
新人記者イチ押し選手!2022
未来の明大を担うのは俺たちだ! 1、2年生の体育会選手に焦点を当てるルーキー特集です。取り上げられているのは今後の活躍が期待されている選手ばかり。今年度明大スポーツに入部した新人記者が、一生懸命記事を書きました。フレッシュな特集を是非ご一読ください!
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甲木碧 こだわり続けた日本一 大学でさらなる高みへ
柔道 2022.10.10中学、高校の全国大会で好成績を残した期待のルーキーが明大に現れた。甲木碧(政経1=木更津総合)は5月に行われた団体戦、東京学生優勝大会に1年生ながら出場。重量級の選手が少ない明大で主軸となれるか。自身の目標を果たすため、日々練習に励む。 目標となった日本一 甲木のこれまでの目標は日本一になること。この目標の原点は12年前にあった。小学1年次に出場した九州大会で見事優勝。柔道を始めて2年で才能の片りんを示した。ここから「自分も親も気合が入り、日本一を目指すようになった」。平日週4日の練習に加え、土曜日にも練習参加。さらに、別の道場にも通うなど、柔道漬けの日々が始まった。 目標達成のチャンスが訪れたのは中学3年次の全国中学校大会個人戦。準決勝まで進むも敗北し3位入賞となった。好成績ではあるが、優勝を望んでいた甲木にとっては「全く駄目だった」。全国制覇はかなわず悔しい思いを胸に次の年代へ進んだ。 たどり着いた大舞台 高校3年次のインターハイ。予選の決勝戦が大会を通して「一番危なかった」。先鋒、次鋒が敗れ0対2で回ってきた中堅戦。甲木が勝たないと敗北が決まる場面で、先に技ありを取られてしまう。しかし、諦めず果敢に攻め続け、逆転勝利を収めた。試合は副将、大将が勝利し3対2で勝ち越し。全国大会への切符を獲得した。 ついに夢の舞台まであと一歩のところまできた。「まさか勝てるとは思っていなかった」と優勝候補の埼玉栄高を準々決勝で倒し勢いに乗ると決勝戦まで順調に駒を進めた。運命の決勝戦は、3対0で快勝し見事優勝。甲木は3勝2引き分けと負けなしでチームの勝利に貢献し、長年の目標だった日本一を達成した。 さらなる飛躍を求め 「国際大会に出場したい」。団体戦で日本一を経験した甲木の次なる目標は世界だ。そのためにはさまざまな大会で結果を残す必要がある。「小さい大会から優勝していき、最終的には世界選手権や五輪につなげていきたい」。まずは、9月に行われる全日本ジュニア体重別選手権に挑む。この大会の予選では準優勝だった甲木。この夏、課題である体重と筋力の増加に取り組みジュニア世代の頂点を目指す。 幼い頃から柔道に奮励努力してきた甲木。新たな目標にも注力し、実現を図る。今後の活躍に注目だ。 [戸部匡貴] ◆甲木 碧(かつき・あおい)政経1、木更津総合。柔道以外だと野球に興味があり、休みの日は公園でキャッチボールをする。172センチ・120キロ。READ MORE -
長尾佳音 再び頂点を目指すエリート
水泳(競泳) 2022.10.09東京の名門・武蔵野中学高校で一時代を築いた。長尾佳音(営1=武蔵野)は中学時代に100メートル自由形と200メートル自由形の2種目で全国の頂点に立つ。だが、高校ではあと一歩及ばなかった。高校時代の悔しさを糧に、明大で再び頂点を目指す。 転機と栄光 武蔵野中学校にスポーツ推薦で入学した長尾。当時は個人メドレーに重きを置いていたが、中学2年生の時にタイムが伸び悩む。「この時期が一番苦しかった」。 そんな中、中学3年生で転機が訪れた。何気なく出場した自由形のタイムがかなり良かったのだ。「泳いでいて楽しかった」。これを契機に夏の大舞台・全国中学校大会(以下、全中)に自由形2種目で出場することに。優勝を狙っていたが、200メートル自由形の予選を想定外の8位で通過する。不安に駆られた長尾は、顧問の先生に泣きながらアドバイスを求めると「いつも通りでいいよ」の一言。この言葉で肩の荷が下り、自信を取り戻した。そして迎えた決勝。本来の実力を発揮し、200メートル自由形で優勝し、翌日の100メートル自由形でも、勢いそのままに優勝。「今までで一番うれしいレースだった」。全国の舞台で2冠の快挙を達成した。 あと一歩 その後、長尾は付属の武蔵野高校に進学した。〝全中王者〟は、高校1年生にしてインターハイに参戦。100メートル自由形で4位、200メートル自由形では何と準優勝の好成績を残す。しかし、1年生ながらに優勝を狙っていた長尾にとってはうれしさよりも悔しさの方が大きかった。この雪辱は同じ舞台で果たすと誓う。 そして迎えた高校3年生、最後のインターハイ。「絶対に優勝したい」と、熱い気持ちを胸に、準備万端の状態で初戦の200メートル自由形に臨むが、結果はまたも準優勝。続く100メートル自由形は3位。「すごいショックだった」。惜しくも雪辱を果たすことはできず、全国の頂点にあと一歩届かなかった。 新たな地で 「2020年度の日本学生選手権(以下、インカレ)で明大の男子総合優勝を見て感動した。私もこの水泳部の一員として戦いたい」。この思いから、明大への入学を決意した。大学で目指すはもちろんインカレ優勝。高校時代、あと一歩届かなかった表彰台の一番上だ。掲げた目標を達成するためにも、長尾は進化し続ける。 「(大学では)満足できるようにやり切りたい」。競泳人生の集大成ともいえる4年間は、もう始まっている。 [末吉祐貴] ♥長尾 佳音(ながお・かのん)営1、武蔵野高。両親の影響で幼少期にアルペンスキーもやっており、選手として大会にも出場していた。168㌢。READ MORE -
齋藤偉颯 地元愛をつなぎ明大のエースへ
ホッケー 2022.10.09栃木のホッケー名門高校出身の齋藤偉颯(法1=今市)。努力を惜しまずひたむきで真面目な性格が持ち味。結果はおのずと結びつき、全日本大学王座決定戦(以下、王座)・関大戦で大学初ゴールを決めた。偉大な今市高の先輩を追いかけながら、明大の絶対的守護神へと駆け上がる。 地元と共に成長 齋藤がホッケーを始めたのは小学3年次。地元・日光市は『ホッケーのまち日光市』と掲げ、地域一体となって交流している。その環境の中で小中学校のホッケー部に所属。当初、高校でもホッケーを続ける気はなかった。しかし、中学3年次の全国大会県予選で敗退した悔しさが、高校でもプレーする原動力になった。そして、県下ナンバーワンの強さを誇る今市高へ進学を決める。壁を乗り越えて 高校入学直後、木村浩一郎監督に「DFにいった方が伸びる」と助言されFWからDFに転向。慣れないプレースタイルに苦しみ、試合に出られない期間が続いた。壁にぶつかっても負けずに越えるのが齋藤。逆境をチャンスに変え、居残り練習や、オフでもトレーニングを重ね、ストイックに鍛え上げた。「試合に出たいというよりもただ、自分のやるべきことを意識してプレーした」と振り返る。すると、高校2年次の夏には安定して試合に出場できるように。そして迎えた最後の全国高等学校選抜大会。チームは3位で表彰台に上がり、個人では優秀選手に選出。まさに、努力が結実した瞬間だった。より高い次元へ 文武両道を掲げる齋藤に明大はぴったりだった。当初は大学ホッケーの実力に「このままでは通用しないと思った」と衝撃を受けた。それでも、コート外から多くの学びを得て、プレーの向上に余念がない。迎えた王座・関大戦。「同期の長谷川拓真(法1=石動)が打ったボールを、死んでも触りにいくという勢いで走った」と、高ぶる熱意がシュートを生んだ。秋季リーグでは「苦手なドリブルを克服し、たくさん走り、1点でも多く勝ちに貢献する」と既に前を向いている。ゆくゆくは中高の先輩・小林弘人主将(政経4=今市)のような絶対的守護神へ。チーム全体で勝ちに行く〝つなぐホッケー〟の姿勢を継承し、全日本学生選手権優勝へ勝利をつなげ。 [杉田凜] ◆齋藤 偉颯(さいとう・いぶき)法1、今市高。好きな歌は民謡「栃木県民の歌」。180㌢、72㌔。READ MORE -
川村心馬 努力を糧に 〝チーム〟で目指す日本一
ラグビー 2022.10.09大きな体と力強いランプレーが持ち味のスタンドオフ川村心馬(法1=函館ラ・サール高)。高校時代は生活力の向上により文武両道を実現。〝チーム〟の意識を大切に主将として部をけん引した。大学では尊敬する兄と異なる場の明大で、紫紺をまとい活躍するため、日々努力し続ける。 文武両道の秘けつ ラグビーと勉強の両立を目指し、高校は函館ラ・サール高に進学する。部則の一つに、テストで赤点を取った者は試合に出さないという決まりがある。「赤点が0人でなければ絶対に強くない」。故にラグビーも勉強も手を抜くことは許されなかった。机の上にラグビーに関する物は置かない。隙間時間はウエイトや個人練習に充てる。時間を日々の生活の中でうまく使い、目的に応じて区別することを徹底した高校3年間。それが、何事にもひたむきに努力をする川村のストイックさを成長させた。 〝チーム〟の意識 主将を任された高校3年次、川村は大きな壁に直面する。全国高校大会(以下、花園)予選を目前に控えた7月、寮内で新型コロナウイルスのクラスターが発生。その影響で、練習を大幅に制限されてしまう。「正直気持ちがすごく沈んだ」。それでも、落ち込む川村を支えたのは〝チーム〟の意識だった。函館ラ・サール高は一人でも欠けてしまっては強くない。だからこそ、練習も勉強もいつだって部員全員で乗り越えてきた。しんどい時だからこそ「〝チーム〟として何かをすることを心掛けた」。主将として先頭に立ち、ウエイト器具を寮内に運ぶなど、全員で練習ができるように工夫。そして〝チーム〟の意識で結ばれた仲間の存在が川村の心を奮い立たせた。惜しくも花園出場は逃したが、コロナという壁とチーム全体で戦った経験は、川村の中で大きな糧となった。 兄とは違う場所で 高校で大きく成長した川村。そんな彼は尊敬する人物に、現在早大ラグビー部に在籍する兄・川村駿太を挙げる。しかし「兄と別のフィールドで戦ってみたい」。この思いを胸に進学は明大に決めた。「早大新人戦での負けもあって、チームで早大に勝ちたい気持ちが強くなった」。尊敬する兄を超えるために。そして明大ラグビー部の一員としてチームで勝つために。「いつでも紫紺を着て試合に出られる準備をしている」。さらなる高みを目指し、川村は今日も努力のパスを明日へとつないでいく。[久保田諒] ◆川村 心馬(かわむら・しんま)法1、函館ラ・サール高。最近、生まれて初めてゴキブリと対面したとのこと。179センチ・91キロ。READ MORE -
針間大知 明大バスケを変える男
バスケットボール(男子) 2022.10.09全国レベルの名門校から期待の新人針間大知(情コミ=福岡大大濠)がやってきた。中学時代の栄光とは裏腹に長く苦しんだ高校3年間があった。栄光と挫折を味わい手にした〝強さ〟を武器に明大の勝利に貢献する。 輝かしい成績と苦悩 姉の影響で小学2年生からバスケを始め、全国大会常連校・玉島北中に進学。「とても怖い監督だったのでとにかく怒られないように」。それでもエースとして、全国レベルでの活躍を見せる。その中でも特に輝いた試合は本人も人生のベストゲームと語る2年生次のJrオールスター決勝戦。この試合でチームを勝利に導く大活躍を見せ、全国からつわものが集まるこの大会で最優秀選手賞に選出される。「全国でも戦える自信になった」。貴重な経験と磨いた技術を引っ下げ福岡大大濠高に進学。全国屈指の強豪校だったが「プレー自体が通用しないとは感じなかった」と内なる可能性を感じていた。しかし、小さいケガの繰り返しで1、2年はほとんどプレーできない状態が続く。「怪我の辛さはプレーができないだけではなく練習を見ていることしかできない焦燥感」。焦りだけが募っていった。 競技人生最大の挫折 最高学年になり迎えたウィンターカップ県予選決勝。相手は3年間ライバルとして立ちはだかった福岡第一高。「絶対負けたくない」。この日のため毎朝4時半に起き、朝練を強行。すでに体は満身創痍。それでもただ〝勝ちたい〟思いを原動力にシュートを打ち続けた。迎えた試合当日。結果は60―69で惜敗、試合を終え絶望とケガだらけの身体だけが残った。その後の練習にも参加できず疎外感を感じ、「バスケをやめたいと思った」。人生最大の挫折だった。 チームはウィンターカップ悲願の優勝を果たすが「最後まで怪我があってチームに貢献できなかったので嬉しい思いもありつつ悔しい思いもあった」。ケガに苦しんだ3年間経て大学へ。 挫折を乗り越え先へ 座右の銘が初志貫徹。その初志とは「普通は競技を始めたときだと思うんですけど自分の場合は挫折したときや怪我をしたとき」。怪我に苦しんできたからこそ出てきた言葉だ。高校時代の悔しさを晴らすため明大の門をたたいた、大学での目標は「とりあえず勝ちたい」。勝ちへこだわる姿勢は人一倍強い。「1人でも積極的にプレーして周りを引っ張るような気持ちでやっている」。〝明治〟のバスケを変えるのはこの男だ。 [島田五貴] ◆針間大知(はりま・だいち)情コミ1、福岡大大濠高。趣味はユーチューブを見ること。185㌢・70㌔※写真は本人提供READ MORE -
西脇颯 エースナンバーを背負う覚悟
アイスホッケー 2022.10.091年生ながら明治のエースナンバー〝10〟を背負う西脇颯(文1=武修館)。高校時代は、インターハイ優勝、世界選手権出場など華々しい活躍をみせた期待のルーキーだ。大学でも、ひたむきな努力で常勝明治の復活に向け突き進む。 初めての苦悩 「試合に出るのは当たり前だった」。3歳でアイスホッケーを始めるとすぐに頭角を現す。小学生の時には世代別日本代表に呼ばれるように。順風満帆な競技人生を送ってきた。しかし、高校では厳しい上下関係の中で自分のプレーを見失い、初めてのベンチ外を経験。「天狗になっていた鼻を折られた」と苦悩する日々が続いた。 それでも腐らず、自分に足りないものを模索した。それまでのセンスに頼るプレーをやめ、練習では試合を意識。出来ないことに常に挑戦する姿勢を貫いた。そこには武修館の先輩、上野鉄平選手(Connecticut Jr. Rangers)の存在が大きい。「初めて一緒にやった時は試合かと思った」。練習から真剣に取り組む姿が、西脇の練習への意識を一新させるきっかけに。それだけではない。試合でもゴールを決めるだけでは満足しなくなる。より良い選択ができるよう、様々なビデオを見てプレーの質を上げるように心がけた。新たなスタートを切った西脇。高校2年次のインターハイでは、ほぼ全ての試合でゴール・アシストを記録。決勝でも流れをつかむ先制ゴールを決め、優勝に大きく貢献した。 常勝の復活へ 高校3年次にはU―20にも選出され、名実ともに日本を代表する選手へと成長した。大学は、主要3大会全てで最多優勝を誇る強豪・明大へ。西脇は1年生ながらエースナンバー〝10〟を背負う。「10番がいないのは明治じゃない」。そう言わしめるほど、この番号はこれまで名選手がつけてきた伝統あるもの。「自分への重圧を込めた」と自らあこがれの背番号に志願した。さらにはチームの看板・1セット目で春季大会に出場。4年ぶりの優勝を決めたものの、自身のプレーに満足はしていない。自らの持ち味であるスピードとポジショニング。加えて高校時代に培った貪欲さを武器にまい進し続ける。全ては、遠ざかりつつある三冠を達成し〝常勝明治〟を復活させるため。高い目標を見据える西脇の存在は、今後の明大に欠かせない。 [倉田泰] ◆西脇 颯(にしわき・はやて)文1、武修館高。自然や落ち着いた場所が好き。特にいとこが住んでいる足寄がお気に入り。176センチ・70キロ。 READ MORE -
高橋周平 悔しさを成長の原動力に 未来を担う新星RBの挑戦
アメリカンフットボール 2022.10.09グリフィンズの未来を担う期待の新星が今春、明大の門をたたいた。RB#31高橋周平(文1=足立学園)は小柄ながらも倒されない体の強さを武器に春季オープン戦から大活躍。日々進化を遂げる彼を支えているのは逆境を力に変える強靭な精神力だ。 かっこいいから 「かっこいいから」。アメフトを始めたきっかけはただそれだけ。中学時代は地元のサッカークラブで活動する傍ら、中学校でアメフトの簡易版であるタッチフットボールチームを手伝っていた。手伝いを重ねるうちにアメフトの魅力に惹かれ、高校から本格的にアメフトを始めた。高橋が選んだポジションはアメフトの花形ともいえるRB。理由はもちろん「かっこいいから」。めきめきと頭角を現し、高校2年時にはチーム初の全国ベスト4に貢献した。大学でも、春季オープン戦から力強い走りを披露し専大戦では2TD(タッチダウン)。さらにKも兼任し、サッカー経験を生かした正確なキッキングはすでにチーム随一だ。 悔しさが原動力 順風満帆なアメフト人生を歩んできたように思える高橋にも、忘れられない試合がある。高校3年時、秋の関東大会準決勝。主将となった高橋率いる足立学園は、第3Q終了までに持っていた15点のリードを守り切れず、延長戦の末21―28で逆転負けを喫した。「チームが負けていく姿をただ見ていることしかできなかった」。実は試合開始直後、高橋はプレー中のアクシデントにより途中交代を余儀なくされていた。「この試合が一番悔しい」。高橋にとって引退試合は苦い思い出だ。 だが、高橋は言う。悔しさこそがスポーツの、アメフトの醍醐味だと。「悔しくて泣くこともあるが、やめたいと思ったことはない。結果が出ない悔しさはさらなる成長の原動力になる」。悔しい敗戦から立ち直ることができたのも、このメンタルあってのもの。高橋の一番の武器はその強靭な精神力にある。 あこがれの明大 アメフトを始めた頃から「明治一択だった」。晴れてあこがれのグリフィンズの一員となった高橋。メンバーも環境も変わったが、日本一の夢は変わらない。この先、どんなに高い壁にぶち当たろうとも高橋は走り続ける。その経験が自分を成長させてくれると信じて。 【菅波陸哉】 ◆高橋周平(たかはし・しゅうへい)文1、足立学園。オフの日はジム通い。今はまっていることは特にない。「そんな暇ないっすよ笑」。171センチ・76キロ。READ MORE -
山田美雄 楽しさを原動力に大学でも日本一へ
バレーボール 2022.10.08ブロード攻撃では右に出る者はいない。中学、高校と全国優勝を経験した山田美雄(政経1=東福岡)。持ち前の機動力でブロッカーを惑わせ、チームの得点に貢献する。明大でも日本一を目指す。 “楽しさ”が原動力 バレーボールを始めたのは小学1年生の頃。きっかけは「ボール拾いが楽しそうだったから」。そこから練習を続け、中学校は遠賀中に進学。実力が認められて福岡選抜に抜てきされ、中学3年次に全国優勝を果たす。将来はプロバレーボール選手になりたいと思えるほどに、バレーボールにのめり込んでいった。 高校からはさらに強いチームでバレーをしたいという思いから、県内一の強豪・東福岡高校へ進学した。期待に胸を膨らませるも、待っていたのは過酷な練習だった。名門ならではの練習量に圧倒され、「少し嫌いになりかけました」。楽しいはずのバレーボールに対してやりたくないと思うようになっていた。しかし、練習をこなしていくうちに慣れ、楽しさを思い出していった。 2年次には全日本バレーボール高等学校選手権大会(以下、春高バレー)に出場し優勝を経験。誰しも憧れるセンターコートへ降り立つ彼に、緊張の文字はなかった。なぜなら「試合が楽しいから」。彼の原動力はバレーボールの楽しさだった。 ブロードという武器 山田の武器は何といってもブロード攻撃だ。コートの幅を目いっぱい使い、自由に動き回るプレーは観客の目を釘付けにする。彼のブロード攻撃は中学生時の遊びから始まった。その技術の高さが福岡選抜の監督の目に留まり、練習を始めた。本格的に試合で発揮することになるのは高校入学後だった。 高校2年次の春高バレーでは、彼のブロード攻撃がエース・柳北悠李選手(東福岡高)を引き立たせるほどまでに成長した。ふと遊びで始めたブロード攻撃が、全国で通用する武器へと様変わりした。 目指すのは全国優勝 大学での目標は全国制覇だ。高校と大学の違いは高さ。その差を埋めるため、現在はジャンプトレーニングに励む。 勝利にもこだわるが「楽しくやらないとつまらない」。楽しむプレーとブロード攻撃で、チームを勝利に導く。彼の明大バレー部での挑戦は始まったばかりだ。 [上原朋子] ◆山田美雄(やまだ・よしたけ)政経1、東福岡高。最近はイナズマイレブンを1話から見返している。183センチ・83キロREAD MORE -
野畑美咲 大分から世界へ飛び立つスナイパー
射撃 2022.10.08高校1年次に射撃を始めた野畑美咲(商1=由布)は1年半ほどで日本の頂点に立った。周囲からのプレッシャーを抱えながらも、射撃が好きという気持ちを原動力に世界へ挑む。 射撃との出会い 野畑が射撃を始めたのは高校1年だ。第1志望の高校に合格することができず、第2志望であった由布高校に進学。そこでは父が強豪の射撃部で顧問をしていた。小学校でバレー、中学校で卓球を経験していたが、「新しいことに挑戦してみるのもいいのではないか」という思いから射撃部に入部。そこから日本一への挑戦が始まった。 射撃を始めた頃から同級生よりも高い点数を撃ち、周囲からセンスがあると言われることも多かった。しかし、彼女はそれだけで日本一に上り詰めたわけではない。コロナの影響で学校がないときも、父が射撃場を開け練習に励んだ。また「普通の高校生ではできないような経験もさせてもらった」と、多くの遠征や大会を経験。いくつもの努力を積み重ねて着実に腕を上げ、高校2年次の全日本選手権では見事日本一に輝いた。高校3年次には国公立大学への進学を目指すコースに所属。忙しい部活動の傍らで勉強にも力を入れていた。しかし一般の大会に出場する明大射撃部の選手が目に留まる。姉の野畑伽奈(商4=大分雄城台)を追いかける形で、明大に進学を決めた。 世界へ羽ばたく 大会に出場するたびに結果を残し、競技人生は順風満帆のように思えるが、時には苦しい思いをすることもあった。ドイツで行われたジュニアワールドカップに出場した際に、自分の思い通りに射撃ができなかった。いつも通りの点数を出せていたらファイナルまで残れていた。緊張に打ち勝つため、練習時から銃や時計の置く向きまで完璧にそろえ、いつも通りを心がけるようにしているはずだった。しかし国内ではほとんど負けなしである自分が世界を目の前に思うようにいかず、国際大会の難しさを実感。また、周囲からの期待がプレッシャーとなり「もし外したらどうしようと頭の中で考えてしまうことが増えた」。持ち味の攻めの姿勢は、もともとやっていたバレーや卓球の経験のたまものだ。しかし最近の大会では守りに入った射撃をしてしまうという新たな課題が生まれた。しかし野畑は自分の強さの秘訣として「マイナスな発言をしないこと」を挙げる。メンタルの強さが最大の武器だ。そしてやはり野畑の見据える場所は2年後のパリ五輪。「金メダルを獲りたい。でも一番は自分の射撃をすること」と謙虚に目標を掲げる。「大学卒業後も射撃を続けていきたい」。高校1年の射撃との出会いが、野畑の人生を大きく決定づけた。次なる狙いは世界だ。 [尾﨑陽菜] ♥野畑 美咲(のばた・みさき)商1、由布高。オフは友達と東京観光をしている。158センチ(写真は本人提供)READ MORE -
今里翔吾 悔しさをバネに 団体戦に懸ける思い
硬式庭球 2022.10.082度の敗北が彼を強くした。今里翔吾(営1=海星)はインターハイ3位の実力者。小柄な体格を生かしたフットワークと相手の虚を突くポーチやフェイントプレーが得意だ。挫折を乗り越えた不屈の精神とテニスへの克己的な姿勢で大学では日本一を目指す。 忘れられない夏 「小学生の時から試合会場にいる海星の選手が憧れだった」。長崎県高校総体団体戦23連覇中の強豪、海星に進学。高校1年次からメンバー入りを果たし、インターハイ団体戦に出場した。初戦の相手は東京学館新潟。1対1の同点で駒を進め、今里のシングルス2に勝敗が懸かっていた。しかし、極度の緊張とプレッシャーで実力を出し切ることができず無念の初戦敗退。「先輩たちの夏を僕が終わらせてしまった。今度は勝ってみんなを喜ばせたい」。人生で一番悔しい思いをした一夏が彼を成長させることとなる。 高校時代の今里(写真は本人提供) ライバルの存在 ライバルの存在が今里にエンジンをかけた。高校2年次は新型コロナウイルスの影響で大会が軒並み中止に。目標を見失い、練習に身が入らない日々が続く。そんな中、ライバルである鳥井俊作(鹿屋体大)は黙々と練習を続けていた。その後の部内戦で、入部以来初めて、鳥井に敗北を喫することとなる。この試合をきっかけに今里は誰よりも強くなることを誓った。 迎えた最後のインターハイ、シングルスでベスト16入りを果たし、大会を締めくくるのは鳥井とのダブルスだった。「ペアで大会に出るのは最後かもしれない。何よりも楽しんでやろうと思った」。東京学館新潟に3回戦でリベンジを果たし、迎えた準々決勝。2ー5の劣勢から形勢逆転、最終スコア8ー6で接戦を制し、3位入賞という有終の美を飾った。マッチポイントでの鳥井とのハイタッチの感触、勝利が決まった瞬間のコーチの笑顔、あの時見た景色が彼の今の原動力となっている。 夢は団体日本一 「ここだったら強くなれる、ここで日本一になりたい」と4月に明大の門を叩いた。チームの雰囲気を暗くしないため、誰よりも声出しをすることを意識。また「やらなかったら結果が付いてくることはまずない」と、毎日の練習にストイックに打ち込んでいる。高校1年次の夏に味わった悔しさを糧に大学での目標は団体戦で日本一を取ること。期待のルーキーはこれからも進化し続ける。 [井手満菜] ◆今里 翔吾(いまざと・しょうご)営1、海星。好きな食べ物は同部屋の先輩、飯田翔(商2=足利大付)が作るオムライス。169センチ・60キロ。 READ MORE