ホイッスル
心の中に流れるホイッスルの音。感性を刺激する文章で読者を振り向かせ、社会に警鐘を鳴らすコラムです。ここでは、紙面に掲載できなかった色とりどりな声をお届けします。部員のオピニオンにぜひ目を通してください。
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読書
明大スポーツ新聞 2021.11.08本を読むこと。昔私はその行為が大嫌いだった。なぜ嫌いだったのかはよく覚えていない。落ち着いて座って本を読む。その時間は苦痛だったのかもしれない。小学校の読書の時間は退屈。大体は小学校の図書館においてある『解決ゾロリ』を読んで、ごまかして逃げていた記憶だけが残っている。 中学校に入ると朝読書の時間が義務づけられていた。ホームルームの前の10分程度を必ず本を読まなければいけない。何のためにやっているのか正直あまり理解できなかった。さすがに小学校と同じように過ごすわけにはいかず、小説を読み始めることにした。意外にも飽きない。何が原因で読めるようになったことは分からない。少しは大人になったのかなと感じた。それでも好きとまでは言えなかった気がする。 大学生になってからもあまり乗り気で本を読むことはなかった気がする。一番の転機となったのは大学1年生の3月に入院したことだ。7泊8日の入院生活。ちょうど新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)したこともあり、病院の中は閉鎖的。やることはほぼなかった。その退屈な状況を救ってくれたのが本だった。自分に足りなそうな考えの本や読んだことないジャンル本を読んでみることに。 結果的にこの期間で学んだことがその後の自分を大きく形成してくれたと思っている。本によって今までにない価値観が広がった。本で学んだ考えは部活動で生かすようにしている。部活動で自分が導入した新しいことはほとんど本から学んだことだ。今ではできる限り自分で進んで本を読むようになった。本を読めば、新たな世界が広がる。もう少し前にこのことに気付けば良かったなと感じる。[田中佑太](執筆日:10月17日)READ MORE -
言葉選び
明大スポーツ新聞 2021.10.13大学生になって初めての夏休み。だらだら過ごしてしまう私だから、何か有意義なことに使いたい。そんな理由で「タイ短期オンライン留学」に申し込んだ。政治経済学部主催のこのプログラム。タイの政治経済について英語で講義を受け、ディスカッションをする。情報コミュニケーション学部1年生の私には難しい部分も多かった。参加者は多様なバックグラウンドを持ち、私のような他学部生もいれば、韓国からの留学生も参加していた。それぞれの立場や知見から新鮮な意見が聞ける貴重な機会であった。 中でも印象に残っている意見がある。話題は最近報じられているアフガンの政権についてであった。「メディアは『空爆』と報道するが、これは攻撃する立場の言葉であって、攻撃される側からすると『空襲』なのではないだろうか。日本は無意識のうちに攻撃する側に立っているのではないか」という指摘だった。「空爆」と「空襲」の言葉の違いについて調べてみたが、諸説あるものの、定義自体に明確な違いはないようだ。しかし、伝わるニュアンスに違いがあるのは事実である。 言葉選びが受け取られ方に影響を与える事例は少なくない。炎上事件の後に「そういう意図はなかった」という文言もよく聞く。基本的なことだが、「様々な人の立場に立って考える」ということを忘れてはならない。昨今の炎上事件もその意識に欠けているがゆえのものばかりだ。不特定多数の読者がいる新聞を作るにあたってはより厳しく意識を持たなければならない。誰が読んでも楽しめる新聞のために、改めて言葉選びが大切だと気付かされた出来事だった。[春木花穂] (執筆日:9月12日)READ MORE -
開けた世界
明大スポーツ新聞 2021.10.13「やっぱり女子校出身は違うね」。この言葉を大学に入って幾度となく言われた。なぜそう思うのか聞いてみると、どうやら女子校出身者は多くの場合男女差別に対してその他の人から見ると過剰なほど反応するらしいのだ。言われてみると確かに思い当たる節はあった。 例えば男女でご飯に行ったとき、男性がご飯をおごることが多い。しかし私には「おごる」という行為から「女性は男性よりも稼ぎが少ない」というステレオタイプな考えが透けて見えているような気がする。「極端に考えすぎている」と感じる人もいるかもしれないが共学に入ってより性差について思うことが増えた。 ここ最近はやっている「ジェンダーリビールケーキ」に対しても思うところがある。ジェンダーリビールケーキとは生まれてくる赤ちゃんの性別を発表する時に用いられるケーキのことだ。ピンクのクリームで飾られた部分に「girl」、青のクリームで飾られた部分には「boy」と書かれたジェンダーリビールケーキの写真を見て息苦しさを感じた。まるで女の子はピンクが好きで男の子は青が好きなのが当たり前のように表現されているからだ。生まれる前から性別による「らしい色」を固定概念として押し付けられている。 狭い世界で生きてきたからこそ、今の開けた世界に対してどこか違和感が拭い切れない。世の中でこれほどまでに多様性が重視されているのに、ずっと前から植え付けられた価値観を簡単に変えることは難しい。周りの人には変わって見えるかもしれないが、私は小さなことでも疑問を持てるような環境で6年間過ごせて良かったと思っている。最後には女子校、共学問わず多くの人が関心を持って世界が本当の意味で開けたものとなることを願うばかりだ。[入谷彩未](執筆日:9月14日)READ MORE -
ずるい言葉
明大スポーツ新聞 2021.10.13「あなたのためを思って言っているんだよ」。誰もが一度は耳にするであろう言葉。これを聞いてどう思うだろうか。もやもやするが、反論もできない。大人から言われると正しい気がして、不満を持つ自分が悪いとさえ思える。しかし、何か引っ掛かりを感じる私は間違っているのだろうか。 大学受験を題材にしたドラマを見た。子供を一流大学に入れるために親たちが口をそろえて言うのが「あなたのため」。でも実際は一流大学に子供を入学させた自分を手に入れたい、そしてそれが子供の幸せに違いないという思いが隠れているのかもしれない。その思いは、本当に〝あなたのため〟になっているのだろうか。 あるアメリカの歌手が、過去の黒人差別的な発言が批判され「黒人の友達がいる私が黒人を差別しているはずがない」と主張した。その言葉に納得してしまう自分がいた。一方で、それが差別をしていない理由になり得るのか疑問も残る。もんもんとしていた時「I have black friends論法」という用語に出会った。黒人の友達がいることを口実に、自分は差別的ではないと正当化するのだ。セクシャルマイノリティや障害者などに対してもこの論法は使われる。「そういう友達がいるから分かるよ」。その言葉の裏には〝分かっているつもり〟が隠れている。そしてそのおごりが差別につながる恐れもあるのだ。 言い返せないような言葉を使って相手の口をふさぐ。そういった〝ずるい言葉〟を知らず知らずのうちに使ったり、言われたりしているかもしれない。一回立ち止まってもやもやと向き合ってみる。自分が抱いた違和感を、そのままにはしたくない。[覺前日向子](執筆日:9月14日)READ MORE -
バイトリーダー
明大スポーツ新聞 2021.10.12皆さんには最寄りのバイトリーダーがいるでしょうか。私にはいます。 アルバイトを始めるまで、バイトリーダーという存在に対して、どこかふざけたイメージを持っていたように思う。働いたこともない若造が失礼極まりない話ではあるのだが、原因の一つに好きだったお笑い芸人のネタがある。そのネタでは自らがバイトリーダーにふんし、登場シーンで面白おかしく自己紹介をするのだ。例を挙げると「この世界で偉いやつはけんかが強いやつでもなく金を持っているやつでもない。土日祝日入れるやつバイトリーダーです」。他にも「殺人よりも放火よりも強盗よりもやってはいけないこと。それは交通費をもらいながら自転車で通うこと、バイトリーダーです」と言ったように。話はそれてしまったが、何が言いたいのかというと、バイトリーダーは偉大だということである。 人によっては、そのお店の社員の人よりも長いこと在籍しているであろう。誰よりもお店に詳しい。何かトラブルがあったときは、率先して対応してくれる。他のアルバイトの帰宅時間が遅くなりそうなときは「先上がってください」と1人で仕事を受け、遅くまで働いてくれる。バイトリーダーなしにはお店が円滑に回ることはないのだ。 社会はさまざまな人で成り立っているとは言うが、アルバイトを始めてからそれを強く実感した。一つの小さなスーパーマーケットでさえ、必要不可欠な存在があるのだ。皆さんもお店に入った際には、そういった目線で楽しむのもいかがだろうか。 お店と掛けまして、名曲と解きます。その心はどちらも店長(転調)で雰囲気が変わります。[佐藤慶世](執筆日:9月13日)READ MORE -
話し方
明大スポーツ新聞 2021.10.12少し前の話。電車で座っていると、おしゃれな70代くらいのおばあちゃんが隣に座ってきた。「この電車って渋谷の方に行くか分かるかしら」。きれいな言葉遣いだなと思いながら、渋谷に止まることを伝えると「ありがとう」とすてきな笑顔でお礼を言ってくれた。柔らかい話し方ときれいな言葉遣い。このおばあちゃんとはこの後も少しの間おしゃべりをしていたが、その少しの時間だけでその人柄が伝わってきた。 このおばあちゃんと話してから、私は話し方が与える人の印象は思っている以上に大きいと思うようになった。話し方でその人の人柄がこんなにも出るのかと。あの日、私はそのおばあちゃんに「どうしてそんなに話し方がきれいなんですか」と思わず聞いてしまった。昔の仕事柄、言葉遣いには気を付けなければいけなかったから、その名残が残っているらしかった。「私もきれいな話し方ができるようにします」と伝えると「無理に変えなくても話し方もその人の雰囲気をつくっているものの一つだからね。個性の一つだよ」。そう言われて、色々な人の話し方を思い出してみた。気にしたことはなかったが、もちろんみんなそれぞれ話し方は違う。話すペース、トーン、方言を話す人もいてよく考えてみれば面白いなと思った。おばあちゃんが言っていた通り、話し方はその人の雰囲気をつくり出すものの一つでその人の個性の一つなのかもしれない。個性の一つ、大事にするか。と思いつつ、あのおばあちゃんに憧れて検索履歴には「きれいな話し方に変える方法」が残っているけれども。 [宇野萌香](執筆日:9月14日)READ MORE -
自分に勝つ
明大スポーツ新聞 2021.10.12「人に負けたくない」。私が頑張る理由はいつもそこにあった。 小学生の頃から常に2歳上の兄と比べられてきた。学年一頭が良く生徒会長も務めた兄。私も成績は悪くなかったが兄には到底及ばず、内気で生徒会長などできない性格だった。三者面談では毎回「大人しすぎる」と言われ「お兄さんはそんなことないのに」と付け足された。いつも褒められるのは兄ばかり。「優秀な兄の妹」としか見てもらえない状況がつらかった。 「絶対に見返してやる」。その一心でひたすら勉強した。兄と違う中学校に進んでからも「誰よりも良い結果を残して認められたい」という思いは消えなかった。中学校では学業で、高校では部活で。たくさん努力をしてそれなりの結果もついてきた。それでも世の中に自分より上はいくらでもいる。果てしなく連なる壁を前に「学校で一番なら良い」と中途半端に逃げた。 明スポに入ってからも、私の負けず嫌いは続いていた。しかし昨年度の冬、明スポの活動の中でIllustratorというデザインソフトに出会う。センスは一切なかったが、夢中になるのは一瞬だった。冬休み期間は毎日図書館に通い、参考書を片手に練習した。そこに「負けたくない」という思いは一切なく、あったのは「うまくなりたい」という思いのみ。初めて人を意識せず、自分のためだけにした努力。それは人と張り合う必要がなく、とても楽しいものだった。人と比べないからこそ、限界を決めずにどこまでもこだわれる。Illustratorだけでなく、記事もカメラも「自分が納得できるものを」という考えに変わり、明スポの活動が以前よりもずっと楽しくなった。 周りの人はすぐに人と比べて評価してくる。その声にもう惑わされたくない。「人に勝つ」ではなく「自分に勝つ」。そのためにどこまでも努力し続けたい。[西村美夕](執筆日:9月13日) READ MORE -
いつまでも子供のままで
明大スポーツ新聞 2021.10.12つい先日二十歳になった。ありがたいことに色々な方にお祝いしていただけて、とても嬉しかった。しかし、まだ誕生日を迎えていない友達から届く「羨ましい」「自分も早く二十歳になりたい」という言葉には同意することができず、あいまいな返事をした。 二十歳の誕生日と言えば、人生にとって大きな節目である。少なくとも、前半の人生で最も祝われる誕生日であることは間違いないだろう。成人式などという式典が自治体主導で開催され、華やかな衣装に身を包む。未成年から成人への進化というのは、個人にとっても社会にとってもそれだけ大きな出来事なのだと痛感する。 未成年と成人との大きな違いは、行動の責任が完全に自分だけにあるところだ。だからこそできることの幅も増える。お酒も飲めるようになるし、お金も借りられるようになる。今まで親の許可を得なければできなかったあれこれが、自身の一存でできる。恐らく未成年の友達は、その自由さをもって羨ましいと送ってきたのだろう。その理屈は理解できる。 しかし私は得られる自由よりも、それに伴う責任が怖くて仕方がない。確かに色々制限がある未成年は不便だが、その不便さは保護されていることの証でもあった。また、自由はある程度お金で買えるが、保護や庇護といった扱いはお金では買えない。お金で買えない未成年という称号には値千金の価値があると思う。 私は今まで守られている立場ということを存分に利用し、守られる前提で行動してきた。だが、これからは守られるではなく自分が守る立場になるのだ。そんなことできるかなあと不安になるが、実際成人してしまったものは仕方がない。私の人生はまだ始まったばかりだ。[向井瑠風]READ MORE -
東京五輪を言葉から振り返る
明大スポーツ新聞 2021.10.11東京五輪が終わってしまった。本当にやるんだ、と思っていたらあっという間だった。「なんだかんだ盛り上がった」とか「東京五輪がなければあの人は死ななかったのに」とかあると思う。新聞で東京五輪を盛り上げようとしたからには、振り返る責任があるはずだ。ここでは、東京五輪そのものではなく、メディアの表現について考えたい。 「美しすぎる○○選手」「美人アスリート」。こんなフレーズを五輪期間中見かけなかっただろうか。実は、東京五輪の報道において、このような表現はIOCによって禁止されていた。2021年6月に改訂された『Portrayal Guidelines 』上で「あらゆる形態のコミュニケーションにおけるジェンダー平等で公正な描写が行われること」を求めた。参考和訳は〝IOCではなく〟東京 2020 組織委員会ジェンダー平等推進チームが遅れて7月30日に作成した。 選手のアイデンティティーはジェンダーのみによっては定まらない。だから、選手のジェンダーに焦点を当てたあらゆる表現はすべきでないし、特定のジェンダーに関わるステレオタイプ的な表現は、ジェンダー平等・多様性を掲げる東京五輪において、認められないはずだった。女性選手だと笑顔や涙、私生活に焦点当てられがちだよね、なんてことも書いてある。 問題なのは、メディアがこの表象ガイドラインを気にも留めていないことだ。メディアに関係する人間の一体どれだけが、このガイドラインにのっとって表現を試みたのだろう。この表象ガイドラインはあらゆるメディアに適用されるため、あらゆるメディアのあらゆる表現を思い出してほしい。主要メディアも堂々と「美女アスリート」と書いていたので、まあPDF26枚分の英語のガイドラインなんか見もしなかったんだろう。和訳も40枚分あるし、だったら選手を〝分かりやすく〟書く方が楽なのだ。さて、重要なのは振り返って何をするかだ。自らに問わなくてはならない。[田崎菜津美](執筆日:9月13日) READ MORE -
新聞は娯楽足り得るか
明大スポーツ新聞 2021.10.11最近の新聞は正直見ていられない。1面を飾るのはコロナの話題か総裁選、アフガニスタンでのことなどだ。いくらページをめくっても社会問題を突き詰めるものや、不安をあおられるような議題ばかり。はっきり言って読めば読むほど憂鬱(ゆううつ)な気分になる。五輪期間はメダルの話など明るい話題も出てきたが、今ではそれもない。 社会での問題や議題を客観的に文章で伝えるのが新聞の役割なのは理解できる。世の中はお世辞にも明るさの最中にいるともいえない。掲載内容がどうしてもマイナスな方向に傾くのはしょうがないことだろう。 高校時代、とある新聞社の方から妙な質問をされた。「新聞は娯楽になれると思うか」。この問いに何と答えたかは覚えていないが、今になると、この問いはどこか新聞のこれからの在り方を左右しそうだ。購読料金を払って新聞をとっても、現代はネットニュースなどで無料かつ大量の情報が手に入る。情報にお金を払う、そんな社会ではなくなってきているのだ。 では、お金を払ってでも得たい情報とは何か。無論精度の高い情報だ。しかし、情報の海の中にいる現代社会において、これを精査することは難しい。もっと分かりやすいところでいくと、娯楽享楽趣味嗜好(しこう)ゴシップがそれだろう。しかし、この役割は既にネットや雑誌、個人のブログやSNSが担っている。ここに情報媒体としての新聞が、入り込める余地があるかどうか。新聞購読者が減少している今、新たな付加価値を求められる新聞。社会の明暗をそのまま写し出すだけの紙であっては、人は見向きもしないだろう。必要なのは明暗でも、五分五分の濃淡だ。明るさと暗さを均等に兼ね備えて初めて娯楽に返り咲けるのではないか。[金内英大](執筆日:9月13日)READ MORE