
新人記者イチ押し選手!2022
未来の明大を担うのは俺たちだ! 1、2年生の体育会選手に焦点を当てるルーキー特集です。取り上げられているのは今後の活躍が期待されている選手ばかり。今年度明大スポーツに入部した新人記者が、一生懸命記事を書きました。フレッシュな特集を是非ご一読ください!
-
平翔太 経験を糧に 目指すは不動のセンター
ラグビー 2022.10.11正確なキックとパスで、攻撃を組み立てる。強豪校である東福岡高で中心選手として活躍したセンター平翔太(商1=東福岡)。中学生の頃から明大を意識し、人一倍練習してきた。その経験を糧に、紫紺デビューにむけてのまい進は続く。 目標に向けて 「自分にとってラグビーはなくてはならない存在」。この言葉通り、幼い頃からラグビーに魅了されてきた。平が小学2年次の冬、東福岡高は全国高校大会(以下、花園)で3連覇を達成。史上5校目の偉業を目にし「東福岡で活躍する」という夢を持った。そして3歳から続けた水泳は「東福岡で夢をかなえたい」という理由でやめることを決意。放課後にも練習を重ね、持ち味のキックとパスは磨かれていった。 敗戦から学ぶ 憧れの東福岡高に入学し、新たな環境へ飛び込む。1年次の冬にはコロナ禍に見舞われたが、自主練を怠らなかった。「応援してくれる人たちがいるから頑張れる」。その中の1人が母・美穂さんである。美穂さんは、全ての試合をビデオに残していた。それを見てプレーを改善し、日々自信を付けていく。そして最高学年として迎えた、2年次の全国選抜大会。平は全試合に出場し、得意のキックで優勝に貢献した。「最初から自信はあったが、より自信が付いた」。花園では、準決勝で東海大大阪仰星高に22―42で敗れてしまったが貪欲な練習の大切さを再確認。「自信を持ちすぎて疎かにしていた部分があった」。明大に進学後は、新たな仲間とともにチーム力で勝つラグビーを目指し、練習に励んでいる。 理想を目指し 平が理想とするのは、同じ東福岡高出身のセンター廣瀬雄也(商3=東福岡)だ。廣瀬は昨年度、関東大学対抗戦、全国大学選手権の全試合にスタメン出場し、キッカーとして活躍。「(廣瀬)雄也さんのような何でもできるプレーヤーになりたい」。同じポジションとしてアドバイスをもらったこともあり「学ぶことがたくさんあり成長できた」。今はまだ「遠い存在」だが、目標は「紫紺を着て、キックとパスはもちろん、ディフェンスでも魅了すること」。不動のセンターを目指し常に〝前へ〟進み続ける。平のプレーが勝利の追い風となる日は近い。 [森口絵美理] ◆平 翔太(たいら・しょうた)商1、東福岡高。研究発表をする授業では「ラグビーW杯における経済効果」について発表。175センチ・88キロ。READ MORE -
佐田龍昇 強い気持ちで遂げた成長
競走 2022.10.11今年度の関東学生対校選手権において短長歩3部門の総合力で1部残留を果たした明大競走部。その中でも短距離部門の佐田龍昇(法1=大分東明)はシーズン前半から多くの大会で活躍し、勢いに乗る選手だ。全国大会決勝の舞台、さらには教員になる夢を目指すルーキーの素顔に迫る。 全国の高い壁 佐田は中学時代から全国大会に出場する実力の持ち主。県内有数の強豪校である大分東明高に進み、チームの主力として順調にタイムを伸ばし続ける。400メートルで大分県の頂点に立つと、高校3年次にはインターハイの切符をつかんだ。そんな順風満帆に見える佐田の競技人生だが、大きな挫折を味わった大会がある。北九州大会で自己ベストを大幅に更新し、自信を持って迎えたインターハイ。しかし、全国大会ならではの重圧を意識してしまい、思うような走りができなかった。中学3年生の時にも全く同じ状況に陥り、2回経験した全国大会が同じ形で終わったことが「すごく怖かった」。この経験は苦い記憶として尾を引くことに。 大学での成長 大学でも競技を続ける道を選び、明大の門をたたいた。自主性を重んじる練習方針の中で着実に手応えをつかみ、ついに訪れた全国の舞台。U20日本選手権で400メートルに出場した。中高時代に苦しめられた全国大会独特のプレッシャー。「全国で400メートルを走りたくないな」。レースが近づくにつれて気持ちが次第に沈んでいった。それでも「これまでの自分から変わらなければならない」。そう奮起し、前半から積極的な走りを展開。およそ1年ぶりに自己ベストを更新する好記録をマークした。本来の走りができなかった中高時代の苦い記憶を乗り越え、タイムだけではなく精神面でも大きな成長を遂げた。 夢に向かって 佐田は大学卒業後、教員の道を目指す。「とても熱心に指導してくれた」高校時代の顧問の存在に憧れたことがきっかけだ。2年次からは教職課程の履修も始まり、学業との両立が求められる。待ち受ける道のりが決して平たんでないことは明らかだ。だが「全体を満遍なく見て、褒めるアドバイスをしていきたい」と理想の顧問像を力強く語るその目に迷いはない。陸上では大学4年間の目標として「全国決勝の舞台に立つこと」を掲げた。明大競走部のこれからを担うルーキーとして、揺るがぬ決意と夢を胸に走り続ける。[松原輝] ◆佐田 龍昇(さた・りゅうと)法1、大分東明高。高校時代は坊主。大学に入って髪を伸ばすと「結構抜け毛があることに気が付きました」。170センチ・73キロREAD MORE -
安江光博 恩師の言葉を胸に 不屈の精神でさらなる高みへ
卓球 2022.10.11土佐の地から新たなピースが明大に加わった。高知出身の安江光博(政経1=明徳義塾)は大胆なプレーを持ち味とするサウスポー。高校3年次にはチームのインターハイベスト4に大きく貢献したが、そこに至るまでには大きな挫折を経験した。大学では苦難を乗り越えた経験を糧にさらなるレベルアップを誓う。 監督への恩返し 中学次は全国大会でベスト16に入るなど、順調に結果を残し続けてきた安江。しかし、高校進学後、周りのレベルが格段に上がったことで自分のプレーができなくなりスランプに陥る。勝てない時期が続いたことで次第にモチベーションが低下し卓球を辞めることも頭をよぎった。そんな時に目に留まったのは入部当初から自分に期待してくれていた監督の姿。自分と同じようにつらい思いをしてくれているのを肌で感じ、奮起した。「監督に感動を与えたい」という一心で自分を追い込み、高校最後の大会であるインターハイへ向け、部員の誰よりも練習した。 最後の1セット 迎えたインターハイ。チームは順調に勝ち星を積み重ねベスト4進出の懸かる準々決勝へと駒を進めた。相手は福岡の希望が丘高校。両者一歩も引かない激戦を繰り広げ2勝2敗に。3戦先取の団体戦。勝負の命運は安江へと託されることになった。しかしゲーム序盤から相手に主導権を握られ苦しい展開が続く。ゲームポイント2−2で迎えた最終ゲームでも何度も王手をかけられ「9割は負けたと思っていた」と絶体絶命のピンチに。そんな安江を救ったのはまたも監督だった。「6年間やってきたことを全て出し切れ。泣いても笑ってもこのチームで戦う最後の1セットだから。頼んだぞ」。その一言で目を覚ました安江は驚異的な粘りを見せ、大逆転勝利で8年ぶりのベスト4進出をつかみ取った。 苦難を乗り越え 復活を果たした安江は、監督の勧めもあり明大に進学した。高校次のチームを引っ張っていく立場とは異なり、今では追う立場。「自分から練習しないといけないという思いが強い」。高校時代の苦難を乗り越え、自分のプレーに自信をつけた安江。さらなる進化を続け、紫紺の中心へと駆け上がっていく。 [冨川航平] ◆安江 光博(やすえ・みつひろ)政経1、明徳義塾高。休みの日に卓球部の同期と『荒野行動』をするのがマイブーム。165センチ・57キロREAD MORE -
兼本翔安 12年目の水球愛
水泳(水球) 2022.10.11水球を始めて12年。兼本翔安(文1=修道)は大きな体を武器に頼もしくゴールを守る期待のルーキーだ。6月に開催された関東学生リーグ戦でも活躍。部内では数少ない明大中野高出身でない選手だ。水球を愛し、水球に愛された男が明大に新たな風を吹かせる。水球との出会い 幼少期から様々な習い事を経験してきた兼本。姉が始めたことをきっかけに、小学2年次に水球の世界に足を踏み入れた。持ち前の運動能力の高さから他にも選択肢があった中で、水球という競技を12年も続けている理由は「単純に好きだから。もう自分の一部みたいな感じ」。 当初は守備だけでなく攻撃も担うフィルダーとしてプレーしていたものの、小学3年次に代わりに入ったGKのポジションが「より活躍できたと言うか、自分に合っていた」。それからどんどん水球にのめり込んでいった。 高校で得たもの 今までで1番記憶に残っている試合は高校1年次のインターハイ予選。兼本はスタメンで出場していた。ここで勝てばインターハイに進めるという大一番。岡山の関西高校相手にチーム一丸となって攻防するも、ロースコアの試合展開が続く。最後まで白熱した試合を繰り広げ、念願のインターハイを目前に惜しくも敗退。その差はわずか3点。勝機が見えていただけに悔しさも一層強かった。「先輩も自分もとにかく泣いた」。小学校時代は全国大会にも出場していたこともあり、高校での全国の壁の高さに打ちひしがれる。その後はコロナ禍で練習のできない期間が長く続いた高校時代を過ごした。12年、その先へ 大学でも水球を続けたいと強く望んで進学した明大。「みんなで攻めてみんなで守る、仲間の絆が不可欠なところが水球の魅力」。水泳部水球部門は明大中野高出身の選手がほとんどを占めるが、今ではすっかり冗談も言い合える仲に。大学水球は高校とは比べ物にならないほどのパワー勝負だ。「力で押し負けてしまうのが課題」。熾烈な力のぶつかり合いに勝ち抜くため水曜日以外は練習があるが、あくまで学業が優先というのが監督の方針だ。「しっかりと勉強もして、水球でもいい成績を残したい」。大学生活はまだまだ始まったばかり。新たな仲間と共にさらなる高みを目指す。[増田杏]◆兼本 翔安(かねもと・しおん)文1、修道高。キャンパス内でお気に入りの場所は図書館。178㌢・73㌔。READ MORE -
佐藤駿 4回転武器に世界へ羽ばたく
フィギュアスケート 2022.10.11日本が誇る4回転ジャンパー、佐藤駿(政経1=埼玉栄)。その類いまれな才能で、幼いころから数々の栄光を手にしてきた。しかし、昨季はケガの影響で世界ジュニア選手権欠場。その悔しさを胸に、佐藤の武器である4回転ジャンプに磨きをかけ、さらなる高みを目指す。 躍進の4回転 4回転ジャンプは世界を目指すスケーターの登竜門だ。3回転ジャンプの2倍以上の得点が望め、1本成功するだけで順位が大きく変動する。そんな夢のある高難度ジャンプを、佐藤は中学2年次に挑戦し始めた。初成功までかけた期間は1年。その間、成功には至らずとも、諦めずに果敢にプログラムに組み込み続けた。「『やっと降りた!』という感じだった」。初成功の瞬間を嬉々として振り返る。さらに、成功後も試合で安定させるまでに時間を要した。「1回降りてからが長かった。良かったり駄目だったりを繰り返した。大変だった」。そんな中、高校1年次に佐藤の努力が実を結ぶ。JGPファイナルで全ジャンプを成功させて優勝。FS(フリースケーティング)では、国内での成功者がわずか2人という高難度の4回転ルッツと4回転トーループ2本を決め、当時の世界最高得点をたたき出した。4回転が佐藤の戦友となった瞬間であった。 佐藤の原動力 昨季はケガに悩まされた。全日本選手権では、演技中にケガを負い実力を出し切れず7位に。悔いが残る結果だった。さらには、そのケガの影響でシーズン後半の試合を全て欠場に追い込まれた。長いリハビリ期間のためにモチベーションを失いかける日々。「来季は大丈夫なのか」と再起への不安に駆られた。そんな中で支えとなったのは、ジュニア時代から共に表彰台に立ってきたライバルの存在だ。「優真(鍵山優真選手・中京大)がいい成績を取っていたら、僕も頑張らなきゃと思う」。ライバルの五輪での活躍に自らを奮い立たせた。 さらなる挑戦 座右の銘は『挑戦』。今年明大に進学し、ひときわ成長した演技に挑む。現状でマックスの構成だとする3種類の4回転4本を構成に入れているが「いつかアクセルを含めて全種類の4回転を試合に入れたい」と志高く前を向く。4回転を武器に成長を誓った初夏。その目覚ましい飛躍を、世界が心待ちにしている。 [布袋和音] ◆佐藤 駿(さとう・しゅん)政経1、埼玉栄高。鍵山とは一緒にゲームをする仲。好きなジャンプはアクセル。162センチ・56キロ。READ MORE -
水木亮輔 チームを担うエースQBへ
アメリカンフットボール 2022.10.11期待の司令塔がやってきた。QB(クォーターバック)#38水木亮輔(商1=千葉日大一高)は身長187センチという体格とスピードを武器に春シーズンも4試合に出場。高校時代にはケガも経験したが仲間と共に乗り越えてきた。成長を糧に大学でさらなる高みを目指す。 挫折と成長 「僕のミスで負けた」。アメフトにおいてオフェンス陣の司令塔的役割を果たすQB。高校2年次には秋季全国大会でその大役を任された。しかし、自身のミスによるインターセプトが重なり、14点を失い敗北してしまう。全国大会での悔しい経験をバネに必死に練習に励んだ。その矢先、大きな不幸が水木を襲う。練習中に左足首の腱を脱臼。4、5カ月練習できない日々が続いた。春シーズン直前の練習試合、水木の代わりに試合に出たのは1年生の後輩だった。試合で後輩が活躍する姿を見て自分の未熟さを目の当たりに。「一番精神的に辛かった」。自分がチームの戦力になれていないことを痛感。ケガから復帰し迎えた春シーズンも地区大会3位という結果に。そんな時、水木を支えてくれたのは同学年の仲間だった。「水木がいないと」。エースQBとして水木を認める同期からの声もあり、期待に応えるために練習に取り組んだ。 高校3年、最後の秋季大会。チームの目標とした全国ベスト8は叶わず。地区大会で敗退となった。しかし、1年前とは心持ちが違う。練習量を増やし、万全の準備で挑んだ結果に悔いはなかった。 新たな目標 この春、グリフィンズの一員となった水木。大学進学後初の公式戦となる国士大戦では納得のいくプレーができ、QBの序列も4番手から2番手に。「自信がついた」。しかし次の試合で相手がTOP8の日大となると自分のプレーを発揮できず。続く専大戦、日体大戦と3試合連続でインターセプトされてしまう。「全力で挑んだが自分が未熟だった」。大学レベルの選手との差を実感した。 「秋本番に拓郎さんのバックアップQBになる」。今秋の目標は再度QBの2番手になること。グリフィンズのエースQBである吉田拓郎(法4=日大鶴ヶ丘)は秋に引退を迎える。共に練習できる時間も残りわずか。今はできるだけ多くのことを吸収しようと練習後にも指導を受けている。「本番は来年の春」。秋シーズン後もグリフィンズを引っ張るルーキーから目が離せない。 [坂内咲月] ◆水木 亮輔(みずき・りょうすけ)商1、千葉日大一高。好きな食べ物はラーメン。試合後に食べに行くことが多い。187センチ・87キロ。READ MORE -
島野怜 鍛え上げたフィジカルを武器に 期待の万能型MF
サッカー 2022.10.10島野怜(法1=仙台育英)は強靭なフィジカルと豊富な運動量、さらには得点力も兼ね備える万能型MFだ。高校時代は名門校で3年間を通してレギュラーとしてチームをけん引。3年次には主将と背番号10を任された。プロという目標を実現させるために、明大でさらなる成長を図る。 手に入れた武器 その体格は生まれ持ったものではなかった。きっかけは高校1年次の冬。全国高校選手権(以下、選手権)の事前合宿にて前年度の王者である青森山田高と出会う。青森山田高の強靭(きょうじん)な体格を目にした島野は「全国のトップを目指すにはあれほど体を大きくしなければならない」と肉体改造に取り掛かった。筋トレの頻度や回数など細部にこだわったトレーニングで進化を続ける。「ドリブルばかりしていた」。小中時代に培った攻撃力に加え、フィジカルという新たな武器を手に入れた。そんな多彩な武器とともに、数ある大学の中から明大に進学。「人としても大きく成長できる」。さらなる成長を期し明大の門をたたいた。 高校時代の努力 3年連続で選手権に出場し、2年次にはハットトリックを記録。3年次のプリンスリーグ東北ではMFながら15点を挙げ、得点王争いも繰り広げた。3年間を通して活躍し続けた秘けつは島野のサッカーに対するストイックさ。その一つが朝練だ。休まず基礎練習を取り組み続けたことが周りの部員との差を生んだ。 また、新型コロナウイルスが蔓延し始めた時期には仙台を一時的に離れることに。「(全体)練習ができなかったことが一番苦しかった」。それでも砂浜での走り込みや筋トレなど、努力を欠かすことはなかった。そして3年次には主将に就任。「トップチームに絡めず腐りかけている部員にどうやる気を起こさせるか」。部員との会話や呼び掛けなどでリーダーシップを発揮した。 明大で感じた差 エリート街道を歩み続けてきた島野だが、大学サッカーには衝撃を受けることに。「強度が高校時代と全く違い、トップチームでは何もできなかった」。それでも、前期はトップチームで初出場を果たすなど、着実に進歩を遂げている。栗田大輔監督も「日本のサッカー選手でも珍しいタイプ。4年間で良くなればすごい選手になる予感がする」と期待をかける。卒業までの目標を「最低でもプロ」と掲げた島野。紫紺の魂を身にまとい、ピッチを縦横無尽に駆け巡る。 [長﨑昇太] ◆島野 怜(しまの・れい)法1、仙台育英。サッカーを始めたきっかけは『キャプテン翼』。182センチ・70キロREAD MORE -
堀颯介 仲間と共にさらなる高みへ
競走 2022.10.10紫紺の未来を明るく照らす期待のルーキー・堀颯介(商1=仙台育英)。全国高校駅伝(以下、都大路)優勝回数8回を誇る名門・仙台育英の主将を務め、チームをけん引。その活躍には、大きな目標であるライバルの存在が大きかった。大学でも誰にも負けない努力で、明大競走部を勢いづける。 競技人生の始まり 「練習に付いていけなかった」。陸上を始めたのは高校から。中学までサッカー部に所属していたが学校代表として駅伝を走った際、その才能を仙台育英高の監督から見いだされ高校では陸上部を選んだ。しかし「他の人より距離を減らして練習していた」と入部していきなり、周囲と大きな壁を痛感する。その年に仙台育英は都大路で優勝。とりわけ、優勝メンバーに1年生で唯一入っていた吉居駿恭(中大)の存在は、陸上を始めたばかりの堀に大きな衝撃を与えた。全国の舞台で活躍する吉居の姿に「自分も来年は都大路に出たい」と練習の質を意識し、人一倍走る量を増やした。その地道な努力が実を結び2年次には調子を上げ、都大路に出場。6区で見事区間賞を獲得した。 転機となるレース ひたむきな努力が評価され、高校3年次には主将に選ばれる。「走りは(吉居)駿恭が引っ張ってくれた。自分にはできないことだから感謝している」。競技の面は吉居が率い、主将として日常生活で常に見本でいようと心がけた。しかし、吉居に頼ってしまったことで「自分の走りに自信が持てなかった」と調整に苦しみ、余裕のない日々が続く。だがその中で出場した5000メートルの記録会。「駿恭に勝てるかもしれない」と最後まで激しく競り合う。結果としては負けてしまったが目標だった13分台に到達。なにより、吉居と張り合えたことは大きな自信につながった。 新たな仲間と共に 明大進学後に出場したU20日本選手権。本調子で臨めず、レースで再会した吉居に離され、後悔の残る結果に。それでも「タイムで駿恭に負けているけれど大学4年間をかけて追い付きたい」とさらなる成長を誓う。 「誰にも負けたくない」。明大に進学し、森下(翔太・政経1=世羅)を筆頭に切磋琢磨(せっさたくま)できる仲間と出会った。仲間と夢である三大駅伝出走に向かって、堀は後ろを振り返らずまっすぐ、颯爽と駆け抜けていく。 [原田青空] ◆堀 颯介(ほり・そうすけ)商1、仙台育英。靴ひもは、必ず左から結ぶというジンクスがある。172センチ・52キロREAD MORE -
高橋響生 成長止まらぬ努力家
卓球 2022.10.10最強の努力家は歩みを止めない。「挑戦者の気持ちで挑むことができた」。今年度5月に行われた関東学生新人選手権でシングルスベスト8入りを果たした高橋響生(商1=鶴岡東)。しかし、ここに至るまでにさまざまな苦難があった。苦しみを乗り越え、見えた景色は輝いていた。 成長誓い山形へ 兄と卓球経験者の父の影響を受けて始めた卓球。元々運動が好きではなかったため、当時は嫌々練習に参加していた。しかし「努力してできるようになるのが楽しい」と徐々に卓球にのめり込んでいき、全国中学校大会に出場する程のプレーヤーに成長。ここで「厳しい学校に行って自分を強くしたい」と考え地元・滋賀県から遠く離れた山形県の鶴岡東高に進学を決意した。 新スタイル確立 こうして始まった寮生活。高校1年次から団体戦のメンバー入りを果たし、順風満帆に見えたが、2年次に二つの大きな困難に直面することに。一つ目は新型コロナウイルスの感染拡大により多くの大会が中止になったことだ。目標がなくなりモチベーションが下がる時期もあったが「嘆いていても変わらない」と、部内戦の機会をうまく生かそうと決心。自分の頭で考える経験を積み重ねていった。しかし秋頃、さらなる困難が彼を襲う。あと一歩のところで全国高校大会出場を逃す。「練習をたくさんしているのにどうして報われないのだろう」。それから数ヵ月、結果が出ない時期が続いた。しかし、このスランプが卓球スタイルを見直すきっかけとなった。「次の動きに素早くつなげるための下半身強化が必要」。ウエートトレーニングやスクワットを行い、太ももの裏と尻の表層部に刺激を与えた。これにより体の踏ん張りが効き、次の動作を素早く行うことが可能に。その後の全国高校選抜大会では「今までで一番調子の良い状態でプレーができた」。新たなプレースタイルが実を結んだ瞬間だった。 夢見た最強軍団 世界で活躍する選手を数多く輩出している明大卓球部。「自分も強い選手の一員になりたい」と憧れを抱き最強軍団の仲間入りを果たした。高校時代に学んだ「自分で考え練習の質を高める」という教訓。「新しい技術を試行錯誤しながら」さらなる成長を目指す。大学4年間の目標を「リーグ戦に出場し優勝に貢献する」と掲げる彼がトロフィーを笑顔で持っている未来はそう遠くはない。 [七海千紗] ◆高橋 響生(たかはし・ひびき)商1、鶴岡東高。パンケーキが好きで中学時代はよくお菓子を作っていた。猫が大好きで将来飼いたいと思っている。身長173・57キロREAD MORE -
五十嵐唯愛 不屈の精神で挑む 悔いなきテニス
硬式庭球 2022.10.10「テニスを悔いなく終わらせる」。五十嵐唯愛(政経1=四日市商)は個人、団体で全国制覇の実績を持つ期待のルーキー。その裏には悔しさを乗り越えてきた過去があった。後悔を残さないために実直な性格と技ありのプレーで4年間を突き進む。 心技で勝利へ 緩急をつけたプレーで相手を翻弄(ほんろう)し、ボレーで決める。フラット系の球で絶えず攻めていく一般的なプレーとは異なり「女子では珍しい」と自負するそのスタイルこそ五十嵐の武器だ。 勝利への秘訣(ひけつ)は精神面にもある。「白黒はっきりしている」。五十嵐は自身の性格をこう評す。一瞬のスキが勝負を分けるテニス。コートの外で輝く決断力が試合での緩急のある攻めにつながっている。 悔しさを糧に 主将として臨んだ高校3年次の全国選抜高校テニス大会(以下、選抜)。責任がこれまで以上にのしかかるこの舞台に向け「部内では一番練習していた」。朝は5時台に起床し1人で朝練。放課後も残ってひたすらテニスに打ち込んだ。 試合当日、団体決勝では先に2敗し後がない状況だったが、掲げてきたチーム力で大逆転を起こし、四日市商高初の選抜優勝に導いた。だが、五十嵐は過去3度負けていた相手に決勝で再び敗れていた。チームが勝った喜びと同時に、ライバルに敗北した悔しさが残る。それでも前を向き団体戦と並行して行われていた個人戦では、得意の緩急をつけたプレーで勝ち進む。そしてついに迎えた決勝。相手はくしくも団体決勝で敗れた因縁の選手だった。互いに準決勝で3時間を超える試合を終えたばかり。万全な状態ではなかったが、五十嵐は冷静さを失わない。「チャンスがあると思って自分らしいプレーができた」。先にリードを許す展開でも持ち前の判断力を生かし、相手の疲労を逃さず足を止めさせないよう攻め続けた。最終セットは6―1という圧倒的なスコアで勝利。4度の敗戦の末雪辱を果たし、自力で悲願の優勝をつかんだ。 最後のテニス 彼女は明大で16年間のテニス人生に幕を下ろす。残り限られた時間での目標は〝悔いなきテニス〟。幾多の試合で培ってきた自分らしいプレーに加えさらなる進化へ。五十嵐のテニス人生最終章はまだ始まったばかりだ。 [高橋佳菜] ♥五十嵐 唯愛(いがらし・ゆいな)政経1、四日市商高。何時間でも弾けるというピアノは友人を見て学んだ。158センチ。READ MORE