【スケート部(フィギュア部門)】Kiss&Cry2022
やっぱり明治がナンバーワン!今年度、新たに佐藤駿(政経1=埼玉栄)や住吉りをん(商1=駒場学園)、江川マリア(政経1=香椎)を加え、パワーアップした明大フィギュア部門。それぞれの演技で観客を魅了する選手たちだが、氷上外での一面を見ることはなかなかできない。本企画では、そんな選手たちの活躍の裏にある思いや素顔をお届けしていく。
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(43)シーズン後インタビュー 佐藤駿
フィギュアスケート 2023.04.03掲げた目標の達成を目指して、今シーズンをひたむきに戦い抜いた。今年度の日本学生氷上競技選手権では20年ぶりにアベック優勝を果たし、チームとしても目覚ましい結果を残した。その中でも、近い将来を見据えながら歩み続ける選手もいれば、今シーズンでスケート競技から引退した選手もいる。それぞれが感じる思いを、選手の言葉を通じてお届けする。 (この取材は3月28日に行われたものです) 第13回は佐藤駿(政経2=埼玉栄)のインタビューです。 ――WBCイタリア戦を観戦したことが一躍話題になりましたがいかがでしたか。 「すごくいい試合でした。先発が大谷翔平選手(エンゼルス)でリリーフがダルビッシュ有選手(パドレス)で神試合でした」 ――プロ野球で応援しているチームや好きな選手はいますか。 「特にはないですが、地元なので東北楽天ゴールデンイーグルスを応援しています。浅村栄斗選手(楽天)が好きですね。でも野球のゲーム(プロスピ)の自分のチームは、ソフトバンクにしています。(理由は何ですか)強いのもそうですし、好きな選手が多いからというのがあります」 ――世界選手権を現地でご覧になった感想をお願いします。 「すごく刺激を受けました。特に男子のFS(フリースケーティング)は神試合で、最終グループとかもうほとんどノーミスみたいな感じで逆にメンタルをえぐられたという感じでした。『みんなすごいな』と。来年度はこの大舞台に立てるようにしたいと思いました」 ――特に印象に残った選手はいますか。 「SP(ショートプログラム)はキーガン・メッシング選手(カナダ)がすごく印象に残っています。FSはかなりみんな印象に残っていますが、ジェイソン・ブラウン選手(米国)とケヴィン・エイモズ選手(フランス)ですかね。個人的にはエイモズ選手がすごく良かったのがうれしかったです」 ――どのような点で印象的でしたか。 「全員そうなのですが、滑りに引き込まれるというか、ジャンプだけではなく見ていてすごいと思える演技でしたし、心に残る演技だったなと思います」 ――今シーズン全体を振り返っていかがですか。 「今シーズンを振り返って、シーズンの最初の方は何もできていなかったのですが、ここまでいい内容のシーズンになると思っていなかったので、個人的には満足している部分はあります。でもまだ改善できる部分が多いと思うので、来シーズンに向けて頑張っていこうかなと思っています」 ――具体的にはどのような点を改善したいですか。 「昨年度はスピンなどのレベルの取りこぼしが多かった印象があるので、今シーズンはそこを改善できたらいいかなと思うのと、演技構成点をもう少し伸ばしていければいいのかなと思っています」 ――今シーズン成長したと思う点はありますか。 「メンタル面で強くなったかなと思いますね。いつもならFSの後半はミスが多くなる傾向にあるのですが、今シーズンは逆にミスをしても引きずらないで演技を終えることができる試合が多かったので、そういった部分で成長できているのかなと思います」 ――全日本選手権(以下、全日本)を振り返っていかがですか。 「悔しい部分もありましたが、今シーズンここまでやれると思っていなかったし、今までの全日本の中でも一番いい順位になることができたので、そういった面では来シーズンに向けてプラスになる演技だったかなと思っています」 ――四大陸選手権を振り返っていかがですか。 「コロラドスプリングスで行われた試合なのですが、標高が高いリンクなので体力面がすごくきついよと前から言われていたので覚悟はしていたのですが、FSの後に体力面がすごくきつかった試合だったなと思いました。途中までは全く問題なかったのですが、最後のステップのあたりになると特にきつかったですね(標高が高いとジャンプが跳び上がりやすいと言いますがいかがでしたか)そう聞いてはいたのですが、実感はあまりなかったです」 ――鬼門としていたSP、チャレンジカップでついにノーミスを達成しましたがその時の心境はいかがでしたか。 「その時はアクシデントなど多かったのでそれどころではなかったです(笑)。シーズン最後の試合でようやくノーミスの演技をすることができたのはすごく良かったかなと思います」 ――今シーズン一番印象に残っている試合はどの試合ですか。 「四大陸選手権ですかね。標高が高くてきつかった中でFSをノーミスできたのは大きかったですし表彰台に乗れたので、昨年度の悔しさを晴らすことができたかなと思っています」 ――チャレンジカップ終了後から現在までどのように過ごしてきましたか。 「一応世界選手権の補欠なので、それまではある程度練習していたのですが、世界選手権のSPが終わってからはオフにして、遊んだりしていました。みんなで遊びに行ったり、ちょうどWBCで盛り上がっていたので、埼玉の男子が多いのもあってみんなで野球しようと言って野球したりしました」 ――ここから本格的にオフシーズンに入っていきますが、やりたいことはありますか。 「特にこれといったことはないですが、振り付けを今やっているので、それをしっかりと覚えて、新しいジャンプに取り掛かれたらいいなと思います。(それは4回転フリップですか)そうですね。フリップや、サルコウも練習して頑張ってみようかなと思っています」 ――明大に入って1年が経ちますが、大学での1年間を振り返っていかがですか。 「春学期はしっかりと授業にも出られて友達も作ることができて、いろいろ助けてもらいながら単位を取ることができましたね。秋学期はなかなか学校に行ける機会はなかったのですが、ある程度単位も取ることができて、今シーズンは大学生活と両立できました」 ――来シーズンのプログラムはどのようなジャンルを考えていますか。 「SPはもうできてはいるのですが、タンゴのような曲がいいかなと思っています。FSはまだ考え中です」 ――来シーズンに向けての抱負をお願いします。 「来シーズンは自分にとってもかなり大事なシーズンになってくると思うので、順位に関して言えば今シーズンよりもいい順位を取って、昨年度できなかった全日本での表彰台を目標として、4回転の種類をもう少し増やしていけたらいいかなと思います」 ――今シーズンお世話になった方、ファンの方へのメッセージをお願いします。 「ケガもありながらここまで来られたのはファンの皆さんや先生方のおかげかなと思っています。これからもケガなく行きたいなと思っているので応援よろしくお願いします」 ――ありがとうございました。 [布袋和音] (写真は本人提供)READ MORE -
(42)シーズン後インタビュー 堀見華那
フィギュアスケート 2023.03.22掲げた目標の達成を目指して、今シーズンをひたむきに戦い抜いた。今年度の日本学生氷上競技選手権では20年ぶりにアベック優勝を果たし、チームとしても目覚ましい結果を残した。その中でも、近い将来を見据えながら歩み続ける選手もいれば、今シーズンでスケート競技から引退した選手もいる。それぞれが感じる思いを、選手の言葉を通じてお届けする。 (この取材は3月15日に行われたものです) 第12回は堀見華那(商2=愛知みずほ大瑞穂)のインタビューです。 ――今シーズンを振り返っていかがですか。 「今シーズンはシーズン序盤から足が痛いこともあり、なかなか調子を合わせることができず、ブロック(東京選手権)が始まる時に全然調子が上がってない状態でシーズンに入ってしまいました。なかなかうまくいかなかったのですが、足が少しずつ治ってきて動けるようになると東日本選手権(以下、東日本)では、少しだけですがブロックよりはいい演技ができました。自分の体の状態がうまくいかないことが多いシーズンだったなと思います」 ――体の状態が悪かった理由はございますか。 「我慢強いというか、少し痛くてもジャンプが跳べたら練習をしてしまっていて、完全に治っていない5月の時点で練習をしていました。その時に休んでもう少しいろいろな治療法をやっていればよかったかなとか思います。休まずにそのままきてしまったのが良くなかったと思います」 ――今の状態はいかがですか。 「シーズンの後半ぐらいからは痛いところもなくやれていて、今も全然痛いところはありません。今シーズンは今まで跳んでいた自分のジャンプの感覚がなくなってしまい、どうやってジャンプを跳んだらいいのか分からなくなってしまっていた時もあったのですが、毎日練習はやめないでやっていて、最近はけっこう良くなってきています。今シーズンの反省を生かして来シーズンに向けてやっているところです」 ――今はどんな練習をしていますか。 「今は前と同じように5種類の3回転ジャンプを跳べるように練習しています。今は3種類くらいが限度なので5種類に戻せるようにジャンプを重点的に練習しています」 ――今シーズンで一番良かった試合はありますか。 「ないですね」 ――こういうシーズンは今までにありましたか。 「うまくいかないことばかりで、すごくできたという試合が今シーズンは特にないです。練習ではできているのに試合ではできないとかではなく、練習でもできていない状態で試合に挑んでいました。これまで練習ではできるけど、試合で緊張してしまってということはあったのですが、練習でもできてないので逆に割り切ってやることを覚えました。東日本のSP(ショートプログラム)で1本目のループが跳べたのですが、試合の4日前ぐらいに少しループが飛べるようになって曲でもあまり入っていなかっのですが、もうここでやるしかないという気持ちでやったら跳べたので、それは良かったところです」 ――今シーズン成長した点を教えてください。 「スケーティングやステップを毎朝やっているのですが、滑りがつなげられるようになったというか、一個一個の動きが途切れずにつながってできるようになりました。あとスケーティングが滑るようになり、スケーティングの面ではけっこう成長したかなと自分で滑っていて思います。(ジャンプができない分スケーティングやったのでしょうか)そうですね、スケーティングにジャンプがついてくると、これまで跳べていた時よりももっといい風になるのではないかと今は前向きな気持ちでやっています」 ――来シーズンへの課題はございますか。 「一番は体が痛くならないようにすることと、ジャンプの確率を上げて自信を持って試合に挑めるようにすることです」 ――来シーズンのプログラムは決まっていますでしょうか。 「SPはそのままでFS(フリースケーティング)は変えます。曲は決まっていますが、振り付けはまだです」 ――SPを変えない理由はございますか。 「今の曲を表現するのが難しくて、動きの緩急が最初は全然うまくいかなくて、先生にもっと真面目に踊るというよりは、少し抜け感がほしいと言われてそこが難しかったです。シーズン後半になって滑り込んでくると、少しうまくなってきたので今シーズンあまり表現できなかった部分を来シーズンもう1回やっていいものにしたいなと思いそのままにしました」 ――FSを変える理由はございますか。 「もう2年やっていて、気が付いたら大学があと2年になっていて、曲を使うのもあと何個なんだろうという風に思って新しいのにしようかなと思いました」 ――明治×法政 ON ICE 2023(以下、明法オンアイス)の運営で大変だったことはありますか。 「まず明法オンアイスを運営したことがなかったし、昨シーズンは右も左も分からないまま出るだけで終わってしまいました。今回はそれを動かす、運営に回るということでどこから手をつけていいのか分かりませんでした。でも法政や明治の先輩が助けてくれて、一応やることができました。一番大変だったこととしてお客さんが入るということがけっこう大きかったです。昨シーズンはお客さんを入れなかったのですが、今シーズンは定員500名というお客さんを入れることになりました。先着順で受け付けて、その500名にメールを送って名簿を作ってスムーズに入場ができるように考えたり、みんなが忙しい中でも1カ月に1、2回とか集まる時間を設けて話し合ったりというのが大変でした。ですが、今思ったらいい経験になったと思うし、なかなかできないことだと思うので、これからにつながるいい経験だったと思います」 ――運営してみていかがでしたか。 「楽しかったです。どうやったらお客さんに楽しんでもらえるか、最後の舞台という人が多い4年生の最後にふさわしい会にどうやったらできるか、ということをすごくたくさん考えて、法政の人ともたくさん話し合ってというのは大変ではあったのですが、とても充実していて楽しかったです」 ――グループナンバーはどこから案がきましたか。 「『やりたいね』という話はしていたのですが、なかなかみんなで集まる時間も取りづらいし、グループナンバーのために集まってくれるかなと思っていました。来てもらう人に『どういうことをやってほしいですか、見たい企画はありますか』というようなアンケートを取りました。すると、グループナンバーや普段では見ることのできないペアの演技、コラボが見たいという声が多かったです。やっぱりそういうのを見たい人がいっぱいいるんだと思い、曲は光翔くん(大島光翔・政経2=立教新座)に相談して、どうしたらいいと思うというのをいろいろな人に相談しました。運営側がやろうという気持ちになってみんなを引っ張ってグループナンバーやりたいって気持ちにさせたら絶対やってくれると思っていました。お客さんに見てもらいたいし、みんな振り付けを覚えるのが早いし『1、2回の練習があればできると思います』と言いました。1回目の練習は夜遅い時間だったのですが、ほぼ全員が参加してくれてみんなで作り上げることができました。明法オンアイスでないと絶対にやらないことだから、個人競技としてはすごくいい時間でした」 ――大学生活を振り返っていかがですか。 「学校生活はすごく充実していました。あっという間に2年生が終わってしまいました。学校に行って友達と普通に授業を受けて、授業を午前と午後で分けていたのでご飯食べることはあまりなかったのですが、授業で会う友達としゃべったり、一緒に帰り道帰ったりすることが1年生の頃よりはたくさんありました。でも学校に行くと疲れてしまうので、学校とスケートをしっかりと両立させるのは難しいなと思いました」 ――一番の思い出を教えてください。 「ゼミ合宿が楽しかったです。ゼミは一般生の子ばかりで、でも英語が堪能な人とかいろいろな人がいて個性あふれるゼミです。その人たちと話すのも楽しいし、ゼミでたくさんプレゼンをするのですが、みんなでプレゼンを作り上げていったり、花火をやったりしたことがすごく楽しかったです」 ――来シーズンの目標を教えてください。 「やはり全日本選手権(以下、全日本)に行きたいという気持ちがあって、行けないと思ってもないので、調子を上げて全日本に行くっていうのが目標です。あと2年しかないので、本当に心を鬼にして自分を追い込んで練習して全日本に行きたいです」 ――ありがとうございました。 [堀純菜] (写真は本人提供)READ MORE -
(41)シーズン後インタビュー 佐藤伊吹
フィギュアスケート 2023.03.22掲げた目標の達成を目指して、今シーズンをひたむきに戦い抜いた。今年度の日本学生氷上競技選手権(以下、インカレ)では20年ぶりにアベック優勝を果たし、チームとしても目覚ましい結果を残した。その中でも、近い将来を見据えながら歩み続ける選手もいれば、今シーズンでスケート競技から引退した選手もいる。それぞれが感じる思いを、選手の言葉を通じてお届けする。 (この取材は3月1日に行われたものです) 第11回は佐藤伊吹(政経4=駒場学園)のインタビューです。 ――競技生活の中で一番いい印象に残っている試合を教えてください。 「大学3年次の全日本選手権(以下、全日本)です。それまでの全日本で思った通りの演技ができていなかった中で、ようやくいい演技がSP(ショートプログラム)とFS(フリースケーティング)そろえられたという意味で力を出し切れた試合だったので一番いい印象に残っている試合です」 ――ノービスの時代を振り返っていかがですか。 「ノービスは全体的にいい印象が私の中には残っていて、花絵先生(横谷花絵コーチ)のもとでジャンプをすごくやっていたから、全日本ノービス選手権でもいい成績が取れたし、単純に楽しく上を目指して頑張っていたので、それはすごくいい印象に残っています」 ――スケートをやってきた中で挫折はありますか。 「ジュニアの2、3シーズン目は全然結果が出なくて今思い返すとよく毎日練習してたなと思います。やめたいなとは思わなかったんですけど、やっていて楽しくないし、何よりけっこう自分の限界というか、試合に出てもこれぐらいだろうなというのがすごく見えて感じてしまっていたことがつらかったかなという記憶です」 ――どうしてやめようとは思わなかったのでしょうか。 「飽きない、飽き性の逆なんですたぶん。スケート以外に関してもけっこうそうで、なんでもずっとできるタイプだから、そこでやめてもまたたぶんどうせやる、というかやりたいなってすぐ思うだろうし、割と頑張ることは好きだったので、試合より練習が好きって感じだったのでなんとか耐えてたかなという感じです」 ――シニアに上がって初めて出場した全日本はいかがですか。 「小さい時から目標の舞台だったから、それだけ大きい試合に出て本当にたくさんの人に見てもらえたということが、そこからの自分のスケートをやっていく上での一番のモチベーションになる試合でもあったので印象に残っています。というのと、自分でそれまですごく頑張ってきて全日本に出られたんですけど、それでも全日本の中ではすごく下の方だったのでまだまだこれからやることはあるし、もっと頑張らなければという意味で悔しさと出られたうれしさというのをどちらも感じた試合でした」 ――そのシーズンを今振り返っていかがですか。 「ジュニアからシニアに上がったシーズンでそれまであまり結果が出なかったけど、シニアに上がったことで割と吹っ切れたというかあまり周りや順位を気にせずにシニアのみんなの中に入っていけたからうまく行った部分はあったかなと思っています。今思い返しても毎試合ミスが少なかったし、いい思い出が多いシーズンだなと思います」 ――大学1年次を振り返っていかがですか。 「毎日学校に行って毎日学校の合間に朝昼夜練習して、何往復もしていて今考えるとよくできたなと思うのと同時に、対面で行けたのがほぼ1年生だけだったのですごくいろいろな人に会えて楽しかったし、充実してたという感じです」 ――2年次を振り返っていかがですか。 「片手で数えられるぐらいでしか学校には行ってないし、スケート場も数カ月閉まっていて、スケート人生で初めてこんなに休んだというぐらい滑ることのできない状況だったから今までにないシーズンというか、そんなに滑らないままシーズンが始まっちゃった感じだったのでそこを調整するのは難しかったと感じました」 ――氷に乗ることができないことへの不安はありましたか。 「ありました。ですが、神宮に関してはみんな同じ状況ではあったし、しょうがない状況だったからその時にできることをとりあえず全てやって、氷に乗った時どうかは分からないけど、今やれることをやるしかないなという感じだったし、割と私はポジティブだったから平気でした」 ――リンクが開いて実際に氷に乗ってみていかがでしたか。 「おもしろい感覚でした(笑)。ああ全然違うなって思ったのと、本当に上達するのはすごく大変だけど下手になるのはめちゃめちゃ早いなって思いました(笑)」 ――大学3年次を振り返っていかがですか。 「3年の夏過ぎぐらいからは就活と共にスケートをやっていた感じなので、就活をしながらスケートをしていた時が人生で1番ぐらい忙しいなって思った期間だったので、すごく大変だったけど結果が出たから本当に良かったっていう印象です」 ――そんな中で結果を出せた理由はありますか。 「それがけっこう私も分からない部分ではあるんですけど、就活をして視野が広がったというか、自分が知らない世界をいろいろ見たことでスケート一点集中っていうこれまでの十何年だったのが、少し感じが変わったような気がします。スケートに集中するのはすごく大事だけど、それだけではないいろいろな新しいことを知ることがまたスケートにプラスになるということを感じました。逆にいいバランスでスケートと違うことをバランスをとりながらできたのが良かった、それまでのシーズンと違ったことだから良かったかなと思います。でも忙し過ぎてかなりつらかったなって記憶もあります(笑)」 ――4年生、今シーズンを振り返っていかがですか。 「考えなくても最後のシーズンだと思ってしまう部分はありました。でも、だからすごく頑張るというよりもこれまでも自分のベストの練習をして本番に臨んできたから同じことをやるだけだなというのと、最後楽しく後悔ないように終わりたかったので、もう十分っていうぐらい練習して試合に臨めたのでそれは後悔なく今終われた結果かなと思います」 ――全日本はいかがでしたか。 「終わって悔しい気持ちは強かったです。けど全日本に行く前の練習では結果が本当にどうなっても後悔しないだろうなと思える練習を自分はできたので、後悔もないし悔しかったけどその結果なら受け止めようとけっこうすぐに思えました」 ――インカレではFSを滑りましたね。 「FSを滑る機会が最後に、なんとかそのシーズンの全日本の前の試合からいろいろ頑張って結果を出したからインカレにも選んでもらえたので、そこは頑張ってきて良かったな、FS滑れて良かったと思います。最後明治に入ったからこそインカレで終われて良かったなと思いました」 ――インカレにはこれまでも出場していますが、思い入れは違いますか。 「違いますね。今シーズンからインカレに出るメンバーが試合ごとにポイントがついてそのポイント順で全日本の結果とかに関係なく出られるとシーズンが始まる前に知った時に、シーズン前の状況を考えたらそのメンバーも含めて考えたら自分は到底インカレにはまだ遠い位置にいると思っていました。シーズン当初から考えたら出られるとは思ってなかった試合にこうやって最後出ることができて引退できたというのが一番うれしかったので、やっぱり諦めないでやってよかったなっていうのを一番感じたのが今シーズンでした」 ――最後全日本とインカレは有観客でしたね。 「うれしかったです。ブロック(東京選手権)とかもまだ無観客なんだって私は思ったんですけど、滑る前の出ていく時の拍手や歓声が一番背中を押してもらえるとこの2、3年で思ったので、それを感じながら最後滑る時にリンクに立てたのは幸せだったと思います」 ――大学に入って一番の思い出を教えてください。 「スケートに限らず言ったら、1年の時に週5回毎日ほぼずっと学校に行っていたことが今考えてもすごいなと思います(笑)。本当に大学生って忙しいんだなと思った記憶が強いです。でも楽しかったです。小中高大の中で大学が一番楽しかったなと思うのは1年生の頃があったからだと思うので、その毎日が楽しかったです」 ――明大に入って過ごした4年間を振り返っていかがですか。 「明治に入ってよかったです。それは二つあって、一つはいろいろな人と会えたことです。明治に入って他のスポーツも強い中で、スケートも勉強もどちらも頑張れる環境にあって4年間やり切ることができました。もう一つはスケート部、フィギュア部門が強い選手の集まりだったことです。その中でいかに結果を出すか、インカレの優勝に向けて自分がどう貢献するか、できるかということで、強い人たちの中でなんとか自分もその力、その人たちに引っ張りあげてもらいながら頑張れました。明治に入ったからこそ『インカレに向けて』とか『みんなで全日本に出る』とかそういったことを目標に頑張り続けられたなと思います。勉強との両立の面と、スケート部がすごく強かったという二つから明治で楽しかったし成長できたかなと思いました」 ――これまで関わった明大の先輩や後輩たちはどんな存在でしたか。 「先輩のスケートのことだけでなく勉強のことも頑張ることとか、スケートも本気で練習するという姿を見て私も明治に入りたいと思ったので、それはすごくお手本になる存在でした。後輩に関しては学部が同じ後輩だったら授業の部分を助け合うこともありましたし、先輩後輩関係なく上手な選手がそろっているのが明治大学だと思っているので、合宿とかも勉強になる点がたくさんあったし、それがすごく良かった4年間だなと思います」 ――フィギュア部門での一番の思い出を教えてください。 「明治合宿のリレーです。明治合宿はトレーニングの後にリレーをするのですが、この前の合宿のOBの方なども入ってやったリレーがすごく楽しかったので思い出に残っています。(みなさん足は速いですか)速いです。負けた方は罰ゲームをするので、それも含めて面白かったです」 ――今もスケートは好きですか。 「好きです。やっぱりおもしろいなと思うし、やることが尽きないなと思います。技術だけでなくて表現も重視する二面あるのがおもしろいし、いいなと思います」 ――ファンの方へのメッセージをお願いします。 「これまで見てくださって、応援してくださって、とても感謝しています。最後の演技を終えた時、17年フィギュアスケートに全てを懸けてきて本当に良かったと思えました。これから別の道でも頑張っていきます。本当にありがとうございました」 ――ありがとうございました。 [堀純菜] (写真は本人提供)READ MORE -
(40)シーズン後インタビュー 堀義正
フィギュアスケート 2023.03.21掲げた目標の達成を目指して、今シーズンをひたむきに戦い抜いた。今年度の日本学生氷上競技選手権(以下、インカレ)では20年ぶりにアベック優勝を果たし、チームとしても目覚ましい結果を残した。その中でも、近い将来を見据えながら歩み続ける選手もいれば、今シーズンでスケート競技から引退した選手もいる。それぞれが感じる思いを、選手の言葉を通じてお届けする。 (この取材は3月4日に行われたものです) 第10回は堀義正(商3=新渡戸文化)のインタビューです。 ――今シーズンを振り返っていかがですか。 「ジャンプが戻り切らなかったのもあるのですが、スピン、スケーティング、ステップなどでも技術不足を痛感したシーズンでもあったので、反省点しか残らないシーズンでした」 ――シーズン前インタビューの際に『邁進(まいしん)』という目標を掲げていましたが達成することはできましたか。 「できなかったです。技術を追い求め過ぎてしまい自分を見失ってしまったというか、一つのジャンプをここまで戻したいというのはあったのですが、そこまで戻すにはどうしたらいいかと試行錯誤をし過ぎて、抜け出せなくなってしまったのが大きいです」――今シーズンの中で印象に残った試合はありますか。 「インカレです。自分は主務として同行させてもらったのですが、チームが一致団結しているのを感じましたし、男女アベック優勝というのは大きい功績だと思いました。リンクサイドから見ていて非常に印象に残っています」――シーズンを通して成長を感じた部分はありますか。 「一歩一歩の踏み出しが大きくなったところです。スピンのスピードのつけ方を一新して、基礎の細かい部分で成長を感じました」――シーズン前にFS(フリースケーティング)のプログラムを変更しましたが、その点に関してはいかがですか。 「心機一転、新しい表現方法として身に付いた部分が多かったです。ですが、まだ曲にのまれているという感覚があります。曲に乗せて自分が表現しているというよりも曲に踊らされているという感じで、まだ滑り切れていないプログラムかなと思います」――スピン、ステップも変更しましたが、その点に関してはいかがですか。 「元々スピンが得意ではないので、その中でどうレベルを取れるのかをコーチと試行錯誤してきました。シーズン序盤は全くレベルを取れなかったのですが、シーズン中盤になるにつれてレベルを取れるようになってきて、自分の中では成果だったかなと思います。しかしレベルが上がっていくにつれてスピンが複雑になってきて、自分の中でマイナスが目立ってきてしまったので、来シーズンはマイナスを減らせるようにしていきたいです」――オフシーズンに修正したい部分はありますか。 「今挙げた中ではジャンプです。自分の強みはジャンプなので高さを生かしたジャンプを戻したいという気持ちは大きいです」――来シーズンの目標をお願いします。 「トリプルアクセルを戻します。今、軸がバラバラになってしまっているのでそこを安定させたいです」――新たに挑戦したいことはありますか。 「FSのプログラムは継続でSP(ショートプログラム)を変えたいと思っています。FSは自分の中で表現を満足にできていないので、もう1年という気持ちがあります。SPは2年使っていますが、楽しく滑れていて全日本選手権もこれで出場することができ、やり切った感じがあるので、変更しようと思いました」 ――来年度、主将としての意気込みをお願いします。 「主将としての太一朗くん(山隈太一朗・営4=芦屋国際)の背中を見てきた1年で、自分も大きい背中でついてこいという感じにはできないのですが、ムードメーカになって各試合でチームの士気を高めていけたらなと思います」――ファンの方へメッセージをお願いします。 「先日行われた明治法政オンアイスにお越しいただきありがとうございました。ツイッターを見ていても有観客にしてほしいという要望がありましたし、自分のDMにもきていたので叶えることができて良かったです。『いいショーでした』という声が自分のところに届いて励みになりましたし、モチベーションにもなりました。今シーズンはいい姿を見せることができなかったので、来シーズンこそご期待に応えられるように、プログラムを一新して臨むシーズンとなりますが応援よろしくお願いします」 ――ありがとうございました。 [冨川航平] (写真は本人提供)READ MORE -
(39)シーズン後インタビュー 山隈太一朗
フィギュアスケート 2023.03.19掲げた目標の達成を目指して、今シーズンをひたむきに戦い抜いた。今年度の日本学生氷上競技選手権では20年ぶりにアベック優勝を果たし、チームとしても目覚ましい結果を残した。その中でも、近い将来を見据えながら歩み続ける選手もいれば、今シーズンでスケート競技から引退した選手もいる。それぞれが感じる思いを、選手の言葉を通じてお届けする。 (この取材は3月8日に行われたものです) 第9回は山隈太一朗(営4=芦屋国際)のインタビューです。 ――明治法政 on ICE 2023を終えての今の心境はいかがですか。 「明法は本当に後輩たちがよく頑張ってくれて素晴らしいショーになったなと思っています。やはり入場が少し遅れてしまったり僕の演技でちょこちょこトラブルがあったりはあったのですが、お客さんを入れて関係者もたくさん入れて、なおかつ今年度からグループナンバーを取り入れたりとか、新しい試みが多かったですね。運営側に関しては、昨年度までは4年生が主体で動いていたのですが、やはり4年生が主体で動くと次の年いないわけで。4年生がいないとまた一から物事のイベントを作らないといけないし、僕らOBになっていくのですが、OBは仕事が忙しかったりしてなかなか手が回らなかったりするとなると、どうしてもイベントの運営が進まなくなってしまうというのを感じていたので、今年度からは本格的に3年生、明治だったら2年生の堀見華那(商2=愛知みずほ大瑞穂)ちゃん含め、進めてもらうようにしました。僕とかもサポートの立場でいたし、ほとんど彼らがやってくれました。それでまず有観客での開催までこぎつけているので僕は開催しただけですごいなと思いますし、そこからショー自体もすごくクオリティの高いものになったと思います。もっともっといろいろなことはできると思いますが、自分たちの良さをしっかり出していけたかなと思います。僕個人に関しては、むしろトラブルがあってくれてよかったなと。あれのおかけで会場がすごく温かくなったと感じましたし、最後盛り上がって、光翔(大島光翔・政経2=立教新座)と僕のステップがあって、グループナンバーで僕が主演みたいなことをさせてもらって、最後ずっと会場が温かくて、自分が最後の時にこんなに会場が盛り上がってくれて温かい中で見送ってもらえて、幸せなショーだったなと思います」 ――今年度から下級生が主体で進めるという案は山隈さんが考案したのですか。 「そうですね。僕が主将になったタイミングで絶対にやろうと思っていたことの一つで、仕事を振るというのは明治大学のフィギュア部門に関してはうまくできていませんでした。すごく優秀な先輩が何人かいたおかげで組織として回っていたみたいなところが少しありました。そこをどうにかして変えたいと思っていたので、特に明法は僕も昨年度ドタバタで運営をお手伝いしていたので、このイベントを開催する大変さは身に染みてよく分かっていました。だから最初から3年生にしようと思っていたし、かなり早い段階、昨年度が始まってすぐくらいには、早め早めに動いてもらいました。だからこれだけの規模でのショーができたのかなと思います。これは僕がやりたかったことなので、うまく行ったかなと思います」 ――人に仕事を振るのはなかなか難しいことだと思いますが、主将を経験された山隈さんから見て、上に立つ仕事をするにはどのようなことが重要だと思いましたか。 「大変だとは思いますが、なるべくたくさんの人を巻き込んだ方がいいかなと思います。全て自分でやるのは自分の仕事量自体は増えるけど、全て自分の責任だからすごく楽です。でも組織をうまく回すという意味では、みんなを使った方がいいです。それで、みんな帰属意識ではありませんが『自分も部の一員なのだ』という意識が芽生えて結束につながると思うので、とにかくたくさんの人を巻き込めるように、たくさん仕事をみんなに振るというのはすごく大事だと思います。あとは競技面、学校生活でも自分がまず文句がないような模範的な生活をするというのはすごく大事だと思うので、僕も単位を落とさないようにしていました。競技に関して、やはり結果というのは努力が報われるものではないですが、ただ、努力をすることは大事だと思うので、自分にとって常にベストな練習をするように心がけていました。普段の生活からしっかりするということといざ主将として仕事をするとなったら、うまく人を使えるようにするということが大事だと思います」 ――数人ではなく、なるべく多くの人を使うということですね。 「もう絶対たくさんの方がいいです。数人だけだと、その数人しか動いていないから周りの人たちは『あの人たちがやってくれる』と思ってしまう。誰かがやってくれるという意識になったら誰もやらなくなるので、結果的にはやることの規模もどんどん狭まってしまいます。みんなが能動的に動く状態がベストだと思うので『あの人たちがやってくれる』という意識をなくさなければいけないと思います。後輩たちが『これしなくていいですか、あれしなくていいですか』と言ってくれる状況が理想ではあります。なかなかそこまでは作れないし理想だとは思っていますが、やってくれた子もいます。その状況を作れたらリーダーとして素晴らしいのではないかなと思います」 ――部を発展させていく中、後輩との関わりで印象に残っていることはありますか。 「1年生3人は、僕が進める部練だったりたまにやるミーティングだったりとかにできるだけ出席してくれました。もちろん彼女たちは海外試合とかもありますし毎回は厳しかったですが、出られるときは毎回来てくれました。今一番いい成績を出している彼女たちが、部に対して真摯に取り組んでくれているということがとても大事なことでした。1年生に部というものをしっかり示せたのはよかったなと思います。あれだけ素晴らしい彼女たちが入学当初から、部活動というものを意識させることができたというのはすごく大きなことだと思っています。自分が入ったときは、部はそんなにバラバラだったわけではありませんが、部練があったわけでもなくて部活動がなかなかなかったので、部という意識を持っていませんでした。一番きつい時に彼女たちが入ってきてくれてこれだけやってくれたというのは、将来的にどれだけやってくれるのか楽しみですね」 ――今シーズン全体を振り返っていかがですか。 「今シーズンは、引退すると宣言して臨んだシーズンだったので、前半は怖かったです。今シーズンもし取返しのつかないようなミスをしたら、もう二度とやり直せないのだと、引退を宣言したのに撤回するのは、僕のポリシーとして少し嫌でした。だから辞めると宣言した以上は『男に二言はない』と言うように、今年度でやり切らなければという気持ちがありました。でも、東日本選手権(以下、東日本)が今年度は4枠しかないというところで本当に緊張しましたし、あそこが今シーズンで一番苦しかったところでしたが、そこを乗り越えて、最後全日本選手権(以下、全日本)くらいからはいい思い出しかありません。幸せをずっと感じられたシーズンでしたね。自分の最後ということでいろいろ人がすごく大きな愛を持って僕を見てくれているのが分かったし『この人の演技はこれがラストなのだ』と見るみんなの目が本当に温かくて、今年度は今までの試合に比べて全ての試合が、意味合いが強くてすごく楽しかったです。東日本だけは本当に死にそうなくらい緊張しましたし、光翔とかも昼食に何を食べたか分からないというくらい緊張していたという話を二人でしていました。個人的なベストパフォーマンスは全日本でした。全日本のパフォーマンスはスケート人生でベストだと思うし、演技をしながら『ああ、この演技はもう超えられないな』と感じられた試合でした。すごく完璧で理想的な最後の全日本を過ごすことができて、そこですごく満足した分、その後の2試合はどうかなと思いましたが、一番難しかったのはインカレ(学生氷上選手権)ですね。自分のパフォーマンスとしては安定していたのですが、ミスも重なってしまって、結果を出しに行ってしまいました。でも優秀な後輩がいてくれたおかげで、4年間ずっと目標だったインカレの総合優勝ができたし、アベック優勝もできたし、結果に関しては申し分ない試合ができました。もう本当に嬉しかったです。国体(国民体育大会)に関しては、自分のパフォーマンスというより、これだけみんなに愛されていたのだと、すごく愛を感じられた試合でした。僕の理想の引退像は、みんなに惜しまれながら見送ってもらうことだったので、自分が思い描いていた理想の何百倍も素晴らしい引退ができたなと感じられました。ファンの人たちなどみんなが見に来てくれたリンクサイドの光景が忘れられないです。これだけの人が自分の最後の演技に集まってくれるのだと演技前から感動しました。演技中も、一つ一つの動き、要素全てにみんなからのすごい声援を感じられて、本当に幸せでしたね。全日本は、個人的なパフォーマンスの最高潮、なおかついろいろな方からのものすごく温かい雰囲気の中で演技をすることができました。国体は自分のパフォーマンスではなくて、周りの人からすごく慕ってもらっている、すごく愛されているなと感じられました。だから全日本と国体がスケート人生含めても一番印象的な試合で、一生忘れないだろうなと思います」 ――海外のショーの道に進むと決めた経緯を教えてください。 「僕も2年前は、就職すると言っていました。『この世界からは去ります!』と明言していたのですが、大学3年生ぐらいの時に本当にフィギュアスケートが楽しくて。大学に入ってから成績自体は落ち込んでいるし、結果としては毎シーズン苦しかった。でもそれに相反するようにフィギュアスケートの奥深さというものを感じていて、とても楽しかったです。で、自分の身体がどんどんよく動くようになっていったのを感じたし、自分のピークはまだまだ先なのではないかというのをすごく感じていました。よくスケーターで体力が衰えたとか、どんどんしんどくなってくるとか動かなくなってくるとかよく聞きますが、全く逆で、どんどん動けるようになってくるし、いろんな動きができるようになるし、まだまだ可能性を感じられて、フィギュアスケートの奥深さというものがまだまだあるのではないかとそう思えば思うほど楽しくて。そんな時にもう自分はあと2年しかないのかと考えると『いや、もったいない』とすごく感じました。この先もう一度スケートをやりたいと思っても、おそらく社会に出たら帰ってこられないと僕は思っていて、それなら僕の身体が動くうちにもっとやりたいだけフィギュアスケートをやろうと思いました。でもそうすると、金銭的な問題が出てくる。自分の体一つで稼いで競技生活分の資金を調達できなればプロになろうと3年生の時にそう決心して、1シーズン過ごしました。結果的には、自分だけで十分な資金を調達できるだけの成績は残せなかったから、ショーの世界に入って、自分の身一つで、自分で仕事にしながらフィギュアスケートを続けようと思いました。就職は今難しい時代ですが、もしかしたらこの先もできる可能性があります。でもフィギュアスケートは今しかできないということで、昨年度の全日本が終わった後にショースケーターを目指そうと決めました」 ――ショースケーターとして目指す演技の理想像はありますか。 「ショーは求められているものが競技とは違っていて、分かりやすいところで言えば、ジャンプが7本もいらないんですね。4回転とか難しいことをやればいいというわけではないところ、あと世界観を作り出したり、表現だったり、そういう部分が僕にとっては強みなので、それが生きるのはショーの方だと思うので、その強みをまず生かしたいです。また、グループの中でいかに目立つかということが大事で、表現や雰囲気でお客さんに伝えるというところで勝負できる世界です。まずはショーを良いものにするという意識で、なおかつ自分が一番輝くようにと思うことが必要なのかなと思います。誰も僕の事を知らないけれど、ショーで僕を見た時に『あ、この人いいな』と印象に残るような、何にも知らない人が見て『なんだかいいな』と印象付けられるスケーターになりたいです」 ――山隈さんの語彙力と言語化能力はどのようにして培われたのですか。 「語るのが好きなんですよ。しゃべることが大好きで、放っておいてくれたら永遠に話しているくらい好きです。インタビューがどうしても長くなってしまうのですが、とにかくたくさん話しているし、語るのが好きだし、しょっちゅういろいろなことを考えています。それをうまく話すにはどうすればいいのだろうとすごく考えていて、考えながら話すというのを常にやっています。いろいろな映画とかドラマとかの言い回しで、分かりやすいものがあったら『これ分かりやすいな』と思ったりなど、ずっと頭を回転させているというのはあるのかもしれないですね」 ――山隈さんにとってスケートとはどのような存在ですか。 「ここ19年間は、フィギュアスケートから離れたことがなかったし、それが全てだったので、本当に人生ですよね。スケートこそが。この先もずっとフィギュアスケートがいろいろな行動の礎になってくると思うから、本当に僕の人生そのものだろうなと思います」 ――スケートから学んだこと、成長したことはありますか。 「演技面だと、どう相手に伝えるかで一番大事なのは気持ちですが、それを体現するための技術も必要ということで、技術と感情のバランスがとても重要だなと思いました。どちらが自分にとって足りていないのかをきちんと分かって練習することで、自分のやりたいものに近づけるということが分かったので、まずは分析することが大事だなと思いました。分析することが他のことにいい形でつながってきているなと思います。それこそ言語化能力も最初は分析することから始まったというのもあるし、技術などを誰かに分かりやすく伝えるというのはすごく自分にとっても勉強になることで、それをし始めてからいろいろな人としゃべっていて有意義な話をしやすくなりましたね。スポーツですから結果が良い時も悪い時があります。僕の場合はほとんどのシーズンが悔しいなと思って終わっていましたが絶対そこで諦めないとか、逃げずになぜ駄目だったかを分かってもう一回チャレンジするというチャレンジ精神みたいなものは養わせてもらったし、フィギュアスケートを通じていろんな国に行ったりいろんな文化の人と触れ合ったりすることができて、そのおかげで広い視野でいろいろな物事を見ることができるようになったので、フィギュアスケートをやったおかげで人間的な広さみたいなものを学ばせてもらいました。それにファイターの心というか、とにかく戦う心、いろいろな物事に対して諦めずにどうすれば状況がよくなっていくのか常に模索するという前向きな姿勢が身に付いたし、僕の今の性格はほとんどフィギュアスケートによって培われてきたと思うので今の自分があるのはスケートのおかげだなと思います」 ――同期の4年生にメッセージをお願いします。 「僕の同期は本当にキャラクターが濃くて、フィギュアスケートのレベルもすごく高くて、なおかつ単位もしっかり取っている人たちだったから、自分にとってはすごい存在でしたね。本当に面白い同期だったなと思うし、彼女たちと関わることでいろいろなことを勉強させてもらったので、同期として一緒に卒業してくれてありがとうと言いたいです」 ――後輩へのメッセージをお願いします。 「後輩に恵まれたなと思っていて、彼らのおかげですごく楽しい明治大学スケート部の1年を過ごせました。今年度のメンバーは一緒に集まる機会が多くて、すごく楽しい思い出がたくさんあって、スケートのレベルがすごく高くて、合宿をしていてもすごく刺激を受けたし、駿(佐藤駿・政経1=埼玉栄)の4回転なんかは世界的にすごいですから、それを間近で見られてうれしいですし、後輩たちみんなの性格もすごく真面目で、部に対して真摯で、彼らのおかげですごく楽しくこの1年を過ごせたのでありがとうと言いたいですね」 ――お世話になった方々へのメッセージをお願いします。 「すごい数の人にお世話になったし、みんなのおかげで今の僕があります。まずはどんなに調子が悪くてもどんなに朝が早くてもどんなに夜が遅くてもずっと送り迎えしてくれた自分の母親と、ずっとフィギュアスケートをやってなおかつ東京の大学に行ってとすごくいろいろ大変だったけど常に支えてくれた父親、もう本当に両親には感謝してもし切れないし、ここから少しでも恩返ししていけたらなと思います。これまでお世話になったコーチ、僕は本当に面倒くさい生徒で、こだわりも強いですしうるさいですし、大変だったと思うけれど、それでも僕を捨てずにずっと根気強く向き合ってくれてそのおかげで最後までスケートをやり切ることができたので、本当にありがとうございます。それからファンの皆さん、常にいい成績を出していたわけではなくて、たまに宝くじが当たるくらいの確率でいい試合をするのですが、それくらいの確率でしかいい試合がないのにこんなに応援してくれて、良い時も悪い時も常にみんなが応援してくれたから頑張れました。みなさんの前で滑るのが自分の一番のモチベーションで、みなさんの声援のおかげで幸せにスケートできたので、感謝しています」 ――ありがとうございました。 [布袋和音](写真は本人提供)READ MORE -
(38)シーズン後インタビュー 松原星
フィギュアスケート 2023.03.19掲げた目標の達成を目指して、今シーズンをひたむきに戦い抜いた。今年度の日本学生氷上競技選手権では20年ぶりにアベック優勝を果たし、チームとしても目覚ましい結果を残した。その中でも、近い将来を見据えながら歩み続ける選手もいれば、今シーズンでスケート競技から引退した選手もいる。それぞれが感じる思いを、選手の言葉を通じてお届けする。 (この取材は2月27日に行われたものです) 第8回は松原星(商4=武蔵野学院)のインタビューです。 ――明治法政on ICE 2023(以下、明法オンアイス)がありましたが、本番を終えてみていかがですか。 「長い間、東伏見のリンクで練習していたので、最後の演技をあのリンクでできたのが一番うれしかったことかなと思います」 ――演技が終わった後、たくさんのお客さんを見て何か感じたことはありましたか。 「あのリンクでお客さんがたくさん入っているのは久しぶりのことだと思うので、すごく人がいっぱいいるなと感じました。大人数いるのはブロック(東京選手権)や東日本選手権(以下、東日本)などなので、コロナ前の感じに戻った気がしてうれしかったですね(バナーもありましたね)やはりうれしいですね。全日本選手権(以下、全日本)とかだと少し遠くて、視力が悪いのもあって『あそこにあるかな?』みたいな感じになってしまうのですが、東伏見だと近いのですぐ見つけられて、うれしかったです」 ――ご家族は明法オンアイスを見に来ていましたか。 「母が見に来ていました。(お母さまから何か言葉を掛けてもらいましたか)『意外ときれいだったよ』みたいなことを言っていましたね。あまり褒めない人なのですが、きれいだったらしいです(笑)。19年なんとか終えたね、終わってしまったのだねという感じでした」 ――全ての競技会や本番を終えてゆっくりと時間を過ごすこともできたと思いますが、どんな感じがするのですか。 「これまでケガをして休むこともあって、数カ月休んだこともあったので、スケートがない生活が変というわけでもなくて。ケガをしていた場合はリハビリに行ったり、絶対遊ぶことはなかったですね。逆に1日中スケートのことを考えていて、普段より考えている期間なのかな。でも、今の何も考えない日々、物足りなくないですね(笑)」 ――国体が最後の競技会でしたが、振り返っていかがですか。 「国体のSP(ショートプログラム)がルッツではなくてループでしたが、足をケガする前から、ジュニア時代にループが課題だった時から決められていなくて、転んだりパンクしたりが続いていました。ジンクスみたいなのがあってしっかりと降りたことがなかったので、国体でノーミスできたことがかなりうれしくて。あのサルコウ+トーも全盛期のサルコウ+トーに戻った感じがしていて。練習で超完璧なサルコウ+トーを跳んでいても、緊張して本番ではトーループが小さくなっていたりしたので、本当に練習通りのサルコウ+トーがあの時出せたのかなと思います。FS(フリースケーティング)は、ループ+トーを跳んだり、なかなかやらないことをやったりリカバリーしたりと部分的には良かったですが、やはりサルコウ+トーを跳べなかったのがとても悔しかったです。国体のSPが自分の中で感動したかな。『わあ、できた』と久しぶりにうれしかったなという感じです」 ――国体のFSでのループ+トーループのリカバリーはとっさの判断で行ったのですか。 「とっさの判断だと思います。どこにでもトーループを付けることができるのが特技なので、と言ってもループ+トーを練習したことはほとんどなかったです。ジュニアの頃、先生に『全部のジャンプにトリプルトーループを付ける練習をしてみたら』と言われて、体力の面もあるしリカバリーの意味でもその練習をよくしてきていて、そういうのも生かされたかなと思いますね。ループ+トーは、全てのジャンプに付ける練習のときと『たまにはやっておいたら』というので跳んでいたくらいなので、本当にとっさの判断力で跳んだのだと思います」 ――今シーズンの全日本を振り返っていかがですか。 「全日本、ショート落ちしたと思っていました。ノーミスしないと通過できないと思っていて、レベルを下げているのもあって失敗した時点でアウトだなと思っていましたが、通ることができました。FSはループを久しぶりに降りてうれしかったし、まあまあまとめられてうれしかったですね。ジャンプで難易度の高いものはやってないので、いい演技がすぐ塗り替えられるといいますか、全日本でどうだったかより国体、直近の記憶の方が鮮明な気がします。国体のSPが良かったから自分の中で印象が強いのかもしれないです」 ――高校3年次に初めて出場した全日本を振り返ってみていかがですか。 「楽しかったです。SP落ちしたくない緊張感はあったし、体が浮いて、歓声がすごくてこれまでに経験したことがなかったです。歓声がすご過ぎて、緊張状態というかふわふわして足が浮き上がりました。本番も正直少し浮いていたと思います。後半グループで、緊張しているけれど6分間練習より演技の時の方が落ち着いていました。フラワーガールで滑っていた場所に自分一人で出ているんだという実感があって、緊張よりかは楽しかった記憶の方が大きかったと思います」 ――その時は東日本1位で初の全日本を決めましたが、その時点でうれしかったですか。 「念願の全日本だったので、ジュニア時代も全日本に行きたいと言って全日本ジュニア6位以内に入るのを目指していましたが、ことごとく逃していました。とにかく今年こそシニア1年目で全日本いくぞと思ってやっていたので、とてもうれしかったです。常に一歩足りない選手だったので、ようやく出られたと感じました」 ――これまでのプログラムで一番印象に残っているのはどのプログラムですか。 「『ファインディング・ネバーランド』になるのかな。ネバーランドの曲が大好きで。今はスケートを辞めてしまっているのですが、松野真矢子ちゃんがネバーランドをやっていて『いつか絶対に使いたい』と思ったんですよ。トリプルサルコウやトリプルトーループを跳ぶ子で、私の中では超お姉さんで、その子がネバーランドをやっていて、曲も振り付けも好きで完コピしてたんですよ。それで絶対いつかやりたいと思っていました。曲へのこだわりがあまりないのですがネバーランドはすごく使いたかったです。(2016シーズンにその曲を使っていたと思いますがその時期に使用した理由はありますか)そろそろいいかなと思ったのかな。あの当時はちんちくりんな動きしかできず、真矢子ちゃんは大人っぽくて。まだ早いと思っていて、でももう勝負のシーズンだったので。そのシーズンはすごく練習していたし、FSは曲が好きだからすごくかけていたし、いつまでたっても何度かけても飽きない、振り付けも好きだったし、とにかく好きでずっとそれはかけていました。練習でノーミスも結構していましたし、思い入れがあるかなと思います」 ――ご自身の中で、高校時代が勝負のシーズンでしたか。 「一番の勝負は高1から高2だと思います。ジュニアグランプリに出たいし、出たいからすごく練習していたし、それに出ないとトップに入れないという思いがあったので。それに出るためにがむしゃらにやっていました。どんなに頑張ってもあと一歩届かないし、ジュニアグランプリには出られたのに思い返せばすごく悔いの残る試合だったし、出られたのに自分の先を開けなかった、結局そこ止まりにしたのも自分だったし、悔しかったです。選考会に呼ばれて、そこから何人か選ばれてジュニアグランプリでいい成績を残して、それがつながっていくわけなので。つながるための大事な選考会で、選ばれなかったら何もならないので毎年それに懸けていました。毎年、一番緊張しました。最近はそういう選考会はなくてあっても微妙な立ち位置だったので、最近だと東日本が一番緊張していました。東日本と全日本のSPが緊張して。いつもSPが鬼門で、特にジュニアの時はSPで出遅れたら基本的に上がれなかったので、それで緊張していました」 ――高校2年次に補欠から繰り上げで出場したジュニアグランプリシリーズ・ポーランド大会の総合順位は6位でしたが、その結果はどう受け止めていましたか。 「ジュニアグランプリがトップ集団に入れるラストチャンスだったと思うのですが、そんなことも分からず出られることがうれしくて『ようやく出られるよ』と思っていたので、その時はスピンやステップのレベルを詰めていくとかそういうのも全然していなくて、とにかくジャンプをやるみたいな感じでした。本番はまずSPが駄目で。フリップでステップアウトしたのでコンビが抜けて、ルッツで転んだのでほとんど何も跳んでいないですね。そこで優勝してどうなるのかという話にはなるのですが、それでももう1戦出て、そうやって少しずつ積み重ねてトップ選手は上にいっているので、そういった土台の部分に少し足を踏み入れたのにモノにできなかったし、まさにチャンスを逃した、チャンスをモノにできなかった一番の試合だと思います。補欠でもせっかくジュニアグランプリに出られたのに、そこで何もできなかったです」 ――大学1年次は、ご自身で「忘れられない1年」と過去に話していました。 「捻挫をしてしまって。サマートロフィーの出発前日だったと思います。それまで少し足首が痛くて、トーループの付き方がずっと変で足首が痛かったんですよ。それで転んでしまって、人生初の捻挫だったので何が何だか分からず、まずトイレに逃げ込みました。『えっ、ぜんぜん歩けない』となって、次の日が出発で、サマートロフィーは棄権しました。その後も捻挫していてそれが大1の東インカレの後で東日本の少し前くらいの時です。東インカレ前はようやく左足がよくなってきて、練習しだして良かったんです。東インカレが終わって東日本が割とすぐに迫っていたのですが、そこからは全然思ったように戻らなくて。多分、変な転び方をして次は右足をやってしまいました。そこで捻挫して『あ、終わった』と思って、その事実は、心臓が10年くらい縮むくらいのことでした」 ――ブロック以降の大会を棄権する選択はしなかったのですか。 「やれば一応跳べたので。(痛みはありますよね)痛いし怖いしまたルッツでひねっちゃうかもしれなくて、ずっと怖かったです。やれば跳べるのに練習をうまくできない、けどでもやっぱり跳べるから試合で跳びたくて。それで練習しようとしてまたひねって、1週間休みみたいな状態を繰り返していました。あとは、大会でひねってしまったら動けなくなるという恐怖もありました。それでも、意外と大学1年のシーズンは良かったんですよ。インカレ、国体までしっかり出て。インカレが終わって国体に向かうときに『国体が終わればもう休める』と暗示をかけてやっていたのですが、どの大会の前も1回はひねっていたので、やってはひねってを繰り返していたら『もう治らないね』みたいなことを言われてしまって。休んだら治ると思っていたので大ショックでした。『えっ、この恐怖引退まで続けるの?』みたいに思いました。結果的には治ったと思いますが、右足はずっと緩くなっていたのかなと思います」 ――今までの戦績を見て、SPで後れをとったときにはFSでしっかりと巻き返すといった印象を受けました。 「それは懐かしい話ですよね。FSは絶対ノーミスが当たり前みたいな時期がありました。ジュニアグランプリの前の年くらいですかね。自分は追い込まないとできないし、練習で完璧でないと本番で出せないのが当たり前だと思っていて。練習でノーミスをたくさんしていたので本番で巻き返せるのは当たり前みたいな状態だったと思います。SPはずっと苦手でした。3本しかジャンプがないので緊張するし、跳べてもSPは自信がなかったです。でもFSで跳んで巻き返せていました。いつからそれができなくなったのでしょうか。ノーミスが貴重過ぎて。でも自分の中で、結構崩れないほうだとは思っています。『だってそれだけ練習してるもん』と思います。それなので崩れた場合はすごくショックで。『こんなに練習していて今回ぐちゃぐちゃになってしまって、なんで跳べなかったんだろう』と思います。実際に1回そうなったことがあって、ボロボロですごくショックで『あんなに練習したのになんで』みたいになって。それからFSの本番の自信がなくなったのですが、その後に割とすぐにFSノーミスができたので一瞬でスランプから抜けました」 ――『あんなに練習したのに』というのは、可能な時間は全て練習に費やしていたといった感じですか。 「曲かけをよくしていて、跳べるまで曲かけしていました。だから本番で跳べるという理論はおかしいですけどね。メンタルトレーニングもしてそれが効いたのもあると思います。本番で力を出せない子だったので、どうやったら本番で跳べるかみたいなその研究をずっとしていましたね。緊張で跳べないってどういう意味か。緊張に対してはよく研究していました。ジャンプも研究していて、中学高校の時は学校に行っても基本的にジャンプのことを考えていて、寝る直前まで『あのジャンプは……』みたいに考えていました」 ――頭で考えることも、実践することも何度もしていたのですね。 「そうですね。先生には『もういいよ、跳べてるから』と止められていました。いやでも違うんですよねと思って。10回やって1回失敗したらもう1回、10回連続で跳べないといやだみたいな。そうしないと本番に向かいたくなかったです。それくらいやらないと、自信がつかなかったかなと思います。練習で跳べないと本番で跳べない、でも練習量が本番につながるのかと考えてみてそれは違うかもしれないと思ったのはやっぱりケガがきっかけだったと思います。練習量はあまり変えなかったですが、本番で跳べるための練習、本番と同じ状況をつくった練習を大学生になってからよくするようになっていました」」 ――飽きるということはなかったのですか。 「ないんですよ。きれいにはまるまで永遠に続けるんですよ。1回跳べても『いやこれたまたまだな』と思っていて。逆に言えば、1発で決めるというのがなかったんですよね。10回連続で跳べたら本物と思っていました」――松原選手は3回転サルコウ―3回転トーループを強みにしていましたが、いつ頃から武器になりましたか。 「高校3年の頃だと思いますね。その時からSPをサルコウ+トーにしていて、それを一つ自分の強みにする決意はあったと思います。以前は、リカバリーでサルコウ+トーをやっているような状態で、フリップ+トーが跳べなかったら最後にサルコウ+トーを付けるみたいな。最初にサルコウ+トーをやったきっかけは1年生の全国中学校スケート競技会(以下、全中)の時かな。初めての全中でとある選手がやっているのを見て、あの時代はトーループ・トーループが主流だったんですよ。自分もトー・トーをやっていました。でもサルコウ+トーという初めてのものを見てかっこいいと思って、サルコウ+トーを練習し始めました」 ――サルコウ+トーは『かっこいい』と思ったところから始まったのですね。 「そうなんですよ。縦に跳んできて、自分が見ている方向に跳んできたんですよ。上から見ていて『なんだこれは』と思って。真っすぐ来たらトー+トーだと思うので『えっ、サルコウ+トーやった?』と思いましたね。そこから始めました」 ――大学2年次と大学3年次の全日本での目標は『SP、FSそろえてノーミス』でしたが、大学4年次になってノーミスという目標を掲げてはいませんでした。それには何か理由がありますか。 「ノーミスをそれほどできなくなったからだと思いますよ。大2の頃は練習で跳べなくなっていたので目標の意味を込めて常に言っていました。大3はなんとなく自分の中で跳べるようになってきて形になって、昔ほどではないけどノーミスもできるようになってきていたのでそれが一番の目標でした。昔からSPは駄目だけどFSはそれなりまとめるという状態で、両方そろえるのが常にできていなかったのでそれが一番の目標になっていました。大4になって、全日本前はケガをしている状態で、ノーミスと言ってもルッツとフリップを入れていない状態なので、ノーミスと言ったところでなんとなく不完全で。以前入っていたものが入っていなくて、ノーミスしても『やった!』などとはならないから言わなかったのだと思います。最後ですし、全日本という舞台も最後なので目標も変わっていったのだと思います」 ――スケート人生の中でつらかったこともあったかと思いますが、涙を流すことはありましたか。 「ケガでしょっちゅう泣いていました。からっとし過ぎて、普段泣くイメージはないと思いますが(笑)。最近だと、ブロックの後に捻挫して『東日本で終わっちゃうんだ私のスケート人生。人生終わった』と思いました。『19年続けて最後はこれか』と、1週間くらい泣き続けて、引退後くらいまでの涙は使い切った気がします(笑)。小さい頃は負けたから泣くとかあったかな……。母に怒られて泣くのはありましたよ(笑)」 ――ラストシーズンになって感謝の気持ちを伝えられるようにとよく話していましたが、それは達成できましたか。 「自分のできること、今の自分ができる最大限のことをするというのが母の教えで、ケガしたら仕方ないですしどうしようもないので、そこで自分がどうあがいて必死になって自分のできることをやって自分の目標にたどり着くかみたいなのが昔からあって、それを存分に発揮したシーズンでしたね。国体のループ+トーは母もしびれたと言っていた気がするのですが『どうせ練習してないのにああやって付けられたんだろうけど。あかりらしいよね』と言っていて。『最後までやることやって、そういうところも含めて星らしいシーズンだったんじゃない』という風には言ってくれましたね」 「自分がけっこう冷めている性格なので誰かの演技に感動することはなかなかないことだし、感動することがあまりない人生で。性格は内側のものなのでなかなか直らないものじゃないですか。自分のスケートを通して心を動かせることはすごくいいことだと、ラストシーズンで一番思いましたね。国体の演技を見て『泣いちゃったよ』と言ってくれて、でも自分は全然分からないといいますか、誰かを見て初めて泣いたのは永井優香ちゃんが引退した日で。急に涙が出てきて一番びっくりしていたのは優香ちゃんで(笑)。『あのあかりんが』という感じで、それくらいなかなか感情が出ない人なのですが。『泣いちゃったよ』と言ってもらえて初めてうれしいなと思いました。でも言ってくれるからこそ『自分、そんな演技ができてたのかな』と振り返ってしまうというか『ほんとに? あれでよかったのかな』と思ってしまいますね。(感じ方は見る人次第というところもあると思います)ずるいですよ(笑)。私はすぐ『あのジャンプは……』という方に走るので(笑)。完璧主義だけど基本完璧にできなくて、完璧にやろうとする主義でした。それができたらトップ選手になれたのかもしれないですね」 ――ラストシーズンはどんなシーズンになりましたか。 「一言で『ありがとう』ですね。関わったすべての人に感謝ということで。一番は両親、たくさんの先生たち、友達、仲間、応援してくださった皆さんにありがとうと伝えたいということでありがとうにしました」 ――お世話になった方々へメッセージをお願いします。 「19年間一番近くで支えてくれた両親もそうなのですが、本当にたくさんの先生方、仲間、応援してくださる皆さん、常にいてくれたからこの19年間最後まで諦めずに続けてこられたかなと思うので、本当に感謝の気持ちを伝えたいです。その思いでいっぱいです。本当にありがとうございました」 ――ありがとうございました。 [守屋沙弥香]READ MORE -
(37)シーズン後インタビュー 小川菜
フィギュアスケート 2023.03.18掲げた目標の達成を目指して、今シーズンをひたむきに戦い抜いた。今年度の日本学生氷上競技選手権では20年ぶりにアベック優勝を果たし、チームとしても目覚ましい結果を残した。その中でも、近い将来を見据えながら歩み続ける選手もいれば、今シーズンでスケート競技から引退した選手もいる。それぞれが感じる思いを、選手の言葉を通じてお届けする。 (この取材は2月22日に行われたものです) 第7回は小川菜(文4=新潟南)のインタビューです。 ――今シーズンを通しての感想をお願いします。「今シーズンは最後として本当に楽しいシーズンにしたかったのでそれは達成できたかなと思っています」 ――今シーズン、自分の中で一番良かった試合は何ですか。「一番良かったのは1月の日本学生氷上競技選手権(以下、インカレ)です。目標の大会だったので、予選からしっかり突破して最後のシーズンもインカレで滑ることができたのはすごく良かったなと思います」 ――今シーズンで成績関係なく一番印象に残っている試合はどの試合ですか。 「東日本学生選手権(以下、東インカレ)はどうしてもインカレに行きたいという気持ちが強く、1年の中では一番緊張する試合でした。東インカレは一番緊張していたし、しっかりやらなければという気持ちが強かったので、結果としてはしっかり予選を進めたのもよかったし、印象に残っています」 ――どんな部分がこの1年で成長できたと思いますか。 「この1年では本当に少しなのですが、昨年の途中で先生が変わってからスケーティングを重視する先生だったので、スケーティングをすごく強化するようになって、今まで以上にジャンプやスピンでなく滑りの面に注目してやるようになりました。そのおかげで今シーズンの得点ではジャンプ以外のところで伸びるようになったので、成長したなと思います」 ――シーズンを通して滑ってきたプログラムはいかがでしたか。 「ずっと使いたかった曲だったので、飽きることなく滑るたびに気持ち良くなりながらできたかなと思います」 ――今シーズンの練習環境はいかがでしたか。 「昨年の10月までは今の東大和のリンクではなく東伏見で練習していました。1年生の時に使っていた高田馬場のリンクが閉鎖してしまってから、2年生の時に移動した矢先に東大和のリンクが工事に入ってしまって、東伏見のリンクに行きました。その時は他のリンクにお邪魔する形だったので練習時間がすごく限られていて、去年の10月までは朝3時に集合して4時から練習みたいなハードなスケジュールでした。それが少しつらかったのですが、昨年の10月に元の東大和のリンクが再開してからは練習できないという不安がなくやりたいたいだけできたのがすごく良かったです」 ――大学との両立は大変でしたか。 「4年生なので授業はあまりなかったのですが、就職活動が4年生の初めから夏にかけてあったので、それとの両立が大変でした」 ――就職先はスケートと関係はありますか。 「スケートとは全く関係ありません。これからは他のことに集中しようかなと思います」 ――大学生活はこの1年いかがでしたか。 「学校に行っていたのは週に1回ほどでほとんど行っていなかったので大学の友達に会うことは少なかったのですが、卒業論文を書いたりして最後に大学生らしく勉強もできたかなと思います」 ――スケート人生で一番印象的な試合はどの試合ですか。 「大学1年生の時の関東学生選手権という試合です。1年生の4月か5月ぐらいで、大学生として本当に初めての試合でした。その時はまだコロナの前だったので、たくさん会場に人がいて、違う大学の人でも一緒に壁をたたいたり、大きな声を出して応援をしてくれたんです。そのようなことは今までの大会ではなく、大学生ならではの雰囲気だったので『大学生の試合はこんなに楽しくて温かいんだな』と感激しました」 ――今までで一番お気に入りのプログラムは何ですか。 「今の『Never Enough』も好きですが、1年生から3年生まで使った『戦場のメリークリスマス』が一番好きです。大学に入ってから上京してきて先生が変わったのですが、その先生が付けてくれた振り付けがすごく気に入っているのと、元から『戦場のメリークリスマス』という曲がすごく好きだったので、それが本当にお気に入りでした」 ――ここまでスケートを続けてきて自分の中で得られたものはありますか。 「あまり実感はありませんが、ここまで長く続けていることは他にあまりないので、うまくいかないときがあってもやめずに続けてこられたことは、継続力だったり諦めない気持ちだったり身にはなったかなと思っています」 ――今までのスケート人生で一番楽しかった思い出は何ですか。 「大学に入ってからは合宿が夏にあって、その合宿の中日に陸上トレーニングというのがあるのですが、その時に部員やコーチ、OGも含めてみんなでリレーで対決をするという行事があるんです。今まで地元でスケートをやっていたときは合宿では遊ぶということはなかったので、大学で先輩やOGの皆さんと一緒に最後にお遊びのような感じでリレーを楽しめて本当に良かったです」 ――明大スケート部の仲間たちとの思い出はありますか。 「最近はこの間の4年生としての夏の合宿がちょうど同期の岩永詩織(営4=明大中野八王子)の誕生日とかぶっていたので、4年生全員でサプライズでお祝いしました。仲のいい同期で良かったなと思いました」 ――4年間の学生生活を振り返っていかがですか。 「学生生活全体としては、スケート以外でも今まで出会ったことのないような人にたくさん出会う機会があったりしたので、本当に人に恵まれた4年間だったなと思います。大学の友達と出会えたのもよかったし、スケート部に入っていろいろな部員と仲良くなれたのが本当に恵まれていて幸せだったなと思います」 ――学校生活で楽しかった思い出は何ですか。 「所属しているゼミで卒論の提出が1月にあったのですが、提出した後に先生も含めてみんなで飲みに行きました。コロナ禍でほとんどそういうことがなかったので、最後に普通の大学生のように飲み会とかができて良かったなと思えたいい思い出です」 ――4年間で大変だったことはありますか。 「私はリンクを転々とした4年間だったので、1人暮らしで最初は高田馬場のリンクで、2個目は朝の3時に練習に通った東伏見のリンク、今ようやく落ち着いたのが東大和のリンクなのですが、その3カ所に毎回引っ越しをしたり、朝早くに練習に行かなければならなかったことが一番大変でした」 ――大変な練習環境でもスケートを続けられたのはなぜですか。 「コロナでリンクが閉まってしまったり、工事で違うリンクに移動して練習時間が少なかったりすると、普段毎日練習しているとたまに行きたくないなと思う時もあるのですが、休んだりすると『やっぱり滑りたいな』と自分の中で思うので、好きな気持ちを再確認できたり、根本として自分はスケートが好きなんだなと思えたのが大変でも続けられた理由だと思います」 ――卒業にあたって思うことはありますか。 「就職で同期の仲のいいみんなともばらばらになってしまうので、これでしばらく一緒にいられなくなってしまうなというのはすごく寂しいです。それでも部のみんなと出会えたことがすごく幸せですし、実力のある後輩たちも多いので、そういう子たちと少しでも関わりを持てたのがすごくうれしくて、これからも楽しみに見ようかなと思っています」 ――今まで応援してきてくださった方々に向けてメッセージをお願いします。 「私は5級で他の部員よりは実力も不足していますが、そんな私のことも拾って応援してくださる方もいらっしゃって4年間本当にうれしかったです。そしてもちろん素晴らしい部員とともに私自身のことを応援してくださったり、明治大学のスケート部のことを応援してくださって感謝の気持ちでいっぱいです。これからもどうぞスケート部をよろしくお願いします」 ――ありがとうございました。 [増田杏](写真は本人提供)READ MORE -
(36)シーズン後インタビュー 岩永詩織
フィギュアスケート 2023.03.18掲げた目標の達成を目指して、今シーズンをひたむきに戦い抜いた。今年度の日本学生氷上競技選手権では20年ぶりにアベック優勝を果たし、チームとしても目覚ましい結果を残した。その中でも、近い将来を見据えながら歩み続ける選手もいれば、今シーズンでスケート競技から引退した選手もいる。それぞれが感じる思いを、選手の言葉を通じてお届けする。 (この取材は3月2日に行われたものです) 第6回は岩永詩織(営4=明大中野八王子)のインタビューです。 ――明治法政on ICEを終えた今の心境はいかがですか。 「昨年度も滑らせていただいてはいたのですが、前は現役生として滑らせてもらったので全く気持ちは違うなという感じです。お客さんもたくさん来てくださっていて、お客さんの前で滑るというのはここ何年もできていなかったので最後の引退の場を温かく見守っていただけたことがとてもうれしかったです」 ――今シーズンを振り返っていかがですか。 「東日本学生選手権の直前にケガをしてしまっていい演技ができなかったのは悔しかったのですが、ローカル試合や大学の試合では毎回この試合に出るのは最後だという寂しい思いが強かったです」 ――スケート人生全体を振り返っての思いはありますか。 「本当に長い間滑ってきてここまで続けさせてもらったので、たくさんの方にお世話になったなと思っています。試合で結果を出したりはできなかったですが、毎試合、今できることを全力でという思いでやってきました。どんな時も楽しんで滑ることができたのは先生がいたからです。良い時も悪い時も一番近くで見守ってくれたことは感謝してもしきれないです」 ――春からスケートを教える仕事に就くとのことですが、教える立場として心がけていることはありますか。 「実は1年前くらいから教えたりしています。それをしていて思うのは、シンプルに物事を伝えてあげた方が良いなということと、スケート以外にも日常生活において必要なことを教えられたらなということです。シンプルに伝えるというのは、複雑なことを言うのではなくポイントで一番大事なことをまず伝えるということで、その方が吸収が良いなと実際に教えていて感じました。日常生活のことについては挨拶をきちんとする、荷物を片付けるなど外に出て恥ずかしくないようにさまざまなことに気を配ることができるような子にしてあげたいと思って、気付いたら少し言うようにしています」 ――スケートと学業の両立は大変でしたか。 「朝の4時から練習がある時があったのですが、夜2時くらいに起きて4時から滑って、その後大学に行くという生活が半年から1年くらい続いてそこが少しきつかったですね。他の子も同じ条件だとは思うのですが帰って寝てしまうことが多かったです」 ――どのようにして乗り越えてきましたか。 「みんな同じ時間にリンクで練習しているのですが、特に小学生や中学生、高校生は大学生と違って絶対に学校に行かないといけないじゃないですか。授業サボったりできないので、後輩たちの姿を見て『ちゃんとやらなきゃな』と思っていました」 ――5歳からスケートを始めたそうですが、これまでの17年間でスケートを辞めたいと思ったことはありますか。 「大学生になってからは落ち着きましたが、中学生、高校生の頃はたくさんありましたね。試合で結果を残せなかったり、滑る時間が長すぎて嫌になったり、先生に怒られた時などそう思いました」 ――その中でここまでスケートを続けてこられた原動力は何ですか。 「同じリンクで練習をしている、歳も同じくらいの子が何人かいました。その子たちも先生は違うのですがよく怒られたり『やめる!』と言っていたりしたのですが、今までみんなで続けてこられました。みんながいるからリンクに行こうと思えて、遊びに行っているような感覚の時期もあったので本当に大切な存在です。コロナでリンクが閉まっていた間も一緒にお散歩に行ったりちょくちょく会ったりしていました。みんながいたから長く続けてこられたなと思います。」 ――小川菜(文4=新潟南)さんとはどのような交流がありましたか。 「菜ちゃんが自分と同じコーチになったのが去年とかで、正直それまでは、会ったらすごく話しますが、練習の場所が違うのであまり会うことがなくて寂しかったです。今は私の実家から歩いて10分くらいのところで菜ちゃんが一人暮らしをしているので、何かあったらお互いにすぐに連絡をして、日用品の買い物を一緒に行ったり、ご飯を一緒に食べたり、スケートのことだけでなくいろいろとお世話になっている感じです」 ――同期の4年生とはどのような交流がありましたか。 「カテゴリーが違ったり練習するリンクが違ったりするのであまり頻繁には会えないのですが、会った途端におしゃべりが止まらないです。みんなすごく真面目でたくさん練習をしているのも知っているので、自分も頑張ろうとモチベーションにもなります」 ――スケートから得たもの、自分の人生に生かしたいことはありますか。 「飽きっぽいので、ここまで長く続けられたものがあまりないので、やろうと思えばしっかり続けられるのだなと自信になりました。諦めなければ良いことがあるというのは今後に生かせたらいいなと思います」 ――スケートは岩永さんにとってどのような存在でしたか。 「小さい頃から家が近いこともありリンクにいる時間や先生といる時間が多かったです。スケート以外のことはあまり長く続けてこられていないので本当に好きなことに出会えて良かったです」 ――お世話になった方への思い、メッセージをお願いします。 「小さい頃から本当にたくさんの方にお世話になりました。いろいろな場面で、スケートをやっていて良かったと思えるところがたくさんありました。これからは周りにいる方々やお世話になった方に少しでも恩返しができるようにさまざまな面で頑張っていきたいと思います」 ――ありがとうございました。 [布袋和音](写真は本人提供)READ MORE -
(35)シーズン後インタビュー 岡部季枝
フィギュアスケート 2023.03.17掲げた目標の達成を目指して、今シーズンをひたむきに戦い抜いた。今年度の日本学生氷上競技選手権では20年ぶりにアベック優勝を果たし、チームとしても目覚ましい結果を残した。その中でも、近い将来を見据えながら歩み続ける選手もいれば、今シーズンでスケート競技から引退した選手もいる。それぞれが感じる思いを、選手の言葉を通じてお届けする。 (この取材は2月22日に行われたものです) 第5回は岡部季枝(法3=新渡戸文化)のインタビューです。 ――今シーズンを振り返ってみていかがですか。 「今シーズンはシーズンが始まる前から腰の痛みに苦しんできたなと思います。その中でもできることを見つけて、東京選手権(以下、東京ブロック)ではレベルを落としてうまくまとめることができたかなと思います」 ――腰の状態はいかがですか。 「今治療中でしばらく休んでいて、来週あたりから徐々に復帰していく予定です」 ――ケガがありながらも1年間頑張ることができた理由はありますか。 「東日本選手権(以下、東日本)にしばらく出場することができていなかったのでそこまで進んだからには出場したいという思いが強かったからです」 ――今シーズンはSP(ショートプログラム)のプログラムを変更して臨んだシーズンでしたが、その点に関してはいかがですか。 「このプログラムが気に入っていて、自分なりにうまく表現するように心がけていました。来シーズンは表現力をもっと付けて、いい演技ができるようにしていけたらなと思います」 ――ルールの改正によってFS(フリースケーティング)の振り付けを変更しましたが、その点に関してはいかがですか。 「ステップをかなり変更したのですが、最初の頃はステップ自体に慣れていなくて、直前に変更したのでぎこちない部分もあったと思います。ですがだんだん滑っていくうちに自分のものになってきて、少しずつ表現を意識して滑れるようになってきたかなと思います」 ――シーズンを通して一番成長を感じた部分はありますか。 「プログラムのレベルを少し落として出場した東京ブロックで、うまくまとめることができたのが自分の中で大きいです。あまり練習できていなかった中でも戦略を練ってなんとか自分の力を引き出せることが分かったのでそこは良かったなと思います」 ――今シーズンの中で印象に残っている試合はありますか。 「東京ブロックです。直前はケガで思うように練習ができていなかったのですが、サルコウとトーループに技の難易度を落として試合に臨んで、なんとか東日本に進むことができたので良かったなと思います」 ――最上級生として迎える来シーズンはどのような1年にしたいと考えていますか。 「まだ実感がなくて不安なところもあるのですが、ずっと先輩の背中を追ってきたので、自分なりに最高学年としての自覚を持って行動できたらいいなと思います」 ――最上級生として来シーズンはどのようなチームをつくっていきたいですか。 「今までつくってきたものを守りつつ、自分は部長をサポートしていきたいです。その上でいい成績を残せたらなと思います」 ――来シーズンの目標をお願いします。 「来シーズンはケガをしっかり治して、再発しないようにケアをしながら東日本までいきたいと思います」 ――ファンの方へメッセージをお願いします。 「いつも応援ありがとうございます。今シーズンあまりいい成績を残すことができなかったのですが、来シーズン精一杯頑張りますので応援よろしくお願いします」 ――ありがとうございました。 [冨川航平]READ MORE -
(34)シーズン後インタビュー 大島光翔
フィギュアスケート 2023.03.16掲げた目標の達成を目指して、今シーズンをひたむきに戦い抜いた。今年度の日本学生氷上競技選手権では20年ぶりにアベック優勝を果たし、チームとしても目覚ましい結果を残した。その中でも、近い将来を見据えながら歩み続ける選手もいれば、今シーズンでスケート競技から引退した選手もいる。それぞれが感じる思いを、選手の言葉を通じてお届けする。 (この取材は3月2日に行われたものです) 第4回は大島光翔(政経2=立教新座)のインタビューです。 ――本題に入る前に、髪のことについてお聞きしたいのですが、何色に染めましたか。 「色はよく分からないです(笑)。パーマすることだけ決めて美容院に行って、1回ブリーチしたら明るくなって、これだったら犬と色を合わせようかなと思って合わせました。色をどうするか全く決めずに行ったので自分でも『こんな感じか』みたいに思っています。今、パーマがつぶれてきていて。(いつまで続けますか)分からないです。気分ですね。(周りからの反応はいかがですか)ただひたすら驚かれます。似合っているとかは何も言われたことないです。そんなもんだろうと思います(笑)」 ――それでは本題に入っていきます。今シーズンを振り返っていかがですか。 「自分が4回転をマスターできないままシーズンに入ったので、自分がやりたい4回転というジャンプが最後までできずにシーズンが終わってしまったのは、自分にとって我慢の年といいますか、耐え忍んだシーズンになったかなと思います」 ――ずっと心の中には4回転を跳びたいという思いがあったのですか。 「やはり僕自身挑戦したい気持ちが強くて、先生方からは習得するまではチャレンジはしないで安定を求めてアクセルで固めにいきなさいと言われていたので、自分の中では葛藤がありました。東日本選手権(以下、東日本)のFS(フリースケーティング)からは4回転をやっていないかなと思います」 ――安定を求めるのはシニアの中で戦うことが理由になっていますか。 「少しでも上の成績を目指さないといけない中で、中野先生が自分にアドバイスをしてくださって、どんな大技よりもスケートでの一番の武器はミスしないこと、いかにミスをせずに試合を終えられるかというのが一番大事なこと、難易度問わずミスをどれだけしないか、ノーミスするというのが一番の武器だと教わったので、それはそうだなと自分の中でも納得して、ノーミスの演技を目指そうという考えにシフトしました」 ――昨シーズンと比べてみると、まとまった演技をする印象を受けますが、そのあたりはいかがですか。 「その部分では自分の中でも成長を感じていて、昨シーズンに比べてエレメンツの難易度は変わっていないですが、昨シーズンの点数と比較しても平均点が伸びてきていると思っています。昨年度目標だった200点台が今年度は安定的とまでは言えないですが出せるようになってきているので、それは成長を感じたことですかね。エレメンツの安定感というところに重きを置いて毎試合臨んでいたので、それだけエレメンツに対する集中力は今までのシーズンよりも注意を払っていたのかなと思います」 ――年末の全日本選手権(以下、全日本)を振り返ってみていかがですか。 「SP(ショートプログラム)で自分の中での自信のなさ、今一つ自分に自信を持てずに臨んでしまってあのような形になってしまったのかなと思っています。苦手意識みたいなものがSPのミスの原因だったのかなと思います。それに対してFSはSPのミスがあった分、心も開き直って、思い切り自分の120パーセントの力を演技で発揮することができたので、自分の中でも納得いく演技ができたと思っています」 ――SPが苦手なのか、今シーズンのSPは上手くいかない部分があったのか、どのように考えていますか。 「今シーズンのSPに関しては全日本までは自分の中でうまくいっていたと思っていて、東京選手権と東日本の両方でほぼノーミスで70点台を出していたので、自分の中では自信を持っていたつもりでした。ですが、いざ全日本の舞台に立ってみると、過去2年の全日本の成績が頭をよぎって、過去2年間同じミスをして同じくらいの点数なのでそこを払拭しないといけないと考えているうちに、どこか頭の片隅に悪い記憶があったのかなと思います」 ――全日本12位以内を目標に掲げていましたが、総合14位で全日本を終えました。その結果自体はどのように受け止めていますか。 「それが今の実力といえば実力だったのですが、点数を見ても不可能な点数ではなかったので、やはりSPのミスだったりFSの細かいミスもそうですが、最後の最後で自分の詰めの甘さが出たといいますか、自分の力が足りないのだなと素直に感じました」 ――12位からかけ離れてはいない結果ですが、悔しさはありましたか。 「今見てみたら点数的には不可能ではないと感じる部分が多いのですが、実際に全日本の舞台であれ以上の点数を出すことができるかと考え直すと、全日本は特殊な舞台なので、そこで210点以上を出すのは今の自分の実力では無理だったのかなと思います」 ――1月の日本学生氷上競技選手権(以下、インカレ)を振り返ってみていかがですか。 「インカレは僕が3人の中で最後に滑って、団体戦ということもあってすごく独特な緊張感はありましたが、太一朗くん(山隈太一朗・営4=芦屋国際)と駿(佐藤駿・政経1=埼玉栄)がすごくいい演技をしてくれたので、自分は少し気持ちを楽にして臨むことができてそれがあの演技につながったかなと思います」 ――インカレ団体では20年ぶりに男女アベック優勝を果たしました。 「4年生の力も大きかったですが、1年生の勢いが強くて、出場していた3人ともいい演技をしていてすごく心強かったです」 ――国民体育大会はどのような試合になりましたか。 「SPが終わった時点での順位が3位とかで大阪府に負けていて、SPが終わった日に駿と何としてでも大阪には勝ちたいと思っていました。結果、FSで2人ともいい演技ができて目標だった2位に入ることができたのでそれは2人ですごく喜びました。最初の目標は表彰台だったのですが、SPが終わってここまできたら2位狙いたいぞとなって、本当に2人ともいい演技ができたので最高の試合でした」 ――国体の時、一生懸命に応援している姿が印象的でした。 「ここ2年くらい、国体の応援が声有りではできていなかったんですよ。自分自身が国体に出るのがこれで6回目になるのですが、国体のだいご味の一つが応援だと思っていて、コロナ以前の国体はすごくにぎやかで全員が僕くらいの声量で全員がフェンスをたたき全員が叫んでいて、他にはないくらいの歓声と高揚感のある試合でした。今回、埼玉組は初めて国体に出場する子たちが多くて、出たことのある子でも国体であのような応援をされたことがない子たちが多かったので、国体のだいご味を少しでも感じてもらえたらなと思って応援していました。自分も応援するのが好きなので自分も楽しく応援させてもらいました」 ――インカレや国体での思い出はありますか。 「インカレはマネジャー枠や補欠枠を含めて男子5人全員で行くことができたので、行きの飛行機から帰りの飛行機まで5人で楽しくやっていました。試合の印象も強いですけれど、試合前後のご飯や移動時間もすごく楽しかったので、明治の男子全員で試合に行くことができたのがうれしくて毎日楽しかったです。国体の時はずっと駿と一緒にいて、本八戸でおいしいもの食べたりサウナに行ったり、ずっと一緒にいました。サウナは1日の終わりに一つ行っていました」 ――明治法政 on ICE 2023(以下、明法オンアイス)で披露した『Real?』はどう振り返りますか。 「2シーズン通して滑ってきたSPで、2本目のトリプルフリップで失敗することがほとんどなくて、最後の最後でトリプルフリップで転んでしまいそこから頭の中が大焦りで、そこから全てが狂ってしまいました。冒頭のミスには自分の中では対応していたつもりですが、フリップのミスが自分の中で焦りになりました」 ――山隈選手のSPを踊った場面もありましたが、演技の難しさなどはありましたか。 「そうですね、足元など完成されていたものを見ていたのですごく覚えやすかったのですが、曲をかけての練習はあまりできていなかったので、リズム感や上半身の振りがなかなか自分の下半身と合わなかったりしました。滑ってみてからこんなに難しいことをやっていたのかと気付かされて、すごいなという尊敬に変わりました。(山隈選手の衣装を着るアイデアはいつ頃からありましたか)前日に『せっかく滑るから衣装貸してよ』と言ったら着させてもらえました。身長だけでなくて筋肉の量も違うと思うので、衣装が緩くて、足もゆるゆるでしたね」 ――演技前の6分間練習の際には、東日本から帰るとお家に犬がいたというお話がありました。 「そうですね。母親が家族の誰にも言わずに話を進めていて、僕たちが試合に行っていて誰も家に人がいなくて東日本が終わって家族全員で帰ったらきゃんきゃん鳴いていて『犬がいた!』みたいな。もう衝撃です。(かわいいですか)めちゃめちゃかわいいです。ロイくんとティナちゃんという名前は家族みんなで考えた感じです。最初はシャトーとブリアンから始まって、結果ここに落ち着いた感じです。今でも周りの人からはシャトブリと呼ばれています。今でもコンビ名はシャトーブリアンです」 ――今年度、明治のチームとして過ごしてみていかがでしたか。 「1年生にすごい人たちが入ってきたのが一番の変化だと思っていて、あれだけ高いレベルでスケートをしているので、合宿や普段の練習でも昨年度よりもさらにみんな高い意識で練習や試合に臨むことができていたので、みんなが昨年度よりもさらにいい成績を残そうと頑張った結果がチームを一丸にしたのかなと思います」 ――4年生の先輩方はどんな存在でしたか。 「今年の4年生は6人で数が多くて、全員に違ったいいところがあって、おもしろい先輩たちばかりで頼りがいがありました。スケートだけでなく私生活においても頼りになることが多かったのでいなくなってしまうのは寂しいですね。そもそも6人抜けると部員の数も減ってしまいますし、今の4年生たちは大学以前からお世話になった人たちが多いのでその人たちが大学だけでなくスケート界からいなくなってしまったりもするのですごく寂しいです」 ――今の期間はどのような練習をしていますか。 「主に振り付けや来シーズンに向けて新しいプログラムを作るのが今やっていることです。SPもFSもどちらも変える予定でいます」 ――どのような目標を掲げていますか。 「エレメンツの課題としていち早く4回転を降りなければいけないという気持ちで練習していますし、なんとしてでも来シーズンの初戦に4回転を入れたプログラムを完成させて挑みたいなという目標を持って練習しています」 ――4回転はどのジャンプをどのように練習していますか。 「自分の好き嫌いにかかわらず全部やっていこうと思うので、サルコウ、ループ、フリップ、ルッツの4種類を練習していって使えるものを1個でも多く増やすのが目標です。1回1回チャレンジして今の反省点を自分で考えながら、あとは駿くんのお手本を見ながら、1本前のジャンプよりいい形で跳べるように練習しています」 ――佐藤駿選手のジャンプを見ることができるのはどのような形で力になっていますか。 「身近に跳ぶ選手がいること、毎日4回転を見られるのは当たり前のことではなくて、自分にとっては特別な環境だと思っています。自分でもできるぞと思わせてくれる大きな要因にもなって、自分の可能性が可視化されているような感じで、それは自分にとって大きいと思っています。跳んでいる人の動きを見ると自分がどこかできるという気がするんですよね。見てまねているところは感覚的にあると思うので、そういうところではジャンプはいい方向に向かっているのかなと思います」 ――これから目指していきたいところを教えてください。 「来シーズンは全日本で最低でも12番以内、8位以内という目標を掲げて、来シーズンこそは日本代表となって海外の試合に出たいという思いがあるので、そこを目標にして頑張っていきたいと思います」 ――20歳の目標は何かありますか。 「誰よりも人生を楽しむことです!」 ――最後に、今シーズンを一言で表すとどんなシーズンだったか教えていただきたいです。 「次への助走、我慢のシーズンです。今シーズンは、自分にとって満足のいくものではなく、なかなか成長を感じることができず我慢の続いた1年でした。そんな中でも今振り返ってみると次につながるような悔しい経験をできたいいシーズンだったと思います。今シーズン感じた悔しい気持ちを忘れずに来シーズンに向けて頑張りたいと思います」 ――ありがとうございました。 [守屋沙弥香](写真は本人提供)READ MORE