【硬式野球部】挑・超・頂
猪軍団が〝挑・超・頂〟のスローガンを胸に歩み出す。昨年度は春秋連覇、明治神宮大会優勝の3冠を達成。今年度のチームには優勝の喜びを肌で感じた選手が多く残り、リーグ戦3連覇に期待がかかる。そして主将には大学日本代表経験もあり明大打線の柱である上田希由翔(国際4=愛産大三河)が就任。5大学が〝打倒明治〟で迎え撃つ中、明大はどのような戦いを見せてくれるのか。本企画では、神宮へと挑む選手たちの1年間を追っていく。
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(97)ドラフト指名特別企画 春日部共栄高・佐藤元コーチインタビュー
硬式野球 2023.11.08(この取材は10月30日に行われました)佐藤充彦 現作新学大監督――高校時代の村田賢一投手(商4=春日部共栄)の印象を教えてください。 「野球に対しても勉強に対しても愚直で真っ直ぐに向き合って文武両道を実践してくれた素晴らしい卒業生です。でも下級生の時にはちょっと抜けたところがあって体を痛めたりすることもあったので、ピッチングコーチの私としてはずっと見守ってチェックをしておかないとケガをしてしまったり、良くない方向に進んでしまったりするんじゃないかという心配がある選手ではありました」 ――入学当初に初めて村田投手を見た時の感想を教えてください。 「高校1年生にしては力強い球を投げるとは思ったんですけど、まだまだ体も細いですし、上半身の力でボールを投げるフォームのことが多かったので、投球動作はすごく細かく伝えながらよく一緒にキャッチボールしました」 ――高校での成長過程を見てきて、一番成長させた要因は何でしょうか。 「本人覚えているかどうかわからないですけど、県大会の時に実は勝った試合なんですけど、味方のエラーであったり、ミスが目立った試合がありました。村田が珍しく高校帰ってきても勝ったのにも関わらず、すごく怒りを我慢できない。行動、表情、言葉遣いにすごく出した1試合があって、ものすごく叱りました。(どのようなことを伝えましたか)『ピッチャーが味方のミスなどで態度に出す。言葉に出す。それはエースじゃない。そんな時だからこそ三振を取るでも、次を抑えるでもしてチームをとにかく勝ちに導かせる、チームを引っ張るのがエースだ』と。そのエースという部分。ずっとそのことは1年間言い続けました。少しずつ春日部共栄の1番を着ける自覚というのが伝わってきました」 ――村田投手の原点であるコントロールを佐藤さんから教わったと話していました。頻繁にしていた練習を教えてください。 「たくさんありすぎるんですけど、ボールの回転のこととか、リリースのこととか体の使い方でよくキャッチボールしました。コントロールという部分で、彼は140キロ後半は高校から投げられたんですけど、初速が140キロ後半でも終速が圧倒的に落ちるんですね。多いと15、6キロ落ちるんですけど、140キロを少し切ったくらいだと終速は1、2キロしか変わらないんですね。それだったので彼がずっと投げて4番も打っていたので体力面とか試合数も多いですし、埼玉を全部勝ち抜くためにはコントロール、少ない球数でいかに自分の体力を削られないで甲子園に導けるか。そのためには無駄な球を減らす。球速ではなく球威という部分。球のキレであったり、目に見えない部分も含めて細かい部分を詰めていく必要があったので、ブルペンでも試合でもよく声を掛けていました」 ――最終学年ではエースで4番。やはりチームの中心でしたか。 「やっぱり村田というのがあったと思うんですけど、すごいいいチームだったので『村田だけに頼るなよ』という同級生の会話が良くありました」 ――村田投手の一番の武器を教えてください。 「何事にもしっかり向き合える。そこが素晴らしいと思います。すごく大ざっぱな話ですけど、野球に対しても勉強に対しても愚直に毎日夜に勉強できる。もちろん人との付き合い方、人の話を聞くという姿勢、そういったこともそうですし、成功に対しても失敗に対しても同じトーンで向き合えるそんな人間だと思います」 ――大学入学後にプレーを見る場面はありましたか。 「日体大戦の時に見に行きました春。(感想はどうでしたか)やっぱり立派ですよね。明治のユニフォームがかっこよく見えました(変わっていないところ)マウンドで三振を取った時の表情ですね。あのマウンドさばきはどうだーっていうようなすごい表情をしていて、そこは変わらないなと思います」 ――今後プロの世界で活躍していく。どんな選手になってほしいですか。 「自分の夢であるフェーズに行くので、成果結果は自分の追い求めたところにいってほしいんですけど、やっぱり夢を与える仕事でもあるので次の世代の小さい子たちの目標になってほしいと思います」 「実はセンバツに行く時に春日部共栄の試みとして明治大学の応援部の方に学校にきていただいて、応援の指導をしていただいたんです。センバツ前に来てもらってうちの応援団に手ぶりや気持ちの入れ方などを指導してもらって、その中で村田はセンバツで戦ったので、その時から明治大学と村田は縁があったのかもしれないなって今は思っているんですよね」 ――ありがとうございました。[中村謙吾]※写真はご本人提供READ MORE -
(96)ドラフト指名特別企画 愛産大三河高・櫻井春生監督インタビュー
硬式野球 2023.11.08(この取材は11月1日、電話で行われました) 櫻井春生監督――入部当初は投手だったとお伺いしました。上田希由翔主将(国際4=愛産大三河)が入部されたのはどのような経緯でしたか。 「『幸田ボーイズ』という中学生の硬式クラブチームの監督さんから紹介があり、プレーを拝見したのが始まりでした。幸田ボーイズの監督さんとは初対面だったのですが、「本人が、愛産大三河を希望しているので…」ということでした。投手として十分期待できるスピードと器用さも持っていました」 ――入部してきたときの印象は覚えていらっしゃいますか。 「中学生の頃、初めてプレーを見た時に、体も大きくて、冷やかしかなと(笑)。他にどこか(学校が)決まっているのに、いろんなところに顔を出して『俺、すごいだろう』って見せて、実は他に行くみたいなね(笑)そんな冷やかしのかなと思ったぐらい、中学校3年生にしてはボールも速いし、体もあるしバットも振れるし、今までうちに来たことのないような選手が本当に来てくれるのかなっていう感じでしたね。そして、本当に入学してくれた。(驚)」 ――実際に入部されて、どんな部員でしたか。 「最初はもう全然目立たなくて。体は大きいけどあまり目立たなかったんですね。春の愛知県大会があって、彼の同級生で2人目立っていたので、その子たちをベンチ入りさせて試合にも出したんです。その頃はその2人が目立っていて、上田はなんて言うのかな、まだ様子をうかがうというか、そんな感じだったんです」 ――練習はかなりされていましたか。 「そうですね。県大会が4月に終わって、5月に1学期の中間試験があるのですが、それが終わったら、新入生も朝練習に来たい者は来ていいよというふうに毎年やっているんです。それを解禁してから、上田は毎朝来てずっとバットを振っているし、僕も多少誇張しているかもしれないけど(笑)、卒業式の日以外は、彼、学校に登校する日は必ず朝練習に来ていたと思います。引退してからも。下級生捕まえちゃ投げてもらって、打っていたので。そのぐらいやっぱり練習は熱心でしたね」 ――高校3年次は主将を務められていましたが、監督の指名や推薦もあったのでしょうか。 「いや、もうやっぱり周りからの信頼もあったし、上田じゃないのっていう。そういう感じですね。ちょうど僕の息子もいたんですけど、選手間の感じではやっぱり上田っていう感じだったんで、そのまますんなりという感じでしたね」 ――上田主将ご本人が櫻井監督に対して「自分を正しい道に導いてくれた」とおっしゃっていました。具体的にどのような指導をされたか覚えていらっしゃいますか。 「え~そうですか。いやー、どうかな、いつも同じようなことばっかり言ってるのでね(笑)でも世の中には天狗というか、そういうのはいっぱいいるので『やれる気になったとこから人間落ちてくからな』みたいなことはいつも言いますね」 ――上田選手は大学に入ってからも帽子の裏に、櫻井監督からの言葉だという『恐れず驕らず侮らず』という言葉を書かれていました。どんなお気持ちで伝えたのでしょうか。 「おぉ! そうですか。まぁうれしい(笑)僕はこの立場になってからそればっかり言っているんですけど、結局いらんことを考えると、思い切って出し切れないというかね。そういうところがあるので。だから『恐れず』は相手を勝手に上に見ない、『相手が強いからもう駄目だ』なんてね。『驕らず』は、自分らはやれるんだって思い込んでいると、蓋開けてみたら『あれ、こんなはずじゃなかった』と。そして『侮る』は、相手を下に見ない、『この相手だったら何とかなるだろう』と。どれもそんな考えを思っとると結局また『あれ、こんなはずじゃ』で力を出し切れなくなるし、そうならないような戒めみたいな感じで、ずっと言っているんです」 ――高卒でプロへという道は、監督が止められたりされたのでしょうか。 「何かそういう形でよく言われるんだけど、止めた気はなくて。あ、でも止めたと言えば止めたのかな(笑)。プロの世界は厳しいじゃないですか。今回ドラフトと同時に各球団10人以上の人間が切られているわけで…。だからもしも、高卒で入団して頑張っても、どこかで切られたときに、結局、高卒じゃないですか。でも彼はね、それだともったいない気がしたんです。本当に野球しか道がなくて、勉強もやらずに野球をやってきたような子も中にはいるけれど、彼はきちんと両立していたんです。先々のことを考えると、大学でお世話になって、希望通りもう一回ドラフトにかかるチャンスがあって、プロに行けたんだったら、それが最高かなと。その先、精一杯やって、もし駄目になったときも道があるかなと思って、そっちがいいんじゃないのっていう感じで話はしましたね」 ――高校時代、上田主将は勉強もできたりされたのですか。 「そうですね。勉強は本当に地頭がいい子なので、校外模試なんかをやると彼は成績がいいんですよね。定期試験はほどほどだけど、校外模試の方が成績がいいみたいな。やっぱり基本的に賢いんだと思います(直接授業で教えたりもされていたのですか)残念ながらないんです。僕は商業で、彼は普通科なので。(ちなみに何を教えていらっしゃるのですか)僕は商業、簿記が中心です。金勘定なら任せといてください。(笑)だから計算高く、考えていたかもしれないですね。(笑)」 ――チームはガッツポーズなどが禁止だったとお伺いしました。 「あはは(笑)いや、禁止なんて言ってないですよ(笑)。喜ぶなら喜んでもらえばいいんですけど、僕が嫌いなのは、喜んで弾けすぎて、次に試合途中で苦しくなったとき、立ち直れなくなるんですよね。一気に沈むみたいな。そういうのが嫌いで、弾けてしまうような喜び方はよく怒っていましたね。(それはリスペクトという部分も)全然ないです(笑)。そんなかっこいいもんじゃないですよ。自分たちから崩れてくことにつながる気がして。喜びすぎることで、逆に崩れていくのが嫌だから、みたいな感じですね(緩みというか)そうですね。そっちにつながらんように。だからホームラン打っても本当にうちはシーンとしているんです。ちょっと喜んではいるんだけど、打った本人がベンチに来る頃には、もうシーンとしているみたいな。いつまでもそれを引きずるというか、ワイワイなっていることはないですね。だから禁止している訳じゃないんです。喜びすぎるなと言っているだけで」 ――甲子園出場が決まった時もそうだったとお伺いしました。 「マウンド上に集まって…みたいなのはなかったですね。それも僕は何も言ってないんですけど、最後三振取って、上田も喜んでホームベースの方向に走ってきたのかな。走ってきたけど、そのまま整列したみたいな。秋にウチが愛知県で準優勝して、東海大会に出て、センバツへ行こうと思ってやっていたんですけど、その東海大会は初戦で負けてしまい、それから(やる気が出ず)どうしようかなと思って。その負けた晩に思い至ったのが、国体でした。甲子園でベスト8に入れば、ほぼ出られるんですけど、国体を目標にしたら、夏の甲子園は通過点になるから、選手にもそう言ってみようかなと思って、次の日にはもう最終目標はこれだと言って自分もまたやる気になったみたいな。多分、彼らは夏勝ったときも、結構本気で国体まで行くんだって思ってくれていたと思いますよ。だから甲子園決まった時も、本当にこれであと二つか三つや、って、通過点ぐらいに思っていたと思います」 ――大学を選ぶときにも助言はされましたか。 「いや、僕は彼が1年の秋に『将来的にはどうするんだ』というのを聞いた覚えがあるんですけど、そこから1年経って2年の秋に『本当にどうする』という風に聞いたときに、彼が明治さんの名前をポンと出したんです。明治さんのことしか言わなかったですね彼は。僕も今までに(明大で)お世話になった選手がいるわけでもないので、知り合いをたどって、明治さんに行きつき、練習に参加させてもらって、見てもらったって感じですね」 ――指導をされていた中で、上田主将が特に優れていたポイントはございますか。 「やっぱり練習もよくやるんだけど『練習やらな』って自分で考えを持っていけるところはすごいですよね。普通の子だったら、例えばあいつ遊んでるから俺もいいだろうとか、やっぱり人間なので怠ける方に行くと思うんですけど、彼は逆でしたね。オフにウチへ顔出して練習していて、ある時同学年の子が『今日こんな練習やりました』って何かに出しとったらしいんですよ。それ見て『多分1週間のうちにたまたま1日練習したのを載せとるんだろうな。だけどそれ見るとやっぱり、あいつもやっとるからやらなって思うんです』って言っていました。誰かがたまたまちょっとやったよっていうのを載せただけで、いかんいかん、自分は1週間の内5日は練習しているけど、やらなって思うって言っていました。そのぐらい自分が頑張らな、という方向に考え方を持っていくのがすごいですよね。(自律心というか)はい。それも強いと思うし、やっぱりね、目的とか目標とかを常にちゃんと持っていると思います」 ――上田主将は櫻井監督から見てどんな性格でしたか。 「性格かぁ。結構見せないところもあると思うんですけどね。でも律儀ですよ。ちゃんと『今からオランダ行きます』とか『帰ってきました』とか『明日からリーグ戦が始まりますのでまた頑張ります』とか、折々にちゃんと連絡をくれたりだとか、そういうところがあるので、なんて言えばいいんだろう、真面目というか、やっぱり律儀なんじゃないですかね」 ――法大との最終戦も神宮球場に応援に来られていたというお話をお聞きしました。 「最終戦になってくれと思って行ったんですけど、逆転負けを食らって、月曜日まで伸びましたね。第2戦に行っていました。去年の明治神宮大会の初戦と、その2回だけは行きました。(直接お話はされましたか)いえ、そのときはもう両方ともやめておきました。去年はやっぱりまだ次の試合もあったし、今回は同じように、その日負けたため次の日も試合になっちゃったんで、邪魔にならんようにと思って帰ってきました」 ――今でも長期オフがあると高校にも帰られているというお話をよくお伺いします。 「必ず来ますね。必ず来て、またそこでも練習して、後輩にもちょっとアドバイスをくれたりして。いつもそんな感じです」 ――指名が決まった後のやり取りは覚えていらっしゃいますか。 「よかったなっていうのと、こっちもほっとしたって言っておきました。やっぱりね『大学の方がいいんじゃないの』みたいなことを言った手前、もし大学4年間でドラフトにかからんと、勧めた手前ちょっとつらいなというのはこの4年間ずっと思っていたので、だからそういった点ではやっぱりほっとしましたよね」 ――最後にプロ入りにあたって、上田主将にメッセージをお願いします。 「僕自身はそんな立派な選手でもなかったので、プロの世界なんて全然わからんのです。だから立派なアドバイスとかはできないんですけど。そうだなあ、今までとプロは全く違う世界かもしれないけれど、また同じように人間がやることなので。今の三つの言葉(『恐れず、驕らず、侮らず』)になりますかね。それを忘れんと、頑張って欲しいなって思っています」 ――ありがとうございました。 [栗村咲良]※写真はご本人提供READ MORE -
(95)ドラフト指名特別企画 上田希由翔主将ご両親インタビュー
硬式野球 2023.11.0810月26日、ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けた上田希由翔主将(国際4=愛産大三河)。その成長をいつも見守っていたご両親にお話を伺った。(写真はすべてご両親提供) ――指名はどんな状況でご覧になっていましたか。 父・節二さん(以下、父) 「2人で家で見ていたよ。完全に気を抜いていたね。最初は、本当の1巡目にはある程度期待して、テレビを2人で見てたけど、競合で最後ロッテが残った時はちょっと気を抜いてたね」 母・恭代さん(以下、母) 「そこはないだろうなみたいなね。見てたよ、見てたんだけど、一番最後だったもんね。いろいろ迷って、府中に行こうかなとも思ったけど、そんな余裕もなくて。結局もう家で2人で、朝から希由翔の好きなカレーを作り(笑)、それを2人でお昼に食べて。希由翔がどんな感じで待ってるんだろうって気になりながら、呼ばれたときはもう本当にびっくりしたのもあるし、2人で号泣だったね。そこからいろいろ電話とかお祝いがたくさんきて。希由翔の高校関連の先生に連絡したりとか、中学校から電話がきたりとか。会社の人もワインとか夜に持ってきてくれたりとか、花束持ってきてくれたりとか、そんな感じで1日が過ぎましたね」 ――指名された後、ご両親に一番最初に報告したとおっしゃっていました。どんな言葉でしたか。 父 「8時半ぐらいかな。9時前ぐらいに電話があって、俺が出て、おめでとうって話して。本人はホッとしたって感じだったね。今やっと終わった~って感じで、おめでとう、ありがとうって本当にそんなたわいもない感じで。かしこまったそういうのでもなかったね。今終わったーほっとしたって感じで」 母 「改めてありがとうございました!みたいな、そんなのじゃない(笑)そういうのは改めてあるのかもしれんけど(笑)」 父 「面と向かってそういう話はしにくいんだろうし、そんな会話だけだね」 ――小さい頃はどんなお子さんでしたか。 母 「当時育休も1年間とかしか取れなくて、フルで働いていたから平日がやっぱり大変で。旦那の実家が近かったのもあって、そこに平日朝から旦那が出勤前に実家に預けて出勤して、夜になったらじいじが家に連れてきてくれて、だから実家の両親にすごい助けてもらって。夜ご飯とかお風呂も全部実家で、習い事とかも全部そっちでやってもらって」 父 「性格的にはね、やっぱり本人もキャプテンは自分には向いてないって言っていたように、決して自分から前に出るような子じゃなかった。どっちかっていうとちょっと引っ込み思案な子なんだけど、でも自分たちの世界で、絶対大丈夫っていうとこだと前に出たがるタイプで、基本的にはおとなしいというか」 母 「動くほうは活発で、足が速かった。でも野球よりサッカーっていう世代で。ずっと動き回ってるような感じではあったかなあ。学年でも体格は大きかったし、背も高かったんだけど、ちっちゃな子たちにもあまり言えなくて弱いみたいな(笑)」 ――野球はご本人からやりたいとおっしゃったのでしょうか。 父 「いや、うちの親父が少年野球チームを元々持っていたんです。その親父がやらせたくて、小学校1年生になった時に、たまたま3年生以下のチームで人が足りないから、チームとして成立させるために、やれなくてもいいから、孫を連れてきてくれっていうのがきっかけです」 母 「じいじはやらせたかったんだとは思うけど、言ってはこなかったかなあ」 父 「だから、ある意味かわいそうで、希由翔の選択権はなかったんだよね。別にどこのチームがいいとかそんなのも体験したわけじゃなくて、親父がやってたからそこに。そういう意味では少しかわいそうだったかもね(笑)」 父 「この写真を見たら絶対プロになるとは思わないでしょう?(笑)」 母 「本当に始めた頃って感じで(ユニホームも)ぶかぶかでかっこ悪いよね(笑)そこから上田家の野球人生みたいなものが始まって。希由翔が始めた時に弟も一緒に始めて、まだ保育園だったけど、5歳とかで始めちゃったから、もうがっつり週末は野球みたいな感じで。そこから始まったね」 父 「でも3年生くらいからはセンスあるなというか、うまいなという風には思ってきたんだけど、やっぱりチームが弱かったから、人数も少なくて。早熟な子とかもいて、すごく小学校で活躍する子もいるんだけど、その子たちにはなかなかかなわないというか、目立たなくて、あんまりいい思いができなかったね」 母 「ちょうど岡崎に有名な子が多くて。石川昂弥くん(中日ドラゴンズ)なんか全然比較にならないくらいでさ。試合できるような相手じゃなかった。石川くんだったり、日ごろ練習試合やってるような知ってる子たちがドラゴンズジュニアに入っちゃったりして、希由翔はそういうのに選ばれる感じではなかったから、始めた時は全然、中学も弱かったし、行く高校もなかなかなかったんですよね。ケガもあって、骨折しちゃったから。昔はもう全然有名ではなかったね」 父 「この写真ぐらい、4年生ぐらいからちょっとセンスがあるかなって感じで」 (体格も全然違いますね) 母 「あ、でもね、それは頑張った。旦那がいつも『人の3倍食べて4倍練習しろ』みたいなことをずっと言っていて、希由翔も真面目というか、ご飯とかもよく食べるから、体も大きくなって」 (当時はキャッチャーも) 父 「元々はキャッチャーだった。というか、少年野球って投げる子はいるけど、受ける子がなかなかいなくて、だからキャッチャーやらせて。ピッチャーは本当、6年生でたまに投げるぐらい。メインはキャッチャーだったね。それも本人の選択権はなくて、俺がただやれって言ってやらせただけなんですけどね(笑)」 父 「彼が唯一、自分で選択したのが明治大学で。少年野球は親父の関係で、中学校は、いくつかボーイズもあったんだけど、たまたまバッティング練習で通っていたお店が新しくボーイズを立ち上げるって言って、そこに入った。高校も、野球ができるかできないかっていう状況だった中で三河高校が取ってくれて、そこに。だから高校まで選択肢が彼にはなかったと思うんです。その中で甲子園に行ってどっか大学行きたいとこあるのかって言って、彼が初めて選択したのが明治大学で。それこそロッテにも選んでもらっているから、本当に自分で選択したのは明治大学だけなんじゃないかな(笑)」 母 「これは中学の時で、完全にピッチャーと内野手だったね」 父 「たまたま、バッティングはずっとやらせていたんです。バッティングを生かして欲しかったんだよね。で、高校の先生がバッティングを買ってくれたの。そこからちょっと野手にシフトしだして。僕も野球やってたもんだから、変に期待しているところは正直あったのね。だから、例えば小学校でも、少年野球用のバットがあるんだけど、それを使うなって言ってたの。体も大きいし、多分面白いように打てると思うんだけど、それじゃ駄目だからって中学生が使うバットを小学生で使わせてたのね。中学生になったら、高校野球のバットを使わせてた。自分がやりたかった野球でもないかもしれないんだけど、ちょっと期待もあって、少し無理をさせていたところは正直ある。でもそれで結果を出してきたから、良かったかなとは思うんだけどね。中学校から高校に行くとバットの重さが80グラムぐらい一気に変わっちゃうから、それに対応できなくなるのが嫌で。中学の時点で高校生が使うバットを振らせていたし、結果は出なくてもいいからってもうとにかくそれで練習して。だから高校への対応は、それが良かったんじゃないかなとは思ってるんだけどね。ちょっと無理させてた感じは正直あるな(笑)本人のやりたいようにはやれてなかったかも」 母 「でも、何も言わなかったから、どう感じてたのかがわからない(笑)」 ――お母様もスポーツをされていたと伺いました。 母 「私はバスケットで、実家は福岡県なんだけど、高校から寮生活でそこからずっと家には戻っていない生活で。宮崎の小林高校に行って、そこから日体大でやっていて、トヨタでバスケを7年間やってって感じで。でもバスケやってほしいとは全然思わなくて、勧めなかったんだけど、希由翔は好きだったみたい。今もオフの時斉藤くん(勇人外野手・文4=常総学院)とかとやっているみたいだし、やっぱりバスケ好きなんだなとか思うんだけど(笑)。私は野球をやってほしかったのね。でも、野球のことは分からないから、本当にサポート、弁当だったり洗濯だったりって感じかなあ」 父 「アスリートだからか、全然野球とは関係ない話だけど、身なりをかっこよくしたいっていうのは、ユニフォームを真っ白にさせたいとかね、そういうのは頑張っていたね。希由翔も見え方とか身だしなみに気を遣うっていうのは、小さい頃から与えたそういうのがちょっと入ってるのかなっていう気がするね。そのためにもできるだけ黒土をきれい落としてあげたいとかさ、本当は縫えば済むユニホームを買い与えたりとか、きれいな身だしなみに気をつけてたような感じはあるかな」 母 「昔から口出しはしなかった。中学の頃とかは『素振りやらなくていいの?』とか、まだ昭和の根性論みたいな、そういうのもあって言ったことはあるんだけど、高校で1回言ったときに、『高校のグラウンドで、1日自分がどれだけやってるか分かってないでしょ』って言われたのね。そこから一切言わなくなって、知らないところでちゃんとやってるんだって信じて。そしたら監督とかからも『バットを振ってないと病気になるくらい』とか言われていたり、そういう努力を陰ながら聞いて、やっぱりそうなんだなと思って。家に帰ったら当時は乃木坂の西野七瀬が好きでずっと曲聞いてたりするからさ、そんなんでいいんかな?とか思ってたんだけど(笑)」 父 「野球は持ち込まなかったな」 母 「そう、持ち込まなかったから、いいんかなって思ってたけど、途中からそういう不安もなくなって、とにかく応援するだけって感じだった。あと、とにかく私がずっと気にしていたのは、ちょっと目立つと、勘違いしちゃうことがあるじゃない。自分はすごいんだとか。私もずっとスポーツ選手だったから、そういうのは気を付けないといけないとずっと思ってて『謙虚に、本当に感謝しながらやらないといけない、みんなに応援される選手にならんと駄目』っていうのはよく言ってた。ドラフトの会見でも、応援される選手になりたいと言っていたから、たくさんの人に支えられたっていうのを分かってるんだなと思って。今の希由翔があるのは、指導してくれた人たちがいい方向に引っ張ってくれたからだと思っていて、すごく感謝しています」 ――食事面で気を使っていたことはございますか。 母 「とにかく飽きないお弁当を心掛けていて、毎日同じものはあんまり入れなかったし、量も確保して。でもその時はまだ勉強不足で、今だったらたんぱく質とかそういうのを考えばよかったんだけど、本当に毎日毎日、念を入れながら。『怪我しないように』とか、『頑張れるように』とか『結果が上手く出るように』とか思いながら作ってた。もうお弁当もあんなに作ることは絶対にないよね(笑)」 ――ほぼ毎試合、神宮球場でお見掛けしました。 父 「僕らは小中高と、行けるところは全部行っていたんです、基本的にはね。遠征が静岡であっても行っていたし、行ける範囲は基本的には現地でちゃんと見たいっていう思いがあったから、それは別に苦でも何でもなかった。近いに越したことはないけど、行くのが当たり前、みたいな」 (いつもお車で。どのぐらいかかりますか) 父 「ちょうど家から神宮球場まで300キロぐらい」 母 「4時間はかからないくらいだね、4時間、3時間半とか」 父 「開門30分前に行くから、プロ併用日だったら8時半の開門の30分前だから8時には着くように」 母 「だから3時台とかに起きて準備して、4時くらいに出たり。行く車の中で4年生の春はすごい切なかった。ラストイヤーだーって。秋はもっと切なかった」 父 「僕が幸せだったのが、行くときは楽しみだから、行くのはいいじゃん。でも帰り、負けて帰るとつらいじゃない。でも3年、4年の2年間は圧倒的に勝ちが多かったから、全然帰るのが全然苦じゃなかった。だからそこは本当に感謝。勝って帰っているから、全然苦にならなかった」 ――上田主将から言われた中で、一番記憶に残っている言葉はありますか。 父 「小学校で野球を始めてから、彼は野球を休んだことがないと思うんだよ。病気しても熱があっても野球してたし、野球に対して、妥協したことはなかったんだよね。だけど2年生の法政戦の最後に『野球を辞めたい』って初めて言われて。あれが一番印象的かな」 母 「私もその試合のことを思い出していて、直接というよりは、ラインで言われて。初めてそんなこと言われたなと思って。だから明治で4番っていうこともすごい重圧だろうし、大変なんだろうなって。練習もさぼるようなタイプではないと思うので、これだけやっても駄目なのかっていう、そういう気持ちもあったと思うんだけど、初めて弱音を吐いたというか。多分それを周りには漏らしてなかったとは思うんだけど、初めて言ってきてくれたから。優勝したとか、もちろんそれもあるけど、あの法政戦の希由翔がつらかった。春も結果が出ていなかったし、でもあの2年があるから3年4年があるのかなって」 ――今回プロに指名されて、将来的にどんな選手になってほしいですか。 父 「それは欲を言っちゃうとWBCだメジャーだとかって色々あるけど、僕らはやっぱりいちファンというか、そういう感覚なので。だから長く野球が見られればいいなって、そんな感じかな。WBC、オリンピックで金メダル、メジャー行ってとかさ、でもそんなのは結果であって。小さい時から高校大学と見させてもらって、またプロのステージで野球ができるっていうのは、親からすると、長くプレーを見続けさせてもらうのがなによりの希望だし、楽しみですよね」 母 「希由翔は希由翔で自分の目標を持って頑張るだろうから、私はとにかく応援されるような選手になってほしいですね」 ――最後に余談ですが、お名前の漢字の由来は聞いたことがあるのですが、響きに由来はあるのですか。 父 「あるにはあるね(笑)」 母 「それはもうちゃんと伝えて、あとは任せた方がいいよ(笑)」 父 「僕ね、節二っていう名前なんだけど、お袋が節子っていう名前なの。それがすごく嫌で(笑)。あと、ポケベル世代というかそういうのでもあるんだけど、五郎だったら5と6とか、数字で簡易的に表現する名前に憧れていて。あとは中性的な名前にすごく憧れてて、かわいい名前を付けたいなっていうのがあって、そこからフルーツを思いついて見ていって、『キウイか~』って。でもキウイはさすがに変だねとなって、それなら『きゅうと』って響きでいいんじゃない、っていうのが最初」 母 「旦那は女の子をすごく欲しがっていて、かわいらしい名前がよかったみたい。でも私は男の子が欲しくて、最初、きゅうとはおかしいって思って(笑)」 父 「だから本当に『かわいい』っていう響きの『きゅうと』。それなら910とも書けるし、CUTEでも書けるし、いいんじゃないって。野球は全く意識してないです。よくきゅうとっていうと球に何とかって言われるけど、本当に野球やらせようなんて微塵も思ってなかった」 母 「漢字は『希み(のぞみ)をもって由い(おもい)のまま翔く(はばたく)』っていう願いを込めて」 ――ありがとうございました。 [栗村咲良]READ MORE -
(94)ドラフト指名特別企画 言葉と写真で振り返る石原勇輝4年間の軌跡
硬式野球 2023.10.3110月26日、ドラフト会議にて東京ヤクルトスワローズから3巡目指名を受けた石原勇輝投手(商4=広陵)。その大学野球生活を、弊部記者が4年間取材したコメントをもとに振り返る。酸いも甘いも味わった一年間 「六大学で野球をしたかった」高校時代から東京六大学で野球をすることを望んでいた石原。その中で声が掛かった明大には広陵高と同じく〝人間力〟を大切にする風潮があった。 「課題が多く残っているのを痛感した」1年秋に同期投手の中で一番早くリーグ戦デビューを飾るも、慶大2回戦では満塁弾を浴び敗戦投手に。 「自分が最後に投げれて、いい一年の締めくくりだった」その年のフレッシュトーナメントは明大が優勝。石原は2回2/3を投げ無失点の好投で、優勝投手となった。 〝23〟を背負い、着実に成長を 「とにかく先輩方についていこうと思って投げていた」2年春は中継ぎとしてチームに貢献。実力のある先輩投手に刺激を受ける日々だった。 「帽子を落とさないように頭を振るなと」下級生時代の石原は、投げるたびに帽子を飛ばしていた姿が印象的。本人も自覚していたが「どうやったらいいのかその時は分からなかった」と当時を振り返る。 「やっぱり誰よりも輝きたいと思っているので」 石原のグラブには名前からとった〝輝〟の大きな一文字が刺しゅうされている。 大学入学後初の挫折と成長「(村田、蒔田と)3人でチームを引っ張ろうと話していた」春季リーグ開幕前に村田賢一投手(商4=春日部共栄)、蒔田稔投手(商4=九州学院)と共に語ったこと。上級生としての自覚が芽生え、田中武宏監督もかなり期待を寄せていた。 「半分野球を諦めてた。2人(蒔田、村田)が活躍してて悔しくて自分は何やってるんだろうっていう気持ちと、このまま2人に任せてもいいやっていう気持ちも正直あった」 オープン戦では好成績を残したものの3年春は開幕カードから思うような結果を残せず。自分のフォームを見失いイップス気味になり、精神的にも「腐っていた」という。 「追い上げムードの中、自分が打たれた。あそこでもう一回頑張ろうと」4年間で一番印象に残っている試合として挙げたのは3年春の慶大1回戦。追い上げムードの中、登板するも打たれ、その試合を落とすことに。もう一度、奮起するきっかけとなったという。 「今思えばあの時期が分岐点だった。あそこで頑張れたから今の自分があると思う」3年春後、西嶋一記投手コーチとフォームや投球術について話し合い、一から自分の課題と向き合った。しっかりと考えて練習するようになったことも、成長につながった。 「いい意味で野球を適当にやろうと思った」これまでは変なプレッシャーで自分で自分を苦しめていたという石原。楽しむことを意識して割り切って登板するように、精神面も変わっていった。 「結構うれしかったですね(笑)」練習を積み、迎えた3年秋のリーグ戦。東大2回戦では勝利投手に。11試合目の登板にしてつかんだ初勝利だった。 「今年の秋はリベンジ。3連投するとは思わなかったが、まずはいい結果が出て良かった」開幕カードの東大戦から3連投。一本の安打も許さない投球を見せ、少しずつ自信をつけていった。 「蓑尾さんのミットめがけて全力で投げたら大丈夫だと思って信じて投げた」「絶対逃げるなとは伝えた」(蓑尾海斗捕手・令5文卒・現Honda熊本)法大2回戦では3回を投げ6奪三振無失点の好投。私生活でも仲が良いという蓑尾選手との息ぴったりのバッテリーで実績を積み上げ、信頼を勝ち取っていく。 「優勝することができて個人としても良い成績を残せて良かった」3年秋は結果として12回を投げ、優勝に貢献。連覇を果たしたが、個人としても充実のシーズンとなった。 「最高の形で4年生との試合を終えられて本当に良かった」明治神宮大会では国学院大に競り勝ち、日本一に。大学に入学し、初の全国制覇を成し遂げた。 3本柱の一角としてフル回転「4年生としても将来に向けても結果を出さないとダメ」4年春開幕前に語った決意。中継ぎタイプだがどこを任されても結果を出すという強い思いを持っていた。 「初先発は緊張したけど、その日の朝になったらやるしかない、俺が主役だと思っていた」慶大3回戦でリーグ戦初先発。惜しくも勝ち投手とはならなかったが、最速149キロを記録するなど6回無失点の好投を披露した。 「チームに勝ちを呼び込めるように自分が声を出していこうと」リーグ戦3連覇がかかった早大2回戦で先発を任され2勝目を手にした石原は、降板後も一番前で声援を送り続けた。この頃から投げた後も先頭に立ち、チームを鼓舞する様子が多く見られるように。 「バッターボックスに立って打つのは好きなので」3回目の先発登板となった立大2回戦では勝ち越し適時打を放つ。春季は6打数4安打3打点の活躍。通算でも16打数7安打で打率.428と野手顔負けの数字を残し〝二刀流〟の一面を披露した。 「あまり投げさせてもらえなくて悔しかったですね」先発も予想されていた中だったが、全日本大学選手権はわずか1登板に終わる。信頼を得るために、さらなる成長を誓った。 「いい結果を出せていたので選考にいけたらいいなとは思っていた」全日本大学選手権後に行われた大学日本代表候補合宿には呼ばれず、自分に足りない部分と向き合う時間に。 「村田と蒔田に負けないように頑張ります」優勝報告会で口にしたのは、やはり2人へのライバル心。この4年間、野球へのモチベーションを保たせてくれた大きな存在だった。 「プロの舞台で投げたいと思っている」春の時点では進路を決めかねていた石原が、プロ野球の世界を目指すことを明確にしたのは夏頃。決意を口にした。 「夏は変化球を磨いてきたのでその成果かなと」威力のある直球が魅力だが、夏の期間で取り組んだのは変化球の精度向上。4年秋は変化球での空振りが増え、成果が見られるように。 「前日投げれなくて悔しかった。その気持ちをぶつけようと」 慶大3回戦では2回裏から登板し、3者連続三振を奪うなど4回を投げ7奪三振の好投。2回戦ではブルペンで準備をしていたが登板なしに終わり、その悔しさをぶつけた。 「大学でいい思いさせてもらったのもお前のおかげだから、最後いい形で締めようと言ってくれた」 明大での最後の登板となった法大3回戦9回裏2アウト。バッテリーを組んだ菅原謙伸捕手(政経4=花咲徳栄)から言われた一言。4年間と共にしてきた仲間と大学野球を終えた。 「まさか3位で呼ばれるとは思っていなかったので本当にびっくりした」10月26日、運命のドラフト会議にて東京ヤクルトスワローズから3位指名を受けた。高校、大学とエースにはなれず、世代別日本代表も経験することはなかったが、悔しさをバネに努力を続けた結果だ。目標としていた舞台で、新たな一歩を踏み出す。[伊藤香奈] READ MORE -
(93)ドラフト指名特別企画 言葉と写真で振り返る村田賢一4年間の軌跡
硬式野球 2023.10.3010月26日、ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから4巡目指名を受けた村田賢一投手(商4=春日部共栄)。その大学野球生活を、弊部記者が4年間取材したコメントをもとに振り返る。 憧れの明大で野球をする喜び「本当に小さい頃からのあこがれだった」高校入学時から口にしていた明大入学の夢を叶えた。高校代表対大学代表で見た柳裕也投手があこがれだった。「自分のレベルで抑えられないバッターがごろごろいる」1年次の秋季リーグ戦でいきなりデビュー。手応えを感じると共にレベルの高さを実感した。「本格派だと自分を思ってたけど、新しいスタイルを確立したい」1年次の考え方の変化が今のスタイルに結びついた。ケガを乗り越え、新たな自分へ「この期間がなければ今の自分はない」学年が上がる頃に肘を手術。2年春はリハビリ期間となったが、今の村田を作る原点となる時間だった。「竹田さんとの出会いが自分を変えた」明大のエースたる姿勢を竹田祐選手(令4政経卒・現三菱重工West)から全て教わった。野球と本気で向き合う時間が増えたとこの時期を振り返る。「投手が粘りきれなかったから勝ちきれないシーズンだった」慶大2回戦では3回無失点の好投していたが、9回2死から同点の本塁打を浴び、1球の大切さを思い知るシーズンになった。芽生えた自覚 開花の年「3年生が中心にならないといけない」春季リーグ開幕前に話した覚悟。春から先発でフル回転することを開幕前から想像できた人は少なかっただろう。「この春のテーマは脱力なんですよ」負けられない慶大2回戦で、7回無失点の好投。先発4試合目にしてやっと力が抜けましたと語っていた。「最初から最後までいくつもりで投げてました」勝ち点を取った方が優勝の立大カード。1戦目を引き分けで迎えた2戦目に先発し、142球で初完投。試合を通して無四球とらしさ全開で、優勝を大きく近づけた。「ベストナインはなんで蒔田なんだっていうのは正直ね(笑)」リーグ戦終了後の蒔田村田対談の際の会話。これに対して蒔田稔投手(商4=九州学院)は「顔がやっぱり」と返答。このコメント後「蒔田がMVPだと思います」と照れながら話した。「マダックスは常に目指しているものです」秋季リーグ戦早大1回戦でリーグ戦初完封。100球以内でマダックス達成となった。「日本一になることはチームの目標であり、六大学代表としての責務でもある」リーグ戦連覇を果たし、神宮大会に挑む意気込みにて。「最初から一人一人相手をしていたら気づけば9回でした」神宮大会決勝・国学院戦で完封勝利。神宮大会では18イニングを投げ、1失点のみとまさにMVPの活躍だった。日本一を達成し〝村松世代〟の最後を有終の美で飾った。〝11〟と向き合い続けた1年間「秋が終わった時からこの春の開幕投手は一つの目標でした」4年春はエースナンバーの11をつけ、開幕投手。チーム内での競争をオープン戦の結果で勝ち抜いた。「これで六大学の名球会入りはできましたかね(笑)」法大2回戦は通算10勝目。完封で花を添えた。「研究すればするほど打てないピッチャーを目指しているので」4年春はキャリアハイの成績。1年間投げ続けて研究はされている中でもそれをずらすだけ、という発言ができるのは村田だけだろう。「大学からプロに行きたいです。だからこの春はとにかく結果にこだわりました」春のリーグ戦終了後の取材にて。強いプロへの思いを語ってくれた。「ここで負けてよかったと思えるようにしたいですし、しないといけないです」全日本大学選手権決勝・青学大戦で約1年ぶりに敗戦投手。全国大会決勝では東都対村田の構図が2季連続になったが、やり返される結果に終わり、リベンジを誓った。「あの試合を見た時からいつか大学代表になりたいと思っていました。率直にうれしいです」明大入学を憧れるきっかけでもあった大学日本代表。候補合宿でもアピールを続け、見事にその座をつかみ取った。「2回同じ相手に負けるわけにもいかないですし、東都に負けるわけにもいかない。まずそのためにリーグ戦勝ちます」秋季リーグ前の意気込みにて。日本一に向けて自身もチームも燃えていた。「もうこれでやり残したことはなしに近いよ。あとは優勝するだけだね」立大1回戦での大学初本塁打を振り返って。入学時から思い描いていたものはほとんど叶えてきた。「正直感覚は良くないです。投げたいように投げられていない。痛い中で投げてしまって、感覚の違いがあるのかなと」ラストシーズンでの投球は全くうまくいかず。そんな中でも試行錯誤を毎週繰り返す村田の姿を見てきた。「本当に呼ばれるのかなって思っていました。呼ばれた瞬間ほっとしたのが一番大きかったです」10月26日、運命のドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから4位指名を受けた。自分だけのスタイルを見つけ、それに向き合い続けた4年間。今度はプロの世界でオンリーワンの投球を披露する。 [中村謙吾]READ MORE -
(92)ドラフト指名特別企画 言葉と写真で振り返る上田希由翔4年間の軌跡
硬式野球 2023.10.2810月26日、ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから1巡目指名を受けた上田希由翔主将(国際4=愛産大三河)。その大学野球生活を、弊部記者が4年間取材したコメントをもとに振り返る。決意の明大進学。コロナ禍の鮮烈デビュー「あまりプロで活躍するための自信がなくて。一回大学にいってレベルアップしようと」高校通算47本塁打。高卒でプロへ進む道も一度は考えたものの「レベルアップできる場所」と感じた明大への進学を決意。「明治の4番らしいプレーをしていきたいです。まだあんまり自覚がないんですよね」ルーキーイヤーの秋にはいきなり4番に定着。立大1回戦では大学初ホームランも放ち、打率.344と大ブレークを果たす。「プレッシャーを感じられる位置にいるということが、自分の中ではいい経験」当然、プレッシャーはあった。下級生時代からの経験が持ち味の勝負強さにつながった。〝明治の4番〟その期待に応えたくて「期待のされ方も見られ方も違う。みんなが思う明治の4番になれるようなバッティングをしていかなきゃいけないなって」学年が上がり自覚も変化。「勝てない試合は4番が打てない証拠」2年春には打率が4年間で唯一2割5分を割り込み、10試合で本塁打なしという不振を経験。下級生ながら4番としてチームの責任を背負い込んだ。「4番らしいバッティングをしないといけない、打たなきゃいけないと勝手に思い込んで自分で自分を苦しめていた」明大の主力として、主砲として、4番として。自覚が芽生えたからこそ、その苦しみは倍になって襲いかかった。「自分で優勝を逃した感じが強かった。本当に悔しい思いが強くて勝手に泣いていた。悔しいです」普段寡黙な上田が珍しく悔しさを言葉にしたのが2年秋の法大戦。優勝の可能性が残っていた9回裏のチャンスで三振し、思わず悔し涙がこぼれた。連覇の裏で芽生えたもう一つの決意「だいぶ落ち込みました、もう野球やりたくないって。この悔しさを持って頑張ろうと」法大戦の悔しさを糧に、上級生として決意を新たにした。「ほとんど毎日ノック受けてたんで、それが自分の中では安定剤」村松開人選手(令5情コミ卒・現中日ドラゴンズ)の離脱もあり、わずか2カ月の短期間で二塁守備を急造。福王コーチに志願して毎日受け続けたノックは、自信となって身についた。「4番は結構思い入れあったんで簡単に外れるのか、と最初は思ったんですけど、やっぱり与えられたところでやるのが一番」1年秋から4番に定着した上田。しかし3年春の開幕戦は「2番・セカンド」で迎えた。チームのためにどんな場所でも咲き続ける姿勢を見せた。「自分は引っ張っていかなきゃいけない存在」夏のキャンプ、日本代表選出と大きく飛躍した3年次。「この経験をチームに還元したい」との思いから、徐々に背番号〝10〟を背負うことを意識するように。のちにこの球場を本拠地として戦うことを、この時の上田はまだ知らない。「また新たに目標ができたなという感じですね。自分もドラ1で選ばれるように頑張りたい」村松開人選手のドラフト会議を見守っていた上田。「いろんな人から来年の自分を当てはめて見なよと言われていたので」と、その先に自身の夢を重ねていた。 「夏のキャンプぐらいから自分がキャプテンをやらなきゃいけないという気持ちがどんどん出てきた」(左:上田、右:村松)「秋はこれが終われば新チーム」と、上田は秋季リーグ戦前から来季のチームを見据えた行動を常に心がけた。「いやあ向いてないっしょ(笑)」主将のようなポジションに自身は向いていると思うか、という質問に対しての回答。 「人にいろいろ言うのは昔から苦手」と笑う。しかし、チームのためならと、その役割を率先して引き受けた。重圧、歴史、連覇 すべてを背負った最終年「(田中監督から)『背番号を変える気はあるか』って。キャプテンやるつもりで動いてたので、別に驚くとかはなかったです」田中武宏監督から主将指名を受けた際のコメント。 「勝てるかな、ほんとに強いんかな、みたいなプレッシャーと戦ってます」連覇中のチームの主将を引き受けた上田。リーグ戦期間中、常にそのプレッシャーと戦っていた。「今までは自分のためということが多かった。今はもうとにかくチームのためを思ってやっているので、そういう意味で違ったかなと思いました」上田は主将になってから一番成長したと思う部分に、精神面を挙げた。 「たくさんの人に応援されているんだなっていう自覚を持ったうえで、その人たちのためにも頑張らなきゃなと思いました」重圧の中だからこそ、応援が力になった。 「0:10です。自分が0、チームが10」日々個人とチームをどんな割合で考えているか、と質問した際の答え。上田は即座にこう答えた。「個人的にはもうずっと苦しかった。でもずっと、わくわくして臨んではいましたね」重圧に苦しむ中でも、野球を楽しむ信条だけは忘れなかった。「報われた時っていうのは本当にほっとする。それで自然と涙が出ました」優勝後、上田は歓喜の中で涙を流した。 「キャプテンが一番頑張らなきゃいけないと思っているし、常に自分のことでいっぱいいっぱいにならないようにしてます」自身のラストシーズンを迎えても、口から出るのはチームのこと。主将としての自覚は、いつの間にか当たり前のことになっていた。「ずっと緊張していたので、名前を呼ばれて安心しています」10月26日、運命のドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズからドラフト1巡目指名を受けた。4年間ひたむきに野球と、自分と、チームと向き合い夢を叶えた上田ならば、プロの世界でも必ず大きな花を咲かせるだろう。 [栗村咲良]READ MORE -
(91)村田賢一投手 指名後記者会見/プロ野球ドラフト会議
硬式野球 2023.10.27村田賢一投手(商4=春日部共栄)が福岡ソフトバンクホークスから4位指名を受けた。多彩な変化球と制球力を武器に主戦として活躍した村田。課題の出力に関しても夏季には改善が見られ、見事支配下指名を勝ち取った。 「福岡ソフトバンクホークスさんから4位で指名していただきました村田賢一です。今2人が呼ばれる中、少し焦りというか緊張もあったんですけど、本当に指名していただいて本当にホッとしている気持ちです。よろしくお願いします」 ――呼ばれた瞬間にはどのような思いが込み上げてきましたか。 「先ほども言わせていただいたんですけど、本当は焦りというか、本当に呼ばれるのかなというところが一番あったんですけど、本当に呼ばれた瞬間にホッとして、良かったなと思っています」 ――この喜びを誰に一番伝えたいですか。 「やっぱり育ててくれた両親に真っ先に報告したいなと思います」 ――これからはプロの世界に入ります。目標にしたい選手や目標の数字はございますか。 「阪神の村上選手だったり、西投手だったり、本当に自分の目指すべき投手像だと思うので、そういう投手を目指してしっかりやっていきたいなと思います」 ――福岡の印象はございますか。 「正直なところ、九州に行ったことがないのでちょっとなんとも言えないですけど、イメージとしてはにぎやかな街なんだろうなと思っています」 ――福岡ソフトバンクホークスにはどのようなイメージがありますか。 「本当に毎年毎年強いチームで素晴らしい選手の方々がいらっしゃるので、いろいろなことを学べると思いますし、成長できるチームなんじゃないかなと思います」 ――福岡ソフトバンクホークスは先発投手が足りない状況ですが、どのようなポジションで、どのような活躍をしていきたいですか。 「先発をここまでさせていただいたので、先発をやりたい気持ちはあるんですけれども、正直どのような役職を任されるか分からないので、その任された役職を全うしていきたいなと思います」 ――将来的に取りたいタイトルはございますか。 「勝利数っていうのは非常に重視されると思うので、大学でも積み重ねた数字だと思うので、この勝利数っていうのにこだわっていきたいと思います」 ――ありがとうございました。 [硬式野球部担当一同]READ MORE -
(90)石原勇輝投手 指名後記者会見/プロ野球ドラフト会議
硬式野球 2023.10.27石原勇輝投手(商4=広陵)が東京ヤクルトスワローズから3位指名を受けた。緩急を駆使したピッチングが魅力。最終学年では先発・中継ぎ・抑えどの立場も経験するなどフル回転の働きを見せた。その活躍ぶりが評価され、見事にプロへの切符を手に入れた。 ――ヤクルトのイメージを教えてください。 「アットホームな感じがして、とても選手がやりやすい環境があるチームだと思います」 ――投手陣で最初の指名となりました。率直な思いを聞かせてください。 「まず、蒔田(稔投手・商4=九州学院)、村田(賢一投手・商4=春日部共栄)よりも早く選ばれるとは思っていなかったので、驚いた気持ちと、素直にうれしい気持ちがあります」 ――この1年間で成長が見られましたが、その要因を教えてください。 「3年春にリーグ戦で投げさせていただいたんだんですけど、その時にちょっと不甲斐ない成績になって、そこからピッチングコーチの西嶋さんと、一からフォームとか球とかやっていこうという話をして、そこから自分の中でも徐々に調子が上がってきたので3年春が自分の分岐点だと思います」 ――どのような選手になりたいですか。 「理想像はストレートでどんどん押していって、空振りの取れる投手になりたいと思っています。田口投手を参考にさせていただきたいです」 ――指名された瞬間は少し目が潤んでいるようにも見えたのですが、どのような気持ちですか。 「高校時代同級生だった高太一投手(大商大)より後に名前が呼ばれて高よりも早く名前が呼ばれたかった気持ちもあるのですがそこは実力不足で仕方ないと思っているのですが、ヤクルトスワローズに3位で指名されたことは本当にうれしいです」 ――東京ヤクルトスワローズは馴染みのある神宮球場が本拠地だと思いますがいかがですか。 「一番投げている球場でもありますし、投げやすい球場でもあるので投げやすいというイメージがあります」 ――セリーグにはたくさんの強打者がいると思いますが、対戦したい打者を教えてください。 「特にいないですが、セリーグの打者はパワフルな打者が多いのでしっかり抑えていきたいと思います」 ――高投手とは事前に会話などはございますか。 「連絡したり電話をして二人でこの日が楽しみという話をしていました」 ――改めて二人指名というのはいかがですか。 「本当にうれしいです。2人とも選ばれたので、うれしいです」――明大に入学後、技術的にと人間的に成長した部分があれば教えてください。 「技術的に成長したところは、コントロールが悪かったんですけど、そこが改善されてツーボールとかスリーボールからもストライクを取れる変化球が増えたところです。人間的には明治大学が大切にしている人間力の部分、例えばスリッパを揃えるであったり、報告連絡相談をしっかりできるようになったかなと思います」――ありがとうございました。 [硬式野球部担当一同]READ MORE -
(89)上田希由翔主将 指名後記者会見/プロ野球ドラフト会議
硬式野球 2023.10.27上田希由翔主将(国際4=愛産大三河)が千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けた。1年次から中軸として活躍した上田。本職の三塁に加え、一塁、二塁、外野を兼任するユーティリティ性も高い評価を受けた。プロでも活躍が期待される上田の指名直後の声をお届けする。 「上田希由翔です。本日はお忙しい中足を運んでいただきありがとうございます。今の心境としては、ほっとしているという気持ちでいっぱいです。千葉ロッテマリーンズさんは本当にたくさんの人から愛されている球団だと思いますし、チームやコーチ・監督ともにレベルの高い環境でプレーさせていただけるので、そこで自分の持ち味を精一杯出せると良いなと思います」 ――ご自身の名前が呼ばれたときに、『ほっとしていた』と仰っていましたが、チームメイトからは声が上がっていました。その声を聞いての心境をお聞かせください。 「自分もずっと緊張していたので、名前を呼ばれて安心していますし、同期からこうやって喜んでいる声を聞くと、良かったなと思います」 ――ご自身のアピールポイントを教えてください。 「やっぱり勝負強いバッティングというのは自分の中で自信持って試合でも取り組んでいますし、率を残して安定的なバッティングができるというのも自信があるので、それをしっかり生かしていければなと思います」 ――対戦したい選手はいらっしゃいますか。 「そうですね、高校の時に対戦して打てなかった宮城選手だったり、本当にパリーグはレベルの高いピッチャーがいるので、それを打ち返したいなという気持ちです」――千葉ロッテマリーンズに指名されたという事で、吉井監督のイメージを教えてください。 「WBCの投手コーチもやっていて、自分が画面越しに見ただけの印象にはなってしまうのですが、選手とたくさんコミュニケーションを取って、なおかつ信頼もされている存在というか、接しやすいチーム環境で、たくさんコミュニケーションを取りながら自分も千葉ロッテマリーンズさんで成長出来たらなと思います」 ――ロッテといえば熱い応援が有名ですが、何て呼ばれたいかなどはございますか。 「希由翔っていうのは中々いないというか、珍しい名前なので、今までも希由翔っていう中々いない名前でたくさんの人に覚えられてきたので、下の名前で呼んでほしいという思いはあります」 ――これで明大からは14年連続で指名されることになりました。そこについては、伝統を守れたというのもあると思いますが、どう思われますか。 「こうやって、一つ一つつなげていけたというのはとてもうれしい事です」 ――たくさんの先輩がいると思いますが、その中で尊敬している方はいらっしゃいますか。 「やはり3年間一緒にやらせていただいた村松さん(開人選手・令4情コミ卒・現中日ドラゴンズ)だったり、2年間一緒にやらせていただいた丸山さん(和郁選手・令3商卒・現東京ヤクルトスワローズ)だったり、自分が大学生活現役の時もたくさん声を掛けていただいて、相談もさせていただいたので、プロ野球という世界に入っても、いろんなことを学んでいけたらなと思います」 ――千葉県の印象と千葉の好きなところを教えてください。 「あまり行ったことはないのですが、ディズニーランドに何度か行かせていただいたことと房総半島があるのでそのような自然豊かな場所に行ってみたいなというのがあります」 ――千葉ロッテマリーンズの選手で目標としたい選手はいらっしゃいますか。 「安田選手や大学の先輩でもある岡(大海・平成25政経卒・現千葉ロッテマリーンズ)選手のように勝負強い選手になるというのは目標としてもあるのでチャンスで一本打てたり、守備、走塁というのをやっていけたらなと思います」 ――ありがとうございました。[硬式野球部担当一同]READ MORE -
(88)法大戦事前インタビュー③ 尾﨑完太投手、武川廉内野手
硬式野球 2023.10.20(この取材は9月6日に行われました) 尾﨑完太投手――昨季を振り返っていかがですか。 「(明大戦では)4回で降板してしまったんですけど、もうちょっと投げられたら勝ちにつながっていたのかなと思ってました。(全体的には)チームを勝たせるっていう目標で臨んで、それが全部うまくいって一応負けなかったっていうのが、自分の中では結構いい点だったかなと思います。逆に悪い点はフォアボールとか自分の中で苦しい場面をつくってしまったんで、それが一番反省してます」 ――防御率の1.28、47奪三振という数字についてはいかがですか。 「防御率は正直もう少し抑えれるところはあったかなって思ってて、最優秀防御率はかなり狙ってたんで獲れなかったのは悔しかったです。三振に関しては狙ったところで取れてるっていうイメージです」 ――昨季の印象的な試合はありますか。 「早稲田戦です。1戦目落として2戦目引き分けで3戦目4戦目勝ったっていうのが一番印象的です。(連投の中でしたが)投げるとは思ってたんで、気持ちは落とさずに、投げたらもう全力で。腕痛かろうが足痛かろうが、もうとりあえず全力で投げるっていうことを心がけて投げました」 ――大学代表候補合宿にも参加しました。 「なかなかうまく調整できず、自分でもふがいない結果で、力不足でした。選ばれなかったんですけど、周りがすごすぎたんでちょっと心が折れかけてました。やっぱり(球が)速いです。あれ投げられたら羨ましいです」 ――この夏はどのようなことに取り組みましたか。 「チーム全体では、ランニングメニューを野手も含めて全体で行って、体力強化っていうのを一番重点的に行ったかなと思います。個人としてはあまり春からやることは変わってないなっていう感じで。リリースのポイントをもう少し前にとか下半身の強化とか、そういうのに取り組んでました」 ――先ほど悪かった点として四球を挙げていましたが、そこに対してはどのように取り組みましたか。 「そうですね、やっぱりゾーンの中で勝負できないと、プロとかでも絶対活躍できないと思ってるんで、ゾーンの中で空振り取ったりファール取ったりっていうのを心がけていきます」 ――オープン戦など、実戦の手応えはいかがですか。 「調子悪いです。ちょっと悩むところが結構多いんですけど、一番は気持ちですかね。気持ちでちょっと折れちゃってる。秋ってなると結構下がっていっちゃうんです毎年。最後やからとかじゃなく、ちょっとチームが下がりつつある中、気持ちの部分を今徐々に上げていってます」 ――ご自身のアピールポイントをお聞かせください。 「変わらず三振率です。三振が取れるピッチャーっていうのは自分で分かってるんで、もっと狙ってもっと取れるようにしたいです」 ――今季のチームとしての武器はなんですか。 「自分らのチームは去年とか一昨年に比べると、あまりこれっていう特徴があんまりなくて、投打ともに安定してるなっていうイメージがあるんで、1人が抜けてるわけでもなく、みんな試合に入ると気持ちが入ってる感じなんで、その面で言ったら、一番明治に負けないんじゃないかなって思います」 ――尾﨑投手は投手陣を引っ張る存在だと思いますが、意識していることはありますか。 「いやもうピッチャー陣は自分が言わなくてもみんな個人でやってくれるんで、篠木(健太郎投手)とか吉鶴(翔瑛投手)とか、塙(雄裕投手)、武冨(陸投手)っていう熱いピッチャー陣が自分が言わなくてもやってくれるんで、頼りになってます」 ――秋のキーマンはどなたですか。 「今泉(颯太主将)です。春はちょっと結果も出ず、キャプテンとしてチームまとめることに結構徹してくれてて、苦しいとは言葉でも言ってたんで、秋一番キーになってくるんじゃないかなと思います」 ――明大に対する印象をお聞かせください。 「一つ抜けてるんで、ちょっと憧れますね。プロ野球選手に見えちゃいます。みんな憧れちゃうんですけど、それを圧倒できたらプロでも活躍できるかなって思っていつも投げてます。けど対戦成績は良いんで(笑)」 ――明大で警戒する選手はいますか。 「いないです。いないようにして、チーム全体で見るようにしてます。誰かを警戒してると他がおろそかになっちゃうんで、もう全員警戒してます。明治の選手とは結構仲良くさせていただいてるんで、仲良い分、負けたくない気持ちがあります」 ――秋の個人目標とチーム目標をお聞かせください。 「個人としては最優秀防御率と最多勝、一番多く三振を取る目標にしています。チームとしては優勝と日本一です」 ――意気込みをお願いします。 「自分の人生もかかってるんで、ちょっとのいい結果じゃだめなんで、めっちゃいい結果出します!」 ――ありがとうございました。 武川廉内野手――昨季を振り返っていかがですか。 「低迷してる中で、一つでも優勝を狙った中でのシーズンだったんで、2位という結果で他から見たらいい感じに終われたって思われるかもしれないんですけど、優勝を狙ってたんでうれしいっていうよりは悔しいって気持ちが残ったシーズンでした」 ――個人の結果は打率.396でした。 「自分、初めてのベンチでリーグ戦出るっていう中で、なかなか雰囲気とか分からない状態で、分からない分思い切ってやろうっていう気持ちが強かったんで、その結果で最初からいいスタート切れて結果的にそういう形になりました。(首位打者に対して)そんな強いこだわりはないんですけど優勝するために法政来たんで、優勝するチームとしてやる中で結果として首位打者取れたらいいかなと思ってて。まあ(同学年の)飯森太慈外野手(政経3=佼成学園)に負けたのはちょっと悔しいです」 ――昨季の印象的な試合はありますか。 「明治の1戦目が印象に残ってて。勝ってる試合で最後逆転されて、ここで勝ち切れてたらどうなるか分からないと思いますし、そこで勝ててたら明治にも勝ててるのかなっていう感じもあるんで。チームとして勝ち切れなかった試合だったんで、その試合が一番印象に残ってます」 ――悔しいという感情が強いシーズンだったと今までの話を聞いていて感じました。 「優勝しようって言って目指した中でのシーズンだったんで、一つでも順位上げようっていう中でのシーズンだったら満足できたかもしれないですけど、日本一なるために練習してきたんで、結果として2位で終わったんですけど。悔しいっていう気持ちは強いです」 ――春に見つかった課題はありますか。 「チームとしては守り固めて攻撃するっていう中で、失点もピッチャー中心に守れてはいたんですけど、ここぞというところの守備を突き詰めるのと、粘り強く勝ち切るっていうところと、他の大学相手でもそういう野球が必要になってくるので、そこの精度をもっと高めるっていうところは春終わってから秋にかけての課題です。個人としては、一打で場面を変えられるバッティングしないといけない。ホームランも0でしたし、ヒットだけでは、なかなかいいピッチャーばっかなんで、一打で場面変えられるようなバッティングをしたいなっていうところは春に比べて課題として取り組んだところです」 ――夏の間は具体的にどんなことに取り組みましたか。 「春の前のオープン戦に比べてチームとして勝ってる試合が結構多いんで、負けたら結局弱いチームだと思うんですけど。勝ててる要因としては、ピッチャー中心に最小失点で抑えて試合をモノにできてるんで、それもリーグ戦で継続していければいいかなと思います。個人的には、ツーストライクとか追い込まれたりしたらなかなか自分のバッティングさせてもらなかったり、甘い球とかファーストストライクとかを確実にヒットゾーンに飛ばせる精度ってところは、一球一球の緊張感であったり自分自身の意識だと思うんで、そういう精度ってところは練習から自分の中で意識高く持ってやれてるんで、春よりは打撃の内容としては良くなってきてるのかなって思います」 ――6月には大学代表候補合宿にも参加しました。 「ピッチャーもレベル高くてなかなか結果残すことができなくて、ピッチャーであったら強い真っすぐと空振りの取れる変化球がどのピッチャーにもあって、2イニングで投げてくるってところで、なかなか対応しきれなかった。そういうピッチャーに対応していかないと代表であったり選手権とかリーグ戦でも難しくなってくるので、そのレベルの選手を多く見れて、自分の意識が変わってきた、変われたっていうのは収穫かなってます」 ――ご自身のアピールポイントをお聞かせください。 「スピード感あるプレーを武器にしたいと思ってるんで、バッティングだったら振る力であったり、打ってからの走塁であったり、守備でもスピード感あるプレーを目標にしてるんで、その中でチームに貢献するバッティングっていうのがアピールポイントかなと思います」 ――今季のチームとしての武器はなんですか。 「総合的にピッチャーもバッターもバランスの取れたチームになってるんで、ピッチャー中心に抑えて、打撃もいいバッターがそろってるんで。ピッチャーも最少失点で抑えて得点力を上げられる、そこが武器かなと思います」 ――秋のチームの中でのキーマンはどなたですか。 「西村(友哉外野手)は1年生の時からずっと試合出てますし、オープン戦でも結果が出てなくても質のいいバッティングとか質のいい打席内容だなって見て思うんで、下位打線になると思うんですけど、そこの粘り強さが上位打線に流れてきてると自分は思うので、それもリーグ戦継続してもらえれば、結構厚い打線になってくると思います。今泉さんは最後のリーグ戦になるので、キャプテンで頑張ってもらってるんで、最後花咲かせてもらいたいですね」 ――今泉主将はどんな主将ですか。 「喋ってチームをどうこうっていうよりは、自分が示していくキャプテンなので、その点では妥協せず自分で示せているのがすごいなって思います」 ――最終戦が明大戦です。明大に対する印象はいかがですか。 「粘り強い嫌な相手だと思うので、その明治を倒すためにずっと練習してきてるので、明治まで全部勝ち点取って、最後明治と優勝の争いをしたいなって気持ちです」 ――特に警戒する選手はどなたですか。 「ピッチャーもいいピッチャーが多くてなかなか点取れないですし、守備も堅いんで僅差の接戦勝負になってくると思うんで、宗山(塁内野手・商3=広陵)と希由翔さん(上田主将・国際4=愛産大三河)に気持ちよく野球されたら結構明治のペースで進んでいくと思うので、そこを抑えて1点でも上回る試合ができたらと思います」 ――石原勇輝投手(商4=広陵)が武川選手のことを「ストレートを捉えるのがうまい」と評していました。 「リーグ戦でもセンター前打ったんですけどそれもストレートで。警戒してもらってるのはうれしいんですけど、そんな(自分は)そこまでじゃないんで、その中でたまたま結果出せて良かったです」 ――秋の目標をお聞かせください。 「チームとしては明治に負けて優勝逃したんですけど、他の大学ともしっかり野球して勝ち点取って。最後明治に勝ちたいと思ってるんで、勝って4年生送り出したいなと思ってます。個人としては嫌なバッターになりたいです。首位打者も一つ目標なんですけど、ここぞの一本とか、そういうバッティングをしたいです」 ――意気込みをお願いします。 「優勝から遠ざかってるんで、春2位で惜しい結果で終わったんで最後優勝して終われるように。4年生最後になるので、なんとか活躍して優勝に貢献したいです」 ――ありがとうございました。 [西田舞衣子]READ MORE