わった後に『復路は俺たちに任せとけ』とか『あとは頼んだぞ』みたいな、そういうやり取りも本当に良かったなと思いますね。『あ、青春してたな』っていう感じはあります」 小袖「やっぱり応援がすごく多くて、明治の応援が一番多いんじゃないかというぐらい。1区を走った時は人も多くて、ずっと気持ちいいなと思いながら走っていましたね」 ――今の明大へのメッセージと注目している選手を教えてください。木村「高校の後輩の古井くん(康介・政経2=浜松日体)には頑張ってほしいですね。あと、静岡出身の尾﨑(健斗駅伝主将・商3=浜松商)とか、もちろん明治全体を応援しているんですけど、その中でも同郷の選手には頑張ってほしいですね。今は短距離や競歩も強い子たちがいるので、そういう選手も本当に応援しています。関東学生対校選手権も1部に上がりましたし、1部で長く戦い続けるには短距離、フィールド、競歩の力が欠かせないと思います。明治が1部にいるというのが誇らしいですし、長距離以外も応援しています」 小袖「僕は今の4年生と被っている代なので、その代の選手たちに特に頑張ってもらいたいです。その中でも児玉選手(真輝・文4=鎌倉学園)は、1年生の頃からチームを引っ張ってきたと思うので、最後の箱根で爆発してほしいなと思います」 木村「俺、言いたいことあったわ。小袖とのエピソードで、ニューイヤーで連覇する前の東日本実業団対抗駅伝で小袖は1区を走って、自分は走っていなかったんですよ。その駅伝後にご飯に行った時に小袖が『ニューイヤーは明治の木村さんと一緒に走って、みんなで優勝しましょう』みたいなことを言ってくれて。僕も『熱いな、こいつ(笑)。俺も頑張ろう』って感じになったんですよね。それでニューイヤーは2人とも走れて。1区とアンカーで走って、明治で始まって明治で終わることができて本当に最高でしたね」 ――ありがとうございました。 [覺前日向子、桑原涼也] 第100回箱根駅伝まであと12日。 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(157)【特別企画】箱根駅伝100回記念大会 明大OBインタビュー Honda前編/木村慎、小袖英人
競走 2023.12.21今回で100回を数える箱根駅伝(以下、箱根)。第1回から出場している明大は数多くのトップランナーを輩出してきた。今企画では箱根路で活躍した明大OBらをお招きし、当時の心境や箱根、明大に対する思いを伺った。 現在Honda陸上競技部に所属する、木村慎(平28商卒)選手、小袖英人(令3政経卒)選手のインタビューです。(この取材は11月21日に行われたものです) ――今回の企画を聞いて何か思ったことはありますか。木村「明大スポーツさんは学生の時に本当に熱心に取材していただき、卒業後も記事を何度も見させてもらいました。すごく丁寧に取材してもらって、親身に記事を書いてくれているなという印象だったので、取材に来てくれるとは。本当にうれしく、ぜひという感じでした」 小袖「僕も学生時代の時にたくさん取材していただいて本当にお世話になったので、卒業してからも取材していただけるということで、少しでも競走部に貢献できれば良いなと思いました」 ――お2人は学年が被っていませんが、関係性や仲の良さについて教えてください。木村「小袖がエースとして箱根などを走っている時も見ていましたし、大学4年の時にHondaの夏合宿に参加してくれて。櫛田(佳希・令5政経卒・現NTT西日本)と2人で来てくれたので、一緒にご飯に行きました。その時は練習もぼろぼろだったんですよね、夏休み明けで来たので。大丈夫かなって思いながら、後輩が来てくれるのがめちゃくちゃうれしくて。自分がHondaに入った時は、明治の先輩がもう陸上競技部に1人もいらっしゃらなくて寂しい感じもちょっとありましたし、だからこそ明治の後輩が入ってきてほしいっていう思いはあったので、練習に来てくれてなおかつHondaを選んできてくれて、本当にうれしい気持ちでしたね」 小袖「僕は高校生の時に慎さんの走りをテレビで見ていたので、そういう選手と一緒に実業団で競技できることは本当に光栄なことだと思います。あとは何だろう…?(もっと言っとけよ!(笑))やっぱりHondaでは、ムードメーカーと言いますか一番の盛り上げ役なので(笑)。本当にHonda陸上競技部になくてはならない存在と言いますか、大学の先輩として尊敬する部分が多い先輩です」 ――お互いの大学時代の印象を教えていただきたいです。木村「今もそうですけど、小袖の大学時代の印象はどっちかというとスピード。長い距離というより短い距離で存在感を発揮するタイプだと思っていました。入社してからも5000メートルでは日本トップレベルのタイムまで伸びましたし、これから長い距離でも活躍していける、そしてHondaを引っ張っていく若手になるんじゃないかと思っています」 小袖「まず一番始めに思ったのは、めちゃくちゃフォームがきれいだなって。明治の時の姿も見ているんですけど、ユニホームめちゃくちゃ似合うなみたいな(笑)。(明治のMがね(笑))Hondaの白も似合っていて、走りは長い距離が強い印象でもあります。今もマラソンで活躍されていますし、ニューイヤーなどでもロードの強さというのは本当にすごいなと思います」 ――明大OBで集まる機会はありますか。木村「自分は箱根の大手町のゴールに行くようにしていて、そこで大体OBが集まるので同期や、学年が被っていないような年上の先輩方にも挨拶させていただきました。だから箱根に母校が出てくれることで、そうやって集まって、その後そのままご飯に行ったりもするので、そういう機会は本当にうれしいですね。同期だったらちょいちょい集まるんですけど、なかなか世代を越えて集まるっていうのは、箱根の大手町ぐらいしかないと思うので、そのくらいですね」 小袖「僕はまだ箱根を見に行ったことがないので(笑)、社会人の会などには参加していないんですけど。やっぱり明治OBの方々にあいさつした時には結構話しかけてくれたり、試合や合宿で年代が近い人と喋ったり一緒にジョグしたりっていうのはしています」 ――木村選手は今年の箱根報告会に同期の横手選手(健・平28政経卒・現富士通)と参加されましたが、その経緯を教えてください。木村「最近シード権を逃すことが多くなっていると思うんですけど、それが始まったのが自分の4年の時からで。その次の年から予選会という形になって、そこからシード権があまり取れていない時期があったので、自分も少し責任を感じて、行けるタイミングがあれば行くようにしていました。あとはやっぱりそういう場でしか集まれない方とか、挨拶できない方がたくさんいますし、今年はニューイヤーで優勝させてもらって、その報告も兼ねて挨拶に伺いました」 ――鎧坂選手(哲哉・平24営卒・現旭化成)から木村選手へ伝言を預かっておりまして。(え、怖い怖い(笑))「ご飯の誘いを先延ばしにされているけど、早くご飯行こう」という伝言を受けています。木村「あのー、あれですよね。そうなんですよ(笑)。1回行けるって言った日が、行けなくなってしまって、練習の兼ね合いで。申し訳なかったなと思うんですけど、無事セッティングできました。MGCに出たヨロさんと自分と、あともう1人の先輩と監督の豪さん(山本駅伝監督)とご飯に行くんですけど、豪さんが監督になられて初めて行くので、いろいろお互いの近況などを話したいなと思っています。やっと無事にセッティングできました」 ――明大OBの活躍を見て注目する選手、仲のいい選手などはいらっしゃいますか。木村「横手や牟田(祐樹・平28農卒・現ロジスティード)や齋田(直輝・平28文卒・現NTN)など同期のメンバーです。あとは、大会や合宿でも鎧坂さんをはじめ旭化成の選手と結構会うのでよく話したり、一緒にジョグさせてもらっています。気になる選手と言うとやっぱりライバルの横手の活躍や同期ですね」 小袖「僕もやっぱり同期が一番気になるんですけど、今少し元気がない状態でお互い頑張っていきたいなと思っています。大学4年間で被っている選手は結構見ていて、1個上の中島さん(大就・令2商卒・現中国電力)が最近自己ベストを更新したり、1個下の旭化成に行った手嶋(杏丞・令4情コミ卒・現旭化成)と鈴木(聖人・令4政経卒・現旭化成)も実業団に入ってなかなか結果が出ていない状態だったのが最近走れてきているのを見て、ほっとすると言いますか、これからも明治OBで盛り上げていきたいなと思っています」 ――ここまで陸上を続けられている要因は何だと思いますか。やめたいと思う瞬間はありましたか。木村「もちろんあります。ここ1年は全然故障していませんが、今まで故障が結構多くて。大学時代は故障しなかったんですが、社会人に入ってすぐの頃は1年丸々走れなかったり、ケガで全然走れなかったことが多かったです。その時は本当にやめたいと思ったこともありましたし、実業団の大変さなどをよく豪さんに愚痴を聞いてもらったり相談に乗ってもらった時期もありました。本当にそういう先輩やOBの方、そして小袖など後輩たちの活躍に刺激を受けて今頑張れている状態です」 小袖「僕も1年目のニューイヤー前に故障してしまって。調子がいい時期だったんですけど故障が長引いて、そこでちょっと腐ってしまってやめたいなと少し思ったこともありました。ですが、そのタイミングでチームがニューイヤーで初優勝をして、来年自分が絶対走って連覇するんだっていう気持ちになって、目標が明確にできたことで続けられている部分もあります。また、やっぱり大学の時にお世話になった山本佑樹前駅伝監督だったり、西さん(弘美スカウティングマネジャー)に実業団で少しでも結果を出して、恩返ししたい気持ちがあるので、今こうやって頑張れていると思います」[覺前日向子、桑原涼也]後編はこちらから! 第100回箱根駅伝まであと12日。 Hondaインタビューの記事は12月21日発行の明大スポーツ第534号(箱根駅伝特集号)にも掲載します。ご購入フォームはこちらから!READ MORE -
(156)【特別企画】箱根駅伝100回記念大会 明大OBインタビュー 旭化成後編/鎧坂哲哉、大六野秀畝
競走 2023.12.21今回で100回を数える箱根駅伝(以下、箱根)。第1回から出場している明大は数多くのトップランナーを輩出してきた。今企画では箱根路で活躍した明大OBらをお招きし、当時の心境や箱根、明大に対する思いを伺った。 現在旭化成陸上部に所属する、鎧坂哲哉選手(平24営卒)、大六野秀畝選手(平27政経卒)のインタビューです。(この取材は11月14日に行われたものです) ――卒業してからもOBの方で集まる機会はありますか。鎧坂「OB全体ではないですけど、それぞれのグループって言ったらいいんですかね。仲が良かったグループとかで、箱根が終わった後に行われる報告会には行って、そこで新年のあいさつをしたりする感じです」 ――旭化成の明大OB同士の交流はいかがですか。鎧坂「交流っていうか本当にみんなわいわいしている感じですね。そうなるのも同じ大学だからっていう理由もあるのかな」大六野「そんなに考えないですけどね。でもまあ加藤(大誠・令5営卒)とかには『ちゃんとやれよ』って言ったり(一同笑い)」鎧坂「冗談も含めてしっかりやれよみたいな感じの話とか、雑談しつつも頑張れよみたいな。でも、それは大学が同じだからっていうよりは…」大六野「そうですね、若干気に掛けるところはありますけどね。頑張ってもらいたいと思いますし、まあ後輩にはいじりながらも頑張れよっていう感じです(一同笑い)」 ――他の実業団に進んだ選手の中で意識している選手はいますか。大六野「きむしん(木村慎・平28商卒・現Honda)?」 鎧坂「あとは横手(健・平28政経卒・現富士通)とか?練習とかもしっかり自分で考えてやれる選手ですね。(木村選手は)そんなに普段から関わりがあるわけじゃないですし、横手と同い年なので在学中に被っているわけではないんですけど、MGCでもスタートが隣で途中に給水をくれたりしました。僕が給水を取り損ねた時に自分の給水を届けてくれましたね。マラソンでもしっかり成功しているので頑張ってほしいなって思います」 ――MGCについて振り返っていただけますか。鎧坂「いろいろと準備が大変だったり、難しいなと感じる面もあったりしましたけど、スタートラインにちゃんと立った上で自分ができることはレースの中で出せたのかなと思います。なので結果は望んだものではないですけど、それに対しての悔いは全然ないのでさっぱりしているというか、次に向けて頑張ろうという感じです」 ――明大出身の実業団選手は今でも多く活躍していますが、長く第一線で活躍できる要因は何だと思いますか。大六野「やっぱり自主性ですかね。実業団は大学のように縛られて何かをやらされるということがないので、自分で何に足りないことや必要なことをちゃんと考えないといけません。それを大学時代から積み上げていることが大きいのかなと思います」 ――旭化成陸上部の魅力を教えていただきたいです。鎧坂、大六野「えっと‥‥」 広報「考えているの?(笑)」 大六野「たくさんありすぎて(笑)」 鎧坂「厳選しないと(笑)」 大六野「やっぱり選手のレベルが高いので、その中で練習をできるところがすごくいいなと思います」 鎧坂「今はマラソンをしていますけど、昔はトラック種目をやっていました。その時にマラソンの人はどういうことに取り組んでいるとか、いろんな選手がいるからこその情報ももらえました。長距離のチームとしては人数が最も多いと思うので、いろいろな人がいる分、多様な意見があるので面白いなと思います」 ――大学と実業団のレベルの違いに苦しんだことはありますか。鎧坂「例えば、当時の明治が20キロから30キロぐらいの距離走をする時は、基本的に各自に任されているからこそ、それぞれのペースでやっていました。大学時代は体調に合わせた距離走をしていたのが、旭化成に来るとこの距離を決められたペースで走ることになりました。大学の時に経験したことがないようなペースを普通に走ることにはすごく抵抗がありました」 大六野「練習内容のペースが速かったので、それが最初の方はきつかったですね」 ――今後の競技における目標はありますか。鎧坂「僕はマラソンを始めたばかりですが、いろいろ知識を得たり経験を積むことができればいいなと思っています。もう少しマラソンを頑張りたいなっていう感じですね」 大六野「まずニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝)で優勝することと、個人ではパリ五輪の最後の1枠を目指すことを目標に頑張りたいと思っています」 ――学校生活を振り返って思い出はありますか。鎧坂「それで言ったらゼミかな」 ――ゼミは楽しかったですか。鎧坂「ゼミは楽しかったです。先生を含め応援してくれていましたね。ゼミ合宿にも行ったりとかして、結構楽しかったなと思いますね」 大六野「僕は全くないですね」 ――大六野さんはゼミには入っていなかったんですか。大六野「ゼミも入っていたんですけど、そんなにアクティブじゃなかったので。あまり思い出はないですね」 ――ちなみにゼミではどんな勉強をされたんですか。大六野「それが記憶ないんですよね」 鎧坂「卒論は書いた?(笑)」 大六野「卒論は書いたんですけど、そのテーマもあまり覚えてないんですよ」 ――鎧坂さんは覚えていらっしゃいますか。鎧坂「卒論は血液データを基にしたコンディショニングということで、大学3年次の途中ぐらいから毎月血液検査をしてずっとデータを取っていました。その時のコンディションや前後にこういう試合があったみたいなデータを取って、ある血液データの時には調子がいい、調子が悪いみたいなことをやりましたね」 大六野「テーマがすごいですよね。本当にすごいですよね。僕は本当に覚えてないんですよ。作文みたいな感じだったんじゃないですか」 鎧坂「読書感想文?(笑)」 ――面白い授業はありましたか。鎧坂「心理学は面白かったかな。自分は経営学部だったんですけど、経営学の先生が授業内容に絡めた雑談でためになる話をしてくれて、それは面白かったかなと思います」 大六野「僕は大六野耕作先生の授業を受けていました。大六野ゼミだったので」 ――陸上を知らない方が箱根を見る上で注目すべきポイントはありますか。大六野「僕はちょっと思い浮かばないです」 鎧坂「俺に丸投げするの(笑)。箱根に関しては事前に持ちタイムが出てくると思いますが、持ちタイムだけの世界ではなくて山の上り下りとか特殊な区間があります。なので、タイムだけでは測れない部分がありますね。あとは各大学がどこに重点を置いているのかに注目するといいです。前半から抜け出そうとしているのか、後半に追い付こうとしているのかがエースを置いている区間で大体分かってきます。そういうところで各校の思惑通りに行っているのかどうかといったことですかね」 大六野「さすがですね」 鎧坂「ひねり出したから(笑)」 ――今の明大の印象はいかがですか。 鎧坂「輪の中に入って選手と喋っているわけではないので、外から練習頑張っているなと見るぐらいですかね。全日本大学駅伝の予選会で負けて本戦に出られなかったことで危機感じゃないですけど、ちょっとそういうぴりっとした雰囲気は多少感じるかなと思います」 ――今回の箱根で明大に期待することはありますか。鎧坂「明治はここ最近結果を出せてないので、まずはシードを目指してほしいです。この100回を機に古豪と言われているところから、少しでもいい順位を続けることで一つ上のランクに向けて頑張るきっかけになったらいいなと思います」 大六野「やっぱりシードを取って前で走ってもらった方が、OBとしてはすごく楽しいので頑張ってもらいたいですね」 ――明大競走部の選手に向けてメッセージをお願いします。鎧坂「人によって目的や目標は違うと思いますが、それぞれの目標に向かって、4年間頑張ってほしいなと思います」 大六野「悔いのないように駅伝も頑張ってもらいたいと思います」 ――ありがとうございました。 [佐野悠太、萩原彩水、松原輝] 旭化成インタビューの記事は12月21日発行の明大スポーツ第534号(箱根駅伝特集号)にも掲載します。ご購入フォームはこちらから!第100回箱根駅伝まであと12日。READ MORE -
(155)【特別企画】箱根駅伝100回記念大会 明大OBインタビュー 旭化成前編/鎧坂哲哉、大六野秀畝
競走 2023.12.21今回で100回を数える箱根駅伝(以下、箱根)。第1回から出場している明大は数多くのトップランナーを輩出してきた。今企画では箱根路で活躍した明大OBらをお招きし、当時の心境や箱根、明大に対する思いを伺った。 現在旭化成陸上部に所属する、鎧坂哲哉選手(平24営卒)、大六野秀畝選手(平27政経卒)のインタビューです。(この取材は11月14日に行われたものです) ――お互いの大学時代と現在の印象を教えてください。鎧坂「現役の時は物おじしない後輩という印象ですね。1年生はみんな僕のことを怖がってあまり話しかけてこなかったんです。でも、同じ部屋だったこともあってよく話しかけてきた印象でした」大六野「優しく接してくれてお世話をしてくれたので、本当に優しいなという印象ですね。今も変わらずに面倒を見てくださって、練習からプライベートなことでもすごく相談に乗ってくれるありがたい存在です」鎧坂「今はもう友達に近いかな(笑)。ずっと付き合いが長いし後輩だからっていう理由もありますけど、友達みたいな感じです」 ――競技面では普段からお互いに切磋琢磨(せっさたくま)する関係ですか。鎧坂「まあぴりぴりとした切磋琢磨(せっさたくま)っていうよりは⋯⋯」 大六野「そうですね、一緒に盛り上げてお互いに頑張ろうみたいな感じです」 ――箱根の第88回大会で明大は49年ぶりに3位を獲得しました。それに関する思い出やエピソードを教えてください。大六野「僕が1区に出場しました。自分としてはうまく走れた手応えはなかったのですが、意外とそれを評価してもらえているという感じですね。それよりも、鎧坂さんが故障していて箱根直前の全体練習でも抜けている時があったんです。その時のメンバーで、鎧坂さんの負担を減らせるように頑張らないといけないという内容の話をしていました。本当に直前まで、鎧坂さんが箱根を走るかどうかは分からなかったのでみんなでやれることをやろうという雰囲気でした」 鎧坂「ケガをしていたので本当に全体練習もほぼやっていないですし、4年生の時は日本代表になって海外遠征にも行かせてもらいました。なので、キャプテンという立場ながらもチームにはほとんどいませんでした。みんなの前に立って引っ張っていくよりも、結果で周りを引っ張っていくしかないという意識があったので、箱根前までは結果でどうにか示してきたという感じでした。箱根前にケガをして『やっちまったな』という思いがありましたけどみんなが盛り上げてくれたことがうれしかったです。あとはそれまでの明治が弱みにしていた復路も結構安定したことでいい成績でゴールできたので、本当にみんなの力はありがたいなと思いましたね」 ――第88回大会に限らず、思い出に残っている箱根はありますか。大六野「僕はあまり箱根で快走した記憶がなくて。なので、個人としてよりも1年生の時に3位になった思い出が一番ですね」鎧坂「それぞれの箱根に思い出があります。1年生は1区を任されて3位で襷を渡し、そのままいい流れに乗ってシード権を取れました。久々のシードだったのでみんなで大盛り上がりしましたね。2年生の時は1番で襷を受け取って、箱根を先頭で走ることも経験させてもらいました。3年生はエース区間を任されてしっかり走らなきゃいけないという思いがありました。4年生の時はアンカーで総合3位を取って、周りの人たちにはすごく喜んでもらえたので、それぞれの箱根が印象に残っています」 ――今回で箱根は100回大会を迎えますが、当時から伝統の重みは感じましたか。鎧坂「重みという感じではないですけど、終わった後のOBの反応はすごかったですね」 大六野「結構すごかったですよね。あとは声援がすごいので走っている間は耳がずっと痛いんですよ。その状態でトンネルに入るとシーンとするので、耳がキーンとなるんです」 鎧坂「左からの声援が近いし音が大きいので、左だけ耳がおかしくなる」 大六野「それが一番印象に残っています」 ――走っていて応援の力を感じる時はありますか。大六野「応援されている時はちょっとペースが速くなるんですよね」 鎧坂「知り合いが応援に来ていた時に気が付く人もいるんですけど、僕は全然気付かなくて。応援に行ったよって言われても、どこにいた?みたいな感じで全然気づかないんです。でも、分かりやすくキラキラしたアイドルみたいなもので応援してもらえるとありがたいなって思います」 ――応援の声は聞き取れますか。大六野「分からないですね。声で誰かを判断できるぐらいですね」 鎧坂「駅伝だったら前後とのタイム差を言われるとちょっと元気になるかもしれないですね。元気になるというか、今の自分の状況が分からなかったりもするのでタイム差が分かると、前との差を詰めているとか後ろから詰められているといった情報が分かるので結構ありがたいです」 ――箱根に出場するにあたって重圧は感じましたか。大六野「感じましたよ、僕らは最強世代と言われていたので(笑)。勝たないといけない雰囲気があったんですけど、やっぱり勝てなくて。そういったところではちょっとプレッシャーを感じましたね」 鎧坂「プレッシャーはそんなになかったです。でも、やっぱり規模と注目度が違うのでその分頑張らなきゃいけないと思いました。前の人たちが失敗したら取り返さなきゃいけない、少しでも後ろの選手に楽をさせなきゃいけないみたいな思いは強くなりましたね」 ――箱根で勝つために大事なことは何だと思いますか。鎧坂「1区間でも失敗したら一気に順位が下がってしまうので、本当にどこも失敗できないっていうのが優勝に関していえば必要なことだと思います。失敗すると大きく差をつけられてしまうので、今は当時よりもちょっとした失敗やミスも許されないような印象ですね」大六野「今の選手がどういった練習をしているかが分からないので何とも言えない部分があるんですけど、僕は卒業してから考えてみると当時は練習内容においてちょっと足りなかった部分があったのかなと思いました。なので、そういったところで今の選手には悔いなく頑張ってもらいたいと思います」 ――最近は〝箱根至上主義〟が批判の的になることも多いですが、お2人は箱根をどのように捉えていらっしゃいますか。鎧坂「失言しちゃいそうです(笑)」 大六野「箱根がある以上は勝たなければいけないので、それに合わせるのは仕方ないのかなと思います。でも、鎧坂さんはトラックが専門だったじゃないですか。トラックをやりたい選手にとってはそんなに重きを置けない大会ではあるので、ちょっと難しいですね。それも含めて明治はそんなに練習をやらせなかった側面もあるんじゃないですか。やっぱり難しいんですよね。箱根で勝っても将来的にはそんなに活躍しなくなる選手もいるので、そういったところが言いづらいというか⋯⋯」 鎧坂「今思うのは、自分自身と周りの監督、コーチが理解した上で取り組んでいるのであれば、周りの評価は別に関係ないのかなと。他大学になりますけど、三浦くん(龍司・順大)は完全に箱根に合わせるような練習はしていないと思います。彼はもう日本を代表する選手ですけど、そうじゃなくても本当に箱根を頑張りたい子はそれに向けて頑張ればいいと思いますし、それぞれの目的を分かってやっていればいいのかなと。周りの評価を気にする子はしちゃいますけど、考え過ぎることはないのかなと思いますね」 ――今も明大競走部との関わりはありますか。鎧坂「たまに高校の後輩にあいさつしてもらったり、中距離の馬場くん(勇一郎・政経4=中京大中京)とかに練習パートナーとして練習を引っ張ってもらっているので、全く接点がないというわけではないかなという感じですね」 ――明治の競走部の魅力についてどのように感じましたか。鎧坂「自分に関しては、当時監督だった西さん(弘美スカウティングマネジャー)にかなり自由にやらせてもらいました。学生ながらに海外遠征に行かせてもらったりとか、個人合宿をさせてもらったりとか、そういうところで自分で考える能力を付けさせてもらったのが明治の良さとしてあったと思います」 大六野「やっぱり明治に決めたのは西さんがいるからという理由が大きかったです。自分で考えてやれることが将来的にも必要になる力なので、そのための環境をつくってくれるところが魅力だと思います」 ――在学中には自主性を生かしてどんな練習をしていましたか。鎧坂「ジョギングの量も自分の体調に合わせてそれぞれのレベルでできるというのもありますし、ハードな練習でも今日はみんなより何本多くやろうとか、ちょっと体調が合わないから別のメニューをやろうみたいなことは工夫してやっていました」大六野「やっぱり走る距離を調整できるところがすごくやりやすかったと思いますね」 ――お2人から見て西さんはどんな存在でしたか。鎧坂「他の大学にも勧誘してもらったことはありましたけど、唯一真面目な話をしているのに笑かそうとしてくるのは西さんぐらいでした。一笑いは絶対取らなきゃ帰れないぐらいの(笑)。早稲田との合同合宿の時もあいさつで一笑いくらい起きないと永遠と話すから」 大六野「西さんと喋ったことないんですか。話したら分かると思いますよ(笑)」[佐野悠太、萩原彩水、松原輝] 後編はこちらから!旭化成インタビューの記事は12月21日発行の明大スポーツ第534号(箱根駅伝特集号)にも掲載します。ご購入フォームはこちらから!第100回箱根駅伝まであと12日。READ MORE -
(154)【特別企画】木村稜主将インタビュー
競走 2023.12.21今年度のチームをまとめてきた木村稜主将(政経4=乙訓)。短距離ブロックのエースとして3年次には日本学生対校選手権(以下、日本インカレ)で200メートル2位入賞を果たすなど活躍を見せてきた。しかし、今シーズンは関東学生対校選手権(以下、関東インカレ)で肉離れを起こし、競技から長期間離脱するなど苦しいシーズンに。それでも懸命なリハビリで競技に復帰し、主将としてチームに大きく貢献した。今回はインタビューを通して彼の4年間の歩みを振り返る。(この取材は12月8日に電話で行われたものです) ――以前のインタビューで1、2年生の頃はケガが長引いたり、大学の自主性を求められる点についていけずに苦しんだと仰っていました。そのことを今思い返すといかがですか。 「今では自分のリズムが確立されてきたというか、こうすれば良くなるなという傾向が分かってきました。なので、今思えばあの時は何をしていたんだろうと思ったりするんですけど、あの時にいろいろなことを試したからこそ楽しく陸上ができていると思います」 ――3年次のシーズンを振り返っていかがですか。 「4月頃は自己ベストを日本学生個人選手権で出せて良かったのですが、その後7月頃まではなかなかうまくいかない時期が続きました。その時に改善点をいろいろと探って、日本インカレでも優勝を狙っていました。結果は2位でしたがあの時出せる力は出したのかなと思えるようなシーズンだったので、良くも悪くも収穫が多い年だったと思います」 ――4年生に上がるにあたって、競技面で課題としていた部分はありましたか。 「本当に細かいところをいえば自分の課題がたくさんあったんですけど、一番に考えていたのは基本に忠実になることです。冬期の苦しいメニューの中でも基本に忠実な走りをひたすら行っていこうというテーマでやっていましたね」 ――正しいフォームで走るために工夫したことはありますか。 「練習の中で動画をマネジャーさんに撮ってもらって、逐一確認することは行っていました。自分が取り組んだことでいえば、短距離ブロックは練習メニューに入るまではフリーなんですよ。なので、アップの時間に陸上選手にとって基本となる動き作りを毎日行ってメニューに入ることで再現性を高めていました」 ――競技に取り組む上で常に心に決めていることはありますか。「自分の調子が悪かったらなかなかできない話にはなってしまうのですが、尊敬する高校時代の顧問の先生がずっと言っていた『楽しんで走れ、伸び伸び走れ』という言葉を大切にしていました。もちろん闘志も必要だと思うんですけど、その中でも楽しく陸上をやることは心にとどめてやってましたね」 ――私が取材させていただく中で、木村選手は常に笑顔が絶えない印象がありました。そのことについてはご自身でどう感じていますか。 「そこまで深くは考えてなくて、そういうふうに思っていただけたらうれしいなって感じなんですけど(笑)。でも、去年の12月くらいに主将の役職を頂いた時から、特に短距離ブロックの中では自分が主役じゃなくてもいいからみんなが笑いながらできるような、和やかな雰囲気でやりたいなと思っていました。なので、練習の中でそういうふうに見えていたのであればうれしいですね。それと、試合にはいろいろな種目で後輩と一緒に行っていることが多かったんです。その中で少しでも楽にというか頑張るだけではなくて楽しくやろうという思いもあったのかなと思います」 ――競技に取り組む上でご自身の身長や体格はどのように捉えていますか。 「特に見た目での体の優位性でいえば、目を見張るようなものがないということは自覚しています。その中で自分は体格の割に大きく走れる方なのでそこは強みだと思っています。中学校の頃からずっと自分が小さくてみんなが大きいということには慣れているのでそこに対してハンデを感じるというか、負けそうだなと思うことはあまりないです」 ――関東インカレの個人種目における振り返りをお願いします。 「今思えば結構焦りがあったのかなと思いますね。日本選手権で世界選手権の代表を狙っていきたいということは去年の冬からずっと言っていたんですけどなかなか調子が上がらなくて。日本選手権まで1カ月を切っているあの大会で少しでも手掛かりをつかみたいと必死になり過ぎている感じがありました。それが肉離れにつながったのかなと思っています」 ――肉離れを起こした決勝レースを振り返っていただけますか。 「自分は肉離れをすることが初めてだったので、起こった瞬間に痛みは感じたのですが、アドレナリンが出ていたおかげで最後まで歩けてゴールもできました。内心ではこれが肉離れかなと思いつつ、そうであってほしくないなっていう心境で結構ドキドキしていましたね」 ――ゴールした直後にこの先への不安は芽生えましたか。「ゴールした直後は本当に分からなかったんですけどトレーナーさんに来ていただいて、これは肉離れだと言われた時には泣いちゃいましたね」――世界選手権に出たいという気持ちが強かったからこそ、そういう心境になったのでしょうか。「そうですね。去年のインカレが終わったぐらいから、来年は絶対(世界選手権に出たい)と思っていたので、その思いの強さかなという感じです」 ――診断を受けた時の心境はいかがでしたか。 「確か病院の空き具合で診察まで3日ぐらい空いたのかな。そこで気持ちの整理はついていたというか、肉離れだということは信頼しているトレーナーさんに言われていたので、かなり落ち込んだんですけど診断の時にはもう落ち着いていましたね」 ――これまでに大きなケガをして競技から離れた経験はありましたか。 「小さいケガというか、肉離れのだいぶ手前のケガみたいなのはあったんですけど少し休んだらすぐに回復できるものばかりだったので、今回のようなケガをしたのは初めてですね」 ――気持ちの切り替えはうまくできましたか。 「切り替えは正直できなくて。やっぱりSNSとかを通して他の選手のいい記録が見えるので、もうそれは徹底的に見ないようにして悲しい、悔しい気持ちにならないようにしていました。でも、競技場に向かえばトレーナーさんが今だからこそできることをたくさん教えてくださったので、陸上競技自体はすごい楽しくというか新しい学びが多かったです。モチベーションは高かったのかなと思いますね」 ――周囲の人からの声掛けや励ましはありましたか。 「特に陸上関係の友達にはすごく心配してもらいましたね。メッセージをもらって、人によっては『自分も同じような経験をしたよ』と言ってくれる人がいたのですごく支えられました。親ももちろん励ましてくれてうれしかったんですけど、距離が離れていてやり取りができるのはメッセージ機能だけでした。なので、その時一番心の支えにさせてもらったのはトレーナーさんです。体のケアはもちろん、心の方もケアしてくれたおかげで何とかできたかなと思います」 ――リハビリ期を通して集中的に取り組んだメニューはありましたか。 「メニューもケガが回復していく中でその都度新しいものを組んでくださりました。その中で特に取り組んだところとしては体幹部の安定性をすごく重視しました。自分が肉離れになった原因も体幹が抜けてしまい足に負担がかかっていたということがあったので、今後そういうことがないように体幹を強化しようと意識してやっていました」 ――体幹を鍛えるためにどんなトレーニングをしてきましたか。 「ハムストリングスを伸ばせずにトレーニングの幅が狭まってしまう中でも、腹圧を高めることを中心的にやっていました。それは寝転んでもできることだったので筋力トレーニングに加えてそれを中心的にやっていましたね」 ――走ることから離れる中で、焦りを感じることはありましたか。 「結構(復帰までは)長くなってしまうなと思ったので焦りはあまりありませんでした。もちろん不安もありましたけど、こうなったからにはどうしようもないなと思って割り切ってやっていました。ただ、少しずつ走り出して復帰が見えてきた時期になると焦りや不安がすごくありましたね」 ――焦りや不安はどのような面で感じましたか。 「最初は全く復帰の目標自体がなくて、少しずつ取り組む中で今シーズンの試合に出られたらと思っていました。なので、あまり他大学の選手と比べることはなく自分のペースでやろうと考えていました。でも復帰するにあたって出場した二つの記録会で、どちらも走る直前にケガの瞬間がフラッシュバックしてしまって。そういう面では競技復帰にあたって不安はすごく大きかったですね」 ――メンタル面のケアで気を付けたことはありますか。 「体を動かせない時期には食べたいものを食べるなどストレスのない生活をしていました。そこから少しずつ競技に向かう時期になると、走るという経験を積み重ねることを意識しました。走る経験はとにかく積み上げていくしかないので、とにかくちょっとずつでも走れるようになる経験をかみしめて取り組むことで、もう足は大丈夫なんだよと暗示をかけるようにやっていましたね」 ――今でも、関東インカレの時にケガをしていなければと後悔する時はありますか。 「キャプテンとしてこういうことを言っていいのかとなると少し怪しいんですけど、日本選手権までにちょっとでも手掛かりをつかみたいなというところがあって、練習の一環で関東インカレに出ていました。それでもやっぱり決勝に残って点数は絶対に(チームに)持って帰れるなという気持ちで、疲労がかなりある中で試合に臨んでしまいました。それが肉離れにつながっているので、すごく後悔はありますけど今は楽しんでいるのでそれで良いのかなと思いますね」 ――もしケガをしたレース前に戻れるとしたら何をすると思いますか。 「戻れるとしたら、そうですね‥‥。もうちょっとちゃんと調整してやっていれば良かったのかなとは思います。でも、関東インカレの最終日に向かっていくにつれて、明治が1部に残れないかもしれないとなった時に200メートルがあったんです。その時に自分がここで落ちちゃったら明治は終わりなのかと思ってしまっていたので、チームに対する気持ちがあったのかな。戻ったとしても多分どうせ全力で頑張るんだろうなっていうと、なんかちょっと気持ち悪いですけど(笑)。僕は割と結構考えなしに突っ込んじゃうタイプなので多分変わらずに走ったんだろうなと思います」 ――日本インカレの前は競技復帰のタイミングについてどのように考えていましたか。 「日本インカレまでに2試合に出たんですけど、2本とも途中でケガの時がフラッシュバックして怖いと感じてしまい、途中からは全然力を入れていないようなレースでした。その状態のままで日本インカレを迎えたので、ケガをしないことを一番に考えて今の自分の力を見てみようという感じで走りました」 ――競技復帰するにあたって苦しんだことはありますか。 「レース感覚以前に、自分が思っている力に対してスピードが出ていなかったりすることがすごく頻繁にありました。なのでそこのギャップがちょっと辛かったですかね。自分の中では走れていると思って動画を見たら全然そんなことはないみたいな感じで」 ――日本インカレに出たことで、今後に向けたビジョンが見えてきましたか。 「200メートルはレースとしては全く駄目だったんですけど、100メートルは自分の中でいい感覚をつかめているというか、すごく兆しが見えたレースでした。なので、良い面もあれば悪い面もあったんですけどこの先に向けていろいろなことが見えた大会だったのかなと思います」 ――今年度は競走部主将と短距離ブロック長を務められましたが、振り返っていかがですか。 「まず主将としては、集まりの時とかに喋ることはあるんですけど競歩、短距離、長距離にそれぞれブロック長がいるのであまり自分がやることはなかったのかなと思います。でも、今思えばもっとやれたことはあったかな、なかなかうまくやれなかったかなと思いますね。ブロック長としても同じようにもっとやれたことがあったかなという思いはあります。それでも、僕は1年生の頃に精神的にしんどい時期があったので、できるだけ1年生の子が伸び伸びできる環境を作りたいなと思っていました。その結果、下級生がどう思っているかは分からないですけどずっと元気そうにやっていたのでそれを見ていたらブロック長として頑張ったのかなと感じますね」 ――もっとできたかもしれないと感じるのはどのような部分ですか。 「チームとしての方向性、足並みをそろえることも必要だったのかなと思っています。例えばあいさつをちゃんとできない学生がいたりした時にもっと自分から伝えるとか。そういう基本的なことを徹底して全体を一つの足並みにそろえることができれば良かったのかなと思います」 ――主将として自身の競技結果に思うことはありますか。 「やっぱり結果で引っ張ることに一番説得力がありますし、それが自分のスタイルだと思っていました。そういう面でケガをしてしまったことはチームに対しては良くなかったのかなと思っています」 ――ケガをしたからこそチームに還元できたことはありますか。 「なかなか難しいですね(笑)。還元できたことはあまりなかったかなと思っています。正直自分が競技にうまく復帰するために必死なところが大きくて、自分のトレーニングで手一杯だったので、みんなを見てあげたり何かしてあげることはできなかったのかなと思います」 ――今年度の短距離ブロックはどんなチームでしたか。 「短距離はみんな元気いっぱいだったので楽しくもあり大変でもありという感じでした。でも本当にそれぞれが自分の色を持ってやってくれたので、自分の中では楽しかった思い出が大きいですね」 ――来年度の短距離ブロック長は決まっていますか。 「はい。松下かなう(法3=大分東明)がやります」 ――松下選手を選んだ理由はありますか。 「彼は性格の面で人になかなか強く言えないような本当に優しい性格をしているので、初めはキャプテンには不向きかなと思っていました。今年度も結果を出しているので来年度は競技に集中させてあげたいなと思っていたんですけど、いろんな人と話をする中で役職によって成長できる部分もあるんじゃないかという意見もたくさんもらって。かなうならやってくれるのかなと思って任せました」 ――期待することはありますか。 「もちろん結果については特に今シーズンは良かったので、来年さらに伸びると思います。彼なら多分やってくれると思うので待しています。チームとしては、後輩たちに話を聞くとすごくうまくやっていると聞くので何も心配していないです。いいチームを作ってくれると思いますよ」 ――来年度の短距離ブロックはどんなチームになると思いますか。 「今年度はほとんどの人が自己記録を更新して、今までは楽しみながらも結果を出そうみたいな感じだったんですけど、今はより結果が求められる強いチームになりつつあると思います。過度な期待は良くないと思うんですけど、結果を出してくれるようなチームだと思いますしほぼメンバーも変わっていないので(笑)。ずっと下の代は元気だったので変わらず元気に楽しくやるんじゃないかなと思います」 ――チームのムードメーカーになる選手はいますか。 「全体を楽しませるような子があまりいなくて。それぞれのコミュニティというか、人数が少ないなりにもすごく仲がいいグループはやっぱりあるじゃないですか。そういう感じでそれぞれが楽しんでいるのでなかなか難しいですけど、どうかな‥‥。竹尾拓真(農2=明星学園)がチームを小さい輪じゃなくて、もっと大きい輪になるように声を掛けられるようになったら面白いチームになりそうだなと思いますね」 ――次に木村選手自身の今後の目標を教えてください。 「今後は社会人になるので、国際大会に出ることは自分が競技を継続するためには大事なものになってくると思います。また、自分自身そういう活動をしていきたいと思っているのでそこを目標にやっています」 ――最後に4年間応援してくださった明大競走部のファンの皆さんにメッセージをお願いします。 「4年間やってきた中で、現地ではもちろんSNSでも応援してくださるファンの方のことは自分たちも追っています。見てくれていることはすごくうれしいことなので、今後もぜひ明治大学の競走部を応援していただければうれしいです」 ――ありがとうございました。 [松原輝]木村稜主将の記事は12月21日発行の明大スポーツ第534号(箱根駅伝特集号)にも掲載します。ご購入フォームはこちらから!第100回箱根駅伝まであと12日。READ MORE -
(153)【特別企画】好記録続出! 飛躍を果たした短距離ブロック4年生座談会(後編)
競走 2023.12.21日本学生対校選手権の4×100メートルR(以下、4継)で明大記録を塗り替え、悲願の3位入賞を果たした明大競走部・短距離ブロック。今シーズンは4継メンバーのみならず、多くの選手が好記録を残した。そんな明大の飛躍の一因には最高学年がつくり上げたチームの空気感がある。今回は木村稜主将(政経4=乙訓)、木村颯太(法4=明星学園)、井上史隆(理工4=市立橘)、宮川颯太(商4=富士市立)、大森優人マネジャー(政経4=八千代松陰)の4年生5人の座談会を行った。(この取材は12月9日に行われたものです) ――期待している後輩はいますか。木村颯 「出たこの質問!」宮川 「期待している後輩か、たくさんいるけどな。絞るの難しいな」井上 「俺もう想定質問の1個だった(笑)」宮川 「そんな就活の面接みたいな対策(笑)」井上 「僕は小林真名世(政経3=八王子)。帰る方向が一緒で、丸亀製麺を30回くらい食べた仲なので。あとはすごく考えて陸上をやっていて頭もいい子だし、今年すごく伸びて。まだまだいけるのかなと感じています。技術面をしっかり考えながらやっている彼にはすごく伸びしろがあると感じるので、輝いてほしいなと思います」木村稜 「1人は竹尾拓真(農2=明星学園)で、すごくトレーニングとかも強くて。そういう強い選手が(チームを)引っ張るべきだと思うんですけど、まだ小さい輪の中でしか盛り上げていないので、もっとそれを全体に還元してあげたらチームとしてもいいのかなと。あとは普通にすごくいいやつで、人懐っこくて可愛いやつなので(笑)。竹尾と、あとは佐田(龍昇・法2=大分東明)。佐田は意外と陸上のことを聞いてくるとか、すごく積極的な姿勢を持っているので。あとは結構お世話になりました」宮川 「お世話?(笑)」大森 「何でお世話になったんですか(笑)」木村稜 「いろいろ教えてもらって、自分も成長したので(笑)。佐田と竹尾はもっとチームに自分の色を出していけばいいのかなと思っています」宮川 「俺も2人かな。まず1人は真名世。400メートルHをずっと教えてきた立場でもあり、一緒に練習してきた仲でもあって。自分の自己ベストも今年越えられたし、普通にやっていれば51秒5くらいは出せると思う。そこら辺を一緒に考えてできていたので、親心としてはやっぱり一番輝きを放ってほしいなって期待しています。もう1人は鷹羽柊弥(法2=盛岡四)くんですかね。同部屋ってこともあるけど、ポテンシャルもすごく高いので。身長もあって体もしっかりできていて、素材がいい。プライベートも楽しみつつ陸上も集中する時は集中して。いい感じで、生活感的には一番楽しくできているのかなと。そのまま楽しく陸上もやってくれれば結果が出ると思うので。20秒6くらい出してほしいですね」木村颯 「いくねぇ」井上 「稜だ」木村稜 「かかってこい(笑)」木村颯 「俺も竹尾拓真かな。後輩たちは全国入賞している子がいっぱいいる中で、あいつは全国で入賞したことがない劣等感みたいなものが少しあると思うけど。その中でも一番陸上にひたむきな陸上男なので。いつでも陸上のこと考えている感じで、ちょっと『大丈夫?』ってなる時もあるんですけど、その熱量はたいしたものだなって思うし。あとはやっぱり高校の直属の後輩っていうのもあるので、頑張ってほしいなって思いますね」大森 「これマネジャーでもいいですか?」井上 「おお(笑)!」宮川 「期待のマネジャー?」木村颯 「数いる中から誰を選ぶのか」宮川 「けんか勃発するよ?もしかしたら(笑)」大森 「そんなに?(笑)頑張ってほしいなという意味で、1個下の岡田明香里(農3=東洋英和)ですね。最高学年になるといろいろ大変だと思うんですけど、マネジャーとしての能力は自分や先輩を含めて見てきた中で一番高いと思うので、そこは問題ないと思います。恐らく逆にできちゃうからこそ、1人で全部やっちゃうところが彼女はあって。そこは一番上になったらどんどん後輩に任せてほしい。後輩のためにも仕事を振らないと、今後彼女が抜けたあと大変になっちゃうと思うので。それがしっかりできるようになればさらにいいマネジャーになってくれると思うので、期待しています」 ――競走部全体へエールをお願いします。井上 「(高跳び用の)マットを準備していただいたり、競技場の改修をしていただいたりと、動けるいいコーチがそろっているので、うまく頼っていけば自分たちの練習効率も上がると思います。今の雰囲気は全体としても良いと思うので、そのままやっていっていけばいいんじゃないかな」宮川 「スポーツは結果論というか、成績で全てが決定してしまうことが当たり前なんですけど、その結果にとらわれ過ぎないでほしいな。結果を出すことも大事だけど、それ以外にもたくさん学ぶことはあるよと思います」大森 「短距離に関しては、自分が入った頃よりマネジャーが増えてサポート体制がより整っていると思うので、うまくチームの結果につながるように頑張ってほしいな。競走部全体としては、短距離・長距離・競歩で練習とかも一緒にできない分コミュニケーションをとることは難しいのかなと思います。でも関東学生対校選手権などはみんなで1部残留に向けて点数を取るので、そういった機会で交流して選手同士で仲良くやってくれたらうれしいです」木村颯 「短距離に対しては、強い選手がいっぱいいて走りとか能力面で自分の中で優劣を多分つけちゃうこともあると思うけど、そこは楽しくね。競うところは競って、考え過ぎないところは考え過ぎず、肩に力入れ過ぎないでやれたらいいね。部全体としては、短距離の和気あいあいとした楽しい雰囲気を他のブロックにも広げられたらいいなと思います」木村稜 「短距離に対してはみんなが言ってくれたように、頑張り過ぎないことはすごく大事だと思う。楽しめないと4年間続けるのはつらいから。そこは気にしながらも、やっぱり必死さもすごく大事だと思います。そういった面で今年のかなう(松下・法3=大分東明)とかはすごく見習うべきところが多いと思うので、いろいろな人を見ていい部分を盗んでいったらどんどん強く、いいチームになるんじゃないかな。チームとしては、そうだな…」宮川 「やっぱり一番上だったからね、そこは全体主将としてしっかりやってもらわないと」木村颯「前主将からのお言葉です」木村稜 「全体としてはそれぞれの目標が違って、なかなか一つになるのは現実的に難しくて。その中でも一体になって頑張ろうって動こうとするんですけど、やっぱり難しいので。難しいね。どうしようかな」井上 「すごく話せてる感じだったのに(笑)」木村稜 「難しいけど(笑)。今までは一体でやろうと言いつつも、お互いが歩み寄る姿勢があまりなかったと感じるので。そこはお互いに歩み寄るというか、何て言うんですかね。やっぱり難しいですね」大森 「もうあと一歩くらいだよ(笑)」木村稜 「歩み寄りながら、平和にいいチームを作ってください。頑張ってください(笑)」 ――ありがとうございました。 [島田五貴、春田麻衣]短距離ブロック4年座談会の記事は12月21日発行の明大スポーツ第534号(箱根駅伝特集号)にも掲載します。ご購入フォームはこちらから!第100回箱根駅伝まであと12日。READ MORE -
(152)【特別企画】好記録続出! 飛躍を果たした短距離ブロック4年生座談会(前編)
競走 2023.12.21日本学生対校選手権の4×100メートルR(以下、4継)で明大記録を塗り替え、悲願の3位入賞を果たした明大競走部・短距離ブロック。今シーズンは4継メンバーのみならず、多くの選手が好記録を残した。そんな明大の飛躍の一因には最高学年がつくり上げたチームの空気感がある。今回は木村稜主将(政経4=乙訓)、木村颯太(法4=明星学園)、井上史隆(理工4=市立橘)、宮川颯太(商4=富士市立)、大森優人マネジャー(政経4=八千代松陰)の4年生5人の座談会を行った。(この取材は12月9日に行われたものです) ――今シーズンの振り返りをお願いします。宮川 「日本インカレに出られなかったのは悔しかったけど、関東インカレでしっかり400メートル、4パー(400メートルH)、マイル(4×400メートルR)って走ったから。結果は悪かったけど最低限の自分の役目は果たせたかな。自分は元々『この部活のムードーメーカーになります』って入ってきたので。その中で短長をまとめ……まとめられたかなあ」木村稜 「どうだろうなあ(笑)」宮川 「周りがどう思っているかはわからないけど(笑)。自分なりにはしっかりまとめて行動できたし、成績も良くはなかったけど、最低限のラインは越えられたので80パーセントくらい満足はしています」大森 「最高学年になってからは責任ある仕事が増えて。仕事を任せたとしてもミスがあったら最高学年の責任になるので、常に緊張感はありました。立教との対校戦で幹事をやらせてもらったり、関東インカレや日本インカレでスケジュールを立てたり、マネジャーの動きを決めたりという役割が増えて、そういうことは中高含めてあまりなかったのでいい経験でした。大変でしたが、自分的には充実していたし成長できた1年だったと思います」木村颯 「じゃあ稜さん飛ばして(笑)」木村稜 「重いからね、多分(笑)」木村颯 「稜は最後でいこう(笑)」井上 「僕は大学で競技を終えると決めていた中で、高校2年生以降からずっと自己ベストを更新できていなくて。ラストシーズンでもベストを超えられなくて悔しかったです。それでも一番上の立場になったという面では、チームを引っ張っていく動きは中高やってきた中で言えばある程度集大成だったのかなと思っています。あと今年は本当にチームのみんなが強くて。自分は悔しかった部分もありますが、今年は日本インカレも応援に行くことができて、この2人(木村稜・木村颯)が走ったリレーの3位を見られたのはすごくうれしかったです。一緒のチームとしてそれを経験できたのはすごくありがたいし、良かったなと思います」木村颯 「去年はケガが多くて思ったようにいかなかったので、今年はケガだけはしないようにしようとリスクを避けてきた中でまあそんなもんだよなって思えるような結果が出て。個人の結果は全然納得できていないですけど、まあぼちぼちかな。チームとしては俺らの代を含めて全体的にレベルが上がってきました。リレーで入賞できたり、個人で全国入賞する子がいたり。やっぱりチーム力がついた1年なのかなと思いました」木村稜 「個人としては肉離れをして結構長く大会から離れたので、あまりうまくいったシーズンではなかったかなと思っています。でもその分、別に学ぶこともたくさんあったのでそういう面ではまあ……」大森 「何を学んだの?」木村稜 「やっぱりトレーナーさんを含め、いろんな方から走る以外の根本的なこともすごく教わったので、新しいことを知って楽しかったシーズンでもあります。チームとしては僕は特にキャプテンらしい行動はしていないんですけど、1年生を中心に伸び伸びと競技をしていたので良かったと思います」 ――今年度、短距離部門が躍進できた理由は何だと思いますか。木村稜 「もちろん全員のポテンシャルというか、陸上への前向きさはあったと思います。その中でもともと自由な感じを知っている子が多いと思うので、その空気のままみんながやりたいことをやりながら、お互いに意見を交換して成長できていたのかなと自分は感じました」宮川 「自由くらいしか取りえがないから(笑)」大森 「自由でありつつも自主性がね」井上 「自主性はすごく芽生えたよね」大森 「みんなに芽生えたのが良かったね」木村颯 「今までよりももっと皆頑張るようになったんじゃない?下も強かったし。強い後輩がいるとやっぱり『やばい!』っていう気持ちにみんながなって」大森 「たしかに。(上位大会の)標準を切っている人が同じ種目でも多くて、メンバー争いができたね」木村稜 「初めてだった(笑)」井上 「(今まで)見てこなかった(笑)」大森 「標準を切ったら(上位大会に)出られるみたいな空気が今まではあったので。そこもレベルが上がったなと思いました」 ――今年度一番印象に残っているレースは何ですか。宮川 「六大学対抗戦での4パー(400メートルH)の関東インカレの標準切りですかね。決勝でもう確実に終わっただろって思うくらいに前との差があって。ちょっと諦めて……最後まで頑張って走っていたけど(笑)」大森 「諦めた言うとるがな(笑)」宮川 「いや、ゴールしてから(笑)!ゴールして『これ標準切れてないだろ』ってちょっと諦めかけたけど、1着が49秒0くらいって出て。これあるかもって思って、俺は7位だったかな?結果が出た瞬間は、大学の競技生活の中でも結構うれしかったね」大森 「まあ俺は走ってないので見た印象になっちゃいますけど、日本インカレの4継の決勝はかなり強く印象に残っていますね。関東インカレも観客席から見たら3位入ったんじゃないかなと思ったんですけど、電光掲示板に3位東海、4位明治って出て。日本インカレも1位2位はすぐ出て、3位が出なくて」木村稜 「そうだ、そうだったわ」井上 「入っててくれ〜って祈ってた」大森 「見ている側も正直3位だと確信はしていないというか、分からないくらいにギリギリで。今まで惜しくも表彰台に乗れなかったこととか関東インカレのこと(4位入賞)もあった中で、3位に明治って出た瞬間は印象深かったなと思います」井上 「今年の自分(の結果)が良くなさすぎたこともあって、俺も印象に残ったやつは日本インカレのリレーかな。でも大森にほぼ言われちゃったからな(笑)」大森 「引退試合とかどうなの?すごい盛り上がってたよね」井上 「今シーズン最低で終わったけど、中学・高校・大学と30人くらい友人が来てくれて終われたのは、すごく頑張ってきた甲斐があったのかな。うれしかった」大森 「人望ですね」井上 「気持ちよく引退できたのかなって、高跳びという競技ですごくいい締めくくりができたなって感じました」木村颯 「日本インカレの決勝で最初の方『いいぞ!いいぞ!』って思える走りができていたんですけど、足がけいれんして『うぅ!』ってなって。そこからはボロボロだったので、それが一番悔しかったし印象には残っていますね」木村稜 「やっぱり日本インカレの4継で最後決勝を走らせてもらって3位だったことは印象に残っているんですけどもう(話題に)出ているので。関東インカレくらいにしておこうかな(笑)。人生で初めて肉離れをしたんです。結構びっくりする感覚で、衝撃が走るんですよ。ばちーんって(笑)。その後アドレナリンで意外と歩けるんですけど、めちゃくちゃ痛くて。いい意味ではないですけど印象深いですし、その後も歩けなかったので階段とかも支えてもらうとか、本当にみんなに支えてもらってありがたいなと感じましたね」 [島田五貴、春田麻衣] 後編はこちらから!第100回箱根駅伝まであと12日。READ MORE